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1955年

 58

59 60 61

11 

主要製鉄国の コー クス原単位 (1955〜61年)

(注

)1.ア

メ リカ, 日本は高炉の実際コークス比

2.そ

の他は重堕鵠説巽争舎垂煙魃乙警塾により算出 出所:日本鉄鋼連盟 『鉄鋼統計要覧』1961年 版。

ころが大 きい。 これ らに よるコー クス比 の低 下 とそれ に伴 う燃料費の切 り下 げ効果 が大 き く

日本 の コー クス比 は この時期 以 降

,世

界の トップ を行 くこ

とにな った (図 11)。

また

,こ

の時期 の特 筆 すべ き もの と して

,川

崎 製鉄 。千葉製鉄所 の建 設 。 稼 働(1953年 6月

,第 1高

炉 の火入 れ)が あげ られ る。 これ を皮切 りに

,1950

年代 後 半以 降

,大

手鉄鋼 メーカー各社 が新規製鉄所 の建 設競争 に突入 してい く。 まさに

,そ

の後 の臨海立地 製鉄 所 の先駆 的 なモデル とな った。

ili  海外製鉄原料委員会 の発足 と東南 ア ジア鉱 山開発

朝 鮮戦 争 に よる鉄鋼生産 の急増 に伴 い

,海

外 原料 の確保 が緊急の課題 とな る。と くに,朝鮮 ブ ーム で世 界的 に原料需給が逼迫 し

FOB価

格 が上 昇 す る と と もに

,船

舶 不足 か らフ レー トも上昇 した(図 12)。 また

,中

国 の参戦 に よっ て中国か らの原料 入手が 困難 とな り

,米

国 な どの遠距 離 ソースヘ の転換 を余 儀 な くされ る。 この ため

,原

料 コス トが急増 し

,鉄

鋼 の 原価高 はいっそ う決

日本鉄鋼業の原料入手システムと原料事情の変遷 113

  

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国冒昌墨目曼8

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﹂ 細 雁 窯 漱 く 口 一嵩 ヨ

︵需 籠 躙 睫 K 一絆へ ヽ︶ 轟 血一楓 興 奮 雲 製 K   繁 モ 肛 興 痙︶ 部 く ロー ハ エト ヽ く

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﹁ 肛 製 ト ト ヽ 豊底 針 R

︐   繁 К  

︵川

︶ 脳 総 理 ユ ー ム ヽ 肛 K ロ ー ヽ ヽ二 ハ

′ヽ   銀H 図

Φ Φ

Φ Φ

Φ Φ Φ

Φ

Φ Φ

Φ Φ

 

(2ミ)

KHК

114 名古屋学院大学論集 定的な もの となる。

1951年

頃か ら米国炭 は

日本鉄鋼業のベース・コール としての「不動の地 位」 を占め るに至 った。米国の強粘結炭は品質的には世界最高であるが著 し

く高価で もある。 このため

コークス比の切 り下げが至上命題 となる。その 結果

,世

界の主要国のなかで も最高品位の鉄鉱石 を使用す るとい う原料政策 を促 した。

当時

,原

料問題 は 日本鉄鋼業のアキレス腱であった。(70)と くに朝鮮戦争 に よる原料費の急騰 は

,日

本鉄鋼業 に対 して大 きな反省 を迫 る。(71)さ らに

,第

1次

合理化 に基づ く生産量の拡大 に伴 い

,そ

の脆弱性がクローズア ップ され た。その主体的弱 さをいかにカバーす るかが真剣に問われるに至 る。

ここに

,海

外鉄鉱石供給の前途 を打開す るために

,各

社が相互 に提携 して 討議す る場 として,「海外製鉄原料委員会」が発足 (1952年 11月

)し

た。同 委員会 は八幡製鉄社長・ 渡辺義介 を委員長 とし

,渡

 

誠 (元商工省資源庁 次長

)を

事務局長に招聘 し

,会

員は八幡製鉄

,富

士製鉄

日本鋼管の

3社

,

委員 は

3社

の社長

,副

社長

,原

料担 当常務 より構成 された。その後

,川

崎製 鉄

,住

友金属

,神

戸製鋼な どもメ ンバ ー として加入 し,「高炉

10社

の協調の 場」 となる。

同委員会の主要な活動 は次の

4点

とされた。

(a)海

外鉱 山の投資開発に関す る調査研究

(b)鉱

石専用船 の建造計画の検討な らびに政府関係機関への意見具 申

(C)外

地 における鉱石積込み設備 お よび港湾施設な どの検討な らびに改善 対策審議

(d)主

要地域 または鉱 山への調査団の編成 と派遣 な らびに対外折衝 その後 における海外諸鉱 山への投資の大部分が

,海

外製鉄原料委員会の決 定によ り行なわれた。同委員会 は,「共同開発 と共同買付」のセ ンター として 重要 な役割 を担 ってい く。(72)

こうした活動の具体化が 日米経済協力の もとに

,東

南アジア鉱 山開発 とし て結実す る。なお

,東

南アジア鉱 山開発にあたっては

,GHQ関

係官による次 の ような言明が注 目され る。 そこには,「長期買付契約」に基づ く開発輸 入の

日本鉄鋼業の原料入手システムと原料事情の変遷

       115

あ り方

日本 の政 府系金融機 関や米 国の ワシ ン トン輸 出入銀行 な どに よる資 金 的援 助 な どが提 示 され て い る。 まさに

,戦

後 日本鉄 鋼 業 の原料 入手 システ ムの原型が示唆 されてい るので あ る。

「 日本が これ らの潜在資源 を有す る諸国 と原料 の長期 買付契約 を結び

,こ

れ を通 じて土着 資本 を資源 開発投 資 に誘 引す るの が賢 明 な策 で あろ う。

(a)ま

ず 日本 民 間資本 が 開発 に協 力 し

,つ

いで 日本輸 出入銀行 な どの政 府 系金 融機 関が これ に参 加。

(b)日

本 の資金的援 助が 限度 に達 した場合 は

,ア

メ リカの ワシ ン トン輸 出 入銀行

,国

際 開発銀 行 な どが金 融 の道 を開 く。

(C)以

上 の措 置 を もって して も

,な

お資金 が不足す る場合 ない しは成功 じ な い場合 は

,ECA資

,コ

ロ ンボ・プ ラ ン

,イ

ギ リスの植 民地 開発会社 な どが資金的援助 を行 な うで あろ う。」(73)

東南 ア ジア鉱 山開発 は

,融

資形 式,投資形 式,技術指 導 の

3つ

の方法 に よっ て

,進

め られ た。 開発 に必要 な設備

,資

,技

術 につ いて は

,鉱

石 代 金 との 差 引決済 と して

,鉄

鉱 山がつ ぎつ ぎに開発 され て い く。 その 第

1号

,1951

年 10月 の ゴア鉱石 で あ る。その後

,フ

ィ リピン

,マ

レー な どと相 次 ぎ

,比

較 的小 規模 の 3〜

5年

契 約 が な され た。こ う した結果

,1954年

にな る と

,ア

ジア 鉱 石 は全輸 入鉱 石 の

80%に

まで 占め るようにな る。

以上 にみ る よ うな対 応 に もかか わ らず

日本 の鉄鋼 原料 問題 はなお課題 が 山積 みで あ り

,コ

ス トや量確 保 の面 で構 造的 な脆弱性 を依然 と した抱 えてい た。(74)

第一 に

日本 の鉄鉱石輸 送距離 は

,東

南 ア ジアヘ の転 換後 もなお世 界最 長 で あ る。その ため

,海

上 運賃 の 占め る比 重が大 き く

,輸

入原料 の

CIF価

格 高

や価格 不安定性 の主要 な要 因 をな していた。 第

1次

合 理化 を経 た後 も

日本 の銑鉄 原料費 は

,海

上 運賃の高騰時 には西欧 諸国 に比べ て著 しく割 高で

,運

賃低 落時 に ようや く競 争 力 を持 ち うる とい う状 態 を余儀 な くされ る。

第二 に

,拡

大 の一途 をた どる主 要 原料 をいか に確 保 す るか とい う量 的確 保 の 問題 も

,未

解決 の ま ま残 され て い た。

第二 に

,鉄

層 の問題 につ いて も

,量

確 保 お よび価格 の両面 で抱 えた ま まで

116 名古屋学院大学論集

あった。輸入鉄層の大半は米国に依存 している。 ところが

,好

況期 になると 米国で鉄屑需給が逼迫 し

,輸

出が困難 にな り,さ らに鉄暦輸 出が禁止 され る。

このため

日本では鉄暦需給が逼迫 し価格が高騰する

といった悪循環 を余 儀 な くされ る。こうした事情が

,他

国 に先駆 けて純酸素 上吹 き転炉

(LD転

)

の採用 を決断 させ る引 き金 となるのである。

 

高度成 長期

海 外資源依存体制 の確立期

2次

合理化 と銑鋼一貫製鉄所建 設

1950年

代 後 半 にな る と

,日

本鉄鋼 業 は輸 出産業 と して方向づ け られ

,そ

れ に向 けての国際競 争 力の強化 が重要 な課題 とな る。「鉄源不足 をめ ぐるわが国 鉄 鋼業 の宿命的 な脆弱性 を打 開す る」ため に,「 資源 開発か ら輸 送

,港

湾 施 設 の整備

,製

,分

塊 部 門 の強化 までの一貫 した合理化」が提起 された。(75)

2次

合理化 (1956〜

60年 )は ,こ

う した課題 に応 えた もので

,工

場 全体 を近 代化設備 で装備 した本格的 な銑鋼一貫 製鉄所 の建 設が進 め られ てい く。

この時期 の設備投 資の特徴 は

,製

銑・製鋼部門の比重が増 加 した こ とで あ る。

大 型 高炉 の採 用,転 炉 製鋼 設備 の導 入 な ど革新 的 な設備近代化が行 なわれ た。

高炉 の新設 は

,第 1次

合理 化期 に

1基

で あ ったのが

,第 2次

合 理化期 には

10基

にのぼ り

,し

か も高炉 の大型化 が進 め られ た。さ らに

,14基

LD転

炉 が新 設 され

,製

鋼 能 力が著 しく高 まる。 その結果

日本鉄鋼業 は銑鉄 自給体 制 を整 え

,海

外鉄屑 へ の依存体 制か らの脱却 が図れ る ようにな った。

しか しなが ら他 方で は

,鉄

鉱 石

,原

料炭 の需要増大 に拍車 をか け るこ とに な り

,鉄

鉱 石

,原

料 炭確保 の問題 をいっそ う際立 たせ るこ とにな る。

ii 

海 外 資源 ソースの 多角化 と長期確保

― 長期契約 方式の登場―

2次

合 理化 に よる原料 需要 の増大 の なかで

日本鉄鋼 業 は

2つ

の対応策 を打 ち出す。 その一つが資源 ソースの多角化 と長期確保 で あ り

もう一 つ は 鉱 石専用船 の建 造で あ る。

第一 の点 につ いて は,イ ン ド鉱石 の長期 契約 と大型鉱 山開発が あげ られ る。

高炉

7社

の共 同歩調 に対応 して,イ ン ド政 府 は

1956年

にイ ン ド国営貿易公団

日本鉄鋼業の原料入手 システム と原料事情の変遷 117

(STS)を

設立 し

,イ

ン ド鉱石 の輸 出窓 口を一本化 した。 そ して

,57年

には

高炉

7社

と5ケ年契約 を締 結 す る。 ここに

,イ

ン ド長期契約時代 の幕 が開か れ た。(76)それ は また

,長

期 契約 に基づ く共 同購 入方式 とい う 日本 型原料 入手 システムの先駆 とな るので あ る。

イ ン ド大 型鉄鉱 山開発 につ いて は

,米

国の大 統領 開発基 金 か ら

2,500万

ド ル の援 助 を受 け

,こ

れ に 日本側 か ら

800万

ドル

,イ

ン ド側

1,700万

ドル を出

資 して進 め られ た。 日本 とイ ン ドの援 助 要 請 に対 して

,米

国政 府 が大 統領 開 発基 金 か ら最 高支援 額 で応 えた こ とをみ て も

,米

国が いか に この計 画 を重視 して いたかが わか る。(77)1958年 に は,開 発協 定が締 結 され た。

1964年

以 降10 年 間

,(新

規 に開発す るキ リブル鉱 山か ら

)年

200万

トン規模 で輸 入す る。

さ らに

日本の鉄鉱石需要 が増大 した場 合 には

,バ

イ ラデ イ ラ鉱 山 を 日本 向 けに開発す る とい う もので あ る。

1960年

に は

,バ

イ ラデ ィラ鉱 山 も機 械 設備 や 不足資材 を 日本 が出資す る とい う条件 で開 発 され るこ とにな り

,年

間 400 万 トンの鉄鉱 石 を同 山か ら確 保 した。

これ に よって

,イ

ン ドはすで に開発 され た ゴアの鉄鉱石 も合 めて今 日

日 本鉄鋼 業 の

3大

供 給 源 の一 つ とな る。 この イ ン ド大 型鉄鉱 山開発 は,「 鉄 道, 港 湾 の新 設 を含 め た総 合的地域 開発 と しての意味 」 を もち

日本の海外大型 鉱 山開発 の 先駆 と もな った。(78)日本 の長期 契約 一共 同購 入 をベ ー ス に して,

3者

(日

,産

出国

,米

)に

よる開発輸 入方式 は

,60年

代 以 降

,他

の ソー

ス にお いて もよ り大 規模 に展開 してい く。

輸 入原料炭 につ いて も

,資

源 ソー スの 多角化 。長期確 保 の動 きが具 体 化 し た。 まず

,米

国炭 一 辺倒 の構 造 に

,一

定 の変化 が み られだす。 豪州 炭・ カナ ダ炭 の登場

1)わけ豪州 炭 の急激 な増大へ の幕 が切 り開かれ る。

日本鉄鋼業 に とって

,高

価 な米 国炭 に代 わ る近距 離 ソースの 開拓

,高

炉 の 大 型化 に よる強粘 結炭 使用 比 率 の増 大 に伴 う新 規供 給源 の確 保 は

,強

いニ ー

ズで あ った。

中国炭 の輸 入途絶 の もとで

,米

国炭 は 日本鉄鋼 業 のベ ース・コール とな り, その地 位 は

1970年

に至 る

20年

間一 貫 して変 わ らなか った。米 国炭 の高 品質 は

,第 2次

合 理 化 にお いて高炉 の大 型化 を可能 にす る。 その こ とが また

,大

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