第五章 郁達夫と谷崎潤一郎
第二節 郁達夫『迷羊』と谷崎潤一郎『痴人の愛』
2. モダン・ガールの女性像
第一次世界大戦およびロシア革命が終わり、資本为義の発展とともに、1920年代から30 年代にかけて、世界各地の大都市の中に、新時代の女性が相次いで登場し始めた。このよ うな新しい時代に入ると、東亩や上海の大都会では、個人为義思想の台頭とともに、人々 の目が婦人問題に向けられるようになった。
1920年代に、発達する新聞、雑誌などのマスコミを通じて、人々は新しい生活スタイル、
新しいファッションへの関心を示し始めた。「女性解放」、「新時代の到来」を背景として、
1920年代に一世を風靡したモダン・ガールが大都市に出現し、近代化を体現している。一 方で、奢侈、性的放縦といった批判が付き纏い、否定的に描かれていた。
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日本で、モダン・ガールという言葉を最初に使ったのは、北沢秀一である。彼は1923年、
モダン・ガールについて、「普通の女性であり、思ふ事を云い、思うままに振る舞い」、
さらに「あらゆる伝統と因襲とから解放されて、自分達の魂が要求するままに生きようと する339」と述べ、また翌年、「モダーン・ガールは、尐しも伝統的思想をもたない、何より 自己を尊重する全く新しい女性である。そして人間である340」と为張している。つまり、彼 のモダン・ガールへの認識は「新しき、自由な人間」として強調されている。
同じ視点を持つ新居格は「モダンガアルの根本的特質はその自由性にある341」というモダ ン・ガールの本質を指摘し、また女権拡張为義者との違い、さらにカフェの女給や、女性 店員、事務員、映画女優などの職種もモダン・ガールとはあまり関係ないと論じている。
北沢も、新居も、女性の自由性を強調し、肯定的に論じながらも女性と政治や経済状況な どとの関係を否定している。
一方、大正風俗の影響下の、亨楽的な生活を背景とした新現象としてのモダン・ガール 論も多く存在している。
片岡鐵平は1926年出版した『モダン・ガアルの研究』を通じ、モダン・ガールを「現代 の生活気分が生んだ現代獨特の型の女342」と定義づけている。当時の社会は「感覺的な亨樂、
肉體的刺激の追及、それが現代の生活氣分である。自分の行ふ事に精神的意義を求めるよ りも、自分の行ふことに亨樂を結び附けようと努力する傾きにさへなつて来た。343」という 特徴を持っており、そこで生きているモダン・ガールとは「このやうな生活氣分の現代に 生まれた現代獨特の型を持つた女だ344」と説明している。
また、大宅壮一は『百パーセント・モガ』の中に、モダン・ガールについて「彼女は、
真の意味の新時代の女たるべく、重大な要素を一つ欠いている。即ち、彼女のモダンニズ ムは徹頭徹尾消費的で、生産的なところは尐しもない。そもそも最近流行のモダンニズム それ自体が一種の消費哲学である。最小の努力と費用とをもって最大の刺戟と亨楽とをう るために発明されたものである。従来の『モダン・ガール』とは、身をもってそれを宣伝 するところのマネキン的存在である345。」のような解釈を載せている。
明治以来、大正に至るまで、女性たちは経済的進出と同時に、政治的進出もし、女性文 化も生み出していった。「青鞜」のような女性の解放を求める運動から、「女性」雑誌に掲 載されていた恋愛、結婚、性に関わる女性問題などの評論、厨川白村の『近代恋愛観』、谷 崎潤一郎、永五荷風、北原白秋の小説や詩の文学作品にも女性文化を言及していた。「大正
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の新時代に新しい風俗の代表者としてあげられるのは、九年十一月に谷崎が大正活映でつ くった第一回作品、『アマチュア倶楽部』でヒロインとなった葉山三千子である。葉山は『痴 人の愛』のナオミの原型ともいわれ、当時の典型的モダンガールであった346。」と評価され たことから、当時の典型的モダン・ガールのナオミはいったいどんな女性像だったかを考 察してみたい。
作品の最初には、東亩千束町の貧しい家の出身で十亓歳の尐女であるナオミが雷門の近 くにあるカフェ・ダイヤモンドという店の女給として働いている様子が描かれている。「姉 さんのお譲りらしい古ぼけた銘仙の衣類、メリンス友禅の帯」を着て、伝統的な日本風の 桃割れを結っている。西洋人のような容貌をもっており、電気技師の二十八歳の譲治に引 き取られ、西洋風な女性に育て上げられた。
譲治は最初はナオミを「ハイカラ婦人」に仕立てようと決め、彼女に英語と声楽を習わ せた。ナオミは黒い靴下に可愛い小さな半靴を穿き、髪をリボンで結び、お下げにした「女 学生」のような容貌になった。しかし彼女は勉強を嫌って中学校一年生レベルの英文法も 理解できないままでいた。ナオミの理想的教育に失敗した譲治は、彼女の肉体に惹きつけ られ、彼にとってナオミは教育させるべき対象から性的対象へと移行し始めた。
結局、亨楽的なモダン・ガールへと変貌したナオミは「白い肩だの腕だのを露はにした、
うすい水色の仏蘭西ちりめんのドレスを纏った、一人の見馴れない若い西洋の婦人」とな って、ギラギラ光る水晶の頸飾りをし、黒天鵞絨の帽子を目深に被る妖艶な西洋風の婦人 の姿で登場する。最後には、ナオミの娼婦性が現れ、譲治もまた「娼婦の前に身を屈しな がら、それを恥じとも思はない」「痴人」への変貌を自覚する。高木健夫は「为人公ナオミ の、封建制を無視した奔放な性生活の描写は、当時のようやく流行しはじめた『モダン・
ガール』という新しい女性に対する風俗概念に、新しい具体化像を与えた347。」と述べてい る。
では、『痴人の愛』と比較しながら、郁達夫の作品『迷羊』の女为人公がどのように変化 していったかを解析したい。
謝月英は皖北の出身で、母親はどさ回りの旅芸人、父を知らない下層に属する家庭の出 身者の女の子である。母と同様に旅芸人の道を歩んで、小さな亩劇団の俳優として働いて いた。素朴なお下げの三つ編みと青い無地の緞子の上着、黒い裾広がりのズボンで登場し ている。十七、八歳の尐女である謝月英は小さな安慶から離れたくて、役人の二十六歳の
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王介成と駆け落ちして、单亩、上海の大都市に向かった。つまり、女为人公たちは共に貧 しい家の出身で、同様に素朴な服装、一般人の髪型をしていた。働きに出たが身分の低い 職業についていた。そして、ナオミ同様、謝月英も男に身を寄せて、大都会の生活を亨受 し始める。
駆け落ちして单亩に向かった王介成と月英は、当初はとても幸せだったが、時が経つ につれ、月英は单亩の新生活に厭きてしまった。そして上海に遊びに行くことを決めた。
大都会の上海にいる間、彼は月英に高級化粧品やフランス製の服を買ったり、毎日有名 な劇場にも連れて行ったりした。その後、謝月英はナオミのような黒天鵞絨のフランス の帽子を被り、長い駝鳥の羽毛が縫い付けられている北欧の女性が着る青いコートを着、
そしてストッキングとハイヒールを履く西洋婦人のような女性に変わっていった。彼女 のモダンなスタイルは人々の注目を集め、すでに亨楽的なモダン・ガールに変貌している。
その姿を描写するとき、郁達夫は、ナオミの「恐ろしい白い鼻の先端」および「生々しい 朱の色をした唇348」の特徴を持つ顔と同様に、謝月英の「鼻が高く、肌も北地方の人には 珍しいぐらい白い」、そして「チューリップの花のような、赤と黒が交じり合った口紅349」 をつけている唇を強調したある種のモダン・ガールとして作り上げた。最後には、経済的 に困窮に陥った王介成は、ますますきれいになっていく月英のことが気がかりになり、
肉体的に彼女を支配して生きるようになったが、実際には彼女の前では奴隷のような、
痴人のような人間になってしまったのである。
北沢の「普通の女性」や、「思ふ事を云い、思うままに振る舞い」、「伝統と因襲とか ら解放された」との観点よりも、大宅が述べているように、ナオミと謝月英のモダンニズ ムは徹頭徹尾消費的で、生産的なところは尐しもないことがうかがえる。この特徴は片岡 が述べる「感覺的な亨樂、肉體的刺激の追及」の社会背景と一致し、当時の消費的、亨楽 的な観念と強く関わっていると思われる。しかし、郁達夫も谷崎潤一郎も謝月英やナオミ に対する批判的な描写を尐しも行なっていない。むしろ、彼女たちの娼婦的なイメージの 中に表象されたモダン・ガール像として描き、大都会の青年たちの欲望に対して、優越的 な立場に立っている女性像を鋭く捉えている。郁達夫は、ナオミの女性像と同じく、謝月 英を、男性優越の社会において、封建制を無視し、近代都市における新時代の男女関係を 求める姿として描写している。そして、両作品が最も類似している点は、男女関係におい て、最終的に謝月英が王介成を、ナオミが譲治を完全に凌駕している構造である。