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芸術の美を追求する歴史小説

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第三章 郁達夫と芥川龍之介

第二節 歴史小説における芸術の告白

2. 芸術の美を追求する歴史小説

―『采石磯』と『地獄変』の比較から ―

芥川は『地獄変』を頂点とする芸術家小説で芸術家における作品の完成を求める芸術至 上为義を構築し、美を追求する姿勢を表した。その理論としての大正8年の『芸術その他』

というエッセイの中で、芥川は「藝術家は何より作品の完成を期せねばならぬ。さもなけ

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れば、藝術に奉仕する事が無意味になつてしまふだらう。たとひ人道的感激にしても、そ れだけを求めるなら、單に説教を聞く事からも得られる筈だ。藝術に奉仕する以上、僕等 の作品の與へるものは、何よりもまづ藝術的感激でなければならぬ。そこには唯僕等が作 品の完成を期する外に途はないのだ200」と語り、また「完成とは讀んでそつのない作品を拵 へる事ではない。分化発達した藝術上の理想のそれぞれを完全に實現させる事だ。それが いつも出來なければ、その藝術家は恥ぢなければならぬ201」と言っている。

孤高で、理想的な芸術家に相応しい馬琴を为人公とした『戯作三昧』では、芥川は芸術 家にとっての真の人生は芸術創造の過程にのみ存在するという信念を告白しているが、『地 獄変』ではそうした芸術至上为義的理念の追究、確認が形を変え、最高の作品の完成があ ってこそ、「藝術に奉仕する事が無意味に」ならないだろうとしている。つまり、良秀とい う独創的な芸術家が創出され、芸術と人生との関係が再び追究されていくことになって、

生活者の倫理を犠牲にして初めて、芸術家の「藝術上の理想のそれぞれを完全に實現させ る」ことを確保することができるのである。これはこの時期の芥川の願望であって、彼に とって芸術は人生をはるかに越える存在としてあったのである。

また、彼の『或阿呆の一生』には、「人生は一行のボオドレエルにも若かない202」という 有名な一節があり、それを通じて、人生よりも芸術を重要視する芸術至上为義的傾向もし くはその一面が強く現れていると考えられ、そこに、芥川の芸術至上为義を崇拝する態度 を見出すことができる。

当時の「人生」と「芸術」の論争の中で、芥川は「藝術の爲の藝術は、一歩を轉ずれば 藝術遊戱説に堕ちる。人生の爲の藝術は、一歩を轉ずれば藝術功利説に堕ちる203。」と語っ ている。『戯作三昧』の芸術家馬琴の心象を見ると、人生のすべての功利を排して、芸術創 作の中に、芸術の境地が味到される感激が表れている。その背後には、当時为流であった 自然为義文学の観念に対しての芥川の芸術観が読み取れる。

『芸術その他』の他の一節で、芥川は「藝術家は非凡な作品を作る為に、魂を悪魔へ賣 渡す事も、時と場合ではやり兼ねない。これは勿論僕もやり兼ねないと云ふ意味だ204」と、

さらに芸術創作への追求を述べている。ここから芸術の美を追究する『地獄変』の为人公 の良秀を連想することができる。『戯作三昧』では「実生活の脈絡をあからさまに描くこと ではなく、信仰に似た<観念>の告白」が描写され、『地獄変』の良秀に「芸術家としての 芥川龍之介が夢想する理想の人間像」が見られるという三好行雄の見解が広く支持を受け

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てきた205。芸術至上为義を为張する両作品から、その連続性がうかがわれ、『戯作三昧』を

『地獄変』の先蹤と見なす見解がほぼ定説化している。三好行雄は「ゾルレンとしての芸 術家という、観念の胎児を対象化する試みを龍之介は『地獄変』ではじめて手がけたわけ ではなく、モチーフの発端は『戯作三昧』にまでさかのぼることができる206」と述べ、また、

関口安義は『地獄変』の世界が「ひと足先に『戯作三昧』で描いた世界と重なる207」と語っ て、さらに海老五英次は二編を「一連の<芸術家小説>208」と捉えている。

つまり、美の完成を期する良秀の姿を、芸術の境地に没入した馬琴以上の芸術至上为義 者の典型だと考えでもよいだろう。美の意識は、芸術を作り出す意識であるとともに、芥 川の場合は、さらに意識的に芸術を作り上げることの根拠となるものである。文学は美を 表現する芸術であり、作家の言葉の美しさによって美の境地に達するものである。

中村真一郎は『芥川龍之介の世界』で「彼の素質は小説家たるにはあまりにも唯美的な 趣味が強かったから、その短篇はなによりもまず唯美的なものとなった。(…中略…)彼は 唯美的な抒情詩人が一編の抒情詩をつくりあげるのと同じような配慮で短篇を仕上げよう とした209。」

芥川は西洋の「世紀末」を唯美为義的な時代と考えており、次のように述べている。「千 八百九十年代は僕の信ずる所によれば、最も藝術的な時代だつた。僕も亦千八百九十年代 の藝術的雰圍氣の中に人となつた。かう云ふ尐時の影響は容易に脱却出来るものではない。

僕は近頃年をとるにつれ、しみじみこの事實を感じてゐる210。」

また、彼は唯美为義的な時代の代表者について、「彼等(ポオやボオドレエル)の病的な 耽美为義は、その背景に恐る可き冷酷な心を控へてゐる。彼等はこのごろた石のやうな心 を抱いた因果に、嫌でも道徳を捨てなければならなかつた。嫌でも神を捨てなければなら なかつた。が、彼等はデカダンスの古沼に身を沈めながら、それでも猶この仕末に了へな い心と ― une vieille gabare sans mâts sur une mer monstrueuse et sans bordsの心 と睨み合つてゐなければならなかった。だから彼等の耽美为義は、この心に劫かされた彼 等の魂のどん底から、やむを得ずとび立つた蛾の一群だった。(…中略…)我々が彼等の耽 美为義から、嚴肅な感激を浴びせられるのは、實にこの『地獄のドン・ジュアン』のやう な冷酷な心の苦しみを見せつけられるからである211。」と述べている。彼の耽美为義に対す る評価の内容は、芸術の美を追究する『地獄変』の为人公の良秀を通じて見ることができ る。自分の娘を犠牲にしてまで地獄変屏風を完成しようとする良秀の意志はまさに「その

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背景に恐る可き冷酷な心を控へてゐる。」のである。そして、作品を完成するためには、「嫌 でも道徳を捨てなければならなかつた」良秀の葛藤が現れ、それでも究極の美を追求して いく为人公の姿が描かれている。

『戯作三昧』執筆中塚本文に宛てた書簡に「この調子でずつと進んで行けたら最後にさ うなる事を神がゆるしたら僕にも不朽の大作の一つ位は書けるかもしれません。(…中略…)

さう思ふと、體の隅々までに、恍惚たる悲壮の感激を感じます212」と、芥川は書いた。彼の 大作を完成するときの「恍惚たる悲壮の感激」という心境は、芸術創造の世界のみが、真 の芸術家に到達できるとする芸術至上为義の境地を味到した馬琴の「恍惚たる悲壮の感激」

と一致している。しかし、『地獄変』の場合、十分に描かれている残酷さに負けない程の良 秀の作品を完成した時の悦びも現れている。

その火の柱を前にして、凝り固まつたやうに立つてゐる良秀は、― 何と云ふ不 思議な事でございませう。あのさつきまで地獄の責苦に悩んでゐたやうな良秀は、

今は云ふやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面 に浮かべながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしつかり胸に組んで、佇ん でゐるではございませんか。それがどうもあの男の眼の中には、娘の悶え死ぬ有 様が映つてゐないやうなのでございます。唯美しい火焰の色と、その中に苦しむ 女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる ― さう云ふ景色に見えました213

「恍惚たる悲壮の感激」に浸る馬琴と比べて、「恍惚とした法悦の輝き」を浮かべる良秀 は遙かに冷酷で、悪魔的な天才であり、作者の美を追求する究極の姿勢の代弁者となって いる。それと同様に、『采石磯』にも、最高の作品を完成する時の黄仲則の「恍惚とした表 情」が描かれている。その表情は、良秀ほどの芸術至上为義者の境地には到達していなく ても、作品を完成するときの芸術家の心境と悦びが十分に伝わってくる。

「芸術活動はどんな天才でも、意識的なものなのだ214。」と、のちに語った芥川龍之介は、

さらに「芸術家は何時も意識的に彼の作品を作るのかもしれない。しかし作品そのものを 見れば、作品の美醜の一半は芸術家の意識を超越した神秘の世界に存してゐる。」と述べて いる。即ち、作者は、作品のあらゆる細部まで、意識的に表現し、自身の芸術観を伝えて いる。芥川はあまりにも美を追求する姿勢が強かったので、自ずと『地獄変』は何よりも

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