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これまで論じてきたように、本稿では、性質の異なる史資料とそれに応じた方法論に基 づいて分析をおこなう。このような異なる方法論によって分析される個別の内容もまた、

異なったものとなっている。これらを通史として統合させるために、導入される全体とし ての視座が、本稿における近代概念である。すなわち、本稿でいう近代とは、19 世紀にみ られる持続と変容が、20世紀初頭以降の植民地統治に由来する変容に合流したものであり、

35 村の起源譚についての史料はかなり特殊な行政文書であるが、(1)で言及した「モノグラ フィー」などの利用はブルキナファソを対象とした歴史人類学では非常に一般的である(た とえば、Duperray 1984; Saul and Mayor 2001; Kawada 2002)。(2)については、このよう な史料そのものを扱う研究は多いが、史料認識の類似したものとしては、真島(2000)が挙げ られるだろう。(3)の史料を扱う研究そのものは多く、最も精度の高いものはオート・ヴォ ルタ植民地を対象にした歴史人口学(特に、Cordell and Greogry 1982; Gervais 1993b;

Gervais and Marcoux 1993)があげられ、こうした人口統計が植民地行政によってどのよう になされたのかを明らかにした研究(Gervais 1993b, 1998)がある。(3)の史料認識の仕方は、

バランディエの植民地状況概念と結びつけた点などで、焦点のあてられる点と表現が異な るものとなったが、インド史をフィールドにした歴史人類学的研究の三瀬(2000, 2002)です でに示されているものと重なり合うものである。

47 このような視座に基づいて、本稿全体が構成される。

本稿においては、史資料の多寡とその性質の違いによって、それぞれの章ごとに偏った 定性的記述と定量的記述がなされている。そのため、同じ性質の史料を用いた一貫した叙 述は望めない。この制約を乗り越えるため、本稿では、それぞれの章ごとになされた分析 から再構成される個別的な歴史を、より抽象度の高い、政治、経済、イスラームのそれぞ れの領域における持続と変容として記述することで、史資料と方法論の異なる各章の内容 を通史として本稿 9 章において統合する。すなわち、本稿では、全体として、西アフリカ 内陸における近代を、政治、経済、イスラームのそれぞれの領域における持続と変容、そ れらの領域間の関係性の変容として把握する36

史資料と方法論の異なる分析と記述を統合するための、政治、経済、イスラームのそれ ぞれの領域は、人びとの生に集合性を生じさせる活動とその活動のなされる場として、ゆ るやかに以下のように定義する。

ここでいう政治の領域とは、友-敵関係を構成する原理であると同時に、狭義の権力によ って人びとを結びつける活動とその活動のなされる場である。さらに、ブラザヴィル会議 以降は、政党政治という狭義の政治がなされる場が構成されるようになったと本稿では捉 える。

経済の領域は、財の生産・流通・交換・分配・消費と、貨幣による交換と貨幣の徴収・

分配という、人びとを結びつける活動とその活動のなされる場として定義される。ここで は、市場経済とその他、あるいは貨幣経済とその他という区分は用いないが、植民地統治 以降は、行政機構の運営それ自体が独自の経済の領域を生みだしたと本稿では捉えている。

本稿でいうイスラームの領域は、「ムスリムをムスリムとして導く、(特定の歴史を持ち、

特定のコンテクストに位置づけられた)制度化された実践」(Asad 1986: 15)によってムスリ ムを結びつける活動とその活動のなされる場である37。ここでいう「制度化」は「慣習化さ れた」と言い換えてもよいだろう。他方で、シンクレティズムと名指されようと、ムスリ ムであることは非ムスリムではないことの立場をとることである。具体的な内容について

36 このような通史としての統合をおこなうための理論的な枠組みから導かれることである が、本稿では、特定のコミュニティを歴史を貫く主体としては設定しない。具体的な諸集 団は、時代と主題に対応した各章の分析のなかであらわれるが、通史のなかでの一貫した 主体としては記述されない。

37 このように定義される、本稿におけるイスラームの領域は、ローネイとソアレス(Launay and Soares 1999)とは異なる。なお、彼らのいう「イスラームの領域」概念への本稿の立場 からの検討と批判については、本稿8章4節を参照。

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は本稿 3 章に譲るが、植民地統治以前から、ムスリムであることは非ムスリムとの関係の なかで意味づけられてきた。つまり、本稿でいうイスラームの領域は、ムスリムと非ムス リムの関係性によって規定される、ムスリムを結びつける活動とその活動のなされる場と も言い換えられるだろう。

このような理論的枠組を踏まえて、本稿は以下のように構成される。

まず、第1部では、19世紀までの西アフリカ内陸全体とムフン川湾曲部の社会とその歴 史をそれぞれ1章と2章で扱い、それらを踏まえて19世紀のムフン川湾曲部で生じたマフ ムード・カランタオのジハードを3章で論じる。

第2部では、1890年代から1930年代ごろまでのオート・ヴォルタ植民地を対象として、

植民地統治に由来する変容を論じる。4章では、軍人による探索から征服、植民地統治の確 立に至るまでのプロセスを扱い、植民地統治以降の政治の変容を分析する。5章では、主と して植民地行政の各種の報告書にみられる統計を分析し、植民地統治以降の経済の変容を 論じ、6章ではカトリック宣教団の活動に焦点をあてつつ、イスラームを含む宗教の条件が 植民地統治のなかでいかに形成されたかを明らかにする。

第3部では、1940年代から1960年代のムフン川湾曲部における政治とイスラームを対 象として、19世紀にみられる持続と変容が、20世紀初頭以降の植民地統治に由来する変容 といかに接合し、あるいは接合しなかったのかを論じる。7章ではブラザヴィル会議以降の 政党政治をいかに展開されたのかをオート・ヴォルタ植民地全体の政治闘争とムフン川湾 曲部のローカルな闘争とを対照させつつ論じる。8章ではムフン川湾曲部西部のボボ・ジュ ラソで生じたイスラーム改革主義運動をボボ・ジュラソのイスラームの展開とともに論じ、

第二次世界大戦後のイスラーム改革主義運動が植民地統治とそれ以前のイスラームの展開 とどのように関連しているのかを明らかにする。そして、1章から8章までの記述と分析を 踏まえて、9章において、通史としての統合を行ない、これらの研究が示す歴史人類学の方 向性を論じ、結論において、全体の簡潔なまとめと本稿の意義を述べる。

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119 世紀までのムフン川湾曲部における持続と変容:政治・経済・イス