• 検索結果がありません。

近代以後の通仏教論の変容

ドキュメント内 近代日韓仏教の交渉と元暁論 (ページ 181-200)

第7章 「通仏教」認識の変化

2 近代以後の通仏教論の変容

1930 年の崔南善の発言以後、「通仏教」の語は、韓国社会・学界において「韓国思想」と

「元暁」を代表する用語として突出した地位を占めてきた。また 1950 年代からは「通仏教」

の性格は「会通」と同一視され9、韓国人の思考類型を現わすほとんど唯一の概念として理 解された。「韓国的精神」の模索が要請される中で、多くの学者は「韓国的思想の定立」、「歴 史上の思想家の系統造り」に取り組んでいた。そして多くの知識人が「通仏教」という概 念に注目した。

7 崔南善 「朝鮮仏教―東方文化史上에 잇는 그 地位(朝鮮仏教―東方文化史上にあるその地位)」(『仏 教』74 号、仏教社、1930 年)

8 高栄燮は「元暁研究의 어제와 오늘(元暁研究の昨日と今日)」(『오늘의 東洋思想(今日の東 洋思想)』第 4 号、礼文書院、2000 年)の中で、1960 年代以後の元暁関連研究を整理している。

9「「通仏教」と「会通仏教」は厳密には意味上の差異がある。崔南善が言及した「通仏教」が全体 性・統一性・総合性の強調する意味が強いのに対して、会通仏教は思想間の会通性と和会を強調す る意味が強い。ここで「通(会通)仏教」と表現したのは、その後多くの研究者が二つの概念の差 異を無視して使ってきた傾向があるからである」(石吉岩「近現代 韓国의 大乗起信論疏別記 研 究史(近現代韓国の大乗起信論疏別記研究史)」『仏教学리뷰(仏教学レビュー)』2、金剛大学 仏教文化研究所、2007 年、4 頁)。

173

一.朴鍾鴻(1903-1976)11は 1958 年、「韓国思想研究に関する序論的構想」を発表し、

1972 年には『韓国思想史』12を出版している。『韓国思想史』の「和諍の論理」の章におい て朴鍾鴻は、元暁思想の特性を「和諍」と規定し、

その哲学的究明を試みた。

ここで重要なのは、同書の執筆目的と元暁思想 に関心を持つようになった背景である。1945 年以 後 1980 年代まで、韓国哲学界には、専ら西洋哲学 が人気を集めていた。西洋学問に対する事大主義 と呼ばれた時期でもあった。また、韓国の思想界 は儒学を主に研究してきたため、仏教は疎外され た傾向があった。このような雰囲気の中で、韓国 思想史専攻者として初めて韓国仏教思想の価値を 高く評価したのが『韓国思想史-仏教編』である。

同書の「序論」で朴鍾鴻は、西欧文明を礼賛して いた多くの韓国人を強く批判するとともに自己反 省を求めている。

我々は韓国人である。韓国人が韓国人として生きてきたため、韓国思想も生まれ、問 題とされてきたのである。外国人は韓国思想を研究対象にできるかもしれないが、み ずから韓国思想を生み出すことはできない。外国人はそのまま韓国人にはならないし、

我々の代わりに韓国人の人生まで生きることもできないからである。……我々は、自 身をあまりにも忘れてしまっている。自我を忘却した空虚な心は行く先を失ってしま い、新しい思潮に接すると、それを唯一の真理であるかのように受け入れてしまい。

それらの思潮を消化して自分のものにせず、そのままそこに留まっているのは空虚な 模倣に過ぎない、形骸だけかもしれない。これがいわゆる事大主義の弊害である。自 覚を持つことのできない国の人たちが陥りやすい弱点である13

10 [図 27]は尹暢和『近現代韓仏教名著 58 選』(民族社、2010 年)226 頁。

11 朴鍾鴻は、1920 年に平壌普通学校を卒業した後、1929 年に京城帝国大学哲学科に進学し西洋哲学 を専攻した。その後ソウル大学の文理大学学長と大学院長を歴任し、成均館大学の儒学大学長、大 統領教育文化担当特別補佐官を歴任した。主要著書としては『哲学概説』(1954)、『知性の方向』

(1956)、『哲学的模索』(1959)、『知性と模索』(1967)、『韓国思想史』などがある。

12 朴鍾鴻『韓国思想史-仏教編』(瑞文堂、1972 年)86-88 頁。彼が 1950-60 年代に書いた韓国思 想に関する論文を集め『韓国思想史』というタイトルで「仏教編」(1972 年)「儒学編」(1983 年)が出版された。この書は韓国思想に関する古典的名著となっている。(尹暢和「朴鍾鴻の『韓 国思想史』」、『近現代韓国仏教名著 58 選』、民族社、2010 年、224-229 頁)。

13 朴鍾鴻『韓国思想史-仏教編』(瑞文堂、1972 年)16 頁。

[図 27]『韓国思想史-仏教篇』(1972 年)10

174

このように朴鍾鴻は、西洋学問に対する事大主義を激しく批判し、長い歴史の中で「韓 国的思惟」として定着している仏教思想に注目した。彼は同書の「序論」で「元暁を初め 韓国の高僧の人生と思想に多くの関心を持っていた」と述べており、これはまた儒学一辺 倒の韓国思想史探究に対する反省でもあった14

この書において注目されるのは、歴史上の思想家の系統(脈)を探ることを強調してい る点である。彼は、三論の僧朗、唯識の円測、元暁、義湘、道詵15などの新羅末期、高麗初 期の高僧たちと、高麗の義天、知訥に至るまで、韓国仏教の代表的高僧を結びつけ、その 共通点として融合性をとりあげ、思想的系統を見出そうとした。

このような叙述は、実は、崔南善が 1930 年『朝鮮仏教』で述べた語と類似している。崔 南善は仏教教理史の展開を論じるに際、中国で活動した韓国出身の僧侶を高く評価し、彼 らの思想的繫がりを論じながら、韓国仏教史の中に位置づけようとした16。朴鍾鴻の主張も その延長線上にあるといえる。

朴鍾鴻はこの書の中で、僧朗の三論学を高く評価し、円測が中国法相宗の間で卓越した 人材であったことを誉めている。元暁については「仏教のさまざまな宗派の思想を摂取し て我々の日常生活の中に活かした。こうして韓国仏教の新たな画期的発展を成した」と評 価した。さらに、元暁の和諍は「僧朗と円測の唯識思想を和合したもの」とし、韓国仏教 史上の人々に対する研究を通して、韓国思想の特徴を帰納的に究明することができるとし た。このような方法論は後学にも多くの影響を与えており、当時、通時的に一貫する伝統

14 韓国思想史の執筆において、儒学編よりも仏教編を先に書いたのもこのような理由からである。

15 僧郎は、中国の三論宗学を確立した人物である。遼東(高句麗)で生まれ、中国に行って僧肇系統 の三論学を研究した。さらに敦煌に行って曇慶に三論学を学び、『華厳経』にも造詣が深かったと 伝えられる。円測(613-696)は、長安の西明寺を中心に唯識学を広く流布した人物である。則天 武后時期に三回、訳場で証義として参加している。道詵(827-898)は、新羅末の僧侶であり、風 水説の大家とされた。彼の陰陽地理説と風水相地法は朝鮮時代までも影響を及ぼしたといわれる。

16 崔南善の「朝鮮仏教―東方文化史上にあるその地位(朝鮮仏教―東方文化史上にあるその地位)」

(『仏教』74 号、仏教社、1930 年、8-12 頁)の「第三章、仏教教理の発展と朝鮮」に次のように ある。「僧朗:僧朗の時に至ってようやく初めて三論だけを柱とする純粋な三論宗の真面目を発揮 するようになった。したがって僧朗は、真に三論宗の初祖であり、また東方仏教建設の先駆者とも いえる偉人である。ところで、支那仏教の一大転機を作った僧朗は、実は高句麗の僧侶であった。

……円測:当時、玄奘の門下には多くの秀才が集まっていたが、玄奘は窺基だけを寵愛し、奥辭と 密議を密かに窺基に伝えようとした。ところが、門徒三千人、達人七十人のうちには、優れた学僧 として西明寺の円測という人物がおり、唯識の玄理を教えなくてもこれに通達していた。窺基が彼 に及ばなかったのはもちろんであり、円測が因明学にも造詣が深かったことは、その著述に『因明 正理門論』の疏があることから推測できる。ところで円測は、実は新羅人であった」。

175

の探究が盛んに行われた17。元暁に対する理解の仕方も、朴鍾鴻の観点に頼る場合が多かっ たのは言うまでもない。

次に引用するのは朴鍾鴻の『韓国思想史』に対する評価である。最初の文章は、歴史学 者の千寛宇(1925-1991)18が連載した「人物韓国史古代編-元暁」(1981 年)である。

「元暁-新羅通仏教思想の定立、唐華厳宗にも寄与」:かつて歴史学者の崔南善は、

印度と西域の仏教を序論的仏教、中国の仏教を各論的仏教とするならば、韓国の仏教 は結論的仏教であるとし、その結論的通仏教(総合仏教という意味)は、まさに元暁 によって完成されたと礼賛したことがある。また、哲学界の故朴鍾鴻先生も、元暁は、

僧朗の三論と円測の唯識思想を、より根源的、全体的立場から和合させており、この ことによって韓国仏教が展開すべき将来の道、全仏教思想の正しい方向を明示したと 述べた19

次は『韓国日報』に連載された「우리 時代의 名著 50-朴鍾鴻의『韓国思想史』(我 が時代の名著 50)-朴鍾鴻の『韓国思想史』」での評価である。

もし、この書(『韓国思想史』――引用者)が、歴史上の五人の思想家に関する説明 だけで終わったら、人物評伝に過ぎないと見なされたかもしれない。しかし著者は、

これらの思想家たちの哲学に一貫して流れている「会通」の精神を探し出した……冽 巌(朴鍾鴻――引用者)は、思想史の基本要件である連続性を見逃さなかった……僧 朗と円測の思想をより深くて根本的な立場から和合させた元暁、また元暁に対する義 天の限りない崇仰、義天とは異なって禅の立場から教を包摂した知訥、このような分 析と通察を通じて冽巌は『韓国思想史』において個別的事実の羅列や人物考察を超え た真の意味の思想史を目指したのである20

17 朴鍾鴻先生の韓国哲学に対する再評価は、当時の支配グループが伝統思想を民族的イデオロギーと して変容させようとする意志と結び付けられ、朴正熙政権の新たな民族性創造論理とからみ合って いた。これは朴鍾鴻が意図したというよりは、政治的遊説の戦略を探した当時の政権によって、和 諍概念が変質・利用されたといえるし、反対意見を遮断するため政権のイデオロギーとしての「民 族和合」「国民総和」の理念に変質されたと見るのがより正確であろう(趙恩秀「通仏教談論을통 해 본 韓国仏教史 認識(通仏教談論を通じてみた韓国仏教史認識)」、『仏教評論』第 6 巻 21 号、

仏教評論社、2004 年)。

18 千寬宇(1925-1991)は、民主化運動に努めた韓国の著名な言論人であり、韓国古代史を研究した 歴史学者でもあった。1949 年にソウル大学史学科を卒業した後、1958 年には朝鮮日報編集局長、1 963 年には東亜日報編集局長、1971 年には東亜日報理事を歴任した。主要著書は『韓国史の再発見』

『朝鮮近世史硏究』『古朝鮮史三韓史硏究』『加耶史硏究』がある。

19 千寛宇「人物韓国史―古代編、元暁」(『京郷新聞』1981 年 9 月 28 日)。

20 蘇光熙「우리 時代의 名著 50-朴鍾鴻의『韓国思想史』(我が時代の名著 50)-朴鍾鴻の『韓国

ドキュメント内 近代日韓仏教の交渉と元暁論 (ページ 181-200)

関連したドキュメント