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戦時護国仏教期の「救国僧像」

ドキュメント内 近代日韓仏教の交渉と元暁論 (ページ 104-132)

はじめに

本章では、近代における元暁表象化の一例として「救国僧・護国僧」としての元暁認識 を考察したい。その背景として主に 1930 年代後半からの日韓仏教界における護国仏教論の 高潮、その中で元暁が新羅の僧兵・花郎として捉えられた例を紹介し、さらにその後に及 ぶ余波についても見てみたい。

そもそも仏教は「不殺生」すなわち平和を第一の原則とする宗教である。ところが、近 代になると仏教の空・無我・涅槃といった概念は、軍国主義や全体主義の根拠論理として

「没我の精神」などで解釈される傾向が強くなる1。日本と韓国の問わず多くの仏教徒は、

国家に隷属する傾向を見せつつ戦争にも積極的に参与した。当時の朝鮮仏教界は「我が国 は護国仏教という長い伝統を持つ」と自負し歴史上の僧兵の活躍を宣揚した。それは仏教 と国家の関係が一変した近代に限らず、韓国の場合、戦争終結の 1945 年以後も、軍事政権 期には元暁を含め護国僧の偉業を賛揚する傾向はより盛んになった2

ここで注目したいのは、このような時期において元暁がどのように捉えられたかという 点である。当時の仏教学者たちは、元暁が生きていた時期が高句麗・百済・新羅の三国統 一の戦争期であったこと、新羅では花郎3の役割が著しかったこと、元暁の著述の中に『金 光明経疏』のような護国経典註釈書があることなどをとりあげ、元暁を国家のために身を 投じた人物として描いた例を見出せる。もちろん小説や新聞記事などの文章が多く厳密な 研究書の考証とは言えないが、それらの発言はその後の元暁認識に極めて大きい影響を及

1 この時期における戦争擁護の教理を「戦時教学」と称する。これは 1930 年代初の日本の中国進出 から太平洋戦争終結の 1945 年に至るまで、仏教界において対外戦争を支援するため作り出した歪 曲さえた国家主義教学を意味する。円英相「仏教와 파시즘 및 軍国主義의 相互連関性(仏教とフ ァシズム及び軍国主義の相互連関性)」(『東西比較文学ジャーナル』第 24 号、2011 年)93 頁。

2 金英泰「伝記와 説話를 통한 元暁研究(伝記と説話に基づく元暁研究)」(『仏教学報』17、東 国大仏教文化研究所、1980 年)は、元暁の児名「誓幢」が新羅のある軍号と同じであるとし元暁を 軍職者として見做してきたこと、元暁の出家期を 19 歳とすることなど、文学作品の内容を歴史的 事実として勘違いしている事例を指摘し、現存する元暁関連記録及び説話を集め厳密な考証を試み た。本論文で取り上げる李光洙の『元暁大師』は、文学作品によって元暁像の創出を行った例であ る。

3 花郎は、新羅の眞興王(在位 534-576)の時に、人材先発のため結成した青年組織である。忠と孝 を重視し、王室と国家の重大事に深く関与した人物も多い。『三国史記』には、花郎が、武士とし て活躍した記事が多く見えており、心身の修養のため祭祀を行ったり、鄕歌を作ったり、樂士とし ても活躍した。彼らの思想は、主に風月道と仙道に基づいていた。また、円光法師(555-638)が 作った世俗五戒を行動の規範としていた。新羅を象徴する代表的組織である。

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ぼしている。このような問題意識を踏まえた上で、李光洙の小説『元暁大師』を始め、当 時元暁を軍事関連人物と見なしたいくつかの事例を紹介し、その意味を考察したい。

1 1935-1945 年の仏教界における護国論の高潮

1)戦争と護国仏教論の登場

1930 年代後半から 1945 年までの朝鮮仏教界の主要動向は、統一教団の建設、仏教の護国 論と軍国主義の結合、戦争参与の拡大に集約される。とりわけこの時期には、韓国仏教界 が日本仏教界の軍国主義に同調する傾向が著しく現われたことに注目する必要がある。

明治以後の日本仏教界は、廃仏毀釈を経るうちに危機から生き残るため天皇制を基盤と する国家主義的仏教として変貌する傾向をみせた4。そして 1930 年代後半の戦時期5には、

ファシズムを擁護する宗教の役割を担うようまでになった6。明治政府は、祭政一致国家の 確立を目指して国家神道体制の構築を始めた。政府による教部省と大教院体制の確立、三 条教則を通じた神仏合同布教の実施、さらには各宗団に対する国家主導の宗派統合政策に よって、当時の全宗派は天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗、真宗、日蓮宗、時宗の七つの宗 派にまとめられた。また、天皇を頂点とする憲法や、国民の思想・宗教の自由を制限する 治安維持法、宗教団体法など、一連の過程の中で宗教界は国家政策の影響下に置かれ、仏 教界は国家主義および軍国主義に従う傾向を見せた。特に、1894 年の日清戦争から 1945 年 の終戦に至るまでは、各仏教教団の指導者によって転倒した仏教教学が創出され、天皇を 輔弼する「護国」が仏教界の第一の使命とされた傾向もある。

護国思想の原義は、国王が「正法」を行うことによって国が守られるという意味であり、

この「正法」とは「仏法」を意味する。仏教の「正法治国思想」は、国家の下に仏教が帰

4 明治維新以後、天皇制国家体制を樹立した日本政府は、1868 年に「神仏分離令」を公布した。神道 を仏教から分離させ国教化し徳川幕府と癒着関係をもった仏教に対して宗教的弾圧(廃仏毀釈)を 行った。この危機に対処するため日本仏教界は、教団体制の整備と教育機関の設立、西洋の近代的 宗教制度と研究方法論の導入など、体制革新と近代化を推進しつつ、政府の政策にも積極的に協力 した。このような態度は、仏教の宗教的教理と社会的役割を天皇国家の統治に自発的に隷属させる 結果を呼んでいた。国家主義的護国仏教論に落ち込んだ日本仏教界は、宗派を越えて王法仏法不離 之論・尊皇奉仏・勤王護法などの理念を、前面に揚げるようになったのである。(柳承周「日帝의 仏教政策과 親日仏教의 様相(日帝の仏教政策と親日仏教の様相)」(『東アジア仏教の近代との 出会い』、2008 年)155 頁)。

5 1938 年日本では「国家総動員法」が施行され、朝鮮では「国民精神総動員朝鮮聯盟」が結成された。

6 近代期の日本軍国主義と仏教の関係については Brian Daizen Victoria のZen War Stories(London:

Routledge, 2003 年)を参照されたい。

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属、統制されることを意味するのではない7。ところが、明治以後の日本仏教界の護国論は、

仏法に従うよりも、天皇・国家を奉るという性格を強く帯びるようになった。1916 年に結 成された「仏教護国団」の決議文では「皇道仏教というのは、仏法を完全に王法の指導に 属させることである……既成仏教教団は、国家と政策に対して、いかなる異議も提起する ことができないし従順すべきである」8とある。

さらにこの傾向は、1930 年代後半の日中戦争期になるといっそう拡大される。その一例 として、1938 年 4 月、日蓮宗の指導者を中心に結成された「皇道仏教行道会」の設立会則 を見ると、「仏」すなわち「天皇」、「仏国土」すなわち「帝国」「国家」とされている。次 のとおりである。

皇道仏教とは、『法華経』の神妙な真理を以って日本の国体が尊厳される所以を現わす ものであり、真の大乗仏教の精神を発揚し天業を助け仕える宗教をいう……皇道仏教 は「王と仏陀が一致する」という三大秘法9を現代語で略して命名したものである。し たがって皇道仏教の本尊は、印度に現われた釈迦仏ではなく、万世一系の天皇陛下な のである10

このような「天皇と仏の同一視」は、天皇の伝統がない朝鮮仏教界にも、多くの場合そ のまま受け入れられた。当時の日本仏教界は、仏教教理の「無我」をもって個々人の犠牲 を合理化するとともに、「真俗二諦論」11を強調して全国民の日常〔俗〕は国の事〔真〕で ある戦争に動員されるべきだと勧めた。たとえば浄土真宗教団は、太平洋戦争の前、政府 の施策について次のように唱えたことがある。

いわゆる高度国防国家の建設に、一億国民は、人力、仏力の総力を入れて、国家の要 請に奉公しなければならない。個人よりも国家が、利益よりも公益が、私よりも無我 が先に考慮されるべきである12

このような論理は当時の仏教界が共通に当然視したものであり、結局、個々人の生死の 問題が国によるものになったのである。このような日本仏教界の動きに朝鮮仏教界は自発 的に参与した。

7 有名な護国経典『仁王経』も、国家の統制からの仏教の独立を主張している。

8 Brian Victoria, Zen at War(weatherhill, 1997 年) 135 頁から引用。

9 三大秘法は日蓮宗の重要概念である「本尊、戒壇、題目」を意味する。

10 Brian Victoria, Zen at War(weatherhill, 1997 年)141-142 頁から引用。

11 戦時期において「真俗二諦」は浄土真宗の代表的な戦時教学のスローガンになった。

12 本願寺審議局 「奉公の心構」(戦時教学研究会編、1941 年)。

ドキュメント内 近代日韓仏教の交渉と元暁論 (ページ 104-132)

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