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近代以後の「和諍」認識の変化

ドキュメント内 近代日韓仏教の交渉と元暁論 (ページ 164-178)

第6章 「和諍」概念の再認識

2 近代以後の「和諍」認識の変化

元暁は、近代に入ってから民族自尊の象徴として再登場する。特に当時、東アジア仏教 界全般に流行した総合志向的仏教の先駆者として、元暁の「和諍」も「宗派統一・融合」

の意味で脚光を浴びる。ここには、それまでと違って、日本仏教を意識する観点も含まれ ている。さらに「教理間異説の和諍」という観点を超えて、より現実向けの「理論と実践の 融和」が強調され、元暁の還俗と無碍行も「和諍」の事例として注目されるようになった。

(1)近代における「和諍」と『十門和諍論』の再認識 一.「和諍国師」としての再認識

元暁は、近代になって再注目されるまで、学者、僧侶、一般人における認知度は低くな

21 秦星圭「朝鮮時代의 元暁認識(朝鮮時代の元暁認識)」(『中央史論』14、中央史学研究所、20 00 年)。

22 金煐泰「元暁著書의 바른 理解(元暁著書の正しい理解)」(『元暁学研究』第 4 集、元暁学研究、

1999 年)によると、87 種 180 余巻であった元暁の著書は高麗末頃からほとんど散佚し、現存する のは 20 部 22 余巻にすぎない。

23 高麗期の元暁再発見者である義天の場合、その主な問題意識は性相融会と教観並修にあった。つま り義天において元暁の仏教観は、高麗中期に尖鋭化された華厳宗(性)と法相宗(相)など宗派間 の対立や禅教対立を克服する基準・代案として注目されたのである。崔柄憲「高麗仏教界에 있어 서의 元暁理解(高麗仏教界における元暁理解)」(『元暁研究論叢』、国土統一院、1987 年)651 頁 参照。

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っていた。ところが、近代以後は多くの学者が元暁に注目し初めるとともに、彼の諡号で ある「和諍国師」にも多くの関心が集まった。これは、高麗の王から賜った諡号であり、

高麗時代において元暁の位相が高かったことを物語る証拠だったからである。

鶏林生の論文「和諍国師와 薛聡의 至誠(芬皇寺)(和諍国師と薛聡の 至誠(芬皇寺)」

を見ると、「面白いのは、和諍国師に関する伝説である。九層塔の東北側には碑趺が一つ ある。これが、有名な和諍国師の碑の趺石である。ところが、惜しいことに、碑身はつと に亡失してしまい、有名な阮堂金正喜(1786-1856)が、和諍国師元暁の碑趺であること を判別して銘を刻んだこともある。『東国輿地勝覧』と『東京雜記』には、高麗明宗期に 立てられた和諍国師碑塔があったという記録だけあり、碑文は載せられていない。和諍国 師といえば、誰しもよく知っている新羅十賢の中の一人であり、薛聡の父である元暁和尚 である」24という。著者は芬皇寺の和諍国師碑塔と関連して、その碑文の主人公である「元 暁」に注目し、その存在を知らせようとしている25

また、瓊林の「朝鮮高僧伝-新羅の碩徳、元暁大聖」を見ると「元暁は、精神界の偉人 として崇敬されるのである。高麗の粛宗大王は、元暁大師が入滅されてより約四百年も後 であるが、大師の人格を景慕して、大聖の号を封呈したのである」26といい、朝鮮時代以前 までの元暁の国師としての名誉と、朝鮮仏教史内における地位を再認識させようとした。

これらは一部分の例にすぎないが、確かに、近代に入ってから多くの韓国仏教徒は、元暁 のかつての「和諍国師」としての名誉を取り戻そうとしたのである。

二.誓幢和尚碑片の発見と『十門和諍論』再認識

高麗時代に元暁の後孫と推定される薛仲業が使臣として日本を訪問し、帰国した後、元 暁追慕のために誓幢和尚碑を立てた。この碑文は長い間はほとんど忘れ去られていたが、

偶然、1914年 5月 9日慶州市岩谷里で、当時の総督府参事官室所属の中理伊十郎によって 碑片(下半部 3片)が発見された。碑片は景福宮勤政殿の回廊に陳列され、その後日本の 学者による判読と研究が行われた27。小田幹治郎がこの事件を「一つの奇跡、朝鮮歴史上大

24 「和諍国師와 薛聡의 至誠(芬皇寺)(和諍国師と薛聡の 至誠(芬皇寺)」(『仏教』25 巻、仏教 社、1940 年)

25 和諍国師碑と誓幢和尚碑は、ほとんど一般人と学者の記憶から忘れられてきたが、1900 年代初期 からの総督府の古蹟調査事業によって多くの遺跡地が再認識されるようになり、元暁と関わりがあ る芬皇寺の和諍国師碑趺と高仙寺の誓幢和尚碑も注目を集めるようになった。

26 瓊林居士「朝鮮高僧伝-新羅の碩徳、元暁大聖」下(『仏教』、仏教社、発刊年未詳)。この原稿 は、上・中・下に分けて連載された長文であり、原文は日本語で書かれている。

27『朝鮮金石総覧』(朝鮮総督府、1919 年)と『朝鮮金石攷』(大阪屋号書店、1935 年)に碑文の写 真と解読が収録されており、研究論文としては小田幹治郎の「新羅の名僧元暁の碑」(『朝鮮彙報』

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切な資料の発見」28といったように、碑の発見を通じてその時まで未詳であった元暁の没年 も明らかになった29

さて、碑文判読後明らかになった事柄のうち、何より注目を引くのは、この碑文に『十 門和諍論』に関する重要な記録が見える点であり、その部分は次のとおりである。

就中十門論者、如来在世已頼円音、衆生等……雨驟…空空之論雲奔。或言我是言他不是。

或説我然説他不然。遂成河漢矣。…大…山而投廻谷憎有愛空。猶捨樹以赴長林。譬如青 藍共体氷水同源。鏡納万形(水分)……通融聊為序述。名曰十門和諍論、衆莫不允、僉 曰善哉。30

碑文の撰者が『十門和諍論』を高く評価しているのは、同書の主題をおよそ 170 字にわ たって紹介していることからわかる(碑文第 9-12 行)。また、碑文では元暁の一部の著述

(おそらく『十門和諍論』)が梵語に翻訳された事実についても「讃歎婆娑翻為梵語便附

□人」と記されている。

日本に留学していた韓国仏教徒の獅吼生「今津洪岳老師訪問記」(1921 年)を見ると、

「元暁の弟子や寂年などは、余が上野図書館から発見した元暁の碑文に詳細にあり」31とあ り、誓幢和尚碑の発見と日本学者の判読により、朝鮮仏教徒は元暁生涯に関する事実関係 確認と『十門和諍論』の価値などを再認識するようになった。

また 1937 年、さらに海印寺蔵経板の『十門和諍論』残巻が発見され、同書の学問的研究 の決定的なきっかけとなった。許永鎬は「元暁仏教の再吟味:教相判釈」(1942 年)で、

元暁著述の目録中に『十門和諍論』があり、高仙寺誓幢和尚碑銘にも「就中十門論者 如来在世…」という断章がある……題名や碑名から見ても、有空・性相・半満を破し て一乗仏教の立場から部派仏教集団仏教を批判し統一し整理したその意図だけは推 測できる。最近『十門和諍論』本文の木版数枚が発見され、『十門和諍論』ないし元 暁研究において一光明がさしたのはよほど喜ばしいことである32

4 月号、朝鮮総督府、1920 年)、岡井愼吾「新羅の名僧元暁の碑を読みて」(『朝鮮彙報』6 月号、

朝鮮総督府、1920 年)、葛城末治「新羅誓幢和上塔碑に就いて」(『青丘学叢』大五号、青丘学会、

1931 年)がある。

28 小田幹治郎「新羅の名僧元暁の碑」(『朝鮮彙報』4 月号、朝鮮総督府、1920 年)。

29 このことについては崔在穆ㆍ孫知慧「日帝强占期(1910∼1945)元暁論議に対する予備的考察」(『日 本文化研究』、東アジア日本学会、第 34 輯、2010 年)で紹介した。

30『十門和諍論』(『韓国仏教全書』1、1979 年、838 頁)。

31 獅吼生「今津洪嶽老師訪問記」(『朝鮮仏教総譜』22、三十本山連合事務所、1921 年)。

32 許永鎬「元暁仏教의 再吟味:教相判釈(元暁仏教の再吟味:教相判釈)」(『仏教』35、仏教社、

1942 年)

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と、誓幢和尚碑の発見と海印寺での『十門和諍論』残巻発見という二つの重要事件につい て述べている。いずれにせよ、近代期の誓幢和尚碑の発見とそれによる『十門和諍論』の 再注目が、これまでの朝鮮文人たちによる曖昧な賛仰から、元暁の思想を「和諍」として 理解させる重要な契機になったのである。碑文の『十門和諍論』関連記述は、近代以後現 在まで、元暁の「和諍」研究にきわめて重要な資料として用いられている。

このような「和諍」の語に対する関心の増加とともに、「和諍」の意味を理解しようと する動きも出てくるようになる。次に、近代において「和諍」を論じた例を見ることにす る。

(2)近代期の思潮と「和諍論」

一.通仏教の宗派融合と元暁の和諍

1930 年頃から崔南善らによって「元暁と通仏教論」が主張されるとともに「和諍」と『十門 和諍論』も注目を浴びた33。崔南善は 1930 年に発表した「朝鮮仏教-東方思想에 잇는 그 地 位」で、『十門和諍論』を「統一仏教の論理的根拠書」として評価する。

元暁の仏教史に対する自覚は、要するに通仏教全仏教の実現であり、この偉大な抱負を 盛り込んだのが『十門和諍論』二巻であった。これは印度の哲学を六師に分けるように、

仏教の学説を十門に開け重難を解決し群異を通し、統一仏教の論理的根拠を提示したの は無論である……総合と統一による仏教の真生命・真精神の発揮に一生を捧げた34

また、許永鎬の論稿を見ると、『十門和諍論』について、

印度の部派や大小顕密分裂と中国の偏教立宗の流れが朝鮮に押し寄せて再批判・再統 合の気風が興り、結局、元暁をして『十門和諍論』を著わし偏教立宗の風を匡正する ようにさせた35

33 ただし、1930 年以前の著述、たとえば張道斌『偉人元暁』(新文館、1917 年)や崔南善「朝鮮仏 教の大観から『朝鮮仏教通史』に及ぶ」(『朝鮮仏教叢報』、三十本山聯合事務所、1918 年)では

『起信論疏』『華厳経疏』などには触れているが『十門和諍論』や和諍には言及していない。つま り 1930 年以後、通仏教の強調とともに和諍が元暁思想の核心として強調されたことがわかる。

34 崔南善「朝鮮仏教-東方思想에 잇는 그 地位-第 4 章: 元暁、通仏教의建設者(朝鮮仏教-東方 思想にあるその地位-第 4 章: 元暁、通仏教の建設者)」(『朝鮮仏教』74 号、仏教社、1930 年)

17-18 頁。

35 許永鎬「朝鮮仏教와 教旨確立-教団의 未来를 展望하며(朝鮮仏教と教旨確立-教団の未来を見

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