第5章 まとめ
第4節 軒平・軒桟瓦の瓦当文様と刻印瓦について
65)。第1段階は断面逆ハの字状の掘方の掘削を行い、下段の結桶を設置する。その後、結桶の上 面付近まで裏込め土で埋める。続いて、中段の桶を設置し、下段と中段の桶の接合部分に漆喰を 貼り付け、中段桶上面まで裏込め土で埋める(第2段階)。第3段階も第2段階と同じ工程である。
2 井戸の存続期間と廃絶時期について
井戸の存続時期については、出土遺物の様相からみると裏込め土の第2層から出土した段重の 蓋(137)と端反碗の蓋を根拠にすると、少なくとも18世紀末から19世紀中葉までの時期は想定可能 である。
一方で、廃絶時期については、幕末期頃の陣屋跡を復元した図面には、今回検出した位置に井 戸はないことと、SK23との切り合い関係から復元図よりも新しい段階のものと考えられる。
まず、中心飾りの半菊文の花弁が7枚のものと5枚のものがあり、7枚のものをC1類、5枚のもの をC2類とする(図66-3)。続いて、唐草文は構成要素の違いから2種類に分類した。唐草・子葉の組 み合わせのものをk1とし、第1唐草・第2唐草・子葉の組み合わせのものをk2とした。k1は子葉の 形もとに5タイプに、k2は第1唐草の形を中心に5タイプに分類した(図66-4)。k1に分類される一群 をみると、C1に属するグループの唐草・子葉は相対的に複雑な文様構成で、C2に属するグルー プの文様構成は単純なものであることがわかる。
続いて、k2の一群をみると、k2aとk2dは第2唐草と子葉が分離しているが、それ以外のもの は同化している。また、第1唐草をみても唐草が丁寧に表現されているk2a、第2唐草の上に乗る k2d、第2唐草のみになるk2eという違いがみられる。
福原氏の論考に依拠すると、これらの違いは複雑な文様構成から単純な構成へという退化現象 として捉えることができる。つまり、中心飾り7弁のC1から5弁のC2へ、文様構成が複雑なk1aか ら単純なk1eへという変化である。k2グループも同じである。k1グループとk2グループの差異に ついては、k2グループにもC1タイプのものが存在する可能性も考慮して、今回は系統差として 認識する。以上のことを図示したのが、図66-5である。
続いて、上記の変化の方向性が正しいかどうか各類型の所属する遺構の時期と比較検討を行 う。
まず、C類をみてみる。C1−k1a類は6点出土しているが、遺構からの出土は1点もないため、
ここでは判断を保留する。
C2−k2a類は2点出土しており、出土遺構はSK18とSK33である。SK18は、図化はしていない が、端反碗が出土していることから、廃絶時期は19世紀初頭〜中葉に推定される。廃棄遺物の中 には18世紀代の皿や丸碗(24)、18世紀末〜19世紀初頭の広東碗(25、26)も含まれる。SK33につい ては、端反碗(115)から19世紀初頭〜中葉の廃絶時期が推定され、出土遺物の中には18世紀代の皿 や18世紀後半の朝顔形碗(114)も含まれる。したがって、C2−k2a類は17世紀後半から19世紀中葉 までの時間幅で認識できる。
次にC2−k2d類は、SK18からの出土で、廃絶時期は19世紀初頭〜中葉に推定され、出土遺物か らは18世紀代から19世紀中葉の幅が与えられる。
C2−k2e類は3点の出土で、出土遺構はSK18、SK20、SK28である。SK18は先述の通りで、
SK20については、19世紀初頭〜中葉の端反碗が出土している。SK28については、17世紀後半の 京焼風陶器、18世紀後半の朝顔形碗、18世紀末から19世紀前半の広東碗が含まれ、廃絶時期は18 世紀末から19世紀前半が推定される。したがって、C2−k2e類は17世紀後半から19世紀前半期の 幅で捉えられる。
以上、C類の所属時期について検討を行ったが、遺構から明確な時期を見出すには至らなかっ た。
C類では、遺構の所属時期からの評価はできなかったものの、A類とB類についても確認してみ たい。
A類は6点出土しているが、遺構に帰属するものは4点である。そのうちSK18出土のものが1
図 66 出土軒平瓦の文様分類
A 類 B 類 C 類
1 6 種類の瓦当文様
2 中心飾りの種類
4 C 類唐草の細分
3 C 類中心飾りの細分
C1 C2
k1a k1b k1c k1d k1e
k1
k2
k2a k2b k2c k2d k2e
5 中心飾りと唐草からみた C 類瓦当文様の変化
18C Q1
18C Q2
18C Q3
18C Q4
19C Q1
19C Q2
19C Q3 17C Q4 17C Q3
6 C 類出土遺構の年代幅 56
57 58
217 194
94
・・・図67より
C2-k2a
C2-k2b
C2-k2c
C2-k2d
C2-k2e
C1-k1a
C1-k1b
C1-k1c
C2-k1d
C2-k1e
C2-k2a類 C2-k2d類 C2-k2e類
※西条藩陣屋跡出土瓦の文様については実際の瓦を実測して 表現したため、 報告所の拓本とは細部が異なっている。
図 67 福原氏による菊間瓦・菊間系瓦編年試案
年代 類型
Ⅰ類:1.広島城跡本丸 SK1 2.広島城跡本丸 SD8 3.廿日市町屋跡 SK8 4.広島城跡本丸表土 5.太田川 SK53DE 6. 太田川 SK41
Ⅱ類:7.中堀堀内 8.太田川 SK36 9.広島城本丸表土 10.太田川 SK202 11.太田川 SK41 12.太田川 SK93 13. 太田川 SK93
5cm 0
1 : 4
Ⅰ類 Ⅱ類
Ⅰa 類
Ⅰab 類
Ⅰb 類
Ⅰbc 類
Ⅱa 類
Ⅱa 類
Ⅱb 類
Ⅱc 類
Ⅱd 類 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
Ⅰc 類 19 世紀
第 1 四半期
19 世紀
第 2 四半期
点、SK21出土のものが3点である。SK18については、先述したように、廃絶時期は19世紀初頭
〜中葉に推定され、18世紀代から19世紀中葉の遺物が含まれる。SK21も端反碗が出土している ことから、廃絶時期はSK18と同時期と推定される。廃棄遺物には、17世紀末から18世紀前半期 の陶胎染付碗、18世紀後半の朝顔形碗(68)、18世紀末〜19世紀初頭の広東碗(69)も含まれる。し たがって、A類の所属時期は17世紀末から19世紀中葉までの時期幅の中で捉えることが可能であ る。
B類は3点出土しており、そのうち1点がSK29から出土している。SK29の廃絶時期は端反碗の 時期から19世紀初頭〜中葉が考えられる。一方で、1680年代から1740年代の皿(101)、18世紀後半 の朝顔形碗、18世紀後半〜19世紀初頭の小広東碗、18世紀末〜19世紀初頭の広東碗も含まれる。
B類もA類と同じく、17世紀末〜19世紀中葉までの時期幅の中で捉えられる。
以上の結果から、A類、B類についても遺構から所属時期の推定はできなかった。ただし、逆 に考えると、図65-6に表示した遺構の年代幅をみてもわかるように、ある一定の時期の遺物がま とまって出土しているわけではないということは、文様構成の違いを退化現象として捉え、相対 的な前後関係として理解することも可能と考えられる。今回は文様構成の変化という要素のみで 検討を行ったが、製作技術などの要素も含めた検討も必要であり、今後の類例の積み重ねによっ て改めて検証できればと考えている。
2 刻印瓦について
今回、出土した刻印瓦は図68に掲載した8点である。1と2については判別できなかった。3と6 は「◯」に「三」と菱形に「三」と刻印されている。4は「鹿濱庄」と読める。5と7は「^」に
「上」で、8は「菊間井戸九」と読める。
8の「菊間井戸九」については、井戸屋九五郎の刻印であることが確認されている(福原 2009b)。製作時期としては19世紀前半期頃と推定される。
図68 刻印瓦一覧
3cm 0
1 : 2
1 2
3 4 5
6 7 8