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趣味判断と合目的性の範例

第二章 趣味判断と自然美の象徴的理解

四 趣味判断と合目的性の範例

それでは、カントが主張するように、趣味判断の原理が「自然の合目的性の原理」であ るとすれば、この趣味判断の原理と、経験的諸法則の体系化を可能にする原理との関係は どのように理解すればよいのだろうか。この関係を理解する場合、「描出」にかんするカン トの説明は筆者にとって示唆的である。カントによれば、趣味判断のうちで、自然美は合 目的性の概念を描出するのである。この説明は、次の二点に要約することができる(Vgl. V,

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192f.)。第一に、判断力は、対象の概念を認識のために使用する場合に、この概念を描出 する。言い換えれば、判断力は、この概念に対応する直観を添えるのである。この描出は、

構想力によって行われるだけでなく、目的の概念を自然の根底に置く場合に、自然によっ ても行われる。第二に、自然の合目的性の概念は、客観の概念ではなく、多様な自然のう ちで概念を調達しようとする判断力の原理である。この原理によって、あたかも自然が人 間の認識諸能力を配慮したかのように見なされる。こうして自然美は、「形式的合目的性」

の概念の描出と見なされ、自然目的は、「実在的合目的性」の概念の描出と見なされる。こ のように自然美は、自然の合目的性の概念を描出する。したがって描出の概念に注目する ことで、趣味判断の原理と経験的諸法則の体系化を可能にする原理との関係が解明される のではないだろうか。

こうした見解の実例として、本研究は、趣味判断にかんする F・ヒューズの解釈を挙げ ることができる。ヒューズによれば、趣味判断における構想力と悟性の調和は、判断力に 対する自然の合目的性を範例的に表象する。すなわち、この構想力と悟性の調和は、自然 の合目的性の「範例的な描出(exemplary exhibition)」に他ならない。このヒューズの解釈 は、本研究にとって重要な示唆を与えてくれる。その解釈の主要な論点を挙げれば、次の 四点に整理することが可能である(29)。

第一に、自然の合目的性の原理は二つの水準に区別することができる。一方でこの原理 は、経験的諸法則にかんする自然の体系化の原理を意味する。他方でこの原理は、判断力 に対する自然の諸形式や表象の多様の合目的的な秩序として、合目的性の原理を意味する (30)。後者の原理は、「一般的合目的性」の原理として、「経験的判断」の可能性に対する 基礎である。というのは、経験的表象の多様を総合する可能性が、この原理によって確立 されるからである。

第二に、経験的総合の可能性にとって「一般的合目的性」の原理が必要であるかぎり、

「経験的な図式機能(empirical schematism)」の存在を認めることができる。『純粋理性批 判』のなかでカントは、カテゴリーを現象に適用するためには図式が必要であることを解 明 し た 。 し か し こ の 図 式 は 、「 空 間 に お け る 純 粋 な 形 態 に か ん す る 構 想 力 の 総 合 」 (A141/B180)の規則であるから、カテゴリーを「経験的な現象」に適用するためには不十 分である。したがって、経験的総合が自然の合目的性の原理を要求するならば、『純粋理性 批判』の図式論を補うものとして「経験的な図式機能」を認めることが可能である。

第三に、趣味判断は、経験的判断を最初に可能にする判断作用にかんする反省的な洞察 を含む。というのは、趣味判断のうちで構想力と悟性は調和している。だがこの調和は、

カテゴリーの図式の場合のように別の条件のもとであれば、図式化することのできる概念 の発見を可能にするからである。もっとも趣味判断の場合、主観は直観のもとにとどまる。

そのため趣味判断では、経験的総合の「現実性」ではなく「可能性」だけが洞察されるに すぎない。この総合の「可能性」は、現象にかんする構想力と悟性の産出的な相互関係の うちに見出すことができる。したがって、現象と認識諸能力との調和は、「経験的な図式機 能」が実現されているかのように思えるほどである。

第四に、趣味判断は、認識にとって必要な認識諸能力の協働作用にかんする反省を可能 にする。そのかぎりで趣味判断は、対象にかんする経験的判断の可能性を明らかにする。

言い換えれば、構想力と悟性の調和は、認識判断の「一般的条件」の「特殊な形式」であ

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る。この調和は、精神が自然を最初に把握する仕方を明確にする。だが精神が自然を最初 に把握するためには、経験的な自然は判断力に対して合目的的でなければならない。また 判断力は、この自然に対して合目的的に方向づけられていなければならない。これはまさ に、判断力に対する自然の「一般的合目的性」に他ならない。したがって、構想力と悟性 の調和は、判断力に対する自然の合目的性の「特殊な実例」である。そのかぎりで趣味判 断は、「経験的な図式機能」の可能性を明らかにする。言い換えれば、趣味判断は、判断力 に対する自然の「一般的合目的性」を範例的に描出するのである(31)。

このようにヒューズの解釈は、趣味判断が自然の合目的性の「範例的な描出」であるこ とを解明した。趣味判断にかんして、構想力と悟性の調和は自然の合目的性を範例的に描 出する。というのは、趣味判断における反省が、合目的性の原理にしたがう自然の反省に

「類比的」だからである。換言すれば、趣味判断のうちでは、特殊な対象にかんする構想 力と悟性の調和が反省される。これに対して合目的性の原理にしたがう体系化の場合、直 観と未規定的な概念との調和、経験的諸概念および経験的諸法則の相互の調和が反省され る。こうして反省の内容が異なるとしても、判断力に対する自然の合目的性を想定する点 で、両者の反省は「類比的」な関係にあるからである(32)。

それでは、以上のヒューズの解釈はどこまで妥当であろうか。本研究の立場から見れば、

このヒューズの解釈は、趣味判断の原理と体系化にかんする合目的性の原理との関係を説 明することに成功している。上述のように、カントの説明によれば、趣味判断の原理と経 験的諸概念の形成および経験的諸法則の体系化にかんする原理は密接に関係していた。ヒ ューズの解釈は、これら両原理の区別を維持しつつ、両者の関係を説明することが可能で ある。趣味判断が自然の合目的性を範例的に描出するという解釈は、趣味判断の原理と概 念形成および体系化にかんする原理との関係にかんする困難に、たしかに一つの解答を与 えたと言うことができる。趣味判断における構想力と悟性の調和が、判断力に対する自然 の合目的性を範例的に描出するので、趣味判断の原理は、概念形成および体系化にかんす る合目的性の原理と密接に関係するわけである。しかしながら、構想力と悟性の調和に注 目するかぎり、この解釈には次のような難点が存在する。

第一に、このヒューズの解釈は、趣味判断における構想力の自由を十分に説明できない ままである。カントによれば、趣味とは、構想力の「自由な合法則性」と関連する対象の 判定能力である。だが趣味判断にかんして、構想力は「生産的で自己活動的な能力」とし て想定されなければならない(V, 240f.)。つまり構想力は、悟性の法則によって強制されず 自由に戯れることで悟性と調和する。しかしこの構想力と悟性の調和は、「経験的な図式機 能」の可能性によって説明できるだろうか。構想力と悟性が、「経験的な図式機能」がすで に実現されているように思われる仕方で調和するとすれば、構想力の自由は十分に説明さ れないままである。したがって、このヒューズの解釈は、構想力の自由の説明としては未 だ不十分であると言わなければならない(33)。

第二に、このヒューズの解釈は、自然の合目的性の媒介機能を看過している。ヒューズ にとって自然の合目的性は、判断力に対する自然の合目的性として、「経験的な図式機能」

の基礎である。というのは、この合目的性の原理が、経験的総合の可能性にとって必要不 可欠だからである。しかし自然の合目的性は、たんに経験的諸概念の形成と経験的諸法則 の体系化のための原理であるだけではない。第一章のなかで筆者が解明したように、自然

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の合目的性の原理は、自然概念の領域から自由概念の領域への「移行」を可能にする。言 い換えれば、反省的判断力は、自然の合目的性の原理によって現象の世界から「超感性的 なもの」の世界への「移行」を可能にする。だがヒューズの解釈では、この「移行」にか んする媒介機能が説明されないまま残されている。したがって、これらの問題点が未解決 であるかぎり、ヒューズのカント解釈は不十分であると言わなければならないのである。