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類の質問を盛った調査用紙が世帯リストの裏に印刷されている。これを用いてザクセン 時代に挫折した営業センサスをプロイセンを対象にして実行しようとするというわけである。調査書

ドキュメント内 第7章 1872 年ドイツ帝国営業調査の構想 (ページ 76-80)

第9章 1882 年ドイツ帝国職業=営業調査の成立

こうした 8 類の質問を盛った調査用紙が世帯リストの裏に印刷されている。これを用いてザクセン 時代に挫折した営業センサスをプロイセンを対象にして実行しようとするというわけである。調査書

式でみる限り、営業表の痕跡は消失しており、ザクセンの場合と同様に営業経営に対する直接全数調 査、すなわちセンサス形式での営業調査が現われてきている。しかも、この 61 年営業調査構想では ザクセンの55年調査に残っていたモノグラフィーの要素は姿を消し、すべての回答が数量表示され るという点で統計調査としての一元化(=純化)がみられる

2.一様の調査用紙をもってすべての営業経営を調査に汲み上げるというのが当初の趣旨であり、

エンゲルの従前からの考えであった。しかし、これは結果を集計表にまとめる段階で変更を余儀なく される。というのは、エンゲル案が提示される以前に 61 年営業表の作成方式について関税同盟諸国 での同意があり、そこではこれまで通りの小経営/工場の二分法にもとづく工場表作成が既定方針と なっていたためである。不本意ながら、統計局とエンゲルも、1)小営業(手工業者、および主とし て局所的需要に従事している営業経営者と機械技工)、2)大工業(工場、および主として大取引に従 事している営業設備)、この二分法による結果表示を採用せざるをえなかった。小営業では専ら営業 の人的構成、大工業では人力・物的設備・経営成果の3 点に及んだ統計表が用意される。しかし、こ の統計表はエンゲルにとっては納得のできるものではなく、本来こうした方式は認め難いが、関税同 盟国家間での比較のためにこれに従ったと苦しい弁明を行なっている。

さらにまた、人口調査改革案と同様に、この営業調査の新機軸も統計中央委員会での審議を受ける。

人口調査に対してよりもより以上に慎重な見解が提示されている。それはエンゲルが必要とみた経営 成果への質問(生産額・販売額・販路別内訳)すべてが削除されたことに現われている。また就業者 の構成も、エンゲル案の細かな細分に替り先にみた3大分割が採用されている。総じて、営業調査で 222

55 年段階でこれだけ詳細かつ包括的な営業調査を実施しようとするのである。統計局とエンゲル の念頭には、当時のザクセン王国における営業経営者がこうした国家統計調査に対してどういう態度 を取るのか、果してそのような調査が実現可能かといった点での疑念はなかったようである。明らか にゆきすぎた調査といわざるをえない。4)調査項目の多さ、経営内容面への深入り、記入に際しての

労苦、これは人口調査リストの他にこの営業調査票への申告を課せられた営業経営者の抵抗と反撥を

容易に誘引するもとになる。

2.確かに、この55年調査はそれが実現していればそれまでのドイツ圏にはみられなかった、否、

ヨーロッパ全域を見渡しても実例を求めることができない画期的調査となるはずであった。それだけ 充実した質問設定となっている。それら質問に対して、これまでのような営業税記録などの既存資料 からではなく、営業経営者自身の自己申告・記入からの数量をもって当てるというのである。しかし、

問題は非常に広範囲で詳細な調査項目を容れたこうした営業調査の趣旨が国民に理解され、実査がス

ムースに行なわれえたかというところにある。最大の難関は調査が営業経営の内容面に触れるところ

にあった。19 世紀 50 年代には、国家統計の公共性や有用性に関する世論形成はまだできていない。

国家による統計調査に対する不信や無知はいまだに大きかった。国民、とくに農民や営業経営者の不 理解と抵抗には根強いものがあった。農民にとり詳細な調査事項への回答は過重負担であり、また課 税不安からする営業経営者の抵抗は大きく、調査拒否、

未回収や不完全回答の調査票が多く出てきた。

私的利益と公的有用性がそこでは対立し、

正確な申告から不利益を蒙るのではないかとする恐れは多 くの人々に共有されていた。そうした中では、調査の全体網羅性=悉皆性、また申告内容の信頼性と 正確性を期待することは不可能である。人口調査とは異なり、こうした営業調査に対する経営者の抵 抗と反撥はエンゲルと統計局の熱意によって解消できるほど軽いものではなかった。

55 年営業調査は経営調査としての構想面では画期的なものであったが、実行に関しては大きな壁 が立ちはだかっていた。

公的調査が私的利益を侵害するのではないかという恐怖が強く残る中で、十

全な調査結果を獲得することはできなかった。55年調査の内務省指令には、その 1項を当てて調査 結果は生産分野全体の概括用のものであり、税目的には使用されないことが規定されており、それぞ れの調査票の冒頭にそのことが明記されていた。しかしながら、こうした文章だけで被調査者側の恐 怖や危惧・不安が取り除かれることはありえなかった。実査時における混乱は大きく、

回答拒否や不

完全回答が頻発している。とくに農業調査では大きな壁に突き当たる。その結果、55 年営業調査は その結果がまとまった統計表として集約されないままに終わっている。調査としては挫折したといわ ざるをえない。この55年営業調査時の国民の国家統計調査に対する不信感は大きく、統計局とエン ゲルの姿勢が後に国会の場で批判される大きな原因となる。これがエンゲルを窮地に追い込み、ザク セン王国統計局を辞任せざるをえない要因ともなる。

2.1861 年プロイセン王国営業調査の新機軸

1.ザクセン時代には失敗した営業調査であるが、エンゲルは旧来のプロイセン方式による営業表 が進展しつつある経済の構造変化に対応できていないことをいち早く看取していた。最大の批判点は 営業表にある工業生産の手工業/工場への二分法に向けられた。同じ工業生産に属しながら、前者で は手工業での就業者構成、後者では問屋制家内工業を含んだ工場生産での物的設備配置という、それ ぞれ重点を異にする統計表であるとし、この分割には根拠がないと判断する。経済発展に伴ない、ま たツンフト制の崩壊の中で、両者を分けることの意味は消失し、また実際にそれぞれを正確に区分す ることが不可能になってきているのが現状である。プロイセンと関税同盟の営業表に伝統的なこの二 分法を放棄し、それに替えて両者を同じ工業生産単位とみなし、一様の調査書式でもって臨むべきと する。こうして、プロイセン統計局長に就任して 1 年後に、61 年人口調査の抜本的改革を計ると同 時に、

懸案の営業調査にも新たな機軸をもち込もうとする。すなわち、独立の営業調査用紙を用いた

直接全数調査としての営業調査の模範様式が描かれることになる。

エンゲルは 61 年の『統計局雑誌』に長文の論稿「人口調査の方法、とくにプロイセン諸国におい て適用されているものを考慮して」を載せ、これまでの住民リストと家屋リストに依拠してきたプロ イセンの人口調査方法に替え、独立の世帯リストを用いたセンサスとして 61 年 12 月の調査を構想す る。この世帯リストは世帯構成員一人ひとりの肉体的精神的属性から社会経済的属性に及ぶ16質問 項目からなる調査用紙であった。エンゲルのいう国民記述を成立させる要素を汲み上げた調査書式と いうことができる。この提案を受けた統計中央委員会での審議では、この人口調査の項目数での減少

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はエンゲル構想はかなり萎縮したものとなっている。

省庁を代表する委員会メンバーには、

エンゲル 案に沿って営業調査に新境地を切り開くという熱意よりも、それによって営業経営者の反撥が引き起 こされ調査自体の挫折することへの危惧の方が大きかったといわざるをえない。

統計中央委員会審議の結果、かなりの簡易化を受けたエンゲル案であったが、しかしこれでもプロ イセン各地の現場地方当局の調査担当者には余りにも斬新的でありすぎ、こうした直接調査方式によ る 61 年調査は遂行可能とは受け取られなかった。多くの地方当局の反対に会い、人口調査ともども、

大幅な縮小案が必要とされた。しかし、それを再企画する時間的余裕はすでになく、関税同盟の第 2

回目の 61 年営業調査には間に合わなかった。ザクセンに引き続き、プロイセンにおいてもエンゲル

の構想は実現することはなかった。

3.関税同盟統計拡充委員会と営業統計

1.プロイセンでは 60 年代に入ってからも3年おきの国家統計表の作成が継続されていく。しか し、上述したように、営業表だけは 1861 年表以降はその作成は停止されたままとなる。一方、関税 同盟では人口調査を初め営業表をも含めて、これまでの方式による統計作成に対する徹底的検討の機 が熟していた。改革への意向はプロイセン以外から発せられる。まず、停止中の関税同盟営業表の作 成再開を必要とするバーデン政府の提議があり(1868 年 6月)、それを受けて関税同盟参議院は、プ ロイセンとその統計局に対して、その主導の下で営業表作成作業再開が必要であることを決議してい る。

より根本的な改革への動きが同年 11月のヘッセンの関税大使ファブリチウス(前ヘッセン大公国 統計局長)による関税同盟参議院議長・プロイセン王国首相ビスマルク宛の建白書「関税同盟統計に 関する報告」によって動機づけられる。この中でファブリチウスによって、これまでの関税同盟統計 では、その作成に関してなんらの統一的基準がなく、経済生活に重要な意味をもつ事柄の調査が不在 であり、従い、政策立案や実証研究での有効利用に応えうる信頼できる統計資料が確保されていない ことが指摘され、それを克服することの必要が訴えられている。さらに同報告では、人口や営業など の5分野にまたがる統計の問題点が具体的に指摘され、人口調査では個別調査書式にもとづく直接全 数調査(センサス)を採用すべきとされ、また営業分野ではこれまでのような狭義の営業経営に縛ら れず、農業に始まる一国の生業関係全体にまたがった産業統計が構築されるべきとしている。

この報告は参議院とその中にある経済関連委員会を動かし、翌69 年 6月に関税同盟統計問題を審 議する専門委員会の設置が承認され、12 月に各国委員の招集令が下される。70 年 1月、関税同盟統 計拡充委員会が発足する(11 ヶ国から 16

名の代表が参加)。委員会の審議はドイツ帝国形成を挟み

71 年 8月までの約1 年半にまたがり、4会期に分かれ計 81

回の会議が開催されている。会議での審

議結果は人口や生産、また商品流通と関税といった 6つの個別テーマごとまとめられ、つごう 18 の 報告が連邦参議院に提出され批准を受けることになる。審議の先頭におかれ、また最も重視されてい たのは帝国全体にまたがる人口センサスをいかに実施するか、そのための具体的方式を練る人口統計 分野(これには市町村目録作成や人口動態統計調査も含まれる)ではあるが、しかしそれに劣らず深 刻な議論の下に投じられたのが営業統計問題であった。

営業統計の審議は会議の終わりの時期に集中している。営業統計小委員会が早期に設けられ、営業 統計に対する構想はいち早く立てられてはいた。しかし、その具体的検討は後日に廻すとされた。他 の統計にはない理論的・技術的困難を多く抱えていたからである。また、今後の営業統計に関する検 討の取りまとめ役(=部門責任者)としてプロイセン統計局長エンゲルが指名される。審議のたたき 台となる営業調査構想がエンゲルによって起草される。そこでは、営業が最初から広く 8 部門にまた がる産業として捉えられ、それぞれが独立した統計表に括られるとされた。この中で狭義の工業分野 においてはこれまでの3分割方式(また、その基礎にある二分法)は採用されず、使用素材や製造方 式、製品の利用目的の特徴からみた営業グループ別分類(その他分野を入れて計 17グループ)が提 示される。調査項目は独立経営ごとに就業者(雇用主/被雇用者別)、原動機、特徴的な利用機械・

道具・装置、支払賃金、社会福祉関連事項、最多量の販売商品とその価格(最後の3 項目は任意調査 事項)に及ぶ。肝要な点は、これらが当該地での市町村当局、またできうる限り独立の調査委員会の 下で、営業経営者に対する個票を用いた直接調査、しかも全数調査として構想されていることである。

単一国家を超えて全ドイツを対象にしたセンサス形式での営業調査が企画されたという点で、この構

想のもつ意義は大きい。

ドキュメント内 第7章 1872 年ドイツ帝国営業調査の構想 (ページ 76-80)