• 検索結果がありません。

財源保障の充足過程と需要額算定のルール化の進展

ドキュメント内 地方制度を介した (ページ 99-163)

第1節 本章の目的

基準財政需要額(以下、需要額という)の算定が 1974 年度まで基準財政収入額(以下、収 入額という)に連動するかたちで決定されてきたことを2章で見てきた。この運用は地方交 付税法から逸脱した裁量的運用であるが、これによって国が制度化し、地方公共団体(以下、

地方団体という)が提供する地域政策(以下、「地域政策」と記す)に対する財源保障はほとん ど充足されず、しかし交付税及び譲与税配付金特別会計(以下、交付税特会という)では概 ね収支均衡が保たれていた。

74年度までの需要額算定の特徴は収入額との連動性が高く、地方財政対策が限定されて いた時期であった。これに対し、75年度から80年度は需要額を収入額に連動させる運用 は失われ、地方財政対策の規模も地方財政計画の歳入総額の10%に達する、巨額の債務が 蓄積した時期である。この変化が「地域政策」に対する財源保障に与えた影響について検 討していく。

70 年代後半に地方交付税制度で見られる拡張的な傾向は国庫支出金でも顕在化してい る。これは60年代から始まる保革の対立が70年代に入って国政に波及したことと無縁で はない。社会党を中心とする革新陣営は都市部で根付いた革新自治体を背景にして政府に 対抗する。オイルショックを契機とした物価高騰など、国民生活が急激に悪化していく環 境変化も手伝って74年の参議院選挙で保革伯仲が実現し、76年の衆議院選挙ではロッキ ード事件の影響もあって自民党は過半数を割り込んでいる。

伯仲国会に突入すると、政府は地方選挙での巻き返しを狙って地方制度に対する運用の 見直しを始めるが、超過負担の是正はその重要な柱の1つであった。超過負担とは国庫支 出金を伴う「地域政策」で国が国庫支出金の支払いを過少にすることで地方に負担を転嫁 する問題のことである。伯仲国会が成立する前年には摂津訴訟1)が提起され、行政内部に隠 れていた超過負担問題は一挙に全国に知れ渡っている。この訴訟は革新自治体であった摂 津市が保育所建設に対する超過負担の返還を求めて起こした裁判であったが、多くの地方 公共団体(以下、地方団体という)の支援と市民団体からの応援によって全国的な運動へと 発展していった。

伯仲国会が成立すると、政府は間髪入れずに超過負担の象徴的な存在であった摂津訴訟 の解決に向かう。これは都市住民の期待が大きい福祉政策で政府の積極姿勢を示したかっ たことに加え、超過負担が伯仲国会を招く要因となっていたことが主な理由であった。こ れを契機に超過負担の是正が進み、法律の規定と実際の制度運用の乖離が修正されていく。

1) 摂津市は4ヵ所の保育所建設に9,300万円を支出したが、これに対する国の補助金は250万 円であった。児童福祉法は半額補助を定めており、これに違反するとして残金の支払いを摂 津市が国に求めた、地方団体が国を初めて訴えた裁判であった。73年8月に東京地方裁判所 に提訴し、76年12月に請求が棄却される。東京高等裁判所に控訴したが、80年7月に控訴 が棄却され、判決は確定する。なお、摂津市は摂津訴訟に関する様々な文献を収集保管し、

これを公開している。本章の作成に当たってはこれらの資料を活用した。

このことは需要額の算定においても重要な意味を持っていた。これによって裁量的運用が ルールに基づく運用へとシフトしていったからである。すなわち、「地域政策」に対する財 源保障が実現していったのである。

都市問題、環境問題、福祉問題などの解決を公約に革新自治体が増加したが、これらの 問題に対応した「地域政策」ではしばしば事業費を過少に算定していた。このため、革新 自治体がこれらの政策を提供すると、法律の規定を超えて大幅な負担が発生した。革新自 治体の登場は必然的に超過負担問題を顕在化させたが、これは「地域政策」の財源保障が 充足していないことを意味していた。従って、国庫支出金を伴う「地域政策」で財源が保 障されていないことが明らかになると、地方交付税制度でも財源保障機能が確保されてい ないことが露見していく。だが、財源保障を実現するには巨額の財源を必要としたため、

抜本的な対策が取られることはなかった。伯仲国会が実現したことで、しかし革新自治体 対策は政治的に看過できない問題となり、これを機に「地域政策」の財源保障は急速に改 善されていく。本章は70年代後半の国の政治状況と地方制度の関係を示しつつ、「地域政 策」の財源保障が改善していった実態を明らかにすることを目的としている。

第2節 70年代後半における保革の対立と財政運営

本章の議論を進めるに当たって、まず本節では 70 年代後半における保革対立の政治状 況について、これに至る経緯を含めて確認していく。さらにこの時期の国と地方の財政運 営についてもその概略を示す。

2.1 伯仲国会と政府の対応

2.1.1 革新自治体の伸張と伯仲国会の成立

60年代に入ると、高度経済成長に伴う公害や都市の過密問題、物価の高騰等で都市住民 の怒りは沸点に達し、環境福祉政策の推進を掲げる革新候補が都市部の首長選挙で当選し ていく2)。そのさきがけは63年の第5回統一地方選挙で、このとき横浜市、大阪市、北九 州市といった大都市で革新市長が誕生している3)。このうち横浜市では社会党の代議士で あった飛鳥田一雄が当選し、同氏が翌 64 年に全国革新市長会を設立する。これによって それまでばらばらに活動していた革新自治体が組織化されていく。続く 67 年の第6回統 一地方選挙では首都東京に初めて革新知事が生まれる。これが社会党を中心とした革新陣 営の活動を一挙に活発化させ、革新自治体の伸張を政権交代に結び付けようとする動きに 発展していった。

一方、自民党では革新旋風のきっかけとなる 63 年の統一地方選挙を前に石田博英衆議

2) 地方自治百年史編集委員会(1993b)297頁参照。

3) 56年以降内閣調査室では『調査月報』を刊行しているが、その時々の内閣の政治的興味がこ の内容から把握できる。国政選挙の分析は毎回詳細に行われているが、地方選挙の結果を扱 うのは 63 年からである。このときは、地方選挙全般の分析に加え、市町村の選挙結果につ いて別途分析が行われている。

院議員が「保守政党のビジョン」を発表する。石田(1963)は労働組合の組織された製造業 等の就業者が増加すると社会党の得票率が伸び、農林業就業者が減少すれば自民党の得票 率が下がるため、トレンドに従えば60年代後半に政権を失う可能性があると述べている。

これは都市化による就業構造の変化が投票結果に影響を与えている現状を示し、都市化へ の対応として雇用者に焦点を当てた政策の重要性を説いている。これが発表された直後の 統一地方選挙で上記の大都市において相次いで革新市長が誕生し、石田(1963)の指摘はま ず地方選挙で現実のものとなる。

67年の東京都知事選挙で美濃部亮吉が当選すると、自民党の危機感は高まり、田中角栄 自民党都市政策調査会長が「自民党の反省」を発表する。この年は衆議院選挙でも自民党 の得票率が初めて5割を割り、自民党の危機感は田中(1967)に凝縮している。田中(1967) は東京都知事選挙の敗北に対し、「地方選挙前半戦における全般的な退潮はおおうべくも

ない。……そして首都における革新知事の登場は、自民党の敗北感を決定的にした」4)と強

い危機感を吐露し、今日の東京は明日の全国と述べて全国に波及することを警戒している。

これらの結果は自民党政権が都市問題に適切に対処できなかったことに起因すると分析し、

自民党の都市政策が脆弱化した理由を次のように説明した。自民党は政策立案を専ら官僚 に依存してきたため、住民の意見を聞き政策を構想する政治家本来の姿を見失っていたと 述べている。大蔵官僚の財源の配分能力を依然高く評価しながらも、これには限界もある として政治家が住民の意見を聞きながら政策を立案することが重要になってきていると主 張する5)。そして、都市問題に有効な政策を提示した政党が今後の政権を担うとしながら、

自民党が都市政策を内政の最重点施策のひとつとして取り組むことを宣言している。

石田(1963)と田中(1967)は、選挙結果の分析から都市化が投票行動に影響を与えている こと、従って自民党が政権を維持していくためには都市化に合わせて政策を転換していく 必要があるとする点で共通している。そして、石田(1963)は雇用者を対象とした政策を重 視することを提案し、田中(1967)は都市政策の充実を宣言することになる。自民党は東京 都知事選挙の翌年に『都市政策大綱』を発表し6)、政府も都市住民を強く意識した「経済優 先から福祉優先」をスローガンに掲げ、政策を転換していった。この結果、地方自治百年 史編集委員会(1993b)が指摘するように70年前後には地方制度においても環境福祉政策が 整備されていくことになる7)

このような努力にも係らず、70年代に入っても都市部では革新自治体が増加する。71年 には大阪府で、72 年には埼玉県で革新知事が誕生し、73 年には神戸市でも革新候補が当 選したため、五大市すべてが革新市長となった。続く 75 年には神奈川県が革新自治体に 加わり、この時期革新自治体に居住する人が全人口の4割を占めるまでに拡大している8)

4) 田中(1967)286頁参照。

5) 田中(1967)288頁参照。

6) 『都市政策大綱』の議論は、例えば土山(2007)2~6頁参照。

7) 地方自治百年史編集委員会(1993b)307頁参照。

8) 中西(1997)229頁参照。

ドキュメント内 地方制度を介した (ページ 99-163)

関連したドキュメント