第一章 ダグール語とは
1.3. 表記
1.3.3. 語の成り立ち
本節ではダグール語の形態音韻論的な特徴について取り扱い、音韻論的に語をいかに規 定しうるか簡単な考察を行う。表記の上で語は分かち書きによって示されるが、その根拠 となる情報や実際の音声については従来述べられていない。語を規定しうる単位として
1.3.3.1. で母音調和について概観した上で、1.3.3.2. で母音調和と関連した接辞の異形態に
ついて、1.3.3.3. では曖昧母音、1.3.3.4. ではモーラという単位について、1.3.3.5. ではアク セントについて概略的に述べる。
1.3.3.1. 母音調和
モンゴル語族の言語に共通する特徴として、語の内部の母音の共起制限である母音調和 という現象が存在する。接辞が付される場合には、この母音調和の規則に従って語幹の母 音と共起しうる母音を持つ異形態が現れるものもある。ダグール語の母音は一般に男性母 音 /a, o/ と女性母音 /e/ というグループに分類され、またそのどちらとも共起可能な中性
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母音 /i, u/, /ie/ と併せて3グループを成す。中性母音は、男性母音にも女性母音にも先行さ れる可能性があり、中性母音の後には基本的に中性母音または女性母音が後続する。
ダグール語で観察される母音調和の例を次に示す (1-17)。
(1-17) 男性母音のみ kataa 塩 (ブトハ) gočoor 靴
adoo 家畜の群れ (ブトハ)
女性母音のみ emee 母
中性母音のみ guuruul 知恵
hilieb パン (ハイラル) muklien 口琴
男性+中性 haluun 熱い 女性+中性 seruun 涼しい 中性+男性 tuwaa 鍋 中性+女性 guskee 狼
なお、植田 (2019: 182) はモンゴル語の母音調和を「咽頭性の調和」と見なしている。ダ グール語の母音調和についてはさらなる調査・分析を要するが、モンゴル語における母音 調和に近いものとして同様の解釈が可能かもしれない。
第一位の母音と、その他の位置に現れうる母音の関係は次の表1-6の通りである。表左1 列目は母音のグループを、2列目は系列を表している。例えばa系列では第一位に現れるの
が短母音aでもaa, ai, auでもありうる。黒い部分が組み合わせ不可能であることを示す。
表1-6: ダグール語の母音調和
後続母音 第一位
男性 中性 女性
aa oo uu ii ie ei ee
男性 a aa, ai, au o oo, oi
中性
u uu, ui
i ii
ie 女性 e ee, ei, eu
(筆者作成。仲 (2007)、津曲 (1985) も参照)
中性母音が多く、可能な組み合わせの幅が広いため、母音調和による出現母音の制限が 弱く見える。これは中性の後続母音がおそらく本来 /ii, ei/ のみであったところ、男性母音
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由来の形式と女性母音由来の形式が合流することによって成立した /uu, ie/ が加わって現 在の中性母音のグループを成したためであると考えられる。
ハルハ・モンゴル語などにおいては、円唇母音 o, ö の後には円唇母音しか続かないとい う前進的円唇化の現象がある (o, öの後にu, üは出現可能であり、その後にはその他の母音 も出現しうる)。ダグール語には、接辞の取る異形態にo系列をも有することから (1.3.3.2. 参 照)、こうした前進的円唇化を部分的に有する可能性もあると見られる。しかし、厳格な制 限ではないようである。例えば最初の母音にoが現れ、そのすぐ次に子音1つを介してaa が後続する例も津曲 (1986) から2例見られた (1-18)。
(1-18) gotaa「三番目」 (恩和巴图 (1983)では gutaar
togaa「鍋」 津曲 (1986) tuwaa)
恩和巴图 (1983) と分析が違うことから、単に解釈の方針の異なりからくるものである可 能性も否めない。祖語において最初の母音が o である場合、ダグール語ではこれが wa, ua として現れることが多いため、第一位にoが現れる語例は少ない。また第一位にoが現れ、
その後2つ以上の子音を介した後にaaが現れる例は津曲 (1986) の語彙集で5例見られる が、第一位からの距離が遠くなると前進的円唇化が及ばなくなるのかもしれない。
1.3.3.2. 接辞の異形態
ダグール語の接辞には音韻的環境、特に前項で見た母音調和により、いくつかの異形態 をとるものがある。恩和巴图 (编著) (1988) における記述をまとめると、aa, ee, oo, ie とい った異形態が現れるAA型が主要なもので、この他にii, ei といった異形態が現れるII型な どがある。以下ではAA型の異形態について説明をし、その後その他のタイプについてまと めて説明する。
◆AA型
AA 型の異形態を有する接辞について、本論文で代表形を示す場合は AA という表記を 用いて表す。例えば -aas, -ees, -oos, -ies といった異形態が現れる接辞は、代表形が -AAs と なる。
異形態の現れは語幹に現れる母音との母音調和の他、語幹末尾と語類によって決定付け られる。代表形が同形の -AAs であっても、語幹の語類により実現形が異なる要素の存在 が特徴的であると言える。
接辞に含まれる AA は、まず -AAs のように AAで始まる接辞であるか、-gAAnie のよ うにAAの前に子音があるかによって異形態の現れ方が異なる。接辞がAAで始まるものは、
語幹末尾によって異形態の現れが決まることがあるもので、以下では母音始まりと呼ぶ。
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AAの前に子音があるものを以下では子音始まりと呼び、これは語幹末尾によって影響を受 けない。以下、①~⑤の番号は図1-2の分岐点を示す。
①母音始まりで、語幹末尾が口蓋化子音であれば現れる形態は ie になる。この場合、語 末子音の口蓋化を表す i と重ねて iie のように表記することはせず、口蓋化を表す i を落 として ie を加えるという形をとる。分析上は、口蓋化子音の後ろに ee が現れると ie と して実現するものと見る。
(1-19) -AAs {-ABL} 語幹末尾が口蓋化子音 ami {life} > amies 上記以外 am {mouth} > amaas
※子音始まりの接辞であれば語末の口蓋化子音の有無による対立はない。
-dAA {-DIR} 語幹末尾が口蓋化子音 ami {life} > amidaa 上記以外 am {mouth} > amdaa
②母音始まりで、語幹末尾が円唇化子音であるとき、現れる形態は語幹の母音が o 系列 のみから成るならば oo、その他の母音を含むならば eeとなる。
(1-20) -AAs {-ABL}
o系列+円唇化子音 nogu {dog} > noguoos その他+円唇化子音 čaaǰku {bowl} > čaaǰkueer
keku {child} > kekuees
※子音始まりの接辞であれば語末の口蓋化子音の有無による対立はない。
-dAA {-DIR}
o系列+円唇化子音 nogu {dog} > nogudaa その他+円唇化子音 čaaǰku {bowl} > čaaǰkudaa
keku {child} > kekudee
③母音始まりで、語幹末尾が母音であるとき、母音の連続を避けるために子音が挿入さ れる。このとき、語幹が動詞語幹であれば g が、名詞類であれば y が現れる。語幹が男 性母音のみから成るならば gaa, yaa、女性母音や中性母音からなるならば gee, yee となる
(動詞語幹の末尾には _ を付す。以下同様。これについて詳しくは2.1. にて述べる)。
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(1-21) -AAs {-ABL} 名詞の後ろの母音始まり形態素
edee {now} > edeeyees ačaa {uncle} > ačaayaas
-AAs {-COND} 動詞の後ろの母音始まり形態素
ee_ {to.stop} > eegees aa_ {to.be} > aagaas
※子音始まりならば挿入子音は現れない。
④語幹の最後の母音が oo である場合、AAの異形態としては oo が現れる。しかしこれ は子音始まりの場合には阻害されやすく、ooになったり、ならなかったり (aa, ee になる) 揺れがある。また上述の挿入子音 g, y が挿入される場合に oo が現れることはない。
(1-22) -AAs {-COND}
最後の母音が o bol_ {to.become} > boloos 上記以外 gar_ {to.go.out} > garaas uk_ {to.give} > ukees
※子音始まりの接辞では oo になることはない。
-gAAnie {-FUT.IMP.2SG}
最後の母音がo bol_ {to.become} > bolgaanie 上記以外 gar_ {to.go.out} > gargaanie uk_ {to.give} > ukgeenie
⑤その他の条件下で AA は母音調和の原則に従い、語幹の母音が男性母音のみから成っ ていればaaに、女性母音または中性母音から成っていればeeが選択される。
これらの条件を図式化すると次ページの図1-2のようになる。
27 子音始まり接辞 母音始まり接辞
-gAAnie, -rsAAr,
-AatAAr (下線部) など
-AA, -AAs, -AAr など 語幹末尾が
①口蓋化子音
②円唇化子音
⇒ ie (またはw)
③母音 ⇒ 語幹が
該当しない 動詞語幹
gを挿入
名詞類
yを挿入
最後の母音が ④o系列 ⇒ oo 該当しない
語幹が ⑤
男性母音のみから成る 女性母音や中性母音から成る
⇒ aa
⇒ ee
⇒ gaa
⇒ gee
⇒ yaa
⇒ yee
⇒oo
⇒ee
図1-2: AA型の異形態の取り方
③に関して、先行する語幹が母音で終わるとき、先行する語幹が動詞語幹ならばgaa, gee、 名詞類ならばyaa, yeeという具合に、母音の連続を避ける挿入子音が現れる。挿入子音が現 れると、子音始まりの接辞と同様にoo が現れることはなくなる (1-21)。品詞により異なる 形態的特徴を見せるというのは興味深く、モンゴル語などにもみられない現象である。
④に関して、筆者がbolgaa_「ならせる(<bol_ {to.become} + -gAA {使役})」という形で採 集した形式が、塩谷 (1990) の中では bolgoo_「ならせる」と記述されている。上記のルー ルにしたがえばbolgaa_が期待されるが、子音始まりのAAについてはこうした揺れも見ら れる。
この他に、AA 型に似た異形態の現れ方として、母音が oo, ee で交替する動詞接辞
-guOOtOOrや動詞派生接辞 -lOO_ がある。これはOO型と言うべき型であるが、子音始ま
りであることから語幹末尾の影響を受けず、語幹が男性母音ならば -guootoor, -loo_、女性 母音ならば -gueeteer, -lee という 2 種類の異形態を持つのみである。代表形は上記の通り OO を用いて記す。
◆その他
恩和巴图 (编著) (1988) はII型とも言うべき異形態のパターンとして、代表形 II を含む
接辞である対格属格の -II、3 人称所属人称の -IIni、派生接辞 -IIr「~しに来る」、-IIč「~
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しに行く」を挙げている。この異形態のパターンは音声上円唇化子音の後ろでは [u͜i], その 他の環境で [iː] となることを反映し、表記上の問題としてIIは母音の後ろで yii、口蓋化子 音・円唇化子音の後ろで i、その他の環境で ii となるというものである。口蓋化子音・円 唇化子音の後ろに II が現れると表記上は記号i, u + IIの異形態 i で ii, ui という文字列が 現れるが、ここで現れるii, uiはいずれも母音であると解釈し直す。口蓋化子音の後ろに II が現れると、基本子音の後ろに II が現れた場合と表記が合流することになるが、これは実 際の音声も合流することを反映する (正書法では基本子音と口蓋化子音とで後ろに II が 来た場合とで表記を区別するが、音声実態には必ずしも区別されない)。円唇化子音の後ろ では [u͜i] という音声実現を反映したui という表記になるが、二重母音 eiの異音であると 見て独立した音素は立てない。なお、uii (円唇化子音+長母音ii) という音素の配列は現れな い。
母音の変化を伴うものの他に子音変化を伴うものもありうる。先行する動詞語幹末尾の 子音と調音法に関して順行同化が起こる例として、-sen「~した」があり、-len, -ren, -ten, -den といった異形態が現れることがある。本論文では、こうした実現形に対し形態素分析では 元の形を示している。また子音が連続する場合に「母音調和に従って短母音が挿入される」
とされるものがある。これらは次項で扱う音韻的条件によって生じるものであるため形態 の変化とは見做すことはせず、グロスも特に付さない。
1.3.3.3. 曖昧母音
第一位以外の短母音は「「母音があるかないか」さえ判断がむずかしい」(津曲1985) と言 われ、話者や発話の状況によって母音的な音が実現するかどうかにはかなりの揺れがある。
そうした音声の実現を反映して、先行研究により第一位以外の短母音の表記の仕方は様々 である。胡和 (编) (1988)のように、こうした短母音を一切表記しない立場や、逆に Martin
(1961) のように全ての子音の後に母音があることを想定した表記もある (1-23)。
(1-23) 胡和 (编) (1988) Martin (1961) 津曲 (1986) 意味 udr udurə uduru 日 harbn harəbə arəbə(ŋ) 十
少なくとも第一位以外の短母音は語を弁別する機能がないことから、本論文では基底に おいて短母音は無いものと考える。こうした実情を踏まえると、母音を核に据えた音節の ような単位を立てるのも困難である。
ところで恩和巴图 (编著) (1988) は「音節末」に立ちうる子音連続は表1-7 のような組み 合わせのみであるとしている。