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熊田孝恒によれば感覚知覚の役割は、「外部の環境を認識し、正しい行動を導くもととな る情報を獲得すること」1)であり、厳密には、外界の環境だけでなく、自己内部からの情報、

つまり、いわゆる五感と呼ばれる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、そして触覚である体性感覚が自 己内部世界として大きく関与していると言われている。

一般的に、五感は大きく二種類に分けられている。比較的単純な仕組みで、感覚器官から の情報を大脳皮質一次感覚野の対応する部位に到達させる一次感覚神経と、頭部顔面に存 在する特殊に分化した感覚器からの情報を大脳皮質一次感覚野の対応する部位に到達させ る二次感覚神経がある2)。前者に分類されるのは、皮膚感覚、内臓感覚、運動感覚、痛覚や 温度感覚等、広汎で多様な触覚と呼ばれている体性感覚である。

そして、後者に分類されるのは、科学的刺激に反応する嗅覚と味覚、そして物理的刺激に 対応する視覚と聴覚である(図 1)。

2-1-2 感覚と情動と記憶

2-1-2-1 ボトムアップ処理とトップダウン処理

観察による表現活動において、表現者は視覚情報だけで表現内容をイメージしているわ けはない。観察の際、その時の気温、音、匂いなどの視覚以外の多感覚間の相互作用で、視 覚的に表象が作られる。

一方、これまでの経験から、期待または仮説などの考えを先行させて、形態や動き、匂い、

声を理解する。前者はボトムアップ型処理(bottom-up process)またはデータ駆動型処理、

後者はトップダウン型処理(top-down process)または概念駆動型処理と呼ばれている3)。 ドナルド・ノーマン(Donald Arthur Norman)の指摘によれば、ボトムアップ型処理とトッ プダウン型処理間の相互作用が、人間の情報処理の一般的原理であるとしている。つまり、

動物園で感覚(ボトムアップ情報)だけで、あるいは、知識や経験(トップダウン情報)だ けで観察するのではなく、それらの相互作用によって人間は「見た」という体験をする 4)

2-1-2-2 情動と記憶

また、感覚神経の一部は、大脳縁辺系や視床下部の情動中枢に達して、快感や不快感を生 じさせる。すなわち、情動(emotion)が大きな要素となる。そして、その情動は記憶(memory)

と密接な関係を持っているという5)。例えば、心地よい風景かどうかは、風景から感じる形 や色、そのとき感じた匂いの快、不快(情動)そして、匂いや、風景の色にまつわる記憶に よって決められるということである。

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工藤佳久は、「実際に感じている感覚は単に感覚情報のみではなく、すでに脳に蓄積され ている情報と照合しながら組み立てられている」6)と考え、「新たに経験している感覚が情 動に反映され、新たな総合記憶となる」7)としている。

さらに、視覚と聴覚、視覚と触覚など他の知覚情報から影響を受けることで、様々な変容 を示す感覚間相互作用(intersensory interaction)等もなされている。近年ではクロスモー ダル知覚(crossmodal perception)や多感覚知覚(multimodal perception)と呼ばれている8)

ここから、考えられることは、観察によって見ているものは、視覚と視覚以外の感覚器官 からの影響、情動、そして記憶が綿密な関係をもって行われているという場合があるという ことである。嗅覚、触覚、味覚、聴覚などによる視覚との感覚間相互作用の原理や、記憶や 情動との関係が表現活動に及ぼす影響の理解が、観察と表現との関係を考える本研究では 極めて重要であると考える。

2-1-3 視知覚

今見えている面に関する立体構造を知覚する機能は一般に視知覚と呼ばれている9)。自然 や物体を観察するとき、この機能の重要性は高い。

2-1-3-1 二つの視覚経路

眼に投射された光は、網膜上の視細胞によって神経信号に変換され、視神経や中継核を経 由して、神経細胞(ニューロン neuron)の集まる脳の視覚野に投射されているという10)。 眼球を通して神経信号に変換された刺激入力は、まず、眼球と大脳を中継する視床の一部 である外側膝状体(LGN:Lateral Geniculate Mucleus)を経て、後頭葉の 1 次視覚野(V1 野)

に到達し、二つの経路に分かれて処理されると考えられている11)

一つは後頭葉から側頭葉に到達する腹側経路(ventral stream)、もう一つは後頭葉から頭 頂葉に到達する背側経路(dorsal stream)と呼ばれている12)。腹側経路は物体の認識に関わ る処理が行われ、what の経路とも呼ばれる。一方、背側経路は主に位置の処理や物体の利 用方法に関わることから、where の経路、あるいは how の経路とも呼ばれている(図 2)13)

2-1-3-1-1 受容野

視覚野にある神経細胞は二つの作動原理を持っていると言われる 14)。第一の作動原理は 受容野(receptive field)である。脳の視覚野にある神経細胞は、それぞれの視野に特定の範 囲の中に刺激が提示された場合にのみ反応し、その視野範囲の外側に示された刺激に対し ては反応しない。人間に構造が似ているサルの実験では、図 2 で、眼から入力された情報が

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最初に到達する大脳皮質部分である 1 次視覚野(V1 野)の受容野は最大でも 1 度しかない。

そして、高次の視覚野である 4 次視覚野(V4 野)では、約7度15)であり、下側頭回(TE 野)では約 15 度16)と徐々に広がっていく。また V1 野や V2 野といった小さい受容野を持 つ部位では、視野の位置と脳の位置が空間的に対応しているという。このことから、網膜上 での位置関係が視覚野で、再現されていることになり、網膜位置座標対応(retinotopic mapping)と呼ばれている17)

2-1-3-1-2 刺激選択性

第二の作動原理は刺激選択性(stimulus selectivity)である。視覚野の神経細胞は、特定 の属性を持つ刺激が受容野内に提示されたときのみ活動するという。かかる属性以外の刺 激については反応せず、これは刺激選択性と呼ばれる。例えば V1 野の神経細胞は光の on-off に反応するのに対して、V2 野の神経細胞は明るさの輪郭に反応する等が該当するとさ れている18)。そして、V1 から V4 にかけての比較的低次の領域では、色、線分、運動など 視覚の基本特徴の処理が行われ、側頭葉に近いより高次の領域で、基本特徴が組み合わさっ た、より複雑な顔や物体など、複雑な個別の対象に処理が行われる19)

図 2 脳内の 2 つの情報処理経路と、腹側処理経路と、腹側経路における受容野の大きさや神経細胞の性質

(綾部早穂、熊田孝恒編, 2014,p.53.に基づき作成)

69 2-1-3-2 腹側経路と脳内で再構築される「表現」

前述のとおり、視覚の基となるのは、眼に投射された光である。光の波長の違いが色の感 覚の基になり、光の強度が明暗の感覚の基になり、形を知覚する基となる。しかし、光のパ ターンから何故外界が理解できるかについては、さまざまな説があるが、近代的な心理学や 脳神経科学では、外界の環境にある情報を活用し、復元、再構築させて、脳内に「表現

(represantation)」ができるからだと考えられている20)

2-1-3-2-1 視覚的補完

例 え ば 、 ガ エ タ ノ ・ カ ニ ッ ツ ァ (Gaetano Kanizsa 1913 – 1993)による「カニッツァの三角 形」21)と呼ばれる図形(図 3)は、一部の欠けた 円形の情報から、脳内で、物理的には存在して いない下向きの三角形の輪郭を「表現」してい る。藤田一郎は、「手前にある物体には輪郭が存 在し、奥にある物体の輪郭は遮断されて見えな い」という物理的法則に従い、脳が主観的に輪 郭を見て、物体と背景とを分離していると説明 している22)。これは、脳の中で外界の状況が再 構築されたということであり、視覚で観察して も、外界の物理的に存在しているものをそのま ま知覚しているとは言いがたいことがわかる。

物理的に存在しない三角形の辺の一部を主観的輪郭(subjective contour)、あるいは錯視 的輪郭(illusory contour)、変則的輪郭(anomalous contour)は呼ばれ、主観的輪郭が生成 されることを視覚的補間(visual interpolation)と呼ばれている23)。さらにこの三角形が周 囲よりも明るくあるいは白く知覚されるが、これは、一部の欠けた黒い円形と境界部分で生 じた明るさの対比が、三角形内に拡散したものであり、この拡散を北岡明佳はフィリング・

イン(filling-in)と呼んでいる。そして、視覚的補間とフィリング・インをあわせて視覚的 補完と呼んでいる24)

2-1-3-2-2 恒常性と無意識推論説

対象が安定して見えることは恒常性(constancy)と呼ばれている。この恒常性はルネサ ンス期に遠近法として技法を確立する上で、最も重要とされた知覚であろう。ゼキも、「脳 が恒常性と本質なものを追求する」として、美術において、極めて重要視している25)

3 カニッツァの三角形 (Kanizsa triangle)

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例えば同じ大きさのものが、近くにあるものが大きく、遠くにあるものは小さく見えるが、

実際の大きさは変わらないと知覚する。これを大きさの恒常性(size constancy)と呼ばれて いる26)。速さの恒常性(velocity constancy)も同じで、近くのものは早く、遠くにあるもの は遅く動いているように見えるが、実際の速さは変わらない等と知覚する27)

また、机の天板にあたる部分が台形としてみているが長方形であると知覚する。このこと について北岡は、「台形よりも長方形のほうが『よい形』を知覚するための解釈として、そ れらの形が所属している平面の傾きの知覚が代償的影響を受ける」28)ためであるとしてい る。つまり、「よい形」に見えるよう、空間配置の上で知覚の方向を変更してしまうのであ る。これが形の恒常性(shap constancy)である。

恒常性は外界を三次元として知覚するにも関わらず、網膜情報が二次元であり、その二次 元の情報から、脳は無意識にもともとの三次元での姿を想定し、復元をしていることになる。

それを最初に述べたのは、19 世紀の生物学者であったヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz:1821 – 1894)である。彼は『生理光学ハンドブック』(1856-66)

の中で、「知覚は無意識的推論過程に依存している」と提唱している29)

藤田は、図 4 の左端の図形に は右の二つの見え方があるが、

複数の見方があるのは、二次元 図形を三次元で理解しようとす るからであると説明している。

そして、この場合、無意識にピラ ミッドと見るか、廊下と見てし まうかの違いは、「記憶情報」の すり合わせによって行われる 30)

2-1-3-2-3 視覚の計算理論

さらに、三次元の構造の復元または再構築がどのようになされるかを知るためには、脳の 構造理解だけでは十分ではない。デビッド・マー(David Marr、1945 – 1980)は、外界の再 構築のために、「視覚の計算理論」として三つのレベルのアプローチが必要であると説いて いる31)

光の強弱、波長のパターンからの二次元の網膜情報を、外界に物理的に存在した三次元の 構造へと復元することが視覚の目的である。第一のレベルとしては、システム全体として何 がどのような目的で計算されているか、あるいは処理されているかを明確にすること。第二 のレベルは、二次元から三次元への復元が、どのような表現とアルゴリズムによってなされ るかを解析すること。第三のレベルでは、表現やアルゴリズムが脳内でどのように実現して いるのかを考える。そして、マーは第二、第三のレベルの研究だけでは視覚情報処理の全貌 が分からないと主張しているのである。

4 ピラミッドか廊下か(藤田一郎,2013,,p.67に基づき作成)

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