章序
本章では、第二章ないし第四章での検討結果を基に、第一章で定立した設問に対する総 合的な回答を試みる。
第一章で定立した課題は、シュミットがWRV下で展開した映画検閲論、映画検閲を容認 又は積極的に要請する論調に関して、その背後に如何なる論拠・理路が存在したのか、を 分析することであった。本稿は此処までに、該課題に関して、第二帝政期からWRV期まで の議会と法学説に於ける映画論を概観した後(第二章)、シュミットの論述を1928 年の段 階(第三章)と1933年の段階(第四章)に区別して、検討してきた。
以下では、先ず、第三章と第四章で得られた成果を再度略述した後に、双方の関係(重 畳する部分と相違する部分)を検討し(以上、第一節)、最後に、シュミットの言説を第二 章で概観した当時の言説の中に位置づける(以上、第二節)。
第一節 検討の結果
本稿の検討の結果を略述すれば、次のようになる。
1) テクスト A=1928 年の時点で映画検閲を容認した論拠としては、次の二点を摘示し
うる。
第一に、映画という表現媒体は意見表明の自由が想定する表現媒体ではなく、然もそれ は単に映画が「意見」を表明する媒体でないのみならず、該自由の背後に存在する「討論」
の理念に違背するものであった。即ち、「討論」の原理が、独立した主体による、相互に妥 協の用意を持った意見の交換による、相対的な「真理」への到達を志向するのに対して、
映画はこれと異質な「大衆感化」「大衆示唆」の手段であり、敷衍すれば、演説やプレスの ように個人の合理的な判断に訴えかけるのではなく、一方的に曖昧なメッセージを押しつ ける類の「表現」であった。然も映画という媒体の問題は、議会制を中心とする自由主義・
「討論」の原理の後退というシュミットの診断と連関するものでもあった。
第二に、映画の「大衆感化」「大衆示唆」の問題と関連して、該媒体による表現(及びそ れがもたらす影響)が、市民的法治国の基本権として許容される範囲を逸脱して、「政治的 なもの」の領域に到達し得ることが警戒された。「政治的なもの」は、要するに実力による 衝突の可能性を孕んだ集団間の対立であるが、映画の上映は、例えば労働組合の活動と同 程度には、その可能性(又は危険性)を孕んだものと評価されたと考えられる。
2) テクスト B=1933 年の時点で映画検閲を容認、というよりも必須のものとして要請
させた論拠としては、次のように圧縮し得る。
即ち、該時点においてシュミットにとって焦眉の課題となっていたのは、国内の不安定
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な政治情勢であったが、その原因は議会を構成する諸政党の組織が徹底した硬質なものと なり、主義主張の面で相互に非妥協的・非両立的となることによって、議会での意思決定 を阻害するだけでなく、国家の諸機関・諸制度を自身の党派的利益の為に利用するように なり、他方では組織を通して諸個人の生活を掌握し、国民を成す諸個人の同質性を喪失さ せていく事態であった。これに対してシュミットは、国内の諸対立が国家の意思形成を阻 害し、ひいては実力による衝突にまで昂進することを阻止する方策の一つとして、斯様な 諸個人の分裂を促す効果を高度に有し、またその為に利用される危険性の高い、映画とい う媒体を検閲という国家の統制に服させることを要請した。
3) 1928年、1933年の両段階に於けるシュミットの映画検閲論は、前者が市民的法治国 の枠組に照らしてそれにとって異物であるという観点が中心であったのに対して、後者で はより根本的に、国家秩序にとって有する危険性という観点が前景化する。
双方の映画検閲論に共通項を見出すことは、困難ではない。それはシュミットの公法学 を考究する際に殆ど常に念頭に置かれてきた、国家の内部に於ける社会諸集団、中間団体 の位置づけをめぐる論点である。テクストA の段階では、原則としていわばアトム的に解 体/解放せられた諸個人と国家の二者のみから成る「透明な」市民的法治国の国制に対す る夾雑物として、テクスト B の段階では、内戦や国家内部の分裂を抑止して国民を保護す べき国家の優位性と堅固さを内部から浸食する異物として、それぞれ中間団体はネガティ ブな含意を帯びざるを得なかったといえる。
シュミットの公法学、就中憲法解釈論が、幾度もこの主題と対決してきたことは周知の ことである。例えば、制度体保障論はWRVという市民的法治国への明確な決定を行った憲 法典が、にもかかわらずその理念に反する中間団体の特権を様々な条項で保障してしまっ た事態を、その原理との関係で整合的に説明する試みであったと位置付けられる179。ある いは、今日に至るまでネガティブな評価が浸透している議会制批判と大統領の権力を尊重 する解釈論に関しても、その判断と背後にある診断の当否を措けば、やはり堅固に組織さ れた政党という中間団体が、個人やそれが織りなす社会から超越しているべき国家から活 動能力を奪っていく事態に対して、回答として提示されたと位置付けられる180。WRV 第
179 参照、石川,2007,53頁以下。なお、シュミットの斯様な中間団体に対する否認に等しい 態度と向き合い、その背後に存する「近代フランス」の歴史が有する基底性を踏まえなが ら、個人とそれが有する「人権」を国家の「主権」との関係で析出し、憲法理論上の基礎 づけを行おうとする一貫した試みとして、樋口陽一の諸々の著作、例えば1994,33頁以下、
及び1996,28頁以下、更に2009特に107頁以下に至るまでの試みが挙げられる。尤も、
毛利,2002,231頁は、斯様な樋口の構想がシュミットとの関係で懸隔を有していることを指 摘しており、確かに、個人に殆ど積極的な意義を承認しないシュミットと、樋口の構想す る秩序像は、殆ど正反対とでも評すべき像を形成している。
180 斯様なシュミットの発想や具体的な構想の適切性に就いては、現在の観点からしてもさ ることながら、WRV期の状況との関係でも慎慮を要する。権左,2012が描くように、確か にシュミットの構想を利用してWRV体制が再生する可能性は存在していたものの、現実に
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118条の解釈論としての映画検閲論に関しても、中間団体に対する一貫した抜きがたい懐疑 に照らせば、そうした団体・勢力の培養に寄与するところの大きい映画という媒体は、予 めその自由を制限された扱いを受けることは必定であったと言い得る。
4) 尤も、以上のように、両時期の映画検閲論を単純に「中間団体への警戒」という主題 に全面的に回収することも適切ではない。このことは上述の1及び2からも明らかである が、特に映画検閲を直接に取り巻く意見表明の自由との関連では、更に次のように言える。
即ち、テクスト A の映画検閲論はあくまで市民的法治国枠内で映画の有する意味が検討 され、結果としてそれを「異物」と認定したものと解釈し得るが、それは裏返せば市民的 法治国の理念、その根幹である「討論」とその現れである意見表明の自由に対して、一応 の承認は与えていたということでもある。独立の「精神」を有する個人による合理的な言 語のやりとり、という「討論」の本来的な姿に対して、映画はその表現形式からしても、
また作用のありかたからしても、そぐわないものであった。又、そのような映画が表現媒 体として台頭する状況は、「討論」にそぐわない媒体が従来の媒体を圧倒していく過程であ って、市民的法治国や自由主義そのものの凋落を象徴する出来事でもあった。
これに対して、テクスト B の映画検閲論は、そのような古典的な意見表明の自由は凋落 しつつあるものとしても顧慮されず、代わって、技術の発達によって「討論」を圧倒して 横行する宣伝・暗示・煽動の手段として、プレスも映画も殆ど同等に扱われている。これ らの媒体が惹起する危険は、市民的法治国という、VLに従えば国制を構成する一部分の凋 落に留まらず、国制の政治的構成部分(WRVであれば民主制)という不可欠の部分を脅か すものであり、それは要するに国家の存立の危機を意味した。然もその仕方は、諸個人を 様々の集団がその主張・世界観へと映画の持つ「大衆感化」力を以て動員し、相互の非妥 協的な対立に於いて優位に立つ為の具にするものであった。
このように見ると、シュミットの映画検閲論の関心は、上記 3 の如き共通性を有するに も拘らず、テクストA の段階では独立した個人(の判断)を阻害し集団へと纏め上げる作 用の危険性に、テクスト B の段階では堅固に組織された集団と相互の対立に諸個人を動員
は、特にv.Schleicher内閣以降の現実政治への関与は失敗に終わったのであり、より広い
文脈から見れば、Brüning内閣以降の議会軽視の政治方針が、その遂行の不首尾も相俟っ て議会どころか大統領の支持も失い、結果として大統領やその側近、国防軍等の非公開の 政治空間を生み出したことも否定し得ない。毛利,2010,28頁以下が述べるように、深刻な 利害対立による意思決定の麻痺を解決する為に大統領の権力に依存する構想は、結果とし ては僅かに残された公開の場での討論を根絶し、「黒幕政治」への途を拓くことになった。
「議会における自由な討論が果たす周知性と透明性の機能」が「政治的決定プロセスにお いて議会が持つ非公式の影響力をかなりの程度に減殺する」ものだとすれば【日比野,1997, 86頁】、なおかつその「機能」の射程が議会に留まらないとすれば、機能不全とその放棄と 短絡させることは尚更適切ではなかろう。本稿は統治機構を主題とするものではないが、
斯様な観点からしても、議会制と執行府をめぐるシュミットの言説には慎重に向き合う必 要が存すると考えられる。