章序
本章では、前章で設定した設問に対応してシュミットのテクストを分析する為の前提と して、WRV期のシュミット以外の主体による映画検閲論の概況を検討する。検討対象とな るのは、映画法制をめぐる法学者及び法実務に於ける議論の概況である55。
論議の動向を予め略述するならば、WRV及び先行する第二帝政期の論議は、映画検閲に 関する限り、その制度創設・実施に就いて(自明の事柄としてであれ、何らかの正当化事 由を提示してであれ)賛成・容認の態度を採るものが圧倒的多数であり、また他の措置に 関する論議に際しても、少なくとも映画をプレスと同じように「自由」なものとしておこ うという態度は希薄である。論者の意見が分かれるのは、寧ろ制度や措置の方針を前提と したその細目・運用の改善をめぐってであり、この傾向は実務・学説に共通したものであ る。これに対して、映画検閲の廃止を求める意見が本格的に登場するのはWRV体制の末期 であり、然もそれを支持するのはごく一部の勢力に過ぎなかった。
従って、本稿にとって問題となるのは、この圧倒的な賛成・容認優位の状況に於いて、
それらの意見が依拠する論拠が奈辺にあり、またどのような分岐を見せていたのか、また より広い文脈に於いて、映画に対するアプローチの前提に如何なる視角が存在したのか、
である。換言すれば、映画検閲そのものに対する賛否という「結論」の段階ではなく、映 画検閲という制度じたいは承認・容認したうえで、それを如何なる論拠で支持するのか、
という「正当化」の段階こそが、本稿にとっての問題である。
検討対象となる素材は、具体的には次の通りである。
先ず法実務に関しては、立法府、就中第二帝政期からWRV期にかけてのライヒ議会及び 国民議会(Nationalversammlung)に於ける議事が主な素材となる56。映画検閲に関して は、立法府だけでなく行政・司法もアクターとして登場している事は確かであり、特に行 政訴訟のレベルに至らない審査局の実務を仔細に検討する事が、実務の状況を把握する上
55 映画検閲をはじめとする映画に対する法的措置の問題をめぐっては、当然ながら、法学 者や実務家だけでなく、美学者や倫理学者、犯罪学者等各領域の専門家、あるいは映画産 業の関係者が、映画の黎明期から活発に意見を表明している。20世紀初頭に「地域的な娯 楽手段からマスメディアへと急速に発展」した映画に対しては、各ラントでの検閲導入に 留まらず、様々な専門家の参与する論議を巻き起こした。この点を含めドイツに於ける映 画部門の歴史に関しては、ハーケ,2010のほか、Kirchenstein,1997,S.29-120、T.Behrens, 1986,S.19-105、等が存する。
56 第二帝政期からWRV期のライヒ議会及び国民議会の議事及び法案その他の資料は、
Verhandlungen des Reichstags. Stenographische Berichteなる表題の議事録に纏められてい る。以下、本章では、議事録からの引用に就いては原則として本文中に【 】内に巻数及び頁数 のみを示す。提出された法案や質問を記載したDrucksache(印刷物、印刷資料)に関しては、
頁数が付されていない場合があり、その場合には巻数のみを示す。尚、同議事録は http://www.reichstagsprotokolle.de/bundesarchiv.htmlに於いても参照可能である。
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では適切である。しかしその種の資料はアクセスが不可能であるか、又は公表されていな い為に、本稿製作の段階で得られた資料は僅少である57。これに対して、ライヒ議会の議事 に関しては、速記録が公刊されておりアクセスが容易であるだけでなく、映画検閲の黎明 期からWRV末期までの議論に関して、ともかく資料の形式の上では連続した議論を追跡し 得るという長所を有する。
次に法学説に関しても、第二帝政期及びWRV期双方のものを取扱うが、双方の依拠する 法令上の与件は、後者が憲法上の授権と法律に基づくのに対して、前者は行政命令のみに 依拠する点で大きく異なっている58。とはいえ、いずれの時期に於いても、映画が(1920 年代に実用化される放送と並んで)最新の表現媒体であった事態に相違はなく、また映画 検閲が有力な反対意見に遭遇することなく実施されてきた事も同様である。これらの諸点 に鑑みれば、映画検閲の正当化根拠の追跡を目的とする本章にとって、法的与件の相違は さほど重要ではないと考えられる。
以下、順次、議論の概況を検討する。
第一節 法実務に於ける議論:立法府の討論を素材として
第一に、第二帝政期からの立法府での議論を通して、法実務の映画検閲に対する態度を 概観する59。シュミットの言説の分析の前提という位置づけに鑑みれば、WRV 期のライヒ
57 映画法をめぐる司法に活動に関しては、判例集の外、雑誌Archiv für Urheber-, Film-, Funk- und Theaterrecht(UFITA)を参照したが、同誌に掲載されている事例は少数であ り、判断の傾向や時期による変化を俯瞰するには十分ではない。なお、Petersen,1995,S.246 によれば、映画検閲の領域で司法の果たした役割は僅少であったとされ、その理由は、事 件の殆どが許可手続の拒否が問題となるものであって、自ら禁止の当否やその根拠の問題 に踏み込まなかったことに求められている。
58 Noltenius,1958,S.3ff.の整理によれば、ブラウンシュヴァイク及びヴュルテンベルクで夫々 1912年と1914年に法律で映画検閲が導入されたことを除けば、残る諸ラントでは1900年代後 半から1910年代前半にかけて命令により、しかも演劇やその他の上演活動に対する検閲に関す る命令を基礎として、導入されている。
59 なお、以下に主な資料として引用・参照するライヒ議会の議事録では、発言した議員の 名前に政党名の略号が添えられている。本稿は第二帝政期・WRV期の政党政治史・議会史 を主題とするものではないから、時々の政治的・社会的状況に関する詳細な説明は行わず、
審議の状況を理解する為に必要な限度で、議会内の各政党の布置状況や各選挙期の重要案 件に就いて、選挙期ごとに簡単に言及するに留める。
WRV期の政党政治史・議会史に関しては欧語・邦語を併せて相当量の研究の蓄積が存在 するが、各研究の視角やバイアスを綜合・比較検討して明確な像を析出することは本稿に は為し得ず、概説や辞典を中心にいくつかの著名な文献を並列的に参照するに留まってい る。具体的には、欧語ではHuber,1969/1981、Fricke[et al.Hrsg.],Lexikon,Bd.1-4,1983-1986、
Mommsen,2009、邦語では栗原,1981、平島,1991、飯田・中村・野田・望田編,1996を主
に参照した。特に第二帝政期及びWRV期の各政党の概要に就いては、飯田・中村・野田・
望田編,1996,132頁以下・175頁以下及び241頁以下・291頁以下、Huber,1969,3ff及び
ders.,1981,S,127ff.、及び平島,1991,10頁以下、更に各政党の綱領・方針・組織の変遷に関
する詳細につきFricke[et al.Hrsg.],Lexikon,Bd.1-4,1983-1986。
以下本文で登場する政党に就いては、原則として初出時に略号に正式名称を付するに留
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議会に於ける議論に重きが置かれることは当然であるが、しかし映画検閲の根柢にある・
他の表現媒体と異なる特別の視点を検討する上では、それに先行する時期の言説にも目配 りする必要があり、またWRV第118条第2項第1文という特異な法規定を生み出すに至 った国民議会の審議過程も無視できない。
なお、論述の便宜の為、帝国議会・ライヒ議会の議論は立法期(Legistrativperiode)・
選挙期(Wahlperiode)ごとに区切って整理を行い、更に各期ごとの論述に於いては会議
(Sitzung)単位で議論を要約する。斯様な分節の仕方が最適であるか否か、に関しては異 論があり得るが、しかし少なくとも議会に於ける政党の布置状況という形でその時々の社 会状況の変化が一定程度反映されると考えられる為、必ずしもこの区分は不適切ではない、
というのが本稿の判断である。
第一款 第二帝政期ライヒ議会
先ず、第二帝政期のライヒ議会の審議に現れた映画検閲をめぐる言説を概観する。
議会の審議に映画をめぐる問題が登場するのは、1912年、第8立法期のことである。60
第一項 第八立法期第一会期
【第40回会議】
1912年4月18日の第40回会議では、低俗な文書や映画の「爛熟から青少年を保護する 為の法律上の規定を[既存の法律に]補い、また厳格化する」為に、及び低俗文書が青少年に 対して及ぼす影響に対して実効的な保護をもたらす為に、諸ラントが「協調して行動すべ き」旨を規定する法律案[印刷物第368号]に関する審議が行われた。
[1] Holtschke議員(K[=Deutschkonservative Partei、ドイツ保守党])によれば、「低俗 める。但しWRV期に関しては、認知度が相対的に低いと考えられ、特に議会内での勢力が 僅少であった政党に関しては、念のため注に於いて簡略に説明を加えている。これは、議 会の布置状況や個々の政党の立場と映画問題との連関を、本稿が明示し得なかった部分も 含めて示す為である。また議事録に所属政党名が付されていない場合に就いては、調査の 結果判明した限りで[ ]内に所属政党名を記載し、更に議事録の記載に実際の党籍・人名と の齟齬が存する場合にはその都度指摘する。
60 ハーケ,23頁以下特に42頁以下で述べられるように、映画の浸透・大衆化に対しては既 に20世紀初頭から、文化の頽廃を招来するのではないかとの危惧の念が様々な領域の専門 家から提起され、所謂「映画論争」が起こった。そこでは、一方では「低俗映画」による 道徳面への悪影響が論難され、他方では「文化映画」による教育面での活用が論じられた。
前者の立場から盛んに意見表明を行った芸術史家Konrad Langeは、1920年映画法制定直 前に、映画部門の倫理的・審美的問題及び国家やゲマインデが採るべき措置に就いて包括 的に論じたDas Kino in Gegenwart und Zukunft,1920は、検閲・租税上の措置による規律 から公営化による文化的価値のある作品の助成に至るまで、当時提示されていた対応策を 網羅的に叙述・検討している。また、1910年代から特に青少年の低俗映画からの保護の為 に検閲その他の措置の必要性を繰り返し説いた代表的な論者として、後述するAlbert
Hellwigが挙げられる。