A: Ca 2+ 結合飽和状態 B:Ca 2+ -free
VII. 討論
これまでの生体現象に対する組織学的・生化学的研究手法は,観察対象とな る生体組織や細胞を化学固定・凍結することが多かった.しかしながら,そこ から得られた生体情報は非常に限定的であり,特に生体内における機能を断片 的に捉えたものであった.本研究は,これまではin vitroモデルとして研究され てきた細胞内現象をin vivoで可視化するという,全く新しい着眼点から生体内 現象を解明することを目的とした.実際に生体内で生じる現象を直接観察する ことは,今後の生体研究にとって発展的な知見をもたらし,医療や生理学分野 において様々な恩恵をもたらす可能性がある.
本研究課題のin vivo筋細胞内Ca2+測定システムでは,薄膜状の脊柱僧帽筋を 用いることで顕微鏡観察における空間的解像度の低下を克服し,生体内環境下 の細胞で Ca2+イメージング評価を行えるようになった.脊柱僧帽筋は,筋微小 循環動態の研究においてモデルとなる代表的な筋である(Gray. 1973, Musch and Poole. 1996, Kano et al. 2004).生体顕微鏡での直接観察が可能である他に,3種 類(遅筋・速筋・中間)の筋線維組成によって構成され(Delp and Duan. 1996), ヒトの大腿四頭筋に近い酸化能力特性を持っている(Leek et al. 2001).研究課 題 1 の方法に示したように,脊柱僧帽筋は血管ネットワークや神経系を維持し たまま剥離し,顕微鏡観察することができる(Poole et al. 1997).本研究では,
顕微鏡による明視野観察から筋線維の一本一本を明確に識別することができ,
動静脈や毛細血管を流れる赤血球も観察が可能であった(Fig.6).
in vitroの筋組織標本を用いた生理的実験では100~600 Torrという非生理学的
な値の酸素分圧による灌流を行うことは一般的である.安静時のin vivo脊柱僧
帽筋微小血管における酸素分圧は30 Torr以下である(Behnke et al. 2001).それ にもかかわらず,正常な微小循環が損なわれていると,ミトコンドリアの酸化 的リン酸化に要する酸素供給には 100~600 Torrの酸素分圧が必要であり,この 酸素分圧は組織にとって有害なものにもなりうる.それゆえに,in vitroの組織 標本は過酸素・低酸素障害という観点において理想的な生理的環境とはかけ離 れている.研究課題1でin vivo筋標本と比較するために用いたin vitro筋標本は,
酸素分圧負荷を行わなかったため,安静時の細胞代謝には赤血球に残存した酸 素や,血漿中・細胞内外の溶液中に溶存したわずかな酸素しか利用できない.
その結果として,研究課題1・Fig.8Bで観察されたCa2+増加は低酸素によって誘 発される細胞崩壊の結果を示していると考えられた(Morgan et al. 1986, Orrenius and Nicotera. 1994, Trump and Berezesky. 1995).このような現象は Terada ら
(2003)によっても報告されており,彼らは脊柱僧帽筋とよく似た薄膜状の滑 車上筋を用いて細胞内 Ca2+濃度を測定している.グルコースや酸素供給を行っ たにもかかわらず細胞内 Ca2+が増加したことからも,筋組織の恒常性は組織血 流の維持に強く依存していることが示された.その一方で,血流を維持した in vivo 環境下の骨格筋組織は細胞内 Ca2+恒常性を維持することが明らかになった
(Fig.9B).このことは,本モデルが生体内環境をよく保存したモデルであるこ
とを示している.
細胞内の情報伝達において重要な役割を担っている Ca2+は,その濃度を変化 させることによって様々な生理機能を活性化させる.骨格筋においては筋収縮 のトリガーとして機能し,安静時は厳密に低い濃度に保つことで刺激に対する 応答性を確保している(Armstrong et al. 1991).これまでに筋細胞とCa2+の関係 について多くの研究が行われてきた背景には,Ca2+が骨格筋収縮のトリガーであ るだけでなく,筋疲労や筋損傷とも密接に関与していることが示唆されてきた からである(Allen et al. 2005).また,骨格筋損傷を誘発するエキセントリック
収縮は,単離細胞を用いた実験から細胞内の Ca2+濃度を増加させることが報告 されている(Gissel and Clausen. 2001, Allen et al. 2005).研究課題2(1)では, in vivo 骨格筋の伸張性(エキセントリック)収縮後に細胞内 Ca2+が増加すること を明らかにした(Fig.12).血流を維持したin vivoの骨格筋組織において,筋収 縮後の細胞内 Ca2+動態を直接的に観察した報告は本研究がはじめてであり,生 体内においてもエキセントリック収縮後には細胞内の Ca2+が増加していること が示唆された.
研究課題 2(2)において,エキセントリック収縮後に生じるCa2+増加に関与 する経路としてストレッチ感受性チャネル(SAC)に着目した研究を行った.
FrancoとLansman(1990)が骨格筋におけるSACの機能を最初に報告し,近年
Yeungら(Yeung et al. 2003, Yeung and Allen. 2004, Yeung et al. 2005)によって,
単離細胞のエキセントリック収縮後の Ca2+増加に関与することが示唆されてい る.本研究の骨格筋in vivoモデルにおいても,ストレプトマイシンとガドリニ ウムイオン(Gd3+)によるSACの薬理学的な阻害がエキセントリック収縮後の Ca2+蓄積を抑制することが明らかになった(Fig.16).エキセントリック収縮後に 生じる Ca2+の蓄積は筋損傷のトリガーとなることが示唆されていることから
(Gissel and Clausen. 2001, Allen et al. 2005),これらSAC阻害薬による筋細胞内 Ca2+蓄積の抑制は,筋損傷の抑制に効果を示すことが期待される(Whitehead et al.
2006).しかしながら,SAC阻害は筋細胞の成長を惹起するシグナル伝達経路の
活性を低下させることも報告されており(Spangenburg and McBride. 2006),筋損 傷の防止と筋肥大の促進という視点から,骨格筋細胞とSACの関連性について 更なる研究が必要である.
前述のように,エキセントリック収縮は顕著な筋損傷を引き起こす一方で,
メスの骨格筋が筋の疲労や損傷に対して耐性を示すことは非常に興味深い現象
として臨床的にもよく知られている(Clarkson and Hubal. 2002).このことについ て,女性ホルモンであるエストロゲンに着目して多くの研究が行われたが(Bär et al. 1988, Miles and Schneider. 1993, Timmons et al. 2006),メス骨格筋の疲労・損 傷に対する保護作用に,エストロゲンがどのように関与しているかについては 意見が分かれている.研究課題 3(1)ではオス,メスおよび卵巣摘出メスラッ トを対象として,エキセントリック収縮後の細胞内 Ca2+濃度の測定を行った.
その結果,オスと比べてメス骨格筋において有意な Ca2+蓄積の抑制が観察され たことに加えて,卵巣摘出メスラットにおいても Ca2+蓄積が軽減されることを 明らかにした(Fig.19).骨格筋損傷の性差に関連した研究においては,細胞内 Ca2+の関与は示唆されていたものの直接的に示した報告はなく,本研究において 得られた細胞内 Ca2+蓄積の抑制は性差を理解する上で重要な知見となりうる.
しかしながら卵巣摘出メスラットの結果から,エストロゲンが Ca2+の流入経路 に関与するかどうかについては更なる研究が必要であると考えられた.
研究課題 3(2)では,異なる筋モデルでの収縮に対するストレス応答の検討 として,糖尿病ラットの骨格筋を対象とした実験を行った.糖尿病状態の骨格 筋は循環機能が低下しており筋自体も脆弱であると考えられている(Kindig et al.
1998).糖尿病状態の進行を抑制するための新しいアプローチとして,筋量の確
保を目的とするエキセントリック収縮を伴う筋力トレーニングが考えられる.
しかしながらエキセントリック収縮が引き起こす筋損傷が,糖尿病状態の骨格 筋に対して与える影響は不明であった.課題 3(2)の結果からエキセントリッ ク収縮は,糖尿病骨格筋においては正常な筋と類似した Ca2+蓄積を引き起こし
た(Fig.21).その一方で,アイソメトリック収縮後の Ca2+濃度が正常な筋と比
較して高くなっていることが示された(Fig.20).この結果は,循環機能の低下 した骨格筋では Ca2+恒常性が破綻しやすいことを示唆しており,エキセントリ ック収縮に限らずアイソメトリック収縮によっても筋細胞が高 Ca2+状態に曝さ
れる可能性が考えられた.
脊柱僧帽筋を対象とすることにより,これまでに単離単一筋線維などを対象 とすることでは観察できなかった,組織中にある複数の筋線維による応答を同 時に観察できる点は本システムの大きな特徴である(Fig.10,Fig.14).単一の筋 における Ca2+変化動態については多くの研究者が報告してきたが,in vivo の骨 格筋において,組織中での複数の筋で生じている Ca2+変化を測定することは,
これまでの多くの研究において見落とされていた.また,筋組織においては疲 労・損傷が組織全体に均一には起こらず,線維選択的に不均一に生じることが 知られている.筋線維の不均一な疲労・損傷は,筋線維タイプや運動強度に依 存すると考えられているが,本研究によって,収縮後に筋線維に蓄積した Ca2+
との位置的な相関関係が明らかになれば,筋組織に特有な不均一性に関連する 新たな知見となることが期待される.
本研究課題の顕微鏡観察によって見られた Ca2+蓄積パターンの不均一性につ いて,蓄積に寄与する Ca2+増加の詳細な時間的・位置的情報を得ることは,筋 組織において疲労や損傷が筋全体ではなく,不均一に生じる現象を理解するた めに重要であるかもしれない.また,筋収縮の惹起に必須な Ca2+トランジエン トは筋が疲労状態に陥ることで変化を示すことが報告されている(Allen et al.
2008).しかしながら,現在の実験系における時間的・空間的分解能では,Ca2+
トランジエントやミリ秒単位で変動するような Ca2+ウェーブを測定することが できないため,筋機能の低下に起因するCa2+変化と,Ca2+蓄積を示した筋線維と の関連性を明らかにすることができない.さらなる研究課題として,伸張性の 骨格筋収縮によって誘発される筋損傷に,筋細胞内の Ca2+濃度変化がどのよう に関与・影響しているかを明らかにすることが必要である.