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第 4 章 ケベック州における社会の変化について

4.5. 英語教育導入における賛否の推移

最後に、初等教育における英語教育の早期導入をめぐる議論と言語政策の対応を考察 し、ケベック社会における「フランス語への安心感」を検証する。新たな言語政策が発 表されるごとに、特に英語教育の導入に関しては議論が行われてきた。ここでは主に、

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フランス語憲章以前 フランス語憲章以降 1997年の教育改革期

学位保持者の推移

フランス語母語 英語母語

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フランス語憲章以前 フランス語憲章以降 1997年の教育改革期

学位非保持者の推移

フランス語母語 英語母語

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ケベック州の新聞にあらわれた論説、教育関係の団体によって行われた議論、高等教育 審議会の提出した意見書などから、フランコフォンにとっての、ケベック州における英 語教育の意義の推移を検証する。

4.5.1 「フランス語憲章」前後

1977 年に「フランス語憲章」が導入され、多くのアロフォンがフランス語系学校に 通うことを義務付けられた。フランス語の知識も英語の知識も有さないアロフォンは、

まず教授言語であるフランス語を学習し、次に第三言語である英語を学ばなければなら ない。教授言語であるフランス語ができなければ、そもそも授業が理解できないことか ら、フランス語学習のためのさまざまなサポート、例えばフランス語特別学級の設置な どが行われている。そこでまずフランス語を学習し、その後に普通クラスに入学し、英 語を学習する。しかしこのようなプロセスに従う限り、もともとフランス語が母語であ るフランコフォンの到達する英語学習レベルまで、アロフォンが英語学習を行うことは 難しい。また、そのための英語学級を準備することもできない。なぜなら英語はあくま でも「第二異言語」だからである。アロフォンが学習すべき言語は第一にフランス語で あるが、その一方で彼らの権利が損なわれるのも望ましくないとの考えも社会の中で高 まった。そのため、「フランス語憲章」の施行以降、フランス語系学校において初等教 育第四学年からの英語教育の開始へと引き下げられたのである。1977 年当時の新聞記 事などは参照できなかったため、一次情報を入手することはできなかったが、「フラン ス語憲章」という大きな転機により「フランス語への安心感」を得られたのではないか。

またアロフォンの権利という観点から、この時点での英語教育の導入に対する議論はあ まり白熱したものではなかったと言える。

4.5.2 1997年の教育改革前後

1997 年の教育改革の中で、初等教育段階の英語教育は第三学年からの開始へと引き 下げられ、大きな議論が巻き起こった。その多くは、むしろ英語教育の時間数の削減に 対する非難であった。1997 年の教育改革をうけて、それが実施され始めた 2001 年及 び 2002 年になると、「ケベック州英語教育学会」 (Société pour enseignement de l’anglais au Québec : SPEAQ) から報告書が提出された。SPEAQ (2001) は、最初に 英語教育について「英語化 (l’anglisation) を推進するものではない」と前置きした上

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で、新たな英語教育について「第二言語としての英語教育」 (l’enseignement de

l’anglais, langue seconde) の中で今回の改革における三つの欠点を指摘している。そ

れは①時間の不足、②教師不足及び教師へのサポート不足、③アングロフォンとの不平 等、である。

①の時間不足については、以下のように分析している。1997 年の教育改革は、初等 教育段階の英語教育に 144時間、中等教育には500時間が費やすことを決定した。し かし第二言語習得に必要と言われている時間には遠く及ばない。第二言語を習得するに は5000時間 (Norma, 1978) が必要であり、基礎的な事項の習得にも1200時間が必要 だと言われている (Stern, 1985) 。しかしケベック州の現実をみると、中等教育までで 644時間を数えるにすぎない。また、このような短い時間の授業は生徒のモチベーショ ンにも影響を与えると分析している。

②の教師不足について、バイリンガル教師の不足と教師の直面する現実を指摘してい る。ケベック州におけるバイリンガル教師となるための試験は難しい。特にアングロフ ォンの教師の中には、フランス語をきちんと話すことはできるが、筆記試験で高得点を とることができず、そのために試験に合格できない者もいる。このためアングロフォン でフランス語を使用し、英語を教える教師が不足している。その結果、掛け持ちで授業 を行う先生が多くなっていることも問題となっている。この場合、学校によって教材な どが統一されていないため、授業準備の時間が多く、教師への負担が大きい。そのため に満足に英語の授業を行うことができないとの欠点が指摘されている。

③のアングロフォンとの不平等について、不平等なバイリンガリズムへの懸念が提示 されている。つまり、フランス語イマージョンを受けるアングロフォンが、フランス語 をよりうまく学習できるのではないかとの不安がある。そのため、アングロフォンこそ より言語能力の高いバイリンガルになることができ、フランコフォンは現行の英語教育 を通じては英語を十分に習得できず、結局のところ不利益になると述べられている。ま た、新聞のLe devoir の中で Dufour (2001) は、教育省の改革が、前進ではなく後退 であるとの批判している。

SPEAQ 及び新聞の論説をみると、フランコフォンとアロフォンの多くが1997年に

行われた英語の習得状況や英語教育に不満をもっていることがわかる。1997 年の教育 改革は「若者の成功のために」をキーワードとし、「ケベック州における英語教育は長 い間不振であった」(Dufour, 2001) とモントリオール大学 (Université du Québec à

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Montréal) の教授がLe devoirで述べているように、当時のケベック州において英語学

習はあまり上手くいっていなかった。一方、フランス語習得に支障がでるとの考えはあ まり見られない。英語教育の早期導入それ自体に反対する主な理由は、「他の言語への 興味を失わせる可能性があるため」なのだ。このようにフランコフォン全般で、ケベッ ク州におけるフランス語はもはや英語に脅かされるものではないことが読みとれる。

4.5.3 2005年の教育改革前後

2005年の英語教育の第一学年導入に対する反応は、1997年に較べても著しいもので

はない。Le devoirは英語教育への反対意見の記事を掲載することはなく、SPEAQも

報告書を提出していない。2005 年における英語教育の第一学年導入に対する主な反対 意見には、「時期だけ早めても意味がない」というものであった。Le devoirの中にも、

フランス語教育に対する危機感はあまり認められない。ヨーロッパの小さい国々でも、

英語と、大言語ならぬアイデンティティ言語としての小言語の住み分けが、ビジネスや 学術、生活の場でなされていることを例としてとりあげ、大言語のひとつであるフラン ス語がケベック州において消滅することはないだろうとが評している (Gagnon, 2003)。

この導入に反対する意見を提示し、むしろ英語の重要性を説く新聞記事もある。「ケ ベック州のバイリンガル率は、若者に限れば53 %である。これはカナダ連邦のどの州 よりも多い。これで十分ではないか。」(Gagnon, 2003)。この考え方に対して、Gagnon は「英語の重要性が分かっていない」との反対意見を示している。2002年に、Bernard

Landry首相が「英語は他へのかけ橋である。この意味で、ケベック州は地球上でもっ

ともバイリンガルな土地である」(SPEAQ, 2002, p.1) と発言していたことからも、ケ ベック州における英語の重要性が認知され、バイリンガルの必要性が訴えられている。

Le devoirは、モントリオール圏の教師が英語の一学年からの導入に反対する記事を

掲載している。しかしこれは、英語の重要性を否定することや、英語が第一学年から始 まることに反対するのではなく、教育的観点からの問題提起であった (Chouinard, 2006)。実際の政策をみると、英語の増加ではなく、他の科目が減り、その結果、英語 教育の時間数の増加が決定されたのだ。特に犠牲になっているのは、芸術や音楽のよう な実技系科目である。1997年に英語教育が第三学年より導入することが決定されたが、

これに較べても、反対意見が尐ない。しかし、政策提案と答申を行う高等教育審議会は、

これには同意しないと CSE (2005)『就学前、初等、中等教育の教育規則改善に関す

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る条例案』 (le projet de règlement visant à modifier le régime pédagogique de l’éducation préscolaire, de l’enseignement primaire et de l’enseignement secondaire) の中で述べている。高等教育審議会はこの案において、初等教育の第一学年からの英語 教育の導入に反対する根拠として、いくつかの任意団体の中で、母語 (フランス語) へ の影響を懸念する声が存在することをあげている。それらの団体とは 「ケベック州教 育環境協会」 (L’association des cadres scolaires du Québec) や「ケベック州教育委員 会連合」 (La fédération des commissions scolaires du Québec)、また「モントリオー 圏教育委員会協会」 (L’association de la commission scolaire de Montréal) や「ケベ ック州労働組合連合」 (La Centrale des syndicats du Québec)である (CSE, 2005, p.13.)。

これらを次のように整理しよう。1997 年の英語教育の早期導入をめぐる議論とは、

英語教育の早期導入によりフランス語に対する影響を懸念するものではなかった。むし ろ英語教育の有効性を疑問視し、「他者性」の発展が損なわれるおそれ (Des Rivière,

1999) のあること、他言語への開きに対する不安が多いことに関わっていた。これらが

新聞記事にみられた主な論調である。

一方2005年の改革に関しては、英語教育の早期導入を歓迎する声も引き続き多かっ たが、高等教育審議会は第一学年からの導入には賛成できないと明記している。また、

1997 年の時点で、英語教育の質の改善を求める声があがっていたものの (SPEAQ,

2001)、2005年になってもそれが反映されたとは言い難い。「フランス語への安心感」

があるように見えるにもかかわらず、なぜこのよう事態は起こったのだろうか。

4.6 「フランス語への安心感」と、英語教育の早期導入の関係性

ケベック州において「フランス語憲章」以降、「フランス語への安心感」が年々高ま ってきたことが種々のデータを参照の結果、検証された。フランス語のステータス上昇、

フランス語と経済の結びつきの深化、フランス語話者人口の増加により、英語への敵視 は薄れ、フランス語が失われることはないとの意識がケベック州に根付いたのである。

また教育改革に対する議論の中で、英語教育への改善の要求が多くみられることからも、

英語教育の早期導入の流れには、「フランス語への安心感」が背景にあったためと言え る。

ではなぜ、「フランス語への安心感」が増加しているにもかかわらず、1997年には実

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