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第 4 章 ケベック州における社会の変化について

4.2. 所得と言語の関係性

ある社会の中でその言語の位置を探る一つの指標として、経済と言語の関係があげら れる。そこでこの節では、各言語政策の前後にケベック州におけるアングロフォンとフ ランコフォンの所得の変化を分析し、社会の変化を観察する。前節では、「フランス語 憲章」の効果が80年代後半から見られたことを確認したため、ここでは「フランス語 憲章」の効果の現れる以前、すなわち1960年から1980年代までを一区切りとし、そ の後1997年の教育改革前後、2005年の教育改革前後を分析する。

4.2.1. 1960年代から1980年代まで

Boulet と Raynauld (1997) によると、1961年のフランコフォンとアングロフォン

の所得差は非常に大きなものであった。アングロフォン男性の平均所得と、フランコフ ォン男性の平均所得の差はおよそ51 %にも昇っている。これは、1960年代に一連の近 代化が進み、「静かな革命」が実際に動き出すまで、フランコフォンが主に農業に従事 していたこと、またたとえ企業で働いていたにせよ、その実権を握っていたのはアング ロフォンであり、フランコフォンは社会的上昇が困難であったことに起因する。

1961年からの静かな革命の中で、状況は改善され始めた。1970年にはアングロフォ ンとフランコフォンの平均所得の差は32 %にまで低下した (Boulet, 1980)。しかし所 得格差は依然として目に見える形で存在していた。さらに「フランス語憲章」以前に、

バイリンガルの価値はほとんど認められていなかったことを忘れてはならない。この時 代には、モノリンガル・アングロフォン (英語卖一話者) とバイリンガル・アングロフ ォン (英語を母語とする、フランス語とのバイリンガル話者) の間に所得格差は見られ なかった。当然、バイリンガル・フランコフォン (フランス語を母語とする、英語との バイリンガル話者) の所得はバイリンガルの恩恵を受けなかったため、モノリンガル・

フランコフォン (フランス語卖一話者) と同等、つまりはモノリンガル・アングロフォ ンを下回っていた。

1977 年に行われた調査を見る限り、この傾向は残存していたが、フランコフォンと

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アングロフォンの所得格差は15 %にまで減尐した。このように、次第にフランコフォ ンの状況は改善され、アングロフォンとの平均所得格差は縮小していった。

「フランス語憲章」以降を見ると、ShapiroとStelcner (1997) が1980年に調査を 実施し、アングロフォンとフランコフォンの平均所得格差が7 %にまで減尐したことを 検証した。ShapiroとStelcner (1997) は、言語政策(「フランス語憲章」)、フランコ フォンの就学率の増加、アングロフォンの他の州への流出をその原因ととらえている。

一方で、フランス語を学習するアロフォンの所得が上昇しない限り、フランス語を学習 するアロフォンの動機は低下する。アロフォンは、全ての言語グループの中で、どの世 代にわたっても最も所得が低かった。しかし1970年から1980年の間で、英語と非公 用語を使用するアロフォンの所得は、徐々に改善されていっている。一方、バイリンガ ル・アロフォン、すなわち英語とフランス語両方を使用する、つまり実質は自らの母語 をふくめてトライリンガルの所得をみると、この期間に顕著な変化はない。

以上が「フランス語憲章」以前と、1960 年から 1980 年代の言語と所得の関係であ る。次に「フランス語憲章」の影響があらわれてきた90年代など、1997年の教育改革 が行われる社会状況に至るまでを検討する。

意外なことに、1990年時点でアングロフォンとフランコフォン平均所得格差は、1980 年のものに比べて多尐増大している (Shapiro & Stelcner, 1997)。一方、バイリンガル・

アングロフォンの所得は依然として高いが、バイリンガル・フランコフォンもほぼ同じ 所得を得るに至った。しかしながら、「ケベック州生まれの者」という制限を設けた場 合、この状況に変化が生じる。ケベック州生まれのモノリンガルもバイリンガルも含む フランコフォンと、モノリンガル・アングロフォンの間には所得格差はない。このこと から、1990 年の時点でのケベック州に認められるフランコフォンとアングロフォンの 所得格差増大の原因は、ケベック州以外で生まれたフランス語話者にあると考えられる。

ShapiroとStelcner (1997) はこれを、フランス語を話す移民の流入によるものと結論

付けている。つまり、フランス語圏の開発途上国の出身で、教育を十分に受けておらず、

安い賃金労働のみに携わったフランコフォンが、フランコフォンとアングロフォンの所 得差を広げているのである。またアロフォンに限っていうならば、英語のみを知ってい る者がフランス語のみを知っている者よりも所得が高く、最も所得が高かったのはバイ リンガル・アロオフォンであった。

このように、1990 年代までで、フランコフォンの所得状況は徐々に改善されてきて

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いた。アングロフォンについては、モノリンガル・アングロフォンの所得が最も高かっ た時代もあったが、それは1990年までであった (Shapiro & Stelcner, 1997)。つまり、

1990 年代に英語能力と高所得は必ずしも連動しなくなったのである。アロフォンはこ の中でもっとも低い平均所得と位置づけられ、バイリンガル能力と収入の増加は結びつ いている。

以上が1997年の教育改革の実施以前の変化であり、また社会状況であった。フラン コフォンがアングロフォンと同等の立場になり、「フランス語への安心感」が高まった からこそ、1997年の教育改革や英語教育の早期導入を行うことができたのだ。

ではさらに 1997 年の教育改革後、ケベック社会はどのような変化をたどったのかを 確認する。そして2005年の教育改革の背景に存在した状況をあきらかにする。

4.2.2 2000年代のケベック州の所得状況

フランコフォンとアングロフォンの所得について、2000 年代に行われた調査に、モ ノリンガル・アングロフォンの所得を 100 と考え、バイリンガル・アングロフォン、

バイリンガル・フランコフォン、モノリンガル・フランコフォン、英語モノリンガル・

アロフォン、フランス語モノリンガル・アロフォン、バイリンガル・アロフォンとの比 較を行ったものがある。所得格差を容易に把握できるため、Fortin (2011) による表を ここに提示する。

表2. ケベック州の所得状況 (モノリンガル・アングロフォン=100)

男性 女性 モノリンガル・アングロフォン 100 100 バイリンガル・アングロフォン 122 107 モノリンガル・フランコフォン 122 100 バイリンガル・フランコフォン 137 117 英語モノリンガル・アロフォン 85 100 フランス語モノリンガル・アロフォン 81 81 バイリンガル・アロフォン 108 105

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本稿の他の研究が男性の所得のみに焦点をあてているため、ここでもそれに着目する。

2000 年でも 1990 年代の傾向は変わらず、アングロフォンとフランコフォンともにモ ノリンガルよりはバイリンガルの所得が高い。しかしモノリンガルだけを比較しても、

フランコフォンがアングロフォンよりも所得の高いことが分かる。更にバイリンガルを みても、バイリンガル・アングロフォンよりバイリンガル・フランコフォンは高所得で ある。このことから、フランコフォンがアングロフォンよりも平均所得の高い現実を読 みとることができる。しかしアロフォンに焦点をあててみると、英語モノリンガル・ア ングロフォンのほうが高所得である。また、アロフォンの所得は他の言語グループに比 べてかなり低い。ケベック州でフランス語を習得し、高い所得を得ることが保障されな ければ、そもそも移民は移住せず、フランス語へと統合されないだろう。これがケベッ ク州の課題でもあると、Fortin (2011) は結論付ける。

このように1960年代から2000年代までの流れを概観すると、フランコフォンの所 得は有意に増加していることがわかる。また、モノリンガル・アングロフォンとバイリ ンガル・アングロフォンの所得格差は、モノリンガル・アングロフォンへのフランス語 学習の動機付けになりうる。このことから、ケベック州において言語政策が実施された 社会的背景には、フランス語の使用がケベック州において所得増加に有意に働き、それ により「フランス語への安心感」が形成されてきたのである。

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