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第 4 章 ケベック州における社会の変化について

4.1. 英語とフランス語のステータスの変遷

ある言語をアイデンティティ言語として据えたり、他の言語と較べて使用の機会を増 やしたり、公用語として設定することなどで、言語政策は言語のステータスを上昇させ ることができる。ケベック州は、まさに言語政策を通してフランス語のステータスへの 働きかけを行ってきた。そこで英語とフランス語のステータスの変遷を検証し、1997 年の「フランス語憲章」以降、フランス語のステータスに変化が起こったことを論証す る。このため、主にLambertが「見せかけ整合法」 (Matched-guise experiment) を

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使用して行った研究ならびに他の研究者によるその追跡調査、さらにBourhisが卖独、

または共同で行った長期的なコードスイッチ観察に基づく研究を用いる (Bourhis, 1984; Bourhis, Montaruli & Amiot, 2007; Moïse & Bourhis, 1994)。

「フランス語憲章」制定以前、英語はフランス語にもまして多くのサービス業などに おいて使用され、経済的に有利な言語であった。フランス語話者は、英語が使えなけれ ばケベック社会において成功することができず、ケベック州において英語はフランス語 よりも重視されていた。しかし「フランス語憲章」の導入により、この構図は大きく変 化した。「フランス語憲章」によって、公用語はフランス語のみと定められ、公的サー ビスや職場、市街地においてもフランス語は英語にまして様々な場面で使用されるよう になった。この「フランス語憲章」によるフランス語のステータスの上昇は、Bourhis が実施した一連の調査により証明されている (Bourhis, 1984; Bourhis et al., 2007;

Moïse & Bourhis, 1994)。調査の多くはモントリオール圏で実施されているため、これ がケベック州全域での現象だと断じることはできないが、逆に言えば、モントリオール では英語が様々な場面でフランス語よりも使用されているからこそ、フランス語のステ ータスの上昇がより理解しやすい。本章は、コードスイッチ観察や、見せかけ整合法を 使用した研究を活用するため、まず研究手法について紹介する。

見せかけ整合法とは、数人のバイリンガル話者が、それぞれ異なる言語を話し、聞き 手に対してどちらの言語がどのように聞こえたかを問う調査方法である (Lambert, Hodgson, Gardner & Fillenbaum, 1960)。対象となる研究では、英語とフランス語の 各話者の談話を被験者に聞かせ、被験者がどちらの話者をどのように評価するか、様々 な項目を提示し調査した。項目は、「好ましさを感じる」 (favorably)、「連帯感を感じ る」 (solidarity)、「高い社会的地位を感じる」 (status) などに分類される。一方、イ ンタビューは、ショッピングモールと大学のキャンパス内にて、フランコフォンとアン グロフォンが、それぞれ互いの言語、すなわちフランコフォンにとっては英語、アング ロフォンにとってはフランス語で話しかけられた場合、言語スイッチをどのように行う かを観察し、更にどの程度のスイッチを行ったのかを被験者に自己申告することから構 成されている (Bourhis, 1984)。

これら研究成果について、「静かな革命」期以前、「フランス語憲章」前後、1997 年 の教育改革前後、2005年教育改革前後と年代順に提示し、その変化を検証する。

30 4.1.1 「静かな革命」期以前

Lambert et al. (1960) がモントリオールで調査を行ったころ、アングロフォンもフ

ランコフォンも、英語話者をより好意的に受け止めることが判明した。また、この調査 から、フランコフォンは自らを务勢の (inferior) マイノリティ、または二級市民

(second-class) と認識していることが明らかになった。続いて Lambert、Frankel と

Tucker (1966) がフランス語系学校で行った調査によると、経済的に裕福な家庭出身の

被験者は、英語に対してポジティブなイメージを持っている。また、バイリンガルの子 供たちは、12歳に近付くにつれ、フランス語よりも英語を高く評価するようになった。

これらの調査から、1950 年代後半、すなわち経済的にアングロフォンがより裕福だっ た時代、アングロフォンもフランコフォンのいずれも、英語をフランス語に比べてより

「高い社会的地位を感じる」言語であると評価していることがわかる。

4.1.2 「フランス語憲章」前後

1970年代中盤まで、フランス語系はケベック州の中で抑圧されていた。このことは、

アングロフォンはフランコフォンとの会話で言語スイッチを行わないが、逆にフランコ フォンがアングロフォンと会話する場合は英語へとスイッチすることから確認される。

Bourhis (1984) この現象について1977年と1979年に調査を行っている。1977年の

調査は「フランス語憲章」の二か月後に行われたものである。まず Bourhis (1984) は

「フランス語憲章」直後の調査によって、アングロフォンにおけるある種の「被害者意 識」を実証した。実際にはフランコフォンの95 %がアングロフォンとの会話にあたり 英語にスイッチを行うにもかかわらず、60 %のアングロフォンは、フランコフォンと の会話で情報をフランス語で受けていると感じていた。これは、「フランス語憲章」に より、アングロフォンが感じた不安や不快感などの現れであろう。次いで Bourhis

(1984) は、ショッピングモールと大学において、相手グループの言語、つまりアング

ロフォンにとってのフランス語、フランコフォンにとっての英語で話しかけられた場合、

どのような言語スイッチが起こるかを調査した。ショッピングモールにおいて、100 % のフランコフォンはアングロフォンとの会話で英語にスイッチし、一方で70 %のアン グロフォンはフランコフォンとの会話でフランス語にスイッチした。大学においては同 じ条件下で、84 %のフランコフォンと83 %のアングロフォンが相手グループの言語へ とスイッチした。このことから、より若い世代のほうが相手の言語にスイッチしやすい

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との結論が引き出されている。また、フランコフォンがケベック・フランス語及びフラ ンス語使用に高い評価を行い始めたとの結果もでている。しかし、同時に、フランコフ ォンは依然としてアングロフォンがケベック社会でより力をもっているとも感じてい る。これは、フランコフォンが、アングロフォンとの会話にあたり「英語を話さなくて はならない」と感じたとの自己分析の結果によるものだ。

「フランス語憲章」の効果がよりはっきりと確認されるようになったのは、80 年代 に入ってからである。見せかけ整合法を使った Genesee と Holobow (1989) による 1984 年の調査では、アングロフォンもフランコフォンも英語話者を好ましいと感じた が、フランコフォンは連帯感を感じる項目について、英語とフランス語を同等に評価し た。一方で、アングロフォンの英語に対する「連帯感を感じる」という項目の評価の上 昇は、アングロフォンの持つ英語への危機感をも表している。しかしながら、「社会的 地位が高い」という項目に対しては、アングロフォンもフランコフォンも英語話者より を高く評価した。

4.1.3 1997年の教育改革前後

Moïse と Bourhis (1994)は「フランス語憲章」の効果を調べるため、Bourhis (1984) の調査法と同じ研究方法を使用し、1991 年に調査を行った。コードスイッチについて みると、ショッピングモールにおいても大学のキャンパスにおいても、フランコフォン が英語にスイッチする率は減尐し、アングロフォンがフランス語にスイッチする率が上 昇した。「フランス語憲章」制定直後よりも、フランス語を使用するアングロフォンの 比率が減尐したのである。Moise と Bourhis (1994) によると、これはフランコフォン にとっての「フランス語に対する安心感」の発生を反映しているとともに、アングロフ ォンが英語維持を意識しはじめた証拠である。またBourhis et al. (2007) は教育改革 の行われた 1997 年にも同じ手法で調査を行っている。この結果、1997 年には、フラ ンコフォンもアングロフォンにおいても、相手の言語へのスイッチ率が、1991 年の研 究より高くなっている。特にアングロフォンの上昇率が著しく、これは「フランス語憲 章」がアングロフォンの言語への意識変化を引き起こしているためと考えられる。

Kircher (2010) によれば、Laur (2001) は見せかけ整合法を使った調査において、

フランス語と英語話者の分類ではなく、ケベック・フランス語と標準フランス語、英語 の話者を使用した実験を行っている。この調査では、アングロフォンもフランコフォン

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もケベック・フランス語を「好ましいと感じる」「連帯意識を感じる」と評価している。

4.1.4 2005年の教育改革前後

Beyer-Heinlein (2002) は Genesee と Holobow (1989) の追跡調査を行っている。

見せかけ整合法によると、アングロフォンは全項目(「好ましいと感じる」「連帯意識を 感じる」「社会的地位を感じる」)において、フランス語と英語を同等に評価とした。

Bourhisの行った実験はこの期間に行われていない。

「静かな革命」期以前、「フランス語憲章」前後、1997年の教育改革前後、2005年 の教育改革前後と4つの時期において、ケベック州における英語とフランス語に対する ケベック人の意識について検討したが、この調査報告から、アングロフォン、フランコ フォンのフランス語への態度をまとめると、以下のようになる。

1977 年の「フランス語憲章」の採択直後は、アングロフォンもフランコフォンも言 語意識に目立った変化は起こらなかった。アングロフォンもフランコフォンも、英語を より「好ましい」「社会的地位が高い」「連帯感を感じる」とし、この傾向は「フランス 語憲章」以前と同じであった。しかし二年後の1979年になると、多尐の変化が認めら れる。フランコフォンは、フランス語により連帯感を感じるようになり、フランス語こ そが彼らのアイデンティティ言語であるとの意識が芽生えはじめた。また、この時期は アングロフォンの間で、英語がもはや以前のように主流言語ではないとの意識が発生し 始めている。しかし1984年の時点でも依然として、アングロフォンもフランコフォン もこれまでと変わりなく英語により好ましい評価を与えている。

1991 年になると、フランコフォンは、英語で話しかけられても、フランス語から英 語へとスイッチしない例がよく見られるようになった。また1997年になるとアングロ フォンによるフランス語へのスイッチは、ほぼ90 %を超えた。これは、ケベック社会 において、フランス語が主流言語であるとの意識がフランコフォンにもアングロフォン の間にも広まったことを意味する。また、このフランス語も標準フランス語ではなく、

ケベック・フランス語であることから、「フランス語憲章」の導入により、ケベック・

フランス語に対する意識の改善が起こったといえる。

2000 年代に入ると、アングロフォンの意識に明確な変化がみられる。フランス語が 主流言語であるとの考えは、フランコフォンの間で先行して浸透していたが、アングロ フォンもこの観点を共有するようになった。「フランス語憲章」をはじめとして、教育

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