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補論―ジムロック、ゲンツマー、クラウゼのドイツ語訳

ジムロック訳、ゲンツマー訳、クラウゼ訳は、「歌謡エッダ」のドイツ語訳の代表的なものである。い ずれも『歌』とは異なり、通常の翻訳どおり、1種類の翻訳だけを含んでいる。これらについて概観して おこう。なお以下の太字や下線による強調は本論と同様、筆者によるものである。

まずはジムロック訳に注目する。カール・ジムロックは、『歌』から36年後の1851年に彼の翻訳の初 版を刊行した。ヴィルヘルムはジムロック宛の書簡で「あなたの素晴らしい詩的才能に繰り返し驚嘆いた しました」と賛辞を述べた(BG 1923, 237を参照)。筆者は初版を入手できなかったため、所有する版の うち最も古い版(1855年の改訂増補第2版, Simrock 1855)と最も新しい版(1876年の改訂第6版)

をともに参照した。以下では第2版を掲載し、第6版との異同について指摘したが、本稿で扱う範囲では、

異同は句読法に関するもののみである。

初めに散文の「シンフィヨトリの死について」(Simrock 1855, 178; Simrock 1876, 160)である。

Sigmund trug ihn weite Wege in seinen Armen und kam da zu einer langen schmalen Furt: da war ein kleines Schiff und ein Mann darin. Der bot dem Sigmund die Fahrt an über die Furt. Als aber Sigmund die Leiche in das Schiff trug, da war das Boot geladen.

第2版と第6版のあいだに異同はない。

標準ドイツ語にもともと多い音に関わらない範囲では、あるいは、関わっていても音を意識的に近接さ せていると思われるものとしてはweite Wege(/v/, 『歌』の自由訳ではweit fort)、die Fahrt an über die Furt. Als aber(『歌』の自由訳ではÜberfahrt an, als aber)、そしてin das Schiff trug, da war das Boot geladen(/da/-/daː/-/da/-/aːd/, 『 歌 』 の 自 由 訳 で はdie Leiche ins Schiff getragen hatte, war es voll geladen)が注目される。

『歌』の自由訳とジムロック訳を比べると、前者の方が装飾的である。ジムロック訳のtrug…weite Wege「道の遠くまで運んだ」、kam「来た」、Furt「フィヨルド」は『歌』の自由訳ではtrug…weit fort「遠 くまで運び進んでいった」、gelangte「辿り着いた」、Meerbusen「峡湾」(「海の乳房」)であった。

『 歌 』 の 自 由 訳 で はDer Mann bot ihm Überfahrt an, als aber Siegmund die Leiche ins Schiff getragen hatte, war es voll geladen.が一文になっており、ジムロック訳はAls aber…の直前で文を区切っ ている。これによって、『歌』はジムロック訳よりも緊張度が高くなっている。ジムロック訳は過去と過 去完了の組み合わせによる時間の奥行きも表現していない。しかし、それは『歌』の逐語訳と同様、原典 に即した結果である。

次いで「レギンの歌」第19節(ジムロック訳では「ファーヴニル殺しのシグルズの別の歌」の一部と

して収録、歌謡律, Simrock 1855, 193; Simrock 1876, 174)である。

Künde mir, Hnikar, du kennst die Zeichen Des Glücks bei Göttern und Menschen:

Vor dem Gefecht, was ist der erfreulichste Angang beim Schwerterschwingen?

第2版では第4短行の最後にコンマがあるが、第6版では除かれている。

『歌』の逐語訳と同様に、頭韻の維持に苦心したことが窺える。第2長行(第4短行と第5短行)では 頭韻が断念されている。下線を引いた箇所の少なさが示すとおり、ジムロックはここで頭韻以外の韻をほ とんど意識していない。

続いて「ファーヴニルの歌」第43節(古譚律, Simrock 1855, 202; Simrock 1876, 182)は次のとおり である。

Auf dem Steine schläft die Streiterfahrene Und lodernd umleckt sie der Linde Feind.

Mit dem Dorn stach Yggr(Odhin) sie einst in den Schleier.

Die Maid, die Männer morden wollte.

第2版では第2短行の最後にコンマがないが、第6版ではそれが追加された。

頭韻としては、特に第4長行にあたる第7・第8行に原文や『歌』とはまったく異なった/m/の韻が生 まれていることが注目される。上で見た「レギンの歌」第19節よりも下線が多いことが示すとおり、頭 韻以外の韻も意識して訳されている。とくに第2長行にあたる第3・第4行のUnd lodernd umleckt sie / Der Linde Feindは注目されてよい。頭韻を踏まない箇所(umlecken)でも頭韻の/l/と同じ音を入れ て音を揃えているからである。

第1のケニング(第2短行)のStreiterfahrene「闘争の遂行者」は『歌』と同じく誤訳である(本論 で前述)。

第2のケニングは、いわゆるザクセン2格による属格句によってder Linde Feind「菩提樹の敵」と訳 されている。なおこのザクセン2格(sächsischer Genitiv)は、sächsischをドイツの「ザクセン地方」

と見なし、日本のドイツ語学習の現場での「属格」の代用語「2格」と組み合わせた語であるが、誤訳で ある―sächischは「(アングロ)サクソンの」を意味し、sächsischer Genitivは、標準ドイツ語と逆に 属格(日本の英文法用語では「所有格」)が前から後にかかる英語式の格支配を指す。したがって、「ザク セン2格」は「英国式属格」やそれに準じる名称で呼び変えられるのが正しい。この誤解は日本でもなお 広く共有されているため、ここに記しておきたい。もっとも、低地ザクセン地方はアングロサクソン人の 故地のひとつであり、ザクセン人の一部がアングル人やジュート人とともにブリテン島にわたってアング ロサクソン人になったため、そもそもsächisch「ザクセンの」とSaxon「サクソンの」は同一である。

第4長行はDie Maid, die Männer / morden wollte「男たちが殺害したかった乙女」と訳されており、「乙 女」が第3のケニングである。先に述べた理由からジムロックも誤訳をしているのだが、『歌』とも解釈

が異なっている。ケニングの訳語が淡白な印象を与えるが、これは/m/の頭韻を優先したからではないか。

第3長行のMit dem Dorn stach Yggr(Odhin)/ Sie einst in den Schleier.「ユッグ(オーディン)は、

彼女をかつてヴェール越しに茨で刺した」も誤訳だが、こちらは『歌』と同じ解釈である。

先に言及したジムロック宛の手紙で、ヴィルヘルムは次のようにも述べている―「あなたが頭韻を放 棄していれば、さらに大きく成功していただろうと私には思われるばかりです。私たちの言語は成長して しまいました。古い語りの簡素で自然なものを本当には再現できないのです」(BG 1923, 237)。ジムロッ クの押韻に無理があることは明らかであるため、その事実を婉曲的に指摘しただけとも受け取れる記述で あるが、ヴィルヘルムが『歌』の自由訳にこめた思いも垣間見えそうである。すなわち、頭韻が重視され なかった自由訳は、「古い語りの簡素で自然なものを本当には再現できない」という判断のもとに、散文 の複雑な押韻による新たな詩的創造が目指されたのではないだろうか。

いずれにせよ、その後の「歌謡エッダ」のドイツ語訳は、ヴィルヘルムが述べたとおり、頭韻を重視せ ず、より複雑で自由な韻によって原文の世界観を再構成する方向に向かっていった。以下でこれを具体的 に見ていこう。

フェーリクス・ゲンツマーによる翻訳は、「歌謡エッダ」の数々のドイツ語訳のなかでも名訳の誉れが 高いものであり、発表から100年近くたった現在も多くの愛読者を得ている。

ただし、この翻訳は「歌謡エッダ」の翻訳としては異例のものである。「歌謡エッダ」の翻訳では、「王 の写本」を中心に置き、他の写本の歌も追加していく体裁を取るのが通例だが、ゲンツマー訳は「王の写 本」の枠組みを無視しているのである。彼は、ホイスラーとラーニシュがサガなどの別の文学からも韻文 部分を抜き出して編纂した『エディカ・ミノラ』(Heusler/Ranisch 1903)を重視しており、この企画で 示された「王の写本」を特別視しない方向性にしたがって翻訳をおこなったのであった(概要は

Genzmer 1981, 14-17を参照)。結果としてゲンツマー訳は他の「歌謡エッダ」の翻訳が含んでいない内

容も有している一方で、「王の写本」の内容をすべて反映しているわけではなく、「シンフィヨトリの死に ついて」も含んでいない。

「レギンの歌」第19節(歌謡律)は、ゲンツマー訳では「シグルズによる父の復讐」と題された部分 の一部として収録されている(Genzmer 1981, 331)。頭韻は副次的であり、さまざまな韻が複雑に呼応 しているため、近接した同じ音をすべて下線で強調する。

Künde mir, Hnikar, kennst du die Vorzeichen der Asen und Erdbewohner:

welche Zeichen sind gut, zieht man zum Kampf, für des Schwertes Schwung?

音韻については、Künde-Hnikar-kennst(/k/)、Erdbewohner-welche(/v/)、Zeichen...zieht man zum Kampf(/ʦ/と/m/)が特徴的である。

原典のgoða「神々の」とgumna「人々の」は、『歌』では逐語訳でも自由訳でもGötterとMenschen という標準的な訳語が選ばれていたが、ゲンツマー訳ではそれぞれAsen「アース神族」とErdbewohner

「地上の住人」である。異例の訳であるが、古ノルド語の神話世界が持つ宇宙観をこのような訳語によっ て再現したかったのだろう。特殊な神族と「地上」に縛られた普通の人々との対比である。

次に「ファーヴニルの歌」第43節(古譚律)である。これはゲンツマー訳では「鳥の予言」と題され た部分の一部として収録(Genzmer 1981, 320)されている。

Es schläft auf dem Berg die Schlachtjungfrau;

um sie lodert der Linde Feind.

Yggs Dorn stach sie:

Andre fällte die Armbandgefn, als er gebot.

特にschläft auf dem Berg / die Schlachtjungfrau「山上で戦闘の乙女が眠っている」、Dorn...Andre fällte / die Armbandgefn, / als er gebot「腕輪の女神は、彼が要求したのとは別の者たちを倒した」で特 徴的な音韻が形成されている。前者では単なる/ʃ/にとどまらず/ʃla/が反復し、/ft/-/aʊ f/-/rg/-/gfraʊ /とい う凝った連鎖も見られる。後者ではDornとAndreの呼応(/dɔʁn/-/ndʀə/)以降、 /a/-/n/-/d/-/r/-/f/-/g/-/t/

が複雑に絡み合うように音韻の調整がなされている。

『歌』とジムロック訳に見られた誤訳は、研究史の進展を反映して解消されている。このことが音韻の 新しい形成をも導いた。

ケニングについて、最初の(原文での)fólcvitr「軍勢に関わる者」は、『歌』の自由訳では複合語によっ てSchild-Jungfrau「盾の乙女」と訳されていた。ゲンツマー訳では造語によるSchlachtjungfrau「戦闘 の乙女」であり、ヴァルキュリアのイメージを率直に伝えている。下線から見てとれるように、上でみた 独自の押韻の形成も配慮されただろう。

lindar váði「菩提樹を損なうもの」はder Linde Feind「菩提樹の敵」と訳されており、ジムロック訳 と同一である。この語彙選択も、やはり下線のとおり押韻の形成にも寄与している。

hǫr-Gefn「亜麻の女神」は、『歌』の逐語訳ではLinnen-Frau「亜麻の女」、自由訳ではsie「彼女」だっ たが、ゲンツマー訳では造語のArmbandgefn「腕輪の女神」と訳され、注釈で「Gefnは女神フレイヤの 異名である」と説明されている(Genzmer 1981, 321; この見解についてはSee 2005, 486を参照)。ゲン ツマーは敢えて古ノルド語を組みこんだ造語を用いることで、神秘的な効果を出したかったものと思われ る。この箇所も音韻の調整に関わっている。

本論で述べたとおり、ヤーコプによる『歌』の翻訳の準備稿には、古ノルド語を取りこんだ造語が多く 含まれている。それらは原文を、別の言語である標準ドイツ語でも可能なかぎり維持したいという意図に もとづいたものだった。しかし、ゲンツマー訳のSchlachtjungfrau「戦闘の乙女」やArmbandgefn「腕 輪の女神」という訳語は原文の直訳ではない。そのため、これらの訳語は神秘的な雰囲気の再現が期待さ れて採用されたものと察せられる。

最後にクラウゼ訳について述べておきたい。この翻訳は21世紀になってレクラム文庫に収められたも

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