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散文―「シンフィヨトリの死について」

文献表(引用・言及したものに限定する)

3.  散文―「シンフィヨトリの死について」

「シンフィヨトリの死について」は散文であり、シグムントの息子(ヴォルスンガ・サガではシグニュー との兄妹相姦によって生まれた子)でファーヴニル殺しのシグルズの腹違いの兄(フンディング殺しのヘ ルギにとっても腹違いの兄)にあたるシンフィヨトリの死が扱われている。その後、シグムントがシグル ズを新たな息子として得たことが解説されるため、この散文は、続く「グリーピルの予言」以下でのシグ

ルズの活躍の序曲としての役割をも果たしている。ここで引用するのは、死んだシンフィヨトリの亡骸を シグムントが抱いて運び、フィヨルドに辿り着いた場面である。まず注釈版(See 2005, 120; Neckel/

Kuhn 1983, Sf. 20−24に対応)とグロスを提示する。グロスは冗長さを避けるため、シグムンドを「シ」、

フィヨルドを「フ」と省略して表記している。

Sigmundr bar hann langar leiðir í fangi

シ.ms.N 運ぶ.PA.3S 彼.A 長い.fs.A 道.fs.A 内に.P.D 抱擁.ns.D

sér ok kom at firði einom mióvom

自身.RF.3S.D そして.C 来る.PA.3S の地点に.P.D フ.ms.D 一つの.D 細い.D

ok lǫngom, ok var þar skip eitt

と.C 長い.ms.D そして.C ある.PA.3S そこに.AV 船.ns.N 一つの.ns.N

lítit ok maðr einn á. Hann

小さい.AJ.ns.N と.C 男.ms.N 一人の.ms.N 内で.AV. 彼.N

bauð Sigmundi far of fjǫrðinn. En

提案する.PA.3S シ.ms.D 運行.ns.A 超えて.P.A そのフ.H.ms.A そして.C

er Sigmundr bar líkit út á

〜とき.C シ.ms.N 運ぶ.PA.3S その遺体.H.ns.A 出す.AV 内へ.P.A

skipit, þá var bátrinn hlaðinn.

その船.H.ns.A すると.AV 〜られる.PS.PA.3S その小舟.H.ms.N 積む.PV

Sigmundr(主格)やSigmundi(与格)の語形から分かるとおり、古ノルド語では人名が格変化した。

einom、eitt、einnは「一」を意味する数詞einnが後続の名詞の性に合わせて格変化した形である。

不定冠詞が存在しないため、単数形は無冠詞で表現し、数字を明示するときなどに数詞を用いる。

定冠詞は前置と後置が存在し、後者は接尾辞として名詞に結合される。ここではfjǫrðinn とbátrinn の-inn、líkitとskipitの-itがそれに当たり、形が違うのは性・数に対応しているためである。

逐語性を意識するため生硬ではあるが、私訳は次のとおりである。

シグムンドは彼を抱いて長い道を歩き、細く長いフィヨルドにやってきた。そこには一艘の小さな舟 があり、中にひとりの男がいた。男はシグムンドに、このフィヨルドの向かい側への舟渡しを提案し た。そしてシグムンドがその遺体を舟のなかに運びいれたとき、その小舟は積みこまれたのだ。

『歌』の本文(Lieder I, 126)は次のとおりである。

Sigmundr bar hann lángar leiþir í fángi sér, oc com at fyrþi einom mióvom oc longom, oc var þar scip eitt lítit oc maþr einn á. hann bauþ Sigmundi far of fiorþinn, enn er Sigmundr bar lícit út á scipit, þá var bátrinn hlaþinn.

注釈版でkだった文字はすべてcであるが、これは異例ではなく、ネッケル=クーン版も同様である(ネッ

ケル=クーン版のcをkに変えたのは注釈版の処理, これについてはSee 2005, 6を参照)。

langarはlángarに、lǫngomはlongomになっているが、誤訳などは生まれていない。

原文のleiðir、firði、maðr、bauð、fjorðinn、hlaðinnにふくまれるðは、『歌』本文ではすべてþに 差し替えられている。これは語中と語末のð の音価が、その文字から連想される/ð/ではなく、þの音価 の/θ/だからだという事情を反映しているのだろう。þが語中や語末で音価を変えないまま表記のみðに 変わる現象は、ホイスラーの古い教科書(とはいえ50年以上にわたって支持され、版を重ねた名著の)『古 アイスランド語の初級教科書』によると、12世紀にノルウェーで成立し、1250年頃にアイスランドに伝 播した傾向だという(Heusler 1967, 15)。

逐語訳(Lieder I, 127)を見てみよう。

Sigmundur trug ihn lange Wege sich in den Armen, und kam da zu einer schmalen und langen Furt, und war da ein kleines Schiff und ein Mann darin. Er bot dem Sigmundur die Fahrt an über die Furt, aber als Sigmundur die Leiche hinaustrug ins Schiff, da war das Bot geladen.

先に記した注意書きどおり、同じ音や似た音が近接して繰り返されている箇所を下線で強調した。しか し、そのほとんどは標準ドイツ語にそもそも多く含まれている音(上の引用では、定冠詞に必ず含まれる /d/、不定冠詞に必ず含まれる/aɪ /、語尾に多く現れる/t/、/ə/、/ən/など)であり、これらが前後の別の単 語の音と韻を踏んでいると主張するのは強引である。なかにはlange Wege(/ŋə/-/gə/)、Armen, und kam ...schmalen und langen Furt(/m/-/ən/-/aːm/-/ma/-/lən/-/t/-/laŋ/-/ən/-/t/)、die Fahrt an über die Furt(/d/-/f/-/ɐ̯t/-/d/-/f/-/ɐ̯t/)、da war das Bot geladen(/d/)など、音が揃えられているように思われる箇 所もあるが、訳語選択を見ると直訳に近いため、明白な作為性ないし創造的意図を見てとることはできな い。

しかし、続いて自由訳(Lieder II, 33)を見ると、押韻が意識されていることが明らかである。

Siegmund trug ihn in seinen Armen weit fort und gelangte zu einem schmalen und langen Meerbusen, da war ein kleines Schiff und ein Mann stand darin. Der Mann bot ihm Überfahrt an, als aber Siegmund die Leiche ins Schiff getragen hatte, war es voll geladen.

冒頭部分を例に取ると、逐語訳のSigmundur trug ihn lange Wege sich in den Armen, und kam(/r/-/ʁ/-/ŋə/-/gə/-/ən/-/ʁ/-/mən/-/m/)は、自由訳ではSiegmund trug ihn in seinen Armen weit fort und gelangte

(/t/-/tʀ/-/iːn/-/ʔɪn/-/aɪ̯/-/ən/-/ʁ/-/ən/-/aɪ̯/-/ʁt/-/t/-/l/-/t/)である。

この音の変化、つまり押韻と言いうるものの明確化には、語順の整理(例えば自由訳のihn in seinen

Armenを逐語訳と比較せよ)などの単純な要素も関係しているが、他にもさまざまな事情が付随している。

原文と逐語訳のSigmundur「シグムンドル」は、自由訳ではドイツ語風にSiegmund「ジークムント」

と訳された。準備稿に見られるヤーコプとヴィルヘルムの固有名の処理の違いについては前述したが、そ れが『歌』にも現れているわけである。上の下線部とIPAの表記で示したとおり、Sigmundur(/r/)と Siegmund(/t/)の違いは、後続の音との呼応関係にも影響を与えている。というのも、前者の訳では近 似した音/ʁ/が、後者の訳では同じ音/t/が繰り替えされているのである。

lángar leiþir「長い道を」は逐語訳ではlange Wegeと文字通りの逐語訳であるが、自由訳ではweit fort「遠くまで進んで」と意訳されている。原文のlángar「長い」(注釈版langar、原形langr)を訳す ために、逐語訳では同根の語彙langを使用しているから、自由訳でも同様の訳し方が可能だったはずで ある。自由訳はあえて修辞性の高い表現を導入しつつ、前後の音を整理し、上で見たような音の呼応関係 を生み出したのだろう。

原文kom「来た」は、逐語訳では同根の語彙を使ったkam、自由訳ではgelangte「辿り着いた」であ

るが、これについても同じことが指摘できる。

フィヨルドはMeerbusen「峡湾」(直訳は「海の乳房」)という雅語で訳されているが、これも修辞性 の高い表現があえて選択されたことが容易に推測される。

さらに確認してみよう。oc maþr einn á. hann bauþ Sigmundi far of fiorþinn, enn er「男はシグムン ドに、フィヨルドの向かい側への舟渡しを提案した。そして〔…〕とき」は、逐語訳ではund ein Mann darin. Er bot dem Sigmundur die Fahrt an über die Furt, aber als、自由訳ではund ein Mann stand darin. Der Mann bot ihm Überfahrt an, als aberと訳されている。

自由訳では舟にいる男にstand「立っていた」という動詞が追加されているが、これは様相の具体性を 増したかったのだろう。この男は逐語訳ではじめ名詞ein Mannとして登場し、すぐに代名詞erに置き 換えられているが、自由訳ではein Mann...Der Mannと冠詞と名詞の組み合わせが反復されている。他方、

シグムンドは、逐語訳では定冠詞と名詞を組み合わせたdem Sigmundurだったのが、自由訳では代名詞 のihmに置き換えられた。この処理によって、動作の主体と客体の対比が強調されている。定冠詞が追 加されたのは、原文で人名が格変化したことを反映し、Sigmundurが与格であることを形態面でも強調 するためだろう。もちろん音韻の整理も意識されているはずであり、ein Mann stand darin. Der Mann bot ihm Überfahrtの下線部は/aɪ̯n/-/man/-/ant/-/da/-/ɪn/-/d/-/ɐ̯/-/man/-/t/-/iːm/-/ɐ/-/aː/-/t/という形で音が 連なっている。

逐語訳のdie Fahrt an über die Furt「フィヨルドの向かい側への舟渡し」という表現は、自由訳で Überfahrt「渡河」という一語に差し替えられた。en er「そして、〔…〕のとき」は逐語訳でaber alsと 語順がそのままであるのに対して、自由訳の語順がals aberと逆になり、機械的な訳出が避けられている。

このように、自由訳では具体化・明確化・煩瑣な表現や機械的の翻訳の回避という傾向も見てとれる。そ して、下線部で示したとおり、これらも音韻の調整と不可分である(Überfahrt an, als aberの /aː/-/a/-/a/-/aː/-/ɐ/)。

最後のSigmundr bar líkit út á scipit, þá var bátrinn hlaðinn「シグムンドが死体を舟のなかに運びい れたとき、そうして小舟に積みこまれたのだ」についても言及しておきたい。複合文が使用されており、

原文の時制は副文と主文ともに過去であり、逐語訳でもそのとおりに訳されている。ところが自由訳では 副文が過去完了、主文が過去になっており、このいわゆる「大過去」の使用によって、時間の奥行きが立 体化され、結果として情景が具体化されている。hlaðinn「積まれた」は逐語訳ではgeladenだったが、

自由訳ではvoll geladen「積まれていっぱいになった」であり、vollによって、やはり具体的で明確にさ れた。そして、下線のとおり、/l/の音が呼応するようになっている。

以上のとおり、自由訳は修辞性(語彙選択による装飾性)への意識が高く、具体的で明確な表現を好み、

煩瑣な表現や機械的な翻訳を避けている。さらに、それらと音韻の整理は常に連動している。自由訳は、

文字通り逐語訳よりも自由度が高いわけであるから、散文の翻訳においても自由度の高い音の流れを織り

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