「ファーヴニルの歌」において、シグルズは龍と化していたファーヴニルを殺害する。その心臓を火で 炙り、滴る血を偶然に舐めたことで、彼は鳥の言葉を理解できるようになる。シジュウカラは、養父レギ ンがシグルズを利用した上で暗殺しようと企んでいることを語り、シグルズはそのおかげでレギンを返り 討ちにして殺す。シジュウカラはふたりの女性たちについても予言する。この女性たちが誰であるかにつ いてはさまざまな解釈があるが、おおむね、シグルズと愛に落ちた上で裏切られるヴァルキュリアのブリュ
ンヒルドと、シグルズの妻になるグズルーンと見なされている(See 2005, 360-364参照)。
以下の引用は、シジュウカラがシグルズに向かって、ブリュンヒルドについて語る一節である。注釈版
(See 2005, 484; Neckel/Kuhn 1983, Fm. 43に対応)とグロスを示す。
Veit ek á fialli
知っている.PE.1S 私.N 上に.P.D 山.ns.D fólkvitr sofa,
軍勢に関わる者.fs.A 眠る.INF
ok leikr yfir
そして.C 戯れる.PE.3S 上方に.AV lindar váði;
樅.fs.G 損なうもの.ns.N
Yggr stakk þorni:
ユッグ.N 刺す.PA.3S 茨.ms.D aðra feldi
別の者.IP.mp.A 倒れさせる.PA.3S
hǫr-Gefn hali
亜麻の女神.m-f.N 男.mp.A
e<n> hafa vildi.
〜とは別の.C 保つ.INF 〜したい.PA.3S
第4短行のþorniは与格だが、ゲルマン祖語にあった具格が徐々に与格に取り込まれたという歴史的過
程(前述)を反映しており、「茨に対して」ではなく「茨を使用して」を意味する。古ノルド語でkasta
steinumという表現は「石に対して投げる」ではなく、「石を使用して投げる」であり、結局「石を投げる」
という対格の意味になり、現代アイスランド語にも存在する表現だという(清水2012, 85)。Helgi sló sverzhjöltunum「ヘルギは剣の柄で打った」のsverzhjöltunum(剣の柄を使用して)やsíðan skaut Ásmundr at Ásbirni selsbana spjóti「それからアースムンドは、アザラシ殺しのアスビョルンに槍を投
げた」のspjóti(槍を使用して)も同様の用法である(森田 1981, 125の文例を一部抜粋し、訳文を変更)。
最大の問題は第6短行、第7短行、第8短行の解釈であり、第8行のe<n>については、ネッケル=クー ン版ではennが採用されている。aðra feldi「別の者たちを倒した」も問題になる。さらに全体の接続の 関係が不明瞭である。この3つの短行から成る箇所がいかに解釈されてきたのかについては、See 2005,
486-487を参照されたい。グリム兄弟の『歌』本文と2つの翻訳への影響については後述する。
次に修辞についてである。引用した箇所には3つのケニングが見られる。第2短行の fólcvitr「軍勢に 関わる者」という複合語、第3短行のlindar váði「菩提樹を損なうもの」という属格句、第7短行の
hǫr-Gefn「亜麻の女神」という複合語である。
「軍勢に関わる者」はブリュンヒルドを指し、彼女が戦死者を選びだす女神ヴァルキュリアだというこ とが念頭に置かれている。前出のsverða svipon「剣の振るい」は戦闘行為を意味したが、それよりも神 話への予備知識が要求され、やや難解である。「菩提樹を損なうもの」はさらに難解であり、「火」を意味
する。最後の「亜麻の女神」が「女」を意味することも、知識がなければ理解しえないだろう。女とは、
ここでは具体的には「軍勢に関わる者」と同様に、ブリュンヒルドを指している(以上、See 2005, 484-486を参照)。
ケニングは理解しやすいものから難解なものまで多種多様である。「歌謡エッダ」以外のテクストを使っ て、その振幅を確認してみよう。
理解しやすいケニングが多く含まれたゲルマン語派の作品のひとつに、デンマークを舞台とした古英語 の『ベオウルフ』がある。有名な例としてhronrād(whale-roade)「鯨の道」(Klaeber 2008,10a)や wordhord「言葉の宝庫」(ibid., 259b)がある。前者が「海」を意味し、後者が「語彙」を意味している ことは容易に推測がつくだろう(それぞれHeaney 2000, 10a, 259bを参照)。ちなみに前者は特に広く知 られたケニングのひとつであり、後者は現代でもvocabularyの同意語word-hoardとして日常生活のな かで生きている。
逆に、難解なケニングを多く含む文学ジャンルとして知られるのが、古ノルド語のスカルド詩である。『ス ノッリのエッダ』の「韻律一覧」では、「拡大されたケニング」の実例が挙げられているが、その一節の Úlfs bága verr ægis ítr báls hati málu「海の火を憎む素晴らしい人が狼の敵の愛人を守る」は難解なケ ニングが積み重なったものであり、晦渋の極みと言えよう。「海の火」は「黄金」を意味し、その「海の火」
を「憎む素晴らしい人」とは、黄金すら一顧だにしない「度量の大きな君自身」を意味する。古ノルド語 の神話では、「神々の黄昏」(ラグナロク)において主神オーディンが狼型の怪物フェンリルに飲み込まれ るために、「狼の敵」はオーディンを指す。オーディンには多くの愛人がいるが、ここでの「愛人」は、
大地を女神として人格化したヨルズ(Jörð、ドイツ語のErdeや英語のearthと同根)を指している。以 上より、「海の火を憎むすばらしい人が狼の敵の愛人を守る」とは、結局「君が大地を守る」の意味であ る(出典はSturluson, Háttatal 3; 谷口 2002a, 213-214の訳出を参考にして解説)。
本稿で扱った『歌謡エッダ』の4つのケニングは、『ベオウルフ』に登場する多くのケニングに比べれ ば難解であり、上で見たスカルド詩の一節に比べれば平易だろう。
ケニング以外の修辞として、第4短行のユッグがある。これは「恐るべき者」を意味し、前出のフニカ ルと同様、オーディンの異名である。
私訳は次のとおりである。
山の上に戦いの女神が眠っていることを知ってるよ。
その上で菩提樹を損なうもの(火)が戯れていることも知ってるよ。
ユッグが茨で刺したんだ。亜麻の女神(女性)が打ち倒したのは、
ユッグが残るように望んだのとは別の男たちだったんだ。
『歌』の本文(Lieder I, 204)はつぎのとおりである。
veit éc á fialli fólc-vitr sofa oc leicr yfir lindar-váþi;
Yggr stacc þorni aþr á feldi haurgefn, hali, er hafa vildi.
注釈版との違いは前述した表記上の問題(cとk、þとð)以外に3点ある。第2短行のケニング(複 合語)と第4短行のケニング(属格句)において、それぞれの構成語がハイフン(前述のとおり、正確な 形状に近いのは「=」)によって接続されている。第6短行では、注釈版のaðra feldiがaþr á feldiとなっ ている。これは誤った本文である。第8短行では注釈版がe<n>(ネッケル=クーン版はenn)だったの に対し、『歌』本文はerである。後者2つの問題については後述する必要があるだろう。
頭韻に関して現代人にとって違和感があるのは第3長行(第5短行と第6行)でyとaが韻を踏むこ とであろう。yは古ノルド語では母音であり、音価はおよそ/y/であった(Pétursson 2002, 1262, Tab.
140. 6)。既に述べたとおり、母音は音価の違うもの同士でも韻を踏む。
『歌』の逐語訳(Lieder I, 205)は次のとおりである。
Ich weiß auf dem Berg eine Kampf-weise schlafen, darüber spielt Linden-Schaden(Feuer):
Yggr(Odinn)stach mit einem Dorne ehʼdem in den Schleier, die Linnen-Frau, die Männer tödten wollte.
まず誤訳について解説せねばならない。aðra feldi「別の者たちを倒れさせた」(注釈版)を誤った本文 aþr á feldiから翻訳したグリム兄弟は、feldiを「衣、覆い」と解釈し、これをstcc…á feldi「衣越しに 刺した」と読んだ。オーディンがブリュンヒルドを眠りの茨で刺したのは衣越しだったというわけである
(See 2005, 486)。e<n>以下の部分も含めた諸解釈についてはSee 2005, 486−487を参照されたい。第 3行と第4行の逐語訳を日本語にすると、このようになる―「ユッグ(オーディン)は一本の茨によって、
以前、男たちが死ぬように望んだ亜麻の女を衣越しに刺したのだ」(ケニングの「亜麻の女」については 前述)。『歌』の対訳部分(本文と逐語訳)の各ページには脚注欄もあるが、この箇所については何も注釈 されていない(Lieder I, 204, Anmerkungen)。
頭韻に関しては、次のとおりである。第1長行(第1短行と第2短行)にあたる第1行の頭韻は、音 価が/f/から/v/に変えられ、頭韻箇所も異なっている。第2長行(第3短行と第4短行)にあたる第2 行の頭韻は、/l/から/ʃ/に変えられ、頭韻箇所2つの片方が変更されている。第3長行(第5短行と第6 短行)にあたる第3行の頭韻は、母音yとaの頭韻が/ʃ/に変更され、頭韻箇所も変えられている。Yggr は標準ドイツ語での発音は/ˈʏɡʀ/であり、現代の標準ドイツ語の詩では/y/はehʼ(eheの短縮形、発音は /ˈʔeːə/)の/ʔe/と韻を踏むことはできない。第4長行(第7短行と第8短行)では適切なドイツ語の語彙 が見つからなかったらしく、頭韻は断念されている。
頭韻に限らず、下線で示したように、さまざまな押韻が現れている。標準ドイツ語のなかでは常に多く なる音(冠詞類全般に関わる/aɪ /、/ ən/、/əm/、定冠詞の/d/)以外でも/f/、や/l/が近接して現れているし、
もとから多い音を含んでいてもdarüber-Linden-Schaden(/daː/-/ɐ/-/dən/-/aː/-/dən/)やmit einem Dorne ehʼdem(/m/-/nəm/-/d/-/ne/-/deːm/)という連なりからは作為性、あるいは創造的意図が透けて見える。
逐語訳では、原文の4つの長行が4つの行に対応するように翻訳されており、語順も平行している。し かし、ひとつひとつの語の性質や構文が別の言語において逐語的に移し替えられるはずもない。第3短行
の名詞leicr「戯れ」は動詞spielt「戯れる」として(品詞の変更をともなって)訳されているし、冠詞も
追 加 さ れ て お り(auf dem Berg、eine Kampf-weise、mit einem Dorne、ehʼdem、die Linnen-Frau、