第 1 章 前史
第 2 節 裁判的自立と道徳的効力
第三共和政に入り、コンセイユ・デタはついに固有の裁判権(le pouvoir de juridiction pro-pre)を獲得することになる。委任裁判(justice déléguée)への転換である。このことは、
コンセイユ・デタの国家元首の補佐としての地位の放棄を意味した81。本節では、委任裁判 への転換の本来的意味と(第1款)、その運用および学説の応答を明らかにする(第2款)。
第1款 委任裁判への転換
第1項 1872年法律の制定
半世紀以上の留保裁判の時代に終止符が打たれたのは、1872 年のことである。フランス 行政法史上画期的な意義を有する82この法律の制定は、挫折を経験している。委任裁判とし ての裁判権の付与は、1849年3月3日の法律によって一度実現していたからである83。も っとも、この際には、判決に対する大法廷への提訴権限(但し、判決の効力に影響は与えな いという)および、係属すべきでない事件についての管轄の移送請求権限(これがコンセイ ユ・デタに拒否された場合、権限裁判所に付託する)の二つの手立てを司法大臣に留保して おり、依然として、活動行政による適法性の監督の性格は強く残されていた84。その後、第 二共和政の崩壊とともに、1852年憲法および同年 1月25日デクレによって、再び留保裁 判の地位に戻されている85。このことから、1872年の法律はすでになされた事実上の変遷 を法律上に転化したものにすぎないとも指摘される86。
かくして、1872年5月24日の法律は、今度こそ、コンセイユ・デタを、委任された裁判 権を行使する機関と位置づけることに成功する87。すなわち、同法律9条曰く、「コンセイ ユ・デタは、行政訴訟に関する訴えおよび越権を理由とする取消の請求に対し、主権的に
81 L. Aucoc, op. cit., (note 47), op. cit., p. 523,
82 神谷・前掲注6、68頁。
83 E. Laferrière, op. cit., t. 1. Livre 1, p. 249. このとき、国民会議では異論はなかったという。
なお、伊藤・前掲注3、54頁以下をも参照。
84 E. Laferrière, ibid., pp. 249-250. もっとも、これらの訴えの権限は一度も行使されていな い。
85 Ibid., p. 270.
86 兼子・前掲注13、235頁、注(5)。
87 同法律により、権限裁判所(tribunal des conflits)も創設されている。
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(souverainement)判断を下す」。あらゆる裁判所と同様、「フランス人民の名において」自 ら裁判することになったのである88。
なお、同法律により、あらゆる行政の行為に対する取消訴訟として越権訴訟を法定され、
越権訴訟が明文上の根拠を得たことも同法律の重要な意義である。さらに、ここで想起され るのは、大臣=裁判官制の帰趨であろう。同法制定から遅れること 10 数年、1881 年から 1889 年にかけての一連のコンセイユ・デタ判決、とりわけ1889 年のカドー判決 89におい て、大臣=裁判官制は明確に放棄されている90。
第2項 立法者の意図
当時の司法大臣デュフォール(J. Dufaure)が述べた 1872年法律——デュフォール法律 とも呼ばれる——の法案理由書は、コンセイユ・デタの判断の効力につき、次のように述べ ている91。
「政府は、すでに、過去の立法によって確立された、よき裁判(une bonne justice)の保障を 全うするという提案を躊躇することはない。それは、コンセイユ・デタに固有の裁判権限(le droit de juridiction)を与えることによってであり、コンセイユの判断に判決の価値を付与 することによってである。…コンセイユ・デタ争訟部の判断は、執行権の長による裁可を得 て初めて権威(autorité)を有し、執行権の長は異なる判断を下す権限を有するという制度 を維持するために引き合いに出されてきた理由づけは、もはや我々に確信をもたらすもの ではありえない。…結局、実際のところ、コンセイユ・デタの提案する結論は修正されたこ とが一度もなかったのである。この事実は、コンセイユ・デタに固有の裁判権を付与するこ とで、行政の独立が脅かされるという危惧は空想にすぎないことを証明している。」(下線部 引用者)
9条可決の際、いかなる異議もなかったという述懐からは92、上記の法案理由書の考えが 立法府において広く支持を集めていたことがうかがえる。コンセイユ・デタの判断は、国家 元首による裁可を待たずとも、判決としての価値を有し、それによってこそよき裁判は実現 するというのが1872年法の含意といえよう。また、別の側面からも、かかる立法者意思を
88 J.リヴェロ著、兼子仁・磯部力・小早川光郎編訳『フランス行政法』(東京大学出版会、1980
年)147頁。
89 C.E., 13 décembre 1889, Cadot, Rec., p. 1148, concl. Jagerschmidt ; G.A.J.A., p. 36.
90 カドー判決および同判決に連なる二判決の事案の概要、判旨につき、神谷・前掲注6、70-74 頁参照。
91 E. Laferrière, op. cit., t. 1. Livre 1, pp. 270-271.
92 Ibid., p. 272.
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読み取ることができる93。すなわち、立法府は、コンセイユ・デタ判決の権威を強化する必 要性を認識し、同法22条によって、コンセイユ・デタ判決への執行文の貼付を規定してい る。なお、同条は、コンセイユ・デタ大法廷判決など限られた判決にのみ適用していたが、
1900年8月4日のデクレにより、争訟部の課および複数の課での判決にも拡大される。判 決文がなければ執行義務が生じないわけではなく、また、執行文が新たな義務をもたらすわ けでもないが、執行文は、既判事項の効力を積極的に尊重する義務というものが、任意の行 為ではなく、まさに果たすべき(impérieuse)法的義務であることを行政に想起させるもの として期待されていた94。
第2款 判例・学説の展開
かかる立法の後ろ盾を得たコンセイユ・デタは、しかし、今日的な言い方をすれば、既判 事項の効力の客観的範囲を、留保裁判下に比べ、大幅に縮小させることを選んだ。判決時の 権限の放棄を自ら選びとっていくのである(第1項)。それを支えた学説の理論は、後世の 行政法学者への課題を突き付けるものとなる(第2項)。
第1項 コンセイユ・デタの抑制的態度
Ⅰ 取消判決の変化
1872 年法制定以後、コンセイユ・デタは、明らかに、付託された行為の取消の宣言のみ を自らの権限として認めるようになる。係争行為を修正すること、取消の帰結を明示するこ と、とるべき諸措置を命じることを断固として拒否するのである。判例を挙げればきりがな いが、例えば、以下のような判示がコンセイユ・デタの判例政策を際立たせる95。
「1790年10月7-10日法律および1872年5月24日の法律9条に基づきコンセイユ・デタ に付託された行政行為を取り消すに際し、当該取消の帰結となりうる諸措置を命じること はコンセイユ・デタの職掌にはない96」。
93 M. Kellershohn, op. cit., pp. 50-51.
94 なお、留保裁判下では、国家元首のデクレかオルドナンスの形式で判断が下されるため、執 行文は必要がなかったとされる(P. Montané de La Roque, op. cit., p. 382.)。
95 そのほかの判決は、cf. P. Montané de La Roque, ibid., p. 339;A. Mestre, op. cit., p. 63.
96 C.E., 25 avril 1873, Abbé Dauphin, Rec., p. 349;C.E., 18 mai Brissy. Rec., p. 492, concl.
Marguerie;C.E., 13 juillet 1877, hospices de Gray c/ le département de la Haute-Saône, Rec., p.
410;Cf. C.E., 7 mai 1880, Capgras et Stuber, Rec., p. 427.
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「処分の取消がもたらしうる諸措置を命じてもらうためには、当事者は行政の前へと身を引 かなければならない(se retirer)97」。
論告担当官もまた同様の言明を残している。曰く。
「判決の執行を確実に行うべきは大臣であり、越権訴訟において、あなた方は付託された行 為の取消にとどまるべきである98」。
そして、コンセイユ・デタは参考としてでさえ、取消の帰結であるべき積極的措置につい て意見を表することを拒否し99、原告による取消の帰結の明示の申立ては不受理とされる こととなる100。
かかる姿勢は実に1世紀以上にわたりコンセイユ・デタの判例政策を規定するのである が、その過程においては、地方行政裁判所による広範な権限の行使をいなすことさえあっ た。すなわち、係争行為を取り消しうえに、行政に原告に対する受益処分の発布を命じた レンヌ地方行政裁判所の判決を、コンセイユ・デタは、職権により取り消したのであ る101。無権限と同じレベルに位置づけられる公序に属する取消事由(moyen d’ordre pub-lic)を生じさせるほど、行政に対するアンジョンクションは重大な瑕疵とみなされたこと になる102。
以上のコンセイユ・デタの態度からは、取消判決後の行政の行為に関する無関心を読み取 ることができる。要するに、「越権訴訟を審理するコンセイユ・デタの職掌にあるのは、た
97 C.E., 16 janvier 1874, Frères des écoles chrétiennes de Levallois-Saône, Rec., p. 43.
98 Marguerie, concl. préc., (note 96), p. 487.
99 Cf. P. Weil, Les consequences de l’annulation d’un acte administratif pour excés de pouvoir, thèse, Pedone, 1952, p. 168;C.E., 24 février 1899, Viaud, dit Pierre Loti, S., 1899, Ⅲ, p. 105, note Hauriou.
100 C.E., 28 juillet 1876, Commune de Giry, Rec., p. 714.
101 C.E., 17 avril 1963, Ministre des Anciens Combattants et Victimes de Guerre c/ Faderne, D., 1963, Ⅱ, p. 689, note L. di Qual. 平田・前掲注59、147頁によると、委任裁判への移行後も、
地方行政裁判所はしばしばアンジョンクション権限を行使していたという。
102 A. Mestre, op. cit., p. 64;F. Moderne, Étrangère au pouvoir du juge, l’injonction, pourquoi le serait-elle ?, R.F.D.A., 1990, p. 809 は、公序としての位置づけが、アンジョンクションの禁 止原理の価値を不当に上げることにつながり、神話化した(mythifiée)と指摘する。
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だ係争行為を取り消すことだけ 103」なのであり、取消の帰結を引き出す職責は行政に帰す ることになる104。後学のつぎの言明は、そのことをよく示している。
「コンセイユ・デタは、行為命令を慎むことにより、行政の特権および自立に対する、短気な
(chatouilleuse)行政の傷つきやすさ(la susceptibilité)を配慮した。いわば、『我々はあな た方の諸行為のひとつにつき違法を確認しました。我々の役割はここまでです。この先は、
あなた方にゆだねられています』とでもいうように。コンセイユ・デタが行政を自由にすれ ばするほど、行政による執行は任意的なものとみなされていく105」。
最後に、以上のようなコンセイユ・デタの自主規制(autolimitation)106を前に想起すべき は、同時代における活動行政に対する統制そのものの発展であろう。取消の対象および訴え の利益の拡大107、取消事由の発展108、分離しうる行為の理論の確立109など、19世紀末か ら20世紀初頭にかけての越権訴訟における統制手段の強化は高く評価されている。である からこそ、裁判官による判決時の権限の制限の不当性は際立つともいいうる。「適法性審査 がより具体的になったとしても、取消の帰結は的確にとらえるのが極めて困難なままであ った 110」といわれる所以はここにある。審理過程における行政行為への統制強化と、判決 時における裁判官の権限の制限とは、越権訴訟の発展にとって対極をなしていたのであ る111。
Ⅱ 取消判決の道徳的権威
103 C.E., 8 août 1896, Compagnies des vateaux à vapeur de la Guadeloupe et conseil général de la Guadeloupe, Rec., p. 655.
104 A. Mestre, op. cit., p. 62.
105 P. Weil, op. cit., p. 61.
106 F. Blanco, op. cit., p. 108.
107 19世紀後半の立法・判例により、一定条件下での地方公共団体納税者の原告適格および比 較的広範な利害関係人の原告適格が既に肯定されていたことについて、亘理格「フランスにお ける国、地方団体、住民(3)~(5・完)」自治研究59巻9号、10号、11号(すべて1983 年)参照。
108 第2章第1節をも参照。
109 C.E., 4 août 1905, Martin, Rec., p. 749.
110 A. Perrin, L’injonction en droit public français, thèse, Éd. Panthéon-Assas, L.G.D.J., 2009, p.
397.
111 Cf. A. Perrin, ibid., pp. 590-592;J. Allier, De l’obéissance due par l’administration active à la chose jugée par la juridiction administrative, thèse, Paris, 1923, p. 22.