〜中長期間の支援方策〜
大阪大学大学院 人間科学研究科 教授
渥 美 公 秀
筆者は、阪神・淡路大震災で被災して以来、国内外の被災地で、災害ボラン ティア活動の現場に参画しながら実践と研究を積み重ねてきた。本稿では、中 期的な被災地支援の事例として、2004年の新潟県中越地震で被災した小千谷市 塩谷集落で行ってきた活動・研究を採り上げる。また、長期的な支援方策につ いては、複数の被災地をつないできた「被災地のリレー」(渥美, 2014)を採 り上げ、その含意について考察する。
第1章 中期的支援方策:災害復興過程における災害ボランティア
我が国で、災害NPOや災害ボランティアが、災害復興過程に関わることが とりわけ注目されたのは、2004年の中越地震であった。例えば、中越地震を契 機に、日本災害復興学会が設立され、災害復興と災害NPO・ボランティアに 関する議論も緒に就いた。昨今では、米国サンタクルーズにおける物語復興と いった災害復興に関するユニークな事例も紹介され、筆者らも長期的な参与観 察研究や理論的考察などを世に問うてきてはいるが、未だ災害復興に関する学 知は十分ではないというのが現状であろう。
災害復興は、災害救援に接続する「過程」であり、両者の間には明確な分断 はないと考えることができる。実際、「今日までは救援、明日からは復興」
などということはない。災害救援と災害復興は、連続した一連の過程である。
だとすれば、災害復興過程においても、災害NPO・災害ボランティアは、初 動時と同様の姿勢をもって様々な活動に取り組む。このことから、災害ボラン ティアは、災害復興過程においても、被災者の傍にいて、臨機応変な対応を行 うといった緊急時と同様の持ち味を発揮することができる。
一方、災害復興は、緊急救援とは質的に異なる事態であるとも考えることが できる。緊急救援活動は、その名称通り、平常時とは異なる緊急時の、いわ ば、当座の支援活動であるのに対し、災害復興過程は、緊急時を経て平常時に 戻りつつある場面が対象となる。災害復興過程においては、当該被災地におい て、被災前にどのような活動が営まれており、どのような課題に直面していた のか、歴史・文化的にはどのような活動があるのか、伝統行事、習俗、民俗に はいかなる特徴があるのかといった地域の文脈を踏まえて、いわばじっくりと 取り組む活動ということになる。そこには、初動時とは異なる姿勢が求められる。
確かに、災害復興は、被災前から存在する文脈に沿って行われるのだから、
被災地の住民が展開すればよく、被災地外部からやってくる災害NPOや災害 ボランティアは不要であるという論理は成立するかもしれない。しかし、ここ
1234567公募論文参考資料 に災害NPO・災害ボランティアの見逃してはならないもう1つの側面が存在
する。
災害NPO・災害ボランティアは、災害復興過程に関わる場合、外部者ゆえ に、その地域の文脈を新たに学び、住民が主体となった復興を傍らで支援して いくことになる。外部者であるから、その地域で暗黙かつ自明になっている ような事柄も、自明なこととしては理解できないし、理解できないから尋ねた りする。また、地域の住民が、身体では知っているが、言葉にはできない(し ない)ままでいることについて、外部者である災害NPOや災害ボランティア は、一見、意外な言葉で表現することがある。例えば、行政依存という暗黙か つ自明の前提に支配されていた過疎集落が被災し、災害ボランティアがその復 興過程に関わっていく中で、行政依存という前提が崩れ、住民が主体となって 様々な活動が展開している事例がある。無論、災害ボランティアは、「行政依 存から脱却しよう」といった言葉を発したわけではなく、様々な代替選択肢を 遂行したり、提示したりすることによって、集落の住民が、知ってはいたけど 言葉にしていなかったことを呼び覚まし、集落に変化をもたらしていったので ある(宮本・渥美・矢守, 2013)。
災害NPOや災害ボランティアは、災害復興過程において、地域に新たなア イデアや言葉や活動を代替選択肢として提示することができる。これが被災地 支援における中期的な支援方策の一例である。新たな代替選択肢を提示してい くことは、ついつい住民の生活と懸け離れてしまいがちな災害復興過程におい て、より重要性を帯びるであろう。
1.事例
ここでは、2004年の中越地震から10年以上にわたり、筆者が関わり続けて きた小千谷市塩谷集落の事例を紹介し、被災者の意味世界の創出・維持・変 容におけるメタファーの機能について検討する。「復興支援活動において、
メタファーの生成力を活用できないだろうか?」というのが筆者の問いであ る。アメリカの社会心理学者Gergen(1982)は、慣習的な理解の枠組みを脱 することを促すような理論的展開を導くための手法の一つとして、新しいメタ ファーの探求を挙げている。例えば、仕事をアメリカンフットボールというメ タファーで語る場合には、クォーターバックを中心に、フォーメーションを事 前に緻密に整えることに言及し、仕事は計画的に進めていくという理解に落ち 着くだろう。ところが、同じ仕事をラグビーというメタファーを用いて語って
みると、むしろ、計画性という慣習的な理解の枠組みが崩れ、臨機応変に対応 することが話題の中心になったりする。このことから、メタファーは、既存の 認識を変化させる機能があると考えてよかろう。また、最近の研究(Gergen, 2009)では、メタファーによって認識が変わるだけでなく、行動も変化するこ とが指摘されている。このようにメタファーによって、認識や行動にも変化 が生じることをメタファーの生成力(generative power)と呼んでいる。メタ ファーの生成力の可能性を見据えて展開してきたアクションリサーチを紹介し よう。
2.塩谷分校におけるメタファー
小千谷市塩谷集落では、2008年度に、筆者らを呼びかけ人として十数回にわ たるワークショップを実施した。その結果、塩谷集落が復興に向けて主体的に 関わる力を養うことを目的として、「塩谷分校」が開設された。塩谷分校は、
有志の会として成立しているが、集落を統一された共同体として捉える考え方 と、有志による活動は、時に様々な葛藤を顕在化させることもある。塩谷分校 では、冬期に地域の習俗などについて専門家の話を聴く座学がある。例えば、
2009年1月には「雪がエネルギーになる」と題した講演が行われた。一方、雪 のない期間は、住民が教える側に立ち、集落を訪れる災害ボランティアに、農 作業などを教える。例えば、毎年5月には、田植え交流会が催される。行事計 画は、随時開かれる定例会で決定される。実際には、参加する住民が減少した り、座学が途絶えたりするなどの問題も生じているが、現在も活発な活動が行 われている。
この事例では、「分校」というメタファーが存分に活用されている。活動を 開始した当初から、分校の代表となる住民は、「生徒会長」と呼ばれ、毎回 の行事を担当する住民は、「日直」であり、行事の後の懇親会は、「給食係」
が担当してきた。生徒会長と呼ばれることによって、全体をまとめていく責任 が自覚される。また、日直は、輪番制なので、代表以外の様々な住民が責任 をもって関わる機会が開かれる。また、懇親会では、給食係が「いただきま す!」と宣言することによって食事が開始され、堅苦しい挨拶など虚礼を排除 できる。
ここで特に注目したいのは、メタファーが、住民自らの主体的な活動を誘発 してきていることである。まず行われたのは、「卒業式」である。集落に関 わる災害ボランティアは、地元の長岡技術科学大学、および、大阪大学、関西
1234567公募論文参考資料 学院大学、立命館大学などの学生が多い。三月になると大学を卒業するととも
に、集落との関わりも途絶してしまう。そこで、塩谷分校では、集落内での活 動をともにしてきた学生ボランティアを塩谷分校からも卒業させることにな り、卒業式を行い、「卒業証書」を手渡している。また、卒業生となった元学 生ボランティアは、「同窓会」を結成し、社会人になってからも、今度は同窓 生として集落を訪ねる機会を維持している。さらに、卒業式での音楽演奏は、
「軽音部」が担っている。なお、まだ実現はしていないが、親睦をより深める ために、温泉旅行を「遠足」として実施しようという声も出ている。
3.メタファーによる復興支援活動
メタファーとは、ある物事の名称を、類似してはいるが別の物事を表すため に使う言葉で置き換えることである。その際、二つの言葉の関係については、
予め、話者達の間で共有の理解を得ていなければメタファーとして機能しな い。つまり、別の物事を表す言葉として、あまりに突拍子もない言葉が持ち出 されると、誰も両者の関係を理解できず、メタファーとしての役割は果たせな い。したがって、メタファーは、うまく作用した時には、お互いに共同性を承 認し合い、お互いに住むことのできる共同の世界を作り出す。
塩谷分校の事例で見たことは、メタファーの共同性の確認と変革の機能を活 用した活動であった。中越地震から時間が経つにつれ、塩谷集落では、復興 への希望が募ると同時に、うまく行かないという不全感も漂っていた。住民達 が、筆者らのワークショップに集ったのも、閉塞感に満ちてきた集落を何とか 変革したいという思いからであった。ただ、何かしたいという気持ちはあって も、自分たちではなかなか動くことができないのが現状であった。そこへ、塩 谷分校という名称が飛び出し、学校というメタファーが導入された。塩谷分校 に集う有志は、学校に通うという共通の経験をもち、学校に備わる様々な役割 などには精通していた。そして、塩谷分校という学校に通う塩谷住民という共 同性を確認していった。そして、学校というメタファーに導かれて、次から次 へと、アイデアを出し、実行に移していった。
塩谷分校という活動では、分校という学校のメタファーを導入したことによ り、学校であれば通常見られる活動が、次々と思い浮かび、集落の復興という 文脈で実施されている。ここで重要なのは、卒業式、同窓会、軽音部、遠足と いった活動は、住民主導で導き出されたということである。実際、筆者ら、復 興に関わってきた災害ボランティアや研究者の役割は、集落の有志とともに考