第三章 教育における美的なもの
第二節 芸術教育の現代的課題と可能性
1. 現代の子どもたちに必要な教育
音楽教育学者であるジェームズ・:L・マーセルは、『教育は、有意義な経験に よって行われるという理念は、近代教育思想の一つの中心点である。人の心を魅 了するような経験によって学習が行われている場合は、大事な何物かが心に残る。
そのような経験により、人は新しい事柄や自分の新しい可能性に気づくようにな る。さらに、新しく生まれた意欲によって、子どもたちの物の見方や考え方が進 歩し、物事の価値の基準が変わってくる。これが、本当の教育である。』と述べ ているω。このように、子どもの心に何かを残すような教育を構成するとき、美 的なものが作用する。
最近の学校教育では、 「ゆとり教育」と言われていたものの、授業数にゆとり を持てば、次は「学力低下」だとも言われている。社会にでるためには、ある程 度の知的能力も必要である。しかし、それだけでは社会の中で生きてはいけない。
しかし、 「ゆとり教育」を設けたところで、子どもの人間性を育むといった確信 には至らないように思う。第一節で述べた感性と知性が統合されてこそ、そして それを経験することによって最良の人間が造られるゐであり、ここでも同様のこ
とが言える。
学歴社会である現代、美術や音楽といったいわゆる服教科とよばれるものは、
子どもたちにとって消極的になりがちな教科である。本来では、これらの教科が 人間形成にとってもっとも重要とされるものであるのに、周りの大人や環境が子 どもたちに先入観をもたせているのである。それでは、どのような芸術教育が人 間形成にとって求められるのか。
ドイツの教育学者グラフキーは、陶冶論的視点より考察している。彼は、陶冶 つまりある個人が持って生まれた性質を完全に発達させることは、文化的意味内 容を通して人間の内面的形式が形成される過程であり、現実の内容に対して自己 自身が開明される過程である②。この内容の中には、表現する技術やイメージ、
存在についての反省点などが含まれる。それゆえに、教育の場で考えると授業の 中での自己探求・自己反省の過程が、正当な位置に構成されねばならない。この ことから芸術教育に求められることは、芸術に対する純粋性、そして自己反省・
自己探究の過程を重視することである。ここでも、自己の反省が重要視されてい る。やはり、自己を省みることは、人間形成されていく中で必要不可欠な行為な
のである。
このような芸術教育を構成する手がかりとして、ドイツの芸術教育学者オット ーは、芸術教育構想から考察している。彼の構想とは、授業の中に存在する芸術 を過程の一貫であることを確認する。そして、その中で教師によって形づけられ たものであれ、芸術の過程は構造化が可能であるとする。この構造化された中で こそ、子どもの生の営みを有する探求的模索という構造を導き入れることが可能
なのである(3)。
このような構造の授業を可能にするために、実践的な面では、①授業の中での 造形的表現を柔軟に再構成する。②授業の中での材料・素材といった「質」を評 価する。これらの事柄を含んで、生徒自らが造形芸術に導かれると同時に、世界 との関係の確立と選択へと導かれ、開かれていくような授業を形づくる必要があ
る。
子どもは、明確な形で芸術作品を制作しようとすることは少ない。それは、芸 術に従っているのではなく、作品をある対象物として扱い、対象物自体に向かい 合うのである。子どもは、何が描かれているのか、何が演奏されているのかに目 をやるのではなく、どのように描かれ、演奏されているのかに興味を持つのであ る。ここで、造形芸術の材料・素材に出会うのである④。材料・素材によって何 かを表現することが可能だということを知り、表現することへと繋がっていく。
この材料・素材の意味の発見を通して、子どもたちは成長への過程で造形表現が、
世界との関係の確立を見出していく。
19世紀末、西洋美術史上造形表現の中で、 「写す」という行為から「写す」と
いう行為を許容し得るような「表現する」という行為へと転換された(5)。この
「表現」の発見は、芸術の面だけにとどまらず、造形芸術の中で模索するという 行為を生み出すことにもなった。このことは芸術教育上、最も重要な意味をもつ のである。子どもたちが、探索的模索をすることで、自己で受け止めた印象、体 験、感覚などを芸術作品の質を基に、少しずつ表現し始める。そうすることで、
世界に対する自己との関わり方を、そして対象化する手段を発見していくのであ る。それが、子どもたちが人間形成されていく過程の中で重要となるのである。
2.子どもの可能性
人間は、祖先から代々にわたり物を作りだし、文化を造りだし、そして人間が 作り上げた常識やそれをとりまく様々なものに影響を受けながら発達をとげてき
た。
心理学者たちは、人間の本能や欲求の中に、探索本能、模倣本能、建設本能な どがあるとし、また目的を成就したいという欲求、自己を充実したい欲求などが あるとしている。これらの本能や欲求が、人間の創造的な面の原動力となる(6)。
子どもにおいても同じことが言える。それは、子どもは、人間としての本能や欲 求をもっており、創造性を可能性としてもっている。この可能性を引き伸ばして やることが教育の主要な事柄である。
子ども一人ひとりを、評価基準で評価するのではなく、過去、現在、未来とい うように、子どもの成長過程について見て行くべきなのである。そこから、人間 的な成長における芸術の果たす役割や大人のすべきことを知ることができる。
美術による人間形成を研究していう教育学者ローウェンフェルドは、成長過程 を、種々の要素ごとに区分して記述している。①情動的成長…情動的に解放され ていない子どもは、模倣という型にはまった表現をする。解放されるとともに、
自己の経験からの創造的な表現をするようになる。②知的成長…知的成長だけが
先行してしまえば、表現を抑制することになる。情動的かっ知的といったバラン スが必要である。③身体的成長…身体が統御され技能が優れ、同一化されればよ い表現ができる。④社会的成長…自己の経験を省みることで、他者とも同一化で きるようになる。⑤知覚的成長…運動感覚的経験をつかむようになり、変化を見 ることができる。そして、今回、取りあげた、⑥美的成長…すべての形式の創作 という行為の中に含まれる。論理的く知的といった形式を押し付けるのではなく、
客観的空間に感覚を適応させていく。⑦創造的成長…子どもは創造性を、自己表 現に用いる。この表現は、低度なものから高度なものまで様々であるの。このよ うな成長要素を考慮して、子どもたちの創造性を育むことについて考えていかね ばならない。
註
ωジェームズ・L・マーセル、『音楽教育と人間形成』浅香淳訳、音楽之友社、
1983年。
(2)小笠原道夫 『教職科学講座 第1巻 教育哲学』福村出版、1991年、201頁。
(3)同上書、199頁。
(4)同上書、202頁。
(5)同上書、203頁。
(6)木村信之 『創造性と音楽教育』 音楽之友社、1980年、30頁。
ω同上書、282頁。
終章
美の経験によって育まれる子どもの創造性
本研究の問題として、目的合理性、計画可能性、効率性の追求などの社会また は教育の中で生きている、現代の子どもたちには、,生きていくために重要とされ る思考や発想の柔軟性、創造性が欠けているのではないか。そして、このような 問題は、社会で生きていくことを阻め、それだけではなく、教育現場でのいじめ、
不登校などといった事柄を引き起こす可能性があるのではないか。
このような現代の子どもたちは、社会で生きていくために、いかにして子ども に必要とされる想像力を育むことができるのかという事を、美的人間形成論の観 点から考察した。
美的経験とは、日常生活の中で生じた様々な経験:において、創造性や想像力が 加えられることで、新たな経験へと発展したときに生じたと言える。そして、そ の新たな経験から、未知の自己を見出すことができるのである。また、美的経験 をすることで、必然的に創造性をも育むことになる。それは、美を感じることで もう一人の自己と出会い反省する、この行為の中で自然に創造している自己が存 在しているのである。創造性は、美的経験の過程のなかで主要なものなのである。
経験というものは、外と自己との相互作用である。つまり、他者や外の環境な しには成立することはない。ここで、モレンハウアーが試みたメタファー的形式 から見ることができる。美的作用は、第二章で述べたようにあるモノに対する個 人の反応を、言葉、音、記号を利用して記述することにかかっている。他者に、
自分の経験内容を伝えるとき、言語的なメタファーや絵や音による共鳴の記述を する。この記述をする行為こそが、美的経験を引き起こしているω。このような 美の経験こそが、現代の子どもたちに必要な創造性を育てることとなる。そして、
最も重要な経験であるとともに、他の経験と異なる点である。
第三章では、子どもたちに必要な教育について触れたが、創造性を育てる教育 というものは、具体的には教師が教材を選ぶときの配慮の仕方や、学習過程のあ