−「奄美/沖縄」の境界性‑
はじめに
本章では「奄美/沖縄」の境界の場として沖永良部島を捉え、島民の芸能文化面における アイデンティティを考察する。沖永良部島を含む奄美諸島は、「奄美」と一くくりされる 傾向があるが、奄美内部にも多様性があり、島ごとに個性がある。序章でも触れたが、奄 美の北部と南部の緩やかな文化的差異は、芸能、民謡音階、言葉、頭上運搬の方法などに みられ、南部はより沖縄に近いことが指摘されている。本章では、このような奄美内部の 境界の、特に芸能文化に焦点を当てる。
第三章、第四章でも示したように、沖永良部島民は、概して、行政区域の異なる「沖縄 の人」に対しては、他者として一線を画している(Takahashi 1997、2002)が、文化面で は、地域差、出自、経験、年齢層による違いに関係なく、多くの人が沖縄に対し親近感や 愛着を感じている。鹿児島出自の人でも、ウチナンチュ意識が低い 70 歳以上の高齢者たち でも、「沖縄の文化」に高い親近感をもっており、特に芸能に対してはその傾向が強い。
島の人々の会話では「エラブの文化は沖縄」という言葉をしばしば耳にし、その根拠に島民 は 沖 縄 の 芸 能 の 多 さ を あ げ る 。 確 か に 沖 永 良 部 島 に は 沖 縄 系 の 踊 り が 豊 富 に あ る 。 特 に 1993 年頃から盛んになったエイサーはその象徴であり、代表とさえいえる。沖永良部島で 育った筆者の子供の頃には見たこともない芸能であるエイサーが、「これまでエイサーが なかったのが不思議」とばかりに、自然に受け止められている。
筆者が 1996 年に沖永良部島に帰省した際は、エイサーブームで特に盛り上がっていた。
「アトランタオリンピックでエイサーを演じるのだ」と意気揚々と語る高校生、「エイサ ーの練習があるから」と同窓会の参加を断る同級生、まさに島はエイサーに沸いていた。
エイサーが演じられるようになって 10 年近く経った今では、日本本土の沖永良部島出身者 からなる同郷会組織「沖州会」のイベントでも「郷土の芸能」として演じられ、沖永良部 島の芸能として定着しつつある。エイサーという新たな芸能の受容のプロセスは、まるで
「砂地に水が染み入るよう」にスムーズであったといえよう。
以下では、沖永良部島の芸能を概観した後、芸能文化における北と南からの文化勢力のせ めぎあいの象徴である、エイサーの隆盛と八月踊りの衰微を説明していく。まず、芸能史 の観点から沖縄島から受けた芸能文化の影響を、歴史的な背景に焦点をあて、沖永良部島 が薩摩藩直轄領であった近世末に遡り、エイサー伝来までの歴史的な流れとエイサーの受 容の過程を説明していく。そして、このような芸能史のプロセスにおいて培われた結果と もいえる、エイサーが沖永良部島民に受け入れられる芸能文化の「素地」についてエイサ ーと既存の芸能の関連性から明らかにする。そして、エイサーの流行とは逆に、芸能史の 大きな流れの中で沖永良部の八月踊りが衰退し変化していく過程を考察する。
第一節 沖永良部島の民俗芸能の概観
奄美全体の中での民俗芸能1を概観すると、奄美北部と奄美南部では様相が大きく異なる。
芸能に欠くことのできない民俗音楽が、その印象の大きな違いを生み出している。奄美北部 の民謡は律音階が優勢なのに比べ、奄美南部は沖縄(琉球)音階が優勢である。
そして、奄美北部で盛んな「八月踊り2」が奄美南部にはないことが、北部と南部の大き な違いである。北隣の島である徳之島以北の奄美諸島で、夏から秋の年中行事で盛んに踊ら れる八月踊りは、かなり変化した形態で「遊び踊り」として現在手々知名集落にのみ残って いるが、奄美北部で踊られる八月踊りとは、芸態や演じられる脈絡など相違点が多い。また、
沖永良部島同様、奄美南部の島である与論島にも、八月踊りはない。与論島の代表的民俗芸 能には、国指定重要無形文化財の豊年踊り「与論十五夜踊り」がある。
「与論十五夜踊り」は、日本本土系の踊り 13 種目と「沖縄系」の踊り 18 種目で構成され、
琴平神社で年に 3 回、旧暦の 3、8、10 月の 15 日に行われる。沖永良部島には与論十五夜踊 りのような豊年祭の踊りは伝えられておらず、また与論島には集落ごとに伝承されている踊 りはみられない。沖永良部島と与論島は、奄美諸島南部で隣合っている島ではあるが、それ ぞれの芸能が演じられる脈絡や歴史的背景など多くの相違点がある。伝承形態も異なり、与 論の十五夜踊りは複数の特定の家が踊り子をだし、世襲制で受け継がれてきた3のに対し、
沖永良部島の民俗芸能は、血筋に関係なく各集落で集落の構成員によって踊りが伝承されて きた。
沖永良部島の民俗芸能の特徴は、沖縄系や日本本土系など、さまざまな種類の踊りが、集 落のシンボルとして集落ごとに個別に伝承されている点である。例えば畦布あ ぜ ふ集落の踊りとい
えば「獅子舞」、永嶺集落の踊りといえば「収納舞し ゅ う と ま い
(米)」があり、踊りは集落の誇りでもあ り、基本的に集落構成員が踊る資格をもっている。それらの踊りは、久志検集落の「チンカ ラ踊り」や上平川集落の「大蛇踊り」のように特定の集落にしか現存しない珍しい踊りや、
「フクラシャ」(御前風とも呼ばれる)、「仲里節」、「やっこ」のように複数の集落で踊られ るが、集落ごとに振り付けや動作が異なる踊りもある。
芸能は、年間をとおして踊りが演じられる機会が多い。「祝い」や「喜び」の象徴として 儀礼やイベントの中で重要な意味をもっており、島民の生活と深く関連している。定期的に 踊りが演じられる場としては年中行事やイベントがあり(表 4 参照)、また不定期的な場と しては、結婚式や生年祝いなどの場や島外からの客をもてなす歓迎行事などがあり、祝いの 場には必ずといっていいほど踊りはつきものである(表 5 参照)。沖永良部島の人々にとっ て、踊りは社会生活の中で重要な位置を占めているといえる。
表 4.定期的に芸能が演じられる行事(2000 年度の事例) (高橋 2001 より一部改訂)
月
行事の名称 踊りの種類
3 月 フリージアフェスティバル エイサー(琉球国祭り太鼓)
4 月 百合祭り 集落に伝承される踊り、エイサー(琉球国祭 り太鼓、えらぶ世の主うるまエイサー)
5 月 老人の総会 集落に伝承される踊り 5 月 農協(婦人会)の総会 集落に伝承される踊り 6 月
なちかしゃぬ唄と踊り
集落に伝承される踊り・エイサー(知名町エ イサー愛好会)
7 月 海人祭り エイサー(沖永良部高校エイサー隊)
8 月 みなと祭り ふるさと夏祭り
エイサー(沖永良部高校エイサー隊)
エイサー(知名町エイサー愛好会)
9 月 敬老会(各集落共同体行事) 集落に伝承される踊り(各集落でおよそ 20 題の芸能を出す)
11 月 文化祭 集落に伝承される踊り 11 月 農業祭 集落に伝承される踊り
表 5.不定期的に芸能が演じられる場(2000 年度の事例)(高橋 2001 より一部改訂)
1. 儀礼(喜びの象徴として)
・生年祝い(主に 85 歳、97 歳) フクラシャ、他
・結婚式 フクラシャ、やっこ他
フクラシャ、みやらび(瀬利覚)、花ぬかじも や(畦布)など…家の中及び墓前
・三十三年忌祭(祖霊が神とな ることを祝う最後の法事で
「祭りあげ」ともいう) みんぶち(ヒヤルガヨイサー)家から墓までの 道中の墓送り(ウンジャク)時
2.祝典行事の中で(島内で大イベントでの祝いの象徴として意味をもつ踊り)
例…和泊中学校新校舎完成祝い式典 エイサー(琉球国祭り太鼓)
例…和泊町中央公民館設立 50 周年記念式典 汗水節(5 集落から)
3. 歓迎行事の中で(島外からの客や老人をもてなす宴席で余興芸能として意味を もつ踊り)
例…正名集落「全国豊かな村づくり表彰事 業」査察団一行歓迎式典
フクラシャ、やっこ、他
例…「トゥループ号 110 年祭」在日カナダ大 使夫妻歓迎行事にて
イシシハカマ踊り、サイサイ節、
エイサー(知名町エイサー愛好会)
他 4. 教育機関の運動会、体育祭のマスゲームで
例…沖永良部高校体育祭 エイサー
このように、踊りをはじめとする芸能は社会生活に関わりが多いため、各集落には婦人 部長などの役職と同様、演芸部長という芸能の責任者の役職も設けられ、敬老会や農業祭 などの芸能を披露する必要のある行事のための窓口となり練習、準備など中心的な役割を 担う。
沖永良部島の伝承芸能の存続を支えているのは、各集落で催される年中行事「敬老会」
といえる。全島 42 集落で新暦 9 月 15 日に一斉に行われるこの年中行事は、70 歳以上の敬 老者を集落の公民館に招き、集落の人々が踊りを中心とした芸能でもてなす行事である。
敬老会は大正時代初期に和泊、手々知名集落で始まり、その後全島に年中行事として定着 した。各集落の共同体行事のなかでも最も大きな行事の一つであり、踊りが最も多く演じ られる年中行事である。出し物の芸能は各集落の伝承芸能を含め、琉球舞踊、日本舞踊な ど様々である。この日はどの集落の公民館からも踊りの曲が聞こえてくる。集落の規模に もよるが、一つの集落でおよそ 15〜20 演目の踊りが踊られるのであるから、単純に計算し てもこの日には沖永良部島で 630 演目〜840 演目の踊りが舞われていることになる。この 行事のために各集落の踊り手は、毎年、敬老会前の 2 週間、毎晩踊りを練習する。敬老会 当日の本番にそなえ、前夜には「支度見し」と呼ばれる、一種のリハーサルがあり、本番 の次の日には、「支度直し」と呼ばれる儀礼(後述)で、踊り納めをする。これが終わって、
はじめてこの年の敬老会が終了する。
沖永良部に沖縄より伝来した芸能の中で、新しいものにはエイサーがあることは先にふ れた。1993 年以降踊られるようになったエイサーは、沖永良部島民にスムーズに受け入れ られ大流行し、イベントのオープニングなど、何かにつけ演じられている。エイサーは、