私たちの健康維持に不可欠な清浄な空気や水は、森林や湿地、干潟等の生態系の浄 化機能により支えられている。大気や水質の汚染を表す基準となる値は大幅な改善 傾向にあるが、生態系による大気汚染物質の吸収量は全国平均で
30~44%ほど低下
している。 気候変動や生物多様性の劣化等の地球環境問題は、病原菌の伝染リスクの増加等を 通じて私たちの健康にも影響する。気候変動対策に貢献する森林の炭素吸収量は増 加傾向にあるが、温室効果ガスの排出量と比較して
2011
年にはCO
2換算でおよそ10
分の1しかない。 戦後進められたスギ植林の拡大は、花粉生産能力の高い
30
年生以上の面積が増加し た1960
年代後半から花粉症の患者数を増加させ、現在では全国で26.5%の人々がス
ギ花粉症であると推計されている。 自然とのふれあいは健康の維持増進に有用であり、うつ病やストレスの低下、血圧 の低下や頭痛の減少等、精神的・身体的に正の影響を与えると言われている。この ような効果は森林浴からも得られるとされ、近年では森林セラピーの取組も進めら れている。
表 III-4 自然とのふれあいと健康に関係の強い生態系サービスの評価
評価項目
評価結果 過去 50 年~ 備考
20 年の間
過去 20 年~
現在の間
オーバーユース アンダーユース
調整 サ ー ビ ス
気候の
調節 -
炭素吸収量と蒸発散量とも に増加傾向にある。なお、ど ちらの評価期間についても アンケートではやや減少と いう意見が多数。
大気の
調節 - -
NO2・SO2の吸収量は減少傾 向にある。ただし、評価期間
は2000~2010年である。な
お、アンケートでは評価期間 前半はやや減少、後半は横ば いという意見が多数。
水の調
節 - -
地下水涵養量は減少傾向を 示している。評価期間前半に ついては、アンケートでは減 少という意見が多数。
文化 サ ービ ス
観光・レ クリエ ーショ ン
レクリエーショ ンの種類や場所 によって異な
る。
(アンケートでは 拮抗)
評価期間前半において国立 公園利用者数が拡大。現在は レジャー活動の参加者とと もに減少傾向にある。なお、
評価期間後半については、ア ンケートではやや増加とい う意見が多数。
117
(1) 大気や水質と調整サービス
私たちの健康維持に不可欠な清浄な空気や水は、森林や湿地、干潟等の生態系の浄 化機能により支えられている。しかし、この除去能力の限界を超えて汚染物質が排出 されると、大気や水質の状態は悪化し、喘息や下痢等の健康被害、視界の低下や悪臭 の蔓延など生活環境の低下へと繋がる恐れがある。わが国はかつて、大気汚染や重金 属汚染による重大な公害問題、湖沼や沿岸の富栄養化など、大気や水質に関わる様々 な課題を経験した。この反省を踏まえ、1970年代以降、法案の整備や汚染物質の総量 規制等の取組を進めてきた結果、現在、大気や水質の汚染を表す基準となる値は大幅 な改善傾向にある(図 III-24 及び図 III-25)。しかし、特に大都市周辺では、未だに 大気汚染や水質汚濁の基準値を満たしていない場所もある。このような地域では、汚 染物質の排出を削減することが第一の対策であるが、同時に汚染物質の浄化を進める ためのインフラ整備、そして「グリーンインフラ」としての生態系サービスの活用も 検討していくことが重要である。
本評価によれば、この大気や水質の浄化という生態系サービスの全国的な傾向とし ては、近年は低下しているものと考えられる。まず、大気の浄化については、付属書
p80~83
のように汚染物質の吸収量を汚染物質濃度と植物の一次総生産量から推定した。これは
2010
年の値を2000
年と比較したものであるが、その結果は地域により傾 向は異なるものの、全国平均でNO
2は30%ほど、 SO
2は44%ほど低い値を示している
(図 III-26 及び図 III-27)。また、水質の浄化については、全国的な分析事例も限ら れており、本評価でも分析できているわけではないが、生態系による窒素の吸収量を 物理モデルにより分析した研究では、1991 年と
2009
年を比較して、7%ほどサービ スの低下があることが報告されている1)。さらに、物質の吸収という観点からは、森林等による温室効果ガスの吸収も気候の 調整に重要な役割を果たす。本評価において、付属書
p76~77
のように森林の成長量 と各係数を用いて森林による炭素吸収量を評価したところ、長期的には増加傾向にあ ることが示された(図 III-28)。しかし、炭素吸収量は増加しているとはいえ、温室効 果ガスの排出量と比較すると、その値は極めて小さい。2011年の温室効果ガスの排出量約3億
7,000
万t(t-C
換算)に対し2)、近年の炭素吸収量はおよそ10
分の1に過ぎない。排出源の対策はもちろん、炭素吸収量を増加させるために植林や森林整備等の 活動を進めていくことも必要であろう。なお、間伐等の森林整備は汚染物質の吸収に 対しても正の効果がある3)。大気汚染や水質汚濁は地域性が高いものであり、汚染濃度 の高い地域や下流域において、特に森林の浄化能力が期待される。生態系サービスの 多面的な活用という視点からも、浄化能力等の他のサービスも考慮しつつ、森林整備 の優先順位を決めていくべきであろう。
118
出典)国立環境研究所, 環境数値データベース より作成.
図 III-24 大気汚染(NO2・SO2濃度)の全国年平均値 の推移
出典)国立環境研究所, 環境数値データベース より作成.
注:1978年から1994年にかけて低いCODが示されている が、これは評価方法によるものであり、この期間は比較 的高いCODを示す観測点において観測値がないことが 原因であると考えられる。
図 III-25 水質汚濁(BOD・COD)の全国年平均値の 推移
図 III-26 NO2吸収量の変化
(2000 年と 2010 年の比較)
図 III-27 SO2吸収量の変化
(2000 年と 2010 年の比較)
0.000 0.010 0.020 0.030 0.040 0.050 0.060
1971 1973 1975 1977 1979 1981 1983 1985 1987 1989 1991 1993 1995 1997 1999 2001 2003 2005 2007 2009 2011 2013
ppm
NO2濃度 SO2濃度
0.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0 7.0 8.0 9.0 10.0
1971 1973 1975 1977 1979 1981 1983 1985 1987 1989 1991 1993 1995 1997 1999 2001 2003 2005 2007 2009
mg/l
BOD COD
119
出典)林野庁, 森林資源の現況より作成.
図 III-28 森林による炭素吸収量の推移
(2) 生態系の改変による健康へのリスク
過剰な汚染物質による大気や水質の悪化以外にも、気候や生態系の改変は人々の健 康へのリスクを招く。たとえば、気候変動によるネッタイシマカやハマダラカ、ヒト スジシマカなど感染症を媒介する蚊の個体数増加や生息域の北上等は、マラリアやデ ング熱等の熱帯に多い病気の拡大の可能性を高めると考えられる。
都市部における近年の気温上昇には、気候変動のみならずヒートアイランド現象も 影響している4)。このようなヒートアイランド現象に対しては、緑地の有効性が示され ており、例えば、皇居の中心は東京駅周辺に比べて約5℃も気温が低いという報告も ある5)。このような研究を踏まえ、本評価においても、緑地等からの蒸発による潜熱効 果を表すものとして蒸発散量の変化を分析した。その結果、地域により傾向は異なる ものの、全国平均でおよそ2%増加していることがわかった(図 III-29)。
戦後進められたスギ植林の拡大に伴い、花粉生産能力の高い
30
年生以上の面積が増 加した1960
年代後半から花粉症の患者数も増加しており、現在では全国で26.5%の
人々がスギ花粉症であると推計されている6)。これは植林によるスギ林の面積拡大が進 んだことによる生態系の「ディスサービス」とも考えられるであるが、概して、生物 多様性の低下は動物媒介性の病気の伝染リスクを高めると考えられている7)。近年の研 究でも、捕食者の減少が病原菌の拡大リスクを増加させたり、一方で宿主の多様性が 病原菌の伝染率を低下させたりすることが報告されている7)。さらに、外来種の拡大も新たな病気の引き金となり得る。イネ科の外来牧草やオオ ブタクサ等のブタクサ類は、初夏~秋にかけての花粉症を誘発し、その経済的な負担 は年間約
700
億円に上るとも言われている8)。また、未だ国内野外個体での感染例はな いが、アライグマに寄生するアライグマ回虫は、人間を含む他の動物が感染すると、致死的な影響を及ぼすとされる9)。
(500) 0 500 1,000 1,500 2,000 2,500 3,000 3,500 4,000
万t-C/年
炭素吸収量(人工林)
炭素吸収量(天然林・その他)
120
図 III-29 蒸発散量の変化
(1976 年と 2009 年の比較)
(3) 生物多様性や生態系による健康への貢献
自然とのふれあいは健康の維持増進に有用であるとも言われている。図 III-30は地 域の自然度と身体・精神の不健康度を表したものであるが、自然度が高いほど双方と もに不健康度が低いことが見て取れる。また、近年の研究では、自然とのふれあいが うつ病やストレスを低下させたり、自尊心やバイタリティを向上させたりするなど精 神的に好ましい影響を与えるとともに、血圧の低下や頭痛の減少、脈拍の安定化など 身体的にも正の影響を与えることが示されている10)(BOX III-2参照)。さらに、生活 環境における生物多様性はアレルギー物質に対する免疫システムの確立に貢献し、体 内の腸内細菌の多様性は肥満や喘息等に影響を与えるという研究事例も報告されてい る7)。
生物多様性はレクリエーションや景観の価値を高め、私たちの精神的な充足に貢献 することもある。これまでの研究では、植物の多様性がその草原を美しいと感じる気 持ちを高めるというような事例や11)、良い状態のサンゴ礁や魚種の多様性がダイビング の経済価値を高めるというような事例が報告されている12)。わが国においてはハイキン グや釣り等の野外レジャー活動の参加者は減少傾向にあるが(図 III-31)、一方で、魚 種の多様性が高い河川では、釣りや遊泳の人口が多いという研究結果もある13)。近年は 少し減少傾向にあるが、過去
50
年という長期で見れば、国立公園数の増加に伴い、自 然豊かな国立公園を利用する人も増えていることがわかる(図 III-32)。また、わが国ではドクダミやセンブリ、ゲンノショウコ等様々な野草を医薬品とし て昔から活用している14)。医学が発達した現代においても、生物に由来する多様な遺伝 資源を医薬品の開発に活用しており、たとえば国内においては、古くから色素として