第 3 章 自主管理企業の労働需要
1.はじめに
この章の目的は、①労働者自主管理社会主義をとるユーゴスラビアの労働需要 の特徴を明らかにし、②それが同国の雇用失業情勢にどういった影響をあたえて いるかを検討することである。
ユーゴは戦後の一時期
( 1 9 4 8 ‑ 5 3
年)と1 9 8 0
年代を除いて、年平均実質経済成長 率6%
以上を達成してきた。にもかかわらず、失業率は一貫して上昇傾向にあっ た。1 9 5 5
年には2.9%
だった失業率(雇用労働者プラス失業者を分母にとった雇用 失業率;以下とくにことわらない限り雇用失業率を用いる)が、1 9 8 9
年には13.3%
まで上昇している。比較的高い経済成長を実現してきたにもかかわらず、失業者 が増大してきたのはなぜか。
第
2
章で、労働需要面の要因である「外国での雇用機会j と供給面の要因であ る「農業人口の非農業化」に焦点をあて、この聞いに答えようとした。その結果、①外国で、の雇用機会の減少が失業者増に与える効果は普通いわれているほど大き くなく、②むしろ農業人口が急速に非農業部門へ移動したために失業者が増大し たことが明らかになった。しかし、これら2点だけでユーコーの失業者増加のすべ てを説明できるものではない。労働需要面の重要な点の検討が残きれている。
5%
の経済成長が、どの国でも同じパーセントだけ雇用を伸ばすとは限らない。それぞれの国がもっている産業構造、技術水準によって、経済成長と雇用の関係 は変わってくる。とくにユーゴは社会主義体制をとり、しかも労働者自主管理と いう原理に従って企業が組織・運営きれていた。自主管理企業が国民経済の中枢 を担っているために、ユーゴ全体の労働需要が他の国にはみられない特徴をもっ ていたことは十分考えられる。この点は同国の失業を考える上で重要である。
ユーゴの雇用失業情勢に注目するもう一つの理由は、ユーゴが労働者の解雇を 事実上しない経済だったからである。ユーゴは社会主義国でありながら市場経済 を前提とし、その結果として、企業聞の競争も存在した。さまざまな保護政策が
60 第I部 ユ ー ゴ の 労 働 市 場 と 自 主 管 理 企 業
とられていたとはいえ、国際市場に対しても一応聞かれていた。競争である以上、
勝つ企業もあれば負ける企業もある。負けつつある企業は人員整理をして経営効 率を上げ、倒産を避けようとするのが普通である。しかしユーゴ企業は、解雇と いう経営合理化手段を全くといっていいほど使わなかった。首切りしないで危機 を乗り切ろうとした。企業が解雇という形での経営合理化をしない場合、国民経 済全体のパフォーマンスがどうなるかという問題を考える上で、ユーゴの経験は 興味深い。
この章ではまず、ユーゴの労働需要の特徴を明らかにするために自主管理企業 モデルの検討から始める。ユーゴ企業を念頭においてつくられた自主管理企業モ デルを使って、いくつかの仮説を考えてみる。その際、ユーゴ企業の行動につい てのアンケート調査も参考にする。次に、第
3
節で利用可能な統計資料をできる 限り使って、第2節で提出した仮説を検証する。そして最後に、解雇と国民経済 のパフォーマンスの関係を考えてみたい。2 .
ユ ー ゴ の 労 働 需 要 の 特 徴 一 一 考 え ら れ る 仮 説( 1 )
基本的な自主管理企業モデルW‑V‑M
モデル自主管理企業モデルの歴史はウォード
(Ward
,B e n j a m i n )
に始まる。1 9 5 8
年、American Economic Review
に発表された"TheFirm i n I l l y r i a "
と題する論文が 最初である。労働者自主管理に関する博士論文執筆のためにユーゴスラピアを訪 れていたウォードは、「一人あたり所得の最大化」を目的関数として自主管理企業 は行動しているのではないかと考えた。そこで、新古典派経済学の企業理論の枠 組の中で目的関数だけを変えて、自主管理企業モデルをつくりあげた。このモデ ルはその後ドーマー(Domar , E . 1 9 6 6 )
に受け継がれ、ヴ、ァネック(Vanek , ] . 1 9 7 0 )
が体系的に発展させ、ミード(Meade
,].E.1 9 7 2 )
によって一応の完成をみたとさ れている。もちろんミード以後も、今日にいたるまでの数多くの改良モデルが出きれてき ている。しかし、基本的枠組はヴ ァネックらのモデルと変わっていない。そこで まず、ステファン
( S t e p h e n
,F . H . )
の記述に従って、最も基本的な自主管理企業 モデルWard.Vanek
第3章 自主管理企業の労働需要 61 し、。
モデルの説明
W ‑ V ‑ Mモデルは、次の4つの仮定のもとに成り立っている。
(1)企業の運営はそこで働いている労働者によって行われ、生産量 (X) と労働 者 数 (L) は自由にかえることができる。
(2)労働以外の投入物は、市場価格によって調達される。 ここでは議論を単純化 するため、資本
( K )
のみを考え、利子率をrとする。 したがって生産関数は、X=f
(K
、L) で与えられる。(3)企業の意思決定は、一人当たりの純所得
(n/
L)を最大化するようになされ る。労働者はすべて均質で、あるとし、生産物は市場価格 (p)(4)情報の不完全性は存在しない。
で販売される。
労働者は、一人当たり純所得 z
L
pX‑rK
Lを最大化するように行動する。 そのための条件は、次の2つの式で表されるo
θ(π/L) ̲ pX
LpX ‑rX θL L L
pX‑rXπ i . e . pX
L 一一一一一一L L
。 ( π / L )̲pX
k一一一一一 一一一一一.
i . e . pX
k=r θK L L
すなわち、雇用量は労働の限界価値生産力と一人当たり純所得が等しくなると ころで、資本量はその限界生産力と利子率が等しくなるところでそれぞれ決まる。
資本主義企業と違う点は、雇用量を決めるのが市場資金率ではなく、「一人当たり 純所得
J
になっていることである。 この差は長期の均衡を考える場合には全〈問 題にならないが、短期の変動を考える時に重要な意味を持ってくる。長期では、(労働の限界生産力)
=
(市場賃金率)=
(一人当たりの純所得) り立つのに対して、短期では必ずしもそうならないからである。という関係が成 それゆえ、以下 の議論は、短期の変化に対する自主管理企業の反応を中心にすすめていくことに する。
62 第I部 ユ ー ゴ の 労 働 市 場 と 自 主 管 理 企 業
短期における行動
短期において、生産物の価格や資本の利子率の変動に対する自主管理企業の反 応は、資本主義企業と全く反対になる。すなわち、生産物価格の上昇または利子 率の低下は、雇用量
L
の減少をもたらし、結果として生産物X
を減少させる。こ の動きは、図3‑1
によって説明される。ひ 労 と働 りの あ限 た 界
I E
り価 純 値 所生 得産 力
O
図3‑1
A'
A
B '
c'
B
C
F
L' L
L
この図において
EBF
は労働の限界価値生産力を、ABC
は一人当たり純所得 をそれぞれ表している。( 3 )
式から、この企業はEBF
とABC
が交わる点、すな わちL
で雇用量を決める。仮に、生産物の価格P
が上昇したとする。いま問題に しているのは短期であるから、この企業は雇用量の調整によって変動に対処しよ うとする。P
の上昇は、図3‑1
では曲線ABC
の上方へのシフトとして表きれ る。新しい一人当たりの純所得曲線A'B'
C'はL
よりも左の点L '
で限界生産力曲 線と交わることになる。つまりこの企業は労働者数を減らすという行動をとるの である。利子率rの低下も同様の結果を導き出す。生産物が二つ以上、あるいは投入物が三つ以上になると、自主管理企業の行動 に違いが出るだろうか。モデルが非常に複雑になるので詳しい紹介は割愛するが、
第3章 自主管理企業の労働需要 63 最初の基本形とほぼ同じ結果になる。生産物や投入物をふやしたとしても、短期 の行動に大きな差は出てこない。ある一定条件のもとでは、資本主義企業と同じ 行動をとるが、いつもその条件が満たされるという保障はない。
この自主管理企業モデルから導き出されるユーゴ企業の行動に関するインプリ ケーションは次のようにまとめることができる。価格の上昇、あるいは利子率の 低下が雇用量を減らし、生産量を減少させるので、短期におけるユーゴ企業の供 給曲線は右下がりになっている。
(2)改良されたモデル
この
W‑V‑M
モデルは、本当にユーゴ企業の行動を説明しているのだろうか。ミード以降今日にいたるまで、数多くの経済学者が改良されたモデルを提出して いる。それらは基本モデルの仮定を少しずつ変えて、企業行動をみようとしたも のである。具体的には、①目的関数を変えたもの、②雇用量Lは自由に変えられ ないとしたもの、③資本は市場で調達されるのではなく、各メンバーの供出金に よっているものとする、④完全競争ではなく寡占市場を前提にしたもの、の
4
つ に大別できる。本稿の目的は、企業行動と雇用量の関係を明らかにすることにあ るので、上記①と②からユーゴの現実に比較的近いと思われるモデルを一つずつ 取り上げ、検討する。余剰収益最大化モデル
これはユーコoの経済学者ホルヴ、アート
( H o r v a r t
,B . )
によって提出されたモデ ルである。彼は一人当たり収入最大化のかわりに、余剰収益最大化を企業の目的 関数として設定した。ユーゴ企業をみていると必ずしも一人当たり純所得最大化 を目標に行動しているようにはみえない。企業が年間計画を立てる場合、労働者 の所得は今年実現きれた所得プラス目標増加額 (W+D.W:目標所得と呼ぶ)と いう形で費用として計上きれ、原材料費などの他の費用と同じに扱われる。企業 はこれらの諸費用を差しヲ│いて残る部分、すなわち余剰収益を最大化するように 行動しているとする。このように仮定することによって、自主管理企業モデルは ユーゴの現実により近いものになるとホルヴ、アートは主張した。ホルヴアートのモデルは前出の基本モデルの記号をそのまま使って、次のよう
64 第I部 ユ ー ゴ の 労 働 市 場 と 自 主 管 理 企 業 に定式化される。
企業は、余剰収益
7l'
*=p X
一(W+
ムW) L‑r K
を最大化するように行動する。最大化のための条件は
。 π*/oL=pXL
一(w+
ムw)=O ,
I.e . pXL=W+
L">w
o
7l'*/oK=pX
k‑r=o ,
I.e . pXk=r
である。つまり、この自主管理企業は目標所得と労働の限界価値生産力が等しく なる点で雇用量を、利子率と資本の限界生産力が等しくなる点で資本量をそれぞ れ決めることになる。ホノレヴPアートによれば、目標所得と市場賃金率は完全競争 を仮定する限り等しくなる。短期のPや rの変動に対して、この自主管理企業は 資本主義企業と同じ反応を示す。ホルヴアートのモデルによる限り、 W‑V‑M モデルが予想した雇用減少効果はみられないことになる。ただホルヴ、アートは、
雇用量を自由に動かせることを前提としており、その点でユーゴの現実との整合 性が弱くなっていると考えられる。
臨時工雇用モデル
「労働者数Lを自由に変えられる」という仮定が非現実であるという指摘は早 くからなされていた。企業の意思決定が労働者によって行われるとき、仲間の首 を簡単に切れるだろうかといっ批判である。この点を解決するために、「メンバー シップ」という概念が出され、たとえ一時的にレイオフきれたとしても、メンバー シップを保有する限り再雇用きれるというモデルがつくられた。この仮定をおい てモデルを展開すると、 W‑V‑Mモデルが予想した自主管理企業の右下がり供 給曲線は解消され、資本主義企業と同じ反応をすることが確かめられているo
しかし、このモデルをユーゴ企業にあてはめようとすると無理が出てくる。冒 頭にも述べたように、ユーゴ企業はめったなことでは労働者を解雇しなかった。
それは、再雇用保証っきレイオフという形でももちろん行われなかった。余剰人 員を抱えながらも何とかもちこたえようとしていた。
解雇という形で雇用量を減らせない場合、企業は臨時工の増減で生産の変動に