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II. 脳神経救急・集中治療を要する疾患と病態(成人)

3. 脳炎・髄膜炎

救急対応を要する神経系疾患の 1 つに、中枢神経系感染症がある。本稿では、その代表で ある単純ヘルペス脳炎、細菌性髄膜炎、結核性髄膜炎、および、これらの疾患との鑑別上重 要であり、かつ重症化し救急対応を要する場合も多い抗 NMDA(N-methyl-D-aspartate)受容 体脳炎について、その病態と治療の概略を示す。なお、中枢神経系感染症は発症頻度が少な いため、質の高いエビデンスが少ないことから、その治療はしばしば empiric にならざるを 得ない。

3-1.

単純ヘルペス脳炎

単純ヘルペス脳炎(herpes simplex virus encephalitis:HSE)は、新生児では産道感染 に基づく全身のウイルス血症の一部分として発症する。一方、小児や成人では、三叉神経節 などに潜伏するウイルスが再活性化し、逆行性に神経を上行し脳炎を起こすと考えられてい る。HSE は世界中で起こり、地域性はない。わが国では年間 100 万人あたり 3.5~3.9 人が発 症すると推計され、散発性に起こる脳炎の中でもっとも頻度が高く、かつ急速に重症化する ことも多い。

HSE の転帰に影響する因子として、前向き臨床研究では発症年齢や発症から治療開始時ま

での期間、および治療開始時の意識障害の程度などが報告され、多変量解析を用いた検討で は治療開始時の意識障害の程度と発症年齢があげられている。したがって、意識障害が高度 になる前に治療を開始することが重要であり、本症を疑った段階で抗ウイルス薬を開始する。

本症の第一選択薬はアシクロビルである。ビダラビンとアシクロビルを用いた RCT ではビダ ラビン投与群と比較しアシクロビル投与群で有意に死亡率や後遺症率が低く、社会復帰率が 高かった。アシクロビルの開発以後、アシクロビルに勝る治療薬は開発されていない。アシ クロビルは未治療の HSE で約 6~7 割であった死亡率を 19~28%まで低下させた。しかし HSE の死亡と高度後遺症を含めた転帰不良率は 33~53%といまだ高く、社会復帰率も 38~56%に とどまる。

PCR 法による髄液からのウイルスの検出は標準的検査法として確立しているが、HSE の診断 に必要な感度が 1.0~2.0×104 copies/髄液 1 ml に対して、conventional PCR 法の検出感度 が 102~105 コピー/髄液 1 ml であることから、髄液からのウイルスの検出には real-time PCR 法あるいは nested PCR 法といった最小検出感度のより小さい PCR 法を用いることが重要で ある。

PCR 法により確定診断された HSE の後ろ向き検討で、アシクロビルの投与期間が 2~3 週間 に延長されているにもかかわらず HSE を再発した例が報告されていることを踏まえて、欧米 のガイドラインでは、アシクロビルの投与期間を従来の 2 週間投与から 2~3 週間へと延長し ている。PCR 法によって病因確定診断がなされた HSE では、PCR 法によりウイルスが髄液から 検出されないことを確認した上で治療を終了することが望ましいとする European Consensus Statement が公表されている。

臨床的に HSE が疑われた段階で、髄液 PCR 法などによる病因確定診断を待たずに抗ウイ ルス療法を開始する。

第一選択であるアシクロビルは、成人や小児では、少なくとも 10mg/kg/8 時間で 2 週間 以上の投与が合理的である。

新生児では 20mg/kg/8 時間で 3 週間の投与が合理的である。

Knowledge Gaps

(今後の課題)

HSE ではアシクロビルによる標準的な治療を行っているにもかかわらず、HSE の遷延あるい は再燃を認めることがある。免疫正常者においてはアシクロビル耐性株による HSE は 0.1~

0.7%ときわめて稀であるが、近年、新生児や成人でアシクロビル耐性株による HSE も報告さ れている。このような場合にはホスカルネットなどの thymidinekinase を介さない抗ウイル ス薬の追加投与が必要である。一方、HSE 再燃例では脳組織でのウイルスの再活性化が示唆 されており、アシクロビルの投与量や投与期間の延長が考慮される。しかし、アシクロビル の 2 週間投与終了時点で神経所見の改善を認めなかった遷延経過を呈した症例の検討では、

抗ウイルス薬の追加延長を行うだけでは遷延経過を呈した例の半数が転帰不良であった。こ れらのことを踏まえ、アシクロビルによる加療に臨床的に不応性の HSE 例も含めた診断と治 療のアルゴリズムの構築、特に、転帰不良要因を有する HSE での初回アシクロビルの投与量 や投与期間の再検討が今後検討するべき課題であると考える。

また本症の転帰の点から、急性期の副腎皮質ホルモン薬の併用が有用であったとの報告が ある。欧州において HSE における副腎皮質ホルモン薬併用の有用性に関する二重盲検比較試

3-2.

細菌性髄膜炎

わが国における細菌性髄膜炎(bacterial meningitis:BM)の発生率は年間 100 万人当た り 12.4 と推計され、その約 7 割を小児が占める。BM の転帰は、死亡率 11~25%、後遺症率 15~34%と、抗菌薬の進歩にもかかわらず未だ満足するべき成績ではない。

BM の発生を減少させるためにはワクチンの導入が最も有効である。英国での 15 歳以下の 小児を対象とした疫学的検討では、肺炎球菌性髄膜炎の頻度は 1990 年代から増加し、2006 年には年間 10 万人あたり 4.45 に達したが 2006 年に沈降 7 価肺炎球菌結合型ワクチン

(Pneumococcal conjugate vaccine: PCV7)が、2010 年により広範に血清型をカバーする沈 降 13 価肺炎球菌結合型ワクチン(PCV13)が導入され、2011 年には年間 10 万人あたり 2.03 まで減少した。インフルエンザ菌性髄膜炎の頻度は、ヘモフィルス b 型ワクチン(Haemophilus influenzae type b conjugate vaccine)が導入される前の 1992 年は年間 10 万人あたり 6.72 であったが、導入後の 1994 年には年間 10 万人あたり 0.39 まで減少し、2008 年時点で年間 10 万人あたり 0.28 であったと報告されている。

わが国においても、肺炎球菌性髄膜炎に対して 2009 年に PCV7 が、2013 年に PCV13 が導入 され、インフルエンザ菌性髄膜炎に対して 2008 年にヘモフィルス b 型ワクチン(Haemophilus influenzae type b conjugate vaccine)が導入され、さらに 2013 年 4 月からこれらのワク チン接種に関する公費負担が開始されたことから接種率が向上し、わが国における感染症法 に基づく感染症発生動向調査〔IDWR (http://idsc.nih.go.jp/idwr/index.html)〕によると、

5 歳未満の肺炎球菌髄膜炎の発生が年間 10 万人当たり 0.8(対 2008~2010 年比 71%減少)、 インフルエンザ菌髄膜炎の発生率が年間 10 万人当たり 0.6(対 2008~2010 年比 92%減少)

と劇的に減少している。また、わが国における小児科領域での大規模病院を対象とした全国 疫学調査の結果においても、これらのワクチンの導入によって肺炎球菌髄膜炎による入院が 年間 1000 入院あたり 0.30 から 0.06 と 80%減少し、インフルエンザ菌髄膜炎による入院が 年間 1000 入院あたり 0.66 から 0.08 と 88%減少したと報告されている。

BM の転帰を決定するもっとも重要な要因は、早期の診断と適切な抗菌薬の開始であり、時 間単位の対応が求められる。BM は肺炎などの他の感染症と異なり、数時間で意識清明から昏 睡になり死亡する劇症型と数日単位で進行性に悪化する場合がある。髄液検査前に頭部画像 検査を施行した患者の 63%で初期治療までに 6 時間以上要し、その群での死亡率が 8.4 倍増 加したとの報告をふまえ、欧州の BM ガイドラインでは、病院到着から 60 分以内に治療を開 始することを推奨しており、BM が疑われる場合には、躊躇せずに抗菌薬による治療を開始す るべきである。

BM では、患者の有するリスクと年齢階層別の起炎菌頻度、予想される起炎菌の抗菌薬に対 する耐性化率を考慮した上で抗菌薬が選択される。しかし、起炎菌の頻度や耐性菌の割合は、

地域により大きく異なるため、諸外国で公表されている診療指針をそのままあてはめること ができない。わが国における BM の起炎菌の頻度や耐性菌の割合を踏まえた治療指針として、

日本神経学会・日本神経治療学会・神経感染症学会の 3 学会合同による BM 診療ガイドライン が 2007 年に公表され、2014 年にその改訂版が公表された。

わが国における市中感染 BM の起炎菌は、6~49 歳では肺炎球菌が最も多く、インフルエン ザ菌とあわせると約 3/4 を占める。遺伝子型からみた肺炎球菌の耐性菌割合が 90%、ワクチ ンが導入された 2009 年以後のインフルエンザ菌のアンピシリン耐性割合が 60%以上と、耐 性化が進んでいる。50 歳以上の成人例および慢性消耗性疾患や免疫不全状態を有する成人例

では、起炎菌として肺炎球菌の頻度が高いが、MRSA を含むブドウ球菌や、米国に比し検出率 は少ないものの、リステリア菌による BM も念頭におかなければならない。リステリア菌は新 生児における主要起炎菌の 1 つであるが、高齢者でも主要起炎菌の 1 つとして常に考慮する べきである。このリステリア菌は第 3 世代セフェム系抗菌薬が無効であるため、初期抗菌薬 の選択の点からも重要である。わが国における慢性消耗性疾患および宿主免疫不全を有する BM 成人例の検討ではペニシリン非感受性肺炎球菌が 23%、MRSA が 10%を占めた。

わが国における BM 例での抗菌薬治療選択に関する RCT はなく、疫学的背景を踏まえた経験 的治療にならざるを得ない。現時点で合理的であると考えられる、細菌性髄膜炎診療ガイド ライン 2014 における初期治療の標準選択のためのフローチャートを図 1 に示す。

図 1 細菌性髄膜炎の診断フローチャート

一方、成人 BM301 例を対象として行われた前向き二重盲検の結果から、デキサメタゾンの 投与が有意に転帰不良の軽減と死亡率の減少に寄与していたと報告されているが、菌種別の サブ解析では肺炎球菌でのみ有意差を認め、その他の菌では有意差を認めなかった。2010 年 に報告された BM に対するデキサメタゾン投与の有効性に関する RCT のメタアナリシスや 2013 年のコクラン・システマティックレビューにおける RCT のメタアナリシスにおいても同様の 結果であったが、これはデキサメタゾンの投与が髄膜炎菌やインフルエンザ菌で有害である ということを意味しない。2007 年にベトナムで行われた RCT においても、BM 確定診断例で 1 ヵ 月後の死亡が有意に少なかったと報告されている。発展途上国では菌未確定の BM 中に無治療 の結核性髄膜炎が混在してしまうという問題があるが、先進国においてはデキサメタゾンの 投与が死亡率や後遺症率の低減につながると考えられる。

BM の発生を減少させるためにはワクチンの導入が最も有効である。

BM が疑われる場合には速やかに適切な抗菌薬による治療を開始するべきである。

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