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考察1  トリプルミッションの推移の背景

ドキュメント内 2007年4月 (ページ 30-43)

本章では、第3章で見てきた日本陸上競技界のトリプルミッションの推移の背景を考察し ていく。

考察を進めるにあたり先に挙げたトリプルミッションモデルを振り返ると、「勝利」「普及」

「市場」の3要素が互いに好影響を及ぼしあうことがトリプルミッションモデル全体の更な る拡大の要因となるが、その間には1)「勝利」⇒「普及」、2)「普及」⇒「勝利」、3)「市 場」⇒「普及」、4)「普及」⇒「市場」、5)「勝利」⇒市場、6)「市場」⇒「勝利」とい う6つのベクトルがある。

ここまでの研究で得られた結果によって、普及が 1980年代前半の増加傾向から 1990 年 代中盤に減少傾向へと変動し、更に 2004年からは増加傾向へ向かっていることが明らかと なったが、1984年を100としたときの他の年の指数は、最も大きい1992年が126、最も小 さい2004年が82と、勝利の最高値・最小値がそれぞれ300(2004年)・38(1988年)、市 場の最高値・最小値がそれぞれ560(2004年)・100(1984年)であるのと比べて変化が小 さい。

そこで本章では3要素のうち特に「勝利」と「市場」について詳細にそれぞれの拡大の背

景を考察するとともに、その2要素がいかに結び付いてきたのか、考察を加える。

また、4.2で日本陸連の収入の市場拡大の背景と課題について考察し、4.3で高校生 世代の登録人員における課題について考察する。

4.1  市場の拡大による勝利の進展

4.1.1  中央競技団体の収入増と強化資金増加の関連性

まず、「勝利」の部分であるが、先に見てきたような五輪における日本選手団の勝利の発 展や出場選手数の増加については、日本陸連が収入の増加によって選手強化に投資できる額 が増えたことが大きな要因として考えられる。

例えば、2004 年のアテネ五輪の際には、前年開催された予選大会において日本の女子ホ ッケーチームが五輪出場権を獲得したものの、日本ホッケー協会の財政難から開催地・アテ ネでの事前合宿を行うことができず、同協会が公式ホームページ上で一般に向けて強化費名 目の募金を呼び掛けるという事態も起こった。これは、協会の財政規模が自国における当該 競技の競技力強化に大きな影響を及ぼすことを端的に表す事例である。他にも、2000 年9 月4日の日本経済新聞夕刊には以下のように、協会の資金によって五輪の結果に対する報奨 金が異なるという例が挙げられている。

「シドニー五輪もいよいよ開幕目前。日本オリンピック委員会(JOC)は従来通り、メ ダルの報奨金を用意しているが、それでは報い足りぬと、独自に“ニンジン作戦”を展開す る競技団体も増えてきた。関係者を金策に走らすほど、メダルが取れればいいが……。

JOCの報奨金支給は各国の制度に追随する形で、1992 年アルベールビル冬季五輪から 始まった。『世間から多すぎると非難されず、子供だましでもない金額』(JOC関係者)と して、金300万円、銀200万円、銅100万円と決まった。(中略)競技団体ごとの制度も充 実してきた。シドニーでは参加する25団体のうち17団体が支給を予定している。金額には それぞれ台所事情もあって、ばらつきがある。最高額はテニスと卓球の金メダル2000万円。

ダブルスの場合は 1人1000万円ずつとなる。過去五輪で20 個の金メダルを獲得したレス リングは金メダル 300 万円から、今回 1000万円に増額した。『強かったころなら(いくら 資金が要るかわからず)とても設定できなかった金額』(協会事務局)と、お家芸を支えて きた団体としてはちょっぴり複雑だ。続々と報奨金を設ける背景には、他競技に劣ってはと いう意識も働いているが、母体が大きいとはいえない競技団体の懐は苦しい。『うちにはこ れが精いっぱい』(カヌー)というところが多く、ヨットも金の場合には寄付を募る。同じ く金メダルの金額を倍増したライフル射撃も『金額が膨らんだら、分割払いでも何でもして 対応する』と話す。メダルの宴(うたげ)のあとは組織役員の戦いが待ち受けるわけだ。そ んな団体がうらやむのが自転車。アトランタで銅メダルの十文字貴信が、総額 5500万円の ビッグマネーを手にした。内訳は、JOCから100万円、日本自転車競技連盟(JCF)か ら200万円、日本自転車振興会など関連5団体から功労金3000万円、競輪選手会から顕彰 金 1000 万円。大会前にも関連団体から激励金など 1200万円を支給されている。自転車の

イメージアップ効果に加え、年間獲得賞金が1億円を超える選手もいるプロに対する『休業 補償』の意味合いを込めての大盤振る舞いだった。(中略)意外に柔道、水泳など日本の有 望種目から景気のいい話が出てこないが、その理由は様々。『お金は国やJOCからもらう もの。うちにはそういう発想がない』と全日本柔道連盟。『金』以外は負け、と見られる種 目ならではのプライドだ。一方、ソフトボールは『出すと言った後でお金がないでは済まさ れない』。野球は『プロ参加を受けホテル宿泊費などを工面するので頭がいっぱいだった』。

さて、前回アトランタ大会でJOCが支給したのは総額7500万円。今回は1億4000万円 の予算を組んで吉報を待っている」

1961 年当時の日本陸連の収入の状況を先に青木の著書から引用したが、青木(1998)は その当時の日本陸連の収入の少なさを振り返ったうえで「選手強化費も年間わずか300万円 しか割り当てられていななかった。東京オリンピックに備えて選手を強化することは絶対の 命題だったが、これではそのための合宿も海外遠征も満足にできるわけがない。このことが 影響してか、当時の陸連執行部と選手強化委員会は必ずしもしっくりいっていなかった」と 述べている。1961 年の日本陸連理事長就任後、青木は選手強化資金を積極的に集め、強化 合宿、選手の海外派遣、日本の国内大会への外国選手の招聘を盛んに行った。総計5億円を 費やした成果で、1961 年から東京五輪開催の「約4年間で生まれた陸上競技の日本新記録 は男子172、女子79という空前の盛況」(青木,1998)を見せたという。また、青木(1986)

によれば、日本陸連の財政の基礎が確立されたのは 1971年の法人化(基金は1億円)の決 定後であったが、しかしながら同年度の予算は一般会計が1579万円、これに競技会計、普 及強化費などを入れた総予算が5684万円に過ぎなかった。それに対し、1985年度は一般会 計が4億2135万になったという。

先に2004 年の支出においては約22%に当たる約3億円が選手強化費であると述べたが、

この強化費には選手の海外派遣費用、合宿の費用負担に加えて、日本陸連独自の強化競技者 制度がある。2007年12月現在、日本陸連においてはS・A・B・Cと4段階の強化競技者 制度が存在し、最上位のランクに当たるSランクの選手には 400 万円、Aランクには 200 万円、Bランクには150万円、Cランクには60万円がそれぞれ年間で支払われている(2008 年度はSランク競技者4名、Aランク競技者16名、Bランク競技者20名、Cランク競技者 50名。人数には 2008年3月に決定・判断される長距離・マラソンの競技者も含む)。しか し、1984 年のロサンゼルス五輪において女子マラソン代表となった増田明美が当時五輪代 表として約半年間日本陸連から支給されたのは栄養費としての月々3万円に過ぎなかった

(2006年2月2日朝日新聞朝刊)。増田は当時の女子マラソンの日本記録保持者でありなが ら、与えられた年間の強化費は単純計算で3×12=36万円であったが、その一方で2008年 1月現在同種目の日本記録保持者である野口みずきはSランクに位置し、当時の増田の 10 倍以上に当たる年間400万円の強化費を得ている。

ここでも日本陸連の資金の増加によって一層の選手強化が可能となったことが、現在は五 輪でもロサンゼルス五輪当時と比べて入賞点数、出場選手数ともに高い水準に結びついてい

ることの一端が伺える。

4.1.2  ナショナルチームの発足

また、日本陸連からは「ナショナルチーム」を結成して国の代表選手を強化する動きも生 まれた。1989 年には前年のソウル五輪での不振を機に、日本陸連は若手や中堅選手を海外 レースで鍛えるため、20人近い選手を送り込んだ(1989年5月2日朝日新聞朝刊)。また、

1997 年からは日本陸連はマラソン選手のナショナルチームを組織した。五輪経験者、世界 陸上代表、トラックのスピードがある選手など5つの観点から19人を選抜し、1年目(1997 年度)は 3500万円の予算を組んで6月・9月の二度にわたってシドニーやニュージーラン ドで3週間の合宿を行うこととした(1997年3月13日朝日新聞朝刊)。

また、1998 年6月2日の朝日新聞朝刊には、女子のナショナルチームの発足の動きと男 子ナショナルチームの合宿について言及されている。

「シドニー五輪で金メダル獲得を目指す陸上女子マラソンのナショナルチームが1日、発 足した。日本陸連が同日開いたマラソン重点強化対策会議で、昨夏の世界選手権優勝の鈴木 博美(積水化学)らメンバー17人を決めた。昨年、男子ナショナルチームをつくり、5選手 が2時間 10 分を切るなど成果を挙げたため、女子も結成に踏み切った。男子と異なり、個 人合宿に資金面で支援する。男女とも、1年後にメンバーを 10 人前後に絞る予定だ。男子 もメンバーを見直して、佐保希、三木弘(ともに旭化成)、清水昭(杵築東芝)、国近友昭(N TT中国)の4人が加わり、計 21 人になった。6月に熊本・阿蘇、9月にニュージーラン ドで合宿する」

結果、1999 年の世界陸上セビリア大会で男子マラソンに出場した佐藤信之は銅メダルを 獲得、女子マラソンに出場した市橋有里は銀メダルを獲得するとともに、小幡佳代子が8位 に入賞、そして 2000年のシドニー五輪女子マラソンでは高橋が金メダルを獲得するなど、

ナショナルチームでの経験を活かした。佐藤は銀メダル獲得後の記者会見で「ナショナルチ ームで切磋琢磨(せっさたくま)できたおかげ」(1999年9月2日朝日新聞朝刊)と述べて いる

このナショナルチームは 2007年現在男女とも組織されていないが、かつてナショナルチ ームへかけられていた強化費は、個人の合宿費や遠征費、そして強化競技者への強化資金な ど、個人単位への強化費へ転換されたものと考えられる。

このように、日本陸連の資金が豊富となり、多くの選手支援・強化プロジェクトを可能に することによって、更なる陸上競技の強化が達成されることが見込まれる。

4.1.3  強化合宿と海外への視点

また、4.1.2と4.1.3ではおおよそ2000 年までのマラソンに関する強化策を挙 げたが、その他の種目においてはまた、強化合宿の存在も大きい。リレー種目の近年の躍進 について高野進・日本陸連強化委員長(2007)は、かつて自身が現役選手だった頃のリレー

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