第 3 章 自発性神経活動と細胞外ブドウ糖濃度との関係性 37
3.4 考察
3.4.1
細胞外ブドウ糖濃度と自発性神経活動頻度との関係性
本研究において,培養神経回路網からMEDプローブ上に培養された培養神経回路網の自発 性神経活動は細胞外ブドウ糖濃度に依存して変化することが明らかとなった(図3.9 - 3.10).
培養液のブドウ濃度である17.5 mM付近までは,自発性神経活動は細胞外ブドウ糖濃度の増 加に伴って増加し,それ以上の細胞外ブドウ糖濃度では,逆に自発性神経活動頻度が減少し た.従って,培養神経回路網において,至適なブドウ糖濃度は培養液のブドウ糖濃度に近く なることが示唆された.ブドウ糖は神経細胞の主要なエネルギー源であり,生体の脳におい ては必要量より血糖が不足した場合,神経活動を維持するためアストロサイトに貯蔵されて いるグリコーゲンの分解によってただちに補填され神経細胞に供給される[69].しかし,生 体と比してグリア細胞の数が少ない培養系では栄養的なサポートが不充分であるため,低ブ ドウ糖濃度における自発性神経活動頻度の低下は蓋然性がある.活動電位の発生は直接的に ブドウ糖濃度によって制御されている訳ではないので,自発性神経活動頻度が細胞外ブドウ 糖濃度に強く依存するのは別途何らかのメカニズムが内在していることが考えられる.
3.4.2
ブドウ糖毒性に関する検討
本研究においては30 mMブドウ糖の条件で自発性神経活動の減少が観察される,30 mM ブドウ糖は糖尿病において現実的に生じうるブドウ糖濃度であり,グルコース毒性を誘導す る条件として用いられる [61].グルコース毒性とは,解糖系や電子伝達系におけるタンパ ク分子の糖化,分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ(Mitogen-activated Protein Kinase, MAPK)系の活性化によって細胞死を引き起こす現象である.しかしながら,30 mMの高ブ ドウ糖濃度の外液に置換して40分間経過した後にも,通常の完全培地に戻すことで再び培養 を継続することが可能であり,その翌日には自発性神経活動の頻度も実験前と同程度かやや 高頻度な状態にまで回復した(図3.11 - 3.12).また,カルセイン-AMとエチディウムホモダ イマー-1で染色した画像を解析した結果,10 mMブドウ糖濃度 細胞外記録溶液に暴露した ことによる神経細胞の生存率と,30 mMブドウ糖濃度細胞外記録溶液に暴露したことによる 神経細胞の生存率との間に有意な差は見られなかった(図3.13).
神経細胞死は培養中でも日常的に起こっている現象であり,自発性神経活動頻度が有意に 低下するほどの神経細胞死が起こっている可能性は低い. 従って本系においては,30 mMブ ドウ糖下でブドウ糖毒性による不可逆的な変化が生じて,そのために自発性神経活動の頻度 が減少している可能性は少ないと考えられる.グルコース毒性の作用は細胞死や神経栄養因 子の不全など,その効果が現れるまでに3日程度の時間が必要であると考えられるが,本研 究で報告している高ブドウ糖濃度での自発性神経活動の減弱は溶液置換後20分程度で発現す る現象である.時間スケールを考えると,MAPキナーゼ系の活性化 [61]など,グルコース
第3章 自発性神経活動と細胞外ブドウ糖濃度との関係性 毒性を引き起こす化学変化が直接シナプス伝達に作用して短期的・可逆的にシナプス伝達を 低下させる可能性は考えられる.また,自発性電気活動は神経細胞間の相互作用によって発 生するので,過密な回路網活動に伴う頻繁な活動電位発生後の不応期の積算などにより,自 発性神経活動が抑制される可能性も考えられる.
細胞外の高ブドウ糖濃度が自発性神経活動頻度を減少させるメカニズムについては,様々 な可能性が考えられ,その候補の一つとしてATP依存性K+チャネル(KATP)による影響が 考えられる.SNrにおけるGABA作動性神経細胞の場合は,KATPが活動頻度の調整に主要 な役割を果たしている.KATPは,細胞内のATP量が多い場合に,開孔確率が上昇するK+ チャネルであり,これが細胞内ATPの検出に関与している可能性が報告されている[37, 38]. KATPは海馬領域にも存在することが報告されており[39],本系においても細胞の興奮性が KATPにより調節されることで自発性神経活動頻度が制御されている可能性がある.
本研究では,生体内のホメオスタシスやブドウ糖のセンシングには積極的に関与していな いと考えられる海馬の神経細胞においても,ブドウ糖濃度の増加に伴って自発性神経活動が 活発化すること,20 mM以上の高濃度では却って自発性活動は減弱することを示した.これ は神経細胞の代謝により細胞内ATPの量が影響を受けた結果であると考えられる.
3.4.3
高ブドウ糖濃度下で培養された神経回路網のグルコース至適濃度のシ
フト
本研究では,ブドウ糖濃度を30 mMの高濃度にして培養した培養神経回路網における自発 性神経活動も計測した.30 mMブドウ糖濃度の培養液で培養した神経回路網と,通常の17.5 mMブドウ糖濃度の培養液で培養した神経回路網における自発性神経活動頻度には有意な差
がなく(図3.14),高ブドウ糖濃度の培養液を用いた培養によって自発性神経活動頻度が著し
く低下することはなかった.これは,自発性神経活動頻度が単純にブドウ糖の多寡によって 決定されているわけではなく,神経細胞の成熟,グリア細胞の数,神経回路網におけるシナ プス密度や興奮/抑制性シナプスの割合など様々なパラメータによる影響を受け,最終的にあ る平衡状態に達することでその神経回路網特有の活動パターンが生成されているためであり,
ブドウ糖濃度によってこれらのパラメータが変化しても相互に補填されるためであると考え られる.また,30 mMブドウ糖濃度の培養液で培養した培養神経回路網における細胞外ブド ウ糖濃度が30 mMの時,自発性神経活動頻度が最大であった(図3.15 - 3.16).このことは,
培養時のブドウ糖を高濃度に変更したことで,自発性神経活動頻度に対する培養神経回路網 の自発性神経活動頻度と細胞外ブドウ糖濃度の間にある至適濃度が高濃度側にシフトしたこ とを示唆している.従って,神経細胞は培養時のブドウ糖濃度に適応し,その濃度との差分 によって自発性神経活動頻度を決定していると考えられる.
細胞外ブドウ糖濃度は,生体にとって生存か死を決定する重要性をもつ.生存に結びつく 状態が「快」であると解釈すれば,ブドウ糖の至適濃度は各神経細胞が個別に識別しうる報 酬信号と考えることができる.あえて飛躍を恐れずに言えば,細胞外ブドウ糖濃度に依存し
第3章 自発性神経活動と細胞外ブドウ糖濃度との関係性 た自発性神経活動の変化は,生体の最も始原的な情動を反映した活動の変化だと考えられる.
3.4.4
培養時のブドウ糖濃度に依存した神経回路網形成
本実験において,ブドウ糖濃度17.5 mM・初期密度7800 cells/mm2で培養した神経回路網 の自発性神経活動をDIV10前後から確認した.分散培養した神経回路網の自発性神経活動 は,培養日数の経過に伴って自発性神経活動頻度が増加し,活動パターンが変化するという 知見が多く報告されており [6, 19, 20],分散播種された神経細胞が自律的にシナプス結合を 形成して,再構成された神経回路網においても,回路網の成熟と情報処理には相関があると 考えられる.本研究においても,神経細胞の初代培養において一般的なブドウ糖濃度である
17.5 mMで培養した神経回路網の自発性神経活動を DIV14から 7日毎に計測した結果,培
養日数の経過に依存して自発性神経活動パターンが複雑になり,自発性神経活動頻度が増加 したことが確認された.
培養神経回路網の自発性神経活動は,培養日数の経過に伴って広範囲で同期的なバースト 状の活動を呈することが報告されている[6, 19, 25].本研究で用いた培養系でも培養日数が経 過することでバースト活動が観察された(図3.21-図3.22).通常の条件で培養された神経回 路網において,培養日数の経過に伴って自発性バースト活動頻度と自発性同期バースト活動 頻度が増加した.バースト活動は神経回路網の機能的な構造変化を表現していると考えられ ており[25],神経回路網の成熟・発展において重要な役割を示すと考えられている.
また,ブドウ糖濃度を低濃度(7.5 mM),及び高濃度(30 mM)に調整した培養液を用いて MEDプローブ上で神経回路網を培養した.培養中に自発性神経活動を計測,解析することで 神経回路網培養時の細胞外ブドウ糖濃度の変化による影響を解析した.ブドウ糖濃度30 mM の培養液・初期密度7800 cells/mm2で培養した神経回路網を培養の自発性神経活動をDIV14 から7日毎に計測した結果,ブドウ糖濃度30 mMの培養液・初期密度7800 cells/mm2 で培 養した神経回路網と同様に自発性神経活動頻度,自発性バースト頻度,自発性同期バースト 頻度が培養日数の経過に伴って増加した(図3.20).また,自発性同期バースト活動に関して
は,DIV35において僅かに自発性同期バースト活動頻度が増加したが,有意差は無く自発性
神経活動を指標とした場合に両条件の間に差は少ないことが示された.自発性神経活動が神 経回路網の内部状態を表象すると考えると,この両条件の間に内部条件の差が無く,分散播種 された神経細胞は培養時のブドウ糖濃度に適応して神経回路網を形成することが示唆された.
一方,ブドウ糖濃度7.5 mMの培養液・初期密度7800 cells/mm2 で培養した神経回路網の 自発性神経活動頻度は,培養日数の経過に伴って増加したが,ブドウ糖濃度17.5 mMの培 養液・初期密度 7800 cells/mm2 で培養した神経回路網と比して自発性神経活動頻度と自発 性バースト活動頻度が有意に低下し,自発性同期バースト活動頻度には有為な差は無かった
(図3.23,3.24).これは,低ブドウ糖濃度下で培養することにより,自発性神経活動やバー スト活動を発生させるためのエネルギーが不足し,活動を分散して同期的な活動を維持した 可能性がある.また,神経細胞を低密度で播種し,培養した神経回路網においても通常の条