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第1章 『五護陀羅尼』経典の成立と特色

3. 考察

ここで、2種の『大寒林陀羅尼』を比較検討してみる。まず、ŚV-A本ではラーフラ 尊者が大寒林において数々の障りを受けて苦しみ、世尊のもとを訪れて涙を流していた。

世尊が理由を尋ねたところ、ラーフラ尊者はその胸中を打ち明ける。世尊は諸々の障り を防ぎ、障りをなす者の頭が7つに割れる「大寒林」という名の陀羅尼をラーフラ尊者 に授ける。それを聞いたラーフラ尊者やその場にいたものは、即座に歓喜した、という 内容を持つ。一方で、ŚV-B本は帰依文から始まり、大寒林(屍林)における世尊と四 天王の対話、様々な障りや災難と大寒林陀羅尼の効能、様々なヤクシャたちの恐ろしい 姿や、世尊と四天王の陀羅尼呪、そして儀軌によって主に構成されている。

ŚV-A本とB本の間では、主に以下の点が共通している。まず、この陀羅尼が「寒林」

śītavanaで説かれていることや(A本[1.1], [2]、B本[1.1])、「結呪作法」による四衆の守 護(A本[3]、B本[4]等)、そして「害をなす者の頭が7つに裂ける」という表現である

(A本[3]、B本[0], [1])。

結呪作法とは陀羅尼を体に結び付け守護を期待する儀礼的行為である。また、B本、

A本では頭が7つに割れるという、いわゆる「頭破作七分」が説かれている。さらにA 本では「アルジャカの花房のように」と付加されている。

そのほか、双方で列挙されている障りをなす者たちについて、ŚV-A本と比べてŚV-B 本の方が挙げられる鬼神や災いの種類は多い(ŚV-A, B本に述べられている障りをなす 者たちの対照について、以下の表8に示した)。グフヤカ、プータナ、スカンダ、伝染 性等、B本にしか見られない数々の障りもある(表827~43参照)。一方、A本に はトラ、カラス、フクロウ、豹等といった、B本に説かれていない実在する動物が障り をなす者としてあげられている(以下表818~26参照)。

以上、ŚV-A本とB本間の主な異同をあげたが、全体の内容構成からみても両者に隔 たりが大きいことは明らかである。特に、ŚV-A本における主要な登場人物のラーフラ がB本では登場しない。また、B本の終結部分には、A本にはないこの経典に関わる儀 軌としての記述がみられる。この2点がA本の構成とは大きく異なる点である。

むしろŚV-B本はA本よりも、五護陀羅尼経典の一つである『守護大千国土経』84の 方に共通点が見いだせる。『守護大千国土経』では、四天王が陀羅尼を述べた時に世尊 はさらに優れた守護の呪を説き、四天王は恐れ驚いて合掌した場面が説かれる。ŚV-B 本[4]においても、四天王がそれぞれ自身の「大寒林陀羅尼」を世尊に述べると、続け て世尊は自身が保持する「大寒林陀羅尼」を説き、四天王にこれを保持するように告げ た。これまで聞いたことのない陀羅尼を聞いた四天王は恐縮して、この優れた明呪を説 くようにと懇願した。このように、『大寒林陀羅尼』と双方ともに見なされているŚV-B

84 [岩本1975][Iwamoto1937a]参照。

本とŚV-A本間よりも、ŚV-B本と『守護大千国土経』間の方が内容構成の一部が類似 していることがわかる。

B本に見られるような四天王が世尊に自身の陀羅尼呪を述べる場面は『長部』「アー ターナーティヤ経」と共通していることが[Skilling1992: 141]によって指摘されている。

さらに『法華経』「陀羅尼品」にみられる毘沙門天と持国天が法師を守護するための陀 羅尼呪を世尊に述べる場面とも類似している。ただし、ここでは両経典ともB本にあ るような四天王の陀羅尼呪に対して世尊が改めて自身の陀羅尼呪を説く場面はない。

これまで述べたようにŚV-A, B本は双方とも『大寒林陀羅尼』とされる経典だが、そ の内容の隔たりは大きい。少なくとも、分量の多いB本が広本、少ないA本がその略 本という関係とはいえないだろう。

1.1「先行研究およびテキスト」にも述べたように、9世紀前半頃にチベットで編纂さ れた仏典目録『デンカルマ』『パンタンマ』において、『大寒林陀羅尼』は「五大陀羅尼」

の下に収録されている。『デンカルマ』に含まれている『大寒林陀羅尼』はŚV-B本で あると言われており 、同時期に編纂された『パンタンマ』でも同様の可能性がある。

少なくともチベットでは9世紀前後にはŚV-B本が五護陀羅尼の一つとして知られてい たと考えられる。

以上のことから、おそらくインドでは『大寒林陀羅尼』ŚV-A本、ŚV-B本の原型が存 在し、インド、チベットにおいて別個に発展していったと推測される。そのうち、ŚV-A 本はネパールなどの写本や漢訳において『大寒林陀羅尼』として残されたが、チベット 語訳では五護陀羅尼のグループに入らず、別名(『聖持大杖陀羅尼』)が与えられた。チ ベット語訳にはŚV-B本が収録されており、残存したと考えられる。

前述した経題やチベット語訳等の問題点に関しては先行研究によって指摘されてい るものの、なぜ『大寒林陀羅尼』がこのように2つの系統に分かれて展開したのか、そ の背景については今後の考察の課題としたい。

ŚV-A ŚV-B

サンスクリット・テキスト チベット語訳 漢訳 チベット語訳

1 devaデーヴァ デーヴァ 天(デーヴァ)

2 nāgaナーガ ナーガ (ナーガ) ナーガ

3 yakṣaヤクシャ གནོད་ ིན་ヤクシャ 藥叉(ヤクシャ) གནོད་ ིན་ヤクシャ

4 rākṣasaラークシャサ ིན་པོ་ラークシャサ 羅刹(ラークシャサ) ིན་པོ་ラークシャサ

5 marutaマルタ

6 asuraアスラ ་མ་ཡིན་アスラ ་མ་ཡིན་, ་མིནアスラ

7 kinnaraキンナラ མི་འམ་ཅི་キンナラ 緊捺囉(キンナラ) མི་འམ་ཅིキンナラ

8 garuḍaガルダ 嚕荼(ガルダ) ནམ་མཁའ་ ིང་ガルダ

9 gandharvaガンダルヴァ ི་ཟ་ガンダルヴァ ི་ཟガンダルヴァ

10 mahoragaマホーラガ ོ་འ ེ་ཆེན་པོ་マホーラガ 摩護囉誐(マホーラガ)

11 manuṣya མི་ མི་

12 amanuṣya人ではない者 མི་མ་ཡིན་པ་人ではない者 非人(人ではない者) མི་མ་ཡིན་པ人ではない者

13 pretaプレータ ཡི་གས་餓鬼 餓鬼(プレータ) ཡི་ གས་餓鬼

14 bhūtaブータ འ ང་པོ་ブータ 部多(ブータ) འ ང་པོブータ

15 piśācaピシャーチャ ཤ་ཟ་ピシャーチャ 比舍佐(ピシャーチャ) ཤ་ཟピシャーチャ

16 kumbhāṇḍaクンバーンダ ལ་ མ་クンバーンダ 供畔拏(クンバーンダ) ལ་ མ་クンバーンダ

17 ང་ ་風神 ང་ 風神

18 dvīpinトラ

19 kākaカラス ་རོག་カラス (カラス)

20 ulūkaフクロウ ག་པ་フクロウ 獯狐(フクロウ)

21 kīṭa昆虫 ོག་ ར་

22 sarīsṛpa地を這う虫

23 གཟིག་ヒョウ

24 ིག་ ལ་サソリおよび蛇

25

26 (カササギ)

27 གསང་བ་པ་グフヤカ

28 ལ་བོプータナ

29 ེམ་ ེདスカンダ

30 འཚ་ ་災害の原因

31 ོ་ ེད་ウンマーダ

32 ེན་ ་ ་巡り

33 ་བ་歩き回る者

34 འ ན་པ་快楽に忠実な者

35 ངན་ ེད་黒魔術

36 གཟི་ ིན་འ ོག་པ་輝きを奪う者

37 བ ེད་ ེད་忘念鬼、阿跋摩羅apasmāra

38 རིམས་ ག་པོ་悪性伝染病

39 རིམས་ཞག་གཅིག་པ一日の伝染病

40 རིམས་ཞག་གཉིས་པ་二日の伝染病

41 ཞག་ག མ་པ་三日

42 ཞག་བཞི་པ་四日

43 ས་འཕགས་ヴィデーハ

8. ŚV-A本, B本に見られる障りをなす者たちの対照表

「 」の文字は[大塚2011: 161]より引用した。

2

神格化された五護陀羅尼

1.

五護陀羅尼経典の神格化

南インドで生まれた『般若経』はドラヴィダ的な女性神崇拝と関連して発達し、初期 大乗経典の『八千頌般若経』においては諸々の仏を生み出す母(仏母)として神格化さ れた73。般若波羅蜜は 5 世紀までに神格化され74、般若波羅蜜のサンスクリット

prajñāpāramitāが女性形であることから、主に女尊の姿をとる。

インドにおいて紀元前 1000~500 年ごろにかけて編纂されたバラモン教の聖典であ るヴェーダにおいては75、サラスヴァティーやラクシュミーといった女神が主に崇拝さ れており、7~8 世紀にヒンドゥー教で女神崇拝が勢力を増し始めるまで女神自体の勢 力は微少であった。日本においても仏教パンテオンの分類は、主に「仏」「菩薩」「明王」

「天」に分類され、女神は主に「菩薩」もしくは「天」に分類されていた。しかしなが ら、インド、ネパール、チベットの密教においては、「女神」が独立したカテゴリとし て分類されるようになり76、女尊は密教のパンテオンの中で重要なカテゴリーの一つと されている。

陀羅尼を示すサンスクリットdhāraṇī が女性形であることから、陀羅尼は主に女尊と して神格化することが多い。五護陀羅尼もそれぞれ明妃としてあらわれ、『大随求陀羅 尼』は「大随求明妃(マハープラティサラー)」、『守護大千国土経』は「大千摧砕明妃

(マハーサーハスラプラマルダニー77)」、『孔雀王呪経』は「孔雀明妃(マハーマーユー リー)」、『大寒林経』は「大寒林明妃(マハーシータヴァティー78)、『大護明陀羅尼』は

「密呪随持明妃(マハーマントラーヌサーリニー79)」等と呼ばれている(表2参照)。 例えば、孔雀明妃は孔雀が毒蛇を食べることからその除毒の能力が神秘化され、4~5 世紀に大孔雀明妃として女神の姿をとった80。中国、日本では仏母孔雀明王と呼ばれ信 仰されており、二臂81、四臂、六臂などの姿をとる。息災延命、除難、請雨のために修 される孔雀経法の本尊は金色の孔雀の上に坐し、体色は白で、慈悲の相を示す。四臂の

73 (渡辺1995, 143)

74 (佐久間2015)

75 (佐々木1966, 8-9)

76 (立川2015, 23-5)

77 NPY No.18では「マハーサーハスラプラマルディニー」mahāsāhasrapramarddinīと表記される

が、本論文では特に記述がない限り「マハーサーハスラプラマルダニー」

mahāsāhasrapramardanīに統一する。

78 SM No.200, 201, 206では「マハーシタヴァティー」mahāsitavatīと表記されるが、本論文では

特に記述がない限り、「マハーシータヴァティー」mahāśītavatīに統一する。

79 SM No.206では「マハーマントラヌサーリニー」mahāmantranusāriṇī、[Bhattacharya 1968b]では

「マハーマントラーヌダーラニー」mahāmantrānudhāraṇīと表記されるが、本論文では特に記 述がない限り、「マハーマントラーヌサーリニー」mahāmantrānusāriṇīに統一する。

80 4~5世紀に孔雀がヒンドゥー教の影響を受け、神格化されたという(岩本1975,26)

81 胎蔵界曼荼羅蘇悉地院(そしつじいん)における孔雀明妃がその例である。(中村1988, 644)