第1章 『五護陀羅尼』経典の成立と特色
4. 考察
4.3 五護陀羅尼各明妃の図像的特徴
4.3.5 密呪随持明妃
密呪随持明妃はNo.199, 201では一面四臂、No.206では西の方角に位置する、三面十 二臂で三眼の女神である。
種字はNo.199ではフーム(hūṃ)字、No.206ではマム(maṃ)字である。
肌の色はNo.199, 201では体色が黒、No.206では体色が白で、三面のうち正面の色が
白(b 黒)、右面が青黒(b 白)、左面は赤である。
持物はNo.199では四臂のうち、右の第一臂に金剛杵、第二臂に与願印、左の第一臂
に斧(b 羂索)、第二臂に羂索(b 斧)を持つ。No.201では四臂のうち、右の第一臂に 剣、第二臂に与願印、左の第一臂に斧、第二臂に羂索を持つ。No.206 において十二臂 のうち、左右の第一臂に転法輪印、第二臂に禅定印を結ぶ。右の第三臂に与願印、第四 臂に施無畏印、第五臂に金剛杵、第六臂に矢を持ち、左の第三臂にタルジャニー印と羂 索、第四臂に弓、第五臂に宝石の傘(b 宝石棒)、第六臂に蓮華マークの水差しを持つ。
座法はNo.206では日輪の上で展右の姿勢である。
王冠は No.199 では阿閦仏の化仏がついた王冠、No.206 では宝石の王冠をつけてい
る。
その他の特徴としては、No.206 では首飾り、くるぶしの飾り、イヤリングをつけ、
シリーシュの樹で飾られている。
NPY の密呪随持明妃は、大随求明妃の南の方角に住する、三面十二臂の女神。日輪 の光背で、金剛結跏趺坐に坐す。体色は青黒(b 黒)で、三面の色は中央の面が青黒(b 黒)、右面は白、左面が赤である。十二臂のうち、左右の第一臂と第二臂はSM No.206 と同様に、転法輪印、禅定印を結ぶが、他の臂の持物は異なっている。右の第三臂には 金剛杵、第四臂に矢、第五臂に与願印、第六臂に施無畏印を持ち、左の第三臂にタルジ ャニー印と羂索、第四臂に弓、第五臂にひとかたまりの宝石、第六臂に蓮のマークがつ いた壺を持つ。
以上がSM、NPYに説かれている五護陀羅尼各明妃の姿である。次の表15~17はこ れまでに述べた五護陀羅尼各明妃の図像的な特色の一覧である。なお、いずれの表も [Bhattacharya1968b][Lokesh,Chandra2003]を参考に筆者が作成した。
表.15 SMにおける五護陀羅尼成就法(No.194~200)
No.194 No.195 No.196 No.197 No.198 No.199 No.200
大随求明妃 大随求明妃 大随求明妃 孔雀明妃 大千摧砕明 妃
密呪随持
明妃 大寒林明妃
体色 黄 緑 白 黒
顔 四面三眼 四面三眼 四面三眼 三面三眼 一面 一面 一面
正面 黄 黄 黄 緑 白 黒 赤
右面 白 白 黄白 黒
背面 青 青(黄) 白
左面 赤 赤 赤茶 白
臂 八臂 八臂 八臂 六臂 六臂 四臂 四臂
右手1 剣 剣 剣 孔雀の尾羽 剣 金剛杵 数珠
右手2 輪 輪 輪 矢 矢 与願印 与願印
右手3 三叉戟 三叉戟 矢
(b三叉戟) 与願印 与願印
右手4 矢 矢 三叉戟
(b矢)
左手1 斧 羂索 斧 宝石の山 弓 斧
(b羂索) 金剛鉤針
左手2 弓 斧 羂索
(b弓) 弓 羂索 羂索
(b斧)
胸の近くの 書物
左手3 羂索 弓 金剛杵
(b羂索) 膝にある水瓶 斧 左手4 金剛杵 金剛杵 弓
(b金剛杵) 王冠 様々な宝石
の王冠 宝冠 不空成就の
化仏
大日如来の 化仏
阿閦仏の 化仏
阿弥陀仏の 化仏
座 遊戯坐 遊戯坐 遊戯坐 半跏坐 半跏坐
表16. SMにおける五護陀羅尼成就法(No.201~206)
No.201(五護陀羅尼マンダラ) No.206(五護陀羅尼マンダラ)
大随求
明妃 孔雀明妃 大千摧砕 明妃
密呪随持 明妃
大寒林 明妃
大随求 明妃
大千摧砕
明妃 孔雀明妃 密呪随持 明妃
大寒林 明妃 位置
前 述 の 如 く
東 南 西 北
体色 黄 緑 黒 赤 白(gaura,
dkar po) 青黒 黄 白
(śukla) 緑
顔 三面三眼 一面 一面 一面 四面三眼 四面三眼 三面三眼 三面三眼 三面三眼
正面 黄 緑 白 青黒 黄 白
(b黒) 緑
右面 黒 青黒
(b黒) 白 青黒
(b黒)
青黒
(b白) 白
背面 黄 黄
左面 白 赤 緑 赤 赤 赤
臂 十臂 二臂 四臂 四臂 八臂 八臂 八臂 十二臂 六臂
右手
1 剣 孔雀の
尾羽 剣 剣 輪 与願印と金
剛杵(b剣)
与願印
(b剣) 転法輪印 施無畏印
(b矢) 右手
2 金剛杵 与願印 与願印 金剛杵 鈎針(b弓) 宝石の水差
し(b輪) 禅定印 金剛杵 右手
3 矢 矢 矢
(b鈎針)
輪(b宝石
の水差し) 与願印 矢 (b施無畏印) 右手
4 与願印 剣 剣(b与願印
と金剛杵)
剣
(b与願印) 施無畏印
右手
5 胸元に傘 金剛杵
右手
6 矢
左手 1
弓
(b斧) 与願印 斧 斧 金剛杵と
羂索
タルジャニ ー印と羂索 (b蓮華上の 16の宝石)
乞食の鉢
(b宝石の旗) 転法輪印
タルジャニ ー印と羂索 (b宝石の旗) 左手
2
旗
(b宝石の山) 羂索 羂索 三叉戟 斧
(b弓)
孔雀の尾羽 (b水差しの 上の二重金 剛)
禅定印 弓
左手 3
宝石の山
(b旗) 弓 弓
(b斧)
水差しの上 の二重金剛 (b孔雀の尾 羽)
タルジャ ニー印と 羂索
宝石の旗(b タルジャニ ー印と羂索)
左手 4
斧
(b弓) 斧
蓮華上の16 の宝石(bタ ルジャニー 印と羂索)
宝石の旗
(b乞食の鉢) 弓
左手
5 法螺貝 宝石の傘
(b宝石棒) 左手
6
蓮華マーク の水差し 王冠 宝生如来
の化仏 仏塔 宝冠 宝冠 如来の
化仏 座 半跏遊戯
坐
金剛結跏
趺坐 遊戯坐 結跏趺坐 日輪上で 展右
日輪上で 展右
No.18「五護陀羅尼マンダラ」
大随求明妃 大千摧砕明妃 密呪随持明妃 大寒林明妃 孔雀明妃
位置 中心 東 南 西 北
体色 黄色 白 青黒
(b黒) 赤 緑
光背 黄赤
(b体色は黄、光背は赤) 月輪の輝き 日輪の輝き 日輪の輝き 月輪の輝き
顔 四面 四面 三面 三面 三面
正面 黄色 白 青黒
(b黒) 赤 緑
右面 白 青黒
(b黒) 白 白 青黒
(b黒)
背面 青黒
(b黒) 黄色
左面 赤 緑 赤 青黒(b黒) 白
臂 十二臂 十臂 十二臂 八臂 八臂
右手 1
宝石の山 (b輪)
蓮華の上にある
八輻輪(b剣) 転法輪印 蓮と施無畏印 (b剣)
孔雀の尾羽 (a宝石) 右手
2
輪 (b金剛杵)
与願印
(b矢) 禅定印 矢
(b金剛杵) 矢
右手 3
金剛杵
(b矢) 鉤針 金剛杵 金剛杵
(b矢)
与願印 (b剣) 右手
4
矢
(b剣) 矢(b与願印) 矢 剣(b施無畏印と蓮) 剣(b与願印) 右手
5
剣 (b与願印)
剣 (b蓮華の上に
ある八輻輪)
与願印 右手
6
与願印
(b宝石の山) 施無畏印
左手 1
金剛杵 (b羂索)
金剛杵
(b羂索) 転法輪印 タルジャニー印と羂索 器の中の比丘 左手
2
羂索 (b三叉戟)
タルジャニー印
(b弓) 禅定印 弓 弓
左手 3
三叉戟 (b弓)
羂索
(b斧もしくは羂索) タルジャニー印と羂索 宝石の旗
宝石がこぼれおちる 膝の上にある水差し (b二重金剛と宝石の
模様がある旗) 左手
4
弓 (b斧)
弓
(bタルジャニー印) 弓 胸元にある経典
二重金剛と宝石の模 様がある旗(b宝石が こぼれおちる膝の上
にある水差し) 左手
5
斧 (b法螺貝)
羂索 (b金剛杵)
ひとかたまりの 宝石 左手
6
法螺貝 (b金剛杵)
蓮のマークが ついた水差し
座 金剛結跏趺坐 遊戯坐 金剛結跏趺坐 半跏趺坐 結跏趺坐
表.17 NPYにおける五護陀羅尼成就法(No.18)
以上SMとNPYにおいて、五護陀羅尼の姿には相違が見られた。まずSM No.206と
NPY No.18における五護陀羅尼の各明妃の位置関係に関して、大随求明妃はマンダラの
「中央」に、大千摧砕明妃は「東」に位置するとあり、この二尊の位置関係は両テキス トで一致している。しかし孔雀明妃の位置する方角はSM No.206では「南」だが、NPY
No.18では「北」に存在すると述べられている。以下同様に、大寒林明妃の位置はSM
No.206では「北」、NPY No.18では「西」と記されており、密呪随持明妃の位置する方
角はSM No.206では「西」、NPY No.18では「南」とあり、テキストによって異同があ
ることがわかる。
一方で共通点は、大千摧砕明妃の座法は遊戯坐とあり、これはSM No.198, 206とNPY
No.18で同じくしている。また、大寒林明妃の座法は、No.200とNPY No.18で共通して
半跏(趺)坐に坐している。孔雀明妃の体色と顔の色は、SM No.197とNPY No.18にお いて共通している。また、各明妃の持物は儀軌によって異同が見られる中で、孔雀明妃 に関してはいずれかの手で孔雀の尾羽を持ち、与願印を結んでいることが儀軌の中で共 通している。
同じ尊格について述べられた儀軌であっても、その姿は必ずしも一致するものではな い。このことはサンスクリット・テキストとチベット語訳間のみならず、サンスクリッ ト写本間においても同様であった。
しかしながら、大随求明妃に関してはテキストによって持物の持ち手が異なることは あるものの、その種類(剣、矢、弓、金剛杵、斧)や黄色い体色、そして、マンダラと して描かれる際には中央に位置することなどが共通しており、この点が大随求明妃の特 色といえよう。さらに、大随求明妃の図像的特徴は他の4尊と比較して詳細に記述され ており、五護陀羅尼の中でも重要な尊格として位置付けられていると考えられる。
結 論
これまで、インド密教における陀羅尼経典の一種である五護陀羅尼経典、およびそれ らが神格化した際の成就法の特色について述べた。「五護陀羅尼」とは特定の5種の初 期密教経典、およびそれらが神格化した女尊のグループを指す。インド密教における五 護陀羅尼とは、『大随求陀羅尼』Mahāpratisarā、『守護大千国土経』Mahāsāhasrapramardanī、
『孔雀王呪経』Mahāmāyūrī、『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī、そして『大護明陀羅尼』
Mahāmantrānusāriṇīの5種の陀羅尼経典である。五護陀羅尼の各経典は単独で成立し、
主にネパール、チベット、中央アジア、中国、日本に広まった。
そもそも陀羅尼とは密教において呪文の一種として考えられ、真言や呪文と混用され ることが多い。陀羅尼を示すサンスクリットのdhāraṇī は「記憶」「憶持」等と訳され、
呪文の一種としての陀羅尼の役割とは異なった意味を持っていたが、遅くとも3~4 世 紀には陀羅尼に呪の機能が付加されていたと推測されている。五護陀羅尼に属する経典 もまた、様々な呪の機能が期待されている初期密教経典に含まれる。
五護陀羅尼経典の成立年代は明確ではないが、3世紀頃に成立したといわれる『孔雀 王呪経』が最も早く、終結部に他の五護陀羅尼の経典名が記述されている『守護大千国 土経』が最後に成立したという。さらに、『大随求陀羅尼』は遅くとも6 世紀には北イ ンドで知られ、さらに8 世紀初頭には五護陀羅尼の一つとして組み込まれてネパール、
チベット、中央アジア、中国、日本に広まったという。
五護陀羅尼の各経典は守護のための陀羅尼や供養の儀軌のほか、様々な説話や物語が 説かれている。特に、五護陀羅尼のうち『大随求陀羅尼』は最も文学的であるといわれ、
挿入されている物語の数も五護陀羅尼経典のなかで最も多い。そのいずれもが『大随求 陀羅尼』によって救済される主旨である。『守護大千国土経』は、四天王がヴァイシャ ーリーにおいて様々な障りを受けるリッチャヴィ族に対する悪鬼の類を鎮める呪を世 尊に述べたが、世尊はさらに優れた守護呪を説いて衆生に安寧をもたらすという場面が 説かれる。『孔雀王呪経』は世尊がシュラーヴァスティの給孤独園に住していた時、黒 蛇に噛まれたスヴァーティーを世尊の「孔雀王呪経」によってその毒を浄化することが 説かれている。また、経典中では世尊が昔、スヴァルナ・アヴァバーサという名の孔雀 の王であったという、いわゆるジャータカ(本生譚)が語られる。また経典中には、呪 文がドラヴィダ語であるとの記述がある。
そして『大寒林陀羅尼』においては2つのバージョンが指摘されている。これについ ては以下に述べる。『大護明陀羅尼』は、世尊がヴァイシャーリーに蔓延している疫病 を鎮めるための「大護明陀羅尼」をアーナンダに授ける場面が説かれる。この『大護明 陀羅尼』は根本説有部律の『薬事』「ヴァイシャーリープラヴェーシャ」と内容をほぼ 同じくしており、先行研究によって関連性が考察されている131。また、この『大護明陀 羅尼』にもチベット語訳の別本が存在が指摘されており、そこでは世尊がシュラーヴァ スティの給孤独園に住している場面が説かれている。
131 [奥山1998]