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第三章   武田孫平治「略日記」の世界

一   織田家の高畠入封

「略日記」には天明三年までの小郡山村の領主の変遷を、表

預地(預所)となった。預地とは、幕府領を大名に預けて あずかりち 府領、寛保三年から明和三年(一七六六)まで米沢藩の 米沢藩領だった。同二年から寛保二年(一七四二)まで幕 長五年(一六〇〇)から元禄元年(一六八八)まで上杉氏 はわからないが、豊臣政権下の蒲生氏郷の支配を経て、慶

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のように書きとめている。この表では中世までの動き

統治させ、年貢収入は幕府に納入させる制度のことである。徴税した年貢の一部は藩に与えられていた。明和四年(一七六七)に、織田信 のぶちか浮が、上野国小 ばた(群馬県甘楽郡甘楽町小幡)から転封して、織田家高畠藩が始まる。これより前、織田家小幡藩の時代に、同藩家老の吉田玄蕃が江戸で儒学・兵学を教える山県大弐と親交があった。その山県が幕府に批判的で尊王論の立場から江戸城攻防を論じたため、吉田玄蕃と対立していた同藩御用人が吉田に謀反の疑いありと藩主に讒訴した。明和三年、藩主信邦は吉田らを処分し、事件の収拾を図ったが、幕府は信邦らの対応は不適切として、翌四年、信邦を蟄居させて実弟の信浮に家督を相続させ、出羽国高畠に移封を命じたのである。家臣の権力闘争のとばっちりを受けて転封となり、しかも織田信長の子孫として認められていた国主格の待遇も廃されたのだから、藩主としては痛恨の極みとでもいうべき事件だっただろう。小幡藩時代は約二万石だったが、高畑藩としても二〇、三一四石の所領を与えられた。その内訳は表

だった。村山郡の一〇か村はそれまで幕府領だったが、置 に奥羽山脈を越えた陸奥国信夫郡三か村の合計一九か村 りである。出羽国の村山郡一〇か村、置賜郡六か村、それ

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の通

表 1 小郡山村領主・代官変遷一覧

年   代 期間 領  主

天正 18 ~慶長 5 蒲生飛騨守知行所

慶長 5 ~元禄 1 上杉景勝知行所(上杉藩領)

元禄 2 ~寛保 2 幕府領(代官名)

元禄 2 ~同 7 6 年  柘植伝兵衛 元禄 8 ~正徳 2 18 年  窪田長五郎 正徳 3 ~享保 6 9 年  岡田庄太夫 享保 7 ~同 17 11 年  森山勘四郎

享保 18 1 年  永井孫次郎

享保 19 ~元文 1 3 年  関忠太夫 元文 2 ~同 4 3 年  吉田久左衛門 元文 5 ~寛保 2 3 年  佐山半次郎

寛保 3 ~明和 3 24 年 上杉大炊寺預所(上杉藩領)

明和 4 ~当年まで 17 年 織田左近将監知行所

表 2 明和 4 年(1768)織田家高畠藩の所領 所領合計 20,314 石

出羽国置賜郡(6 か村)4,646 石 高畑村(高畠町高畠)

小郡山村(同 小郡山)

塩森村(同 塩森) 

泉岡村(同 泉岡) 

相森村(同 相の森)

柏木目村(同 柏木目)

出羽国村山郡(10 か村)12,352 石

天童六か町(一日町、三日町、五日町、本町、小路、仲町)(天童市)

成生村(同 成生)

久野本村(同 久野本)

矢野目村(同 矢野目)

芳賀村(同 芳賀)

蔵増門伝村(同 長岡) 

清池村(同 清池) 

南高擶村(同 高擶)

島大堀村(東根市島大堀)

野田村(同 野田)

陸奥国信夫郡(3 か村)3,315 石 南沢又村(福島市南沢又)

大谷地村(同 笹谷字大谷地 泉村(同 泉)

*『織田藩と天童』天童市立旧東村山郡役所資料館、2008 年

高畠陣屋跡

賜郡六か村は米沢藩の預地になっていた。幕藩体制下において、大藩の場合は広域的な一円領地になっているが、数万石程度の大名領は分散することも少なくない。それを入り組み支配というが、関東や出羽国村山郡、陸奥国信夫・伊達郡はその入り組み支配が顕著な地域であった。織田家が入封した当時、孫平治は四七歳だから、おそらく村役人として受け入れに奔走したに違いない。織田家からは四〇〇人余が移住し、このうち侍分は一〇五人だったという

のは、そこが同じ織田家の領地だったからである。天童周 化七年(一八一〇)、軍太が天童に進出して道場を開いた は、武田軍太の剣術活動にも大きな影響を与えている。文 織田家が置賜郡のほかに村山郡天童に所領を得たこと る。 幕府に願い出て、文政一一年(一八二八)に許可されてい なった。そのため織田家は、天童に陣屋を移転することを 上が天童周辺になったことから、天童陣屋の役割が大きく た。置賜郡六か村は残ったが、藩の領地のうち四分の三以 信夫郡三か村が除かれて出羽国村山郡に知行高が増やされ の後、寛政一二年(一八〇〇)に領地替えがあり、陸奥国 たが、主陣屋は高畠に置かれ、天童は出張陣屋だった。そ 。石高からみれば村山郡のほうが三倍近く大きかっ 1 ている。 辺における軍太の活動については、論説編第二章で紹介し

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