1。栃木県産アカキツネの形態的・生態的特徴
外部形態の指標となる基礎計測部位の体重や頭胴長は,アカキツネの中 では小さい部類に属し,ほぼ同緯度の北アメリカ個体群に近いというのが 形態上の一つの結論である.本来であれば本州のアカキツネの地理的変異 は東アジアのアカキツネの形態変異として,北海道や朝鮮半島,中国華央,
華北,そしてその周辺の華南,極東ロシアと比較するべきである.しかし これらの地域の外部形態は全く調べられておらず,これらの調査,比較が 今後の課題である.また本州以外の頭蓋骨の変異はベルクマンの法則に合 致しており,本州個体群の特殊性という見方が必要となるのかもしれない.
地理的に近縁な個体群は,気候的環境が似ているだけではなく,分布の変 遷上にも関係がある.過去の分布などの情報は化石証拠から得られる.
アカキツネVu1pesvu1pesは約40万年前のミンデル氷期にユーラソアでV a1opec01desと分化したとされる(今泉,!994).日本への進出経路や分布 の拡大がどのように起こったかにはいくつかの説があり,また近年その見
直しがさ 黷トいる(亀井ら,1988;河村ら,1989:河村,!992).今泉(!99 4)は最も古い本州への進出はリス氷期(20−15万年前)の可能性があるとし ている.化石証拠では中期更新世の中期(6万年前)の山口県住友・安藤の 両採石場で確認されたものが最も古い(河村ら,1989).
ユーラシアのアカキツネは,後期更新世のウルム氷期(最寒冷期は2万 年前)になると,陸化したべ一リング海峡を通って北アメリカ大陸に進出 するが,この時シベリアやサハリン経由で北海道にも進出したと考えられ ている(今泉,1994).ただし北海道の化石は極端に少なく,キツネ進出の 証拠はない(河村,1985).この時に北海道へ進出したとして,それが本州 陸塊(本州・四国・九州)まで進出した可能性について,最近は否定的な見 解が多い.河村(1985)は本州陸塊の化石証拠に北方からの侵入が極めて限 定されていることから,津軽海峡の陸化は完全ではなく一時的な氷橋であ ったのではと考えている.この議論にはウルム氷期の海水準変動が陸橋形 成に十分だったかを明らかにする必要があるが,第四紀研究者間でも意見
が対立している一津軽両海峡が陸化するためには最低1!0m(一般には120か ら140m)の海水面低下が必要とされる(大嶋,1982).これに関して現在は 一!40m説が一般的で陸橋は形成された(大場,1988;岩淵・加藤,1988)
とされているが,80mしか下がらず陸橋はできなかったという説も(大嶋,
1990)反証を続けている.
河村(1992)は本州陸塊の哺乳類は後期更新世以前に華北(および華央)の 動物群が朝鮮半島経由で進出したものとしてる.北海道は後期更新世にも 大陸とサハリンを通じてつながっており,マンモス動物群の進出はあった が津軽海峡を越えてきたものは少ないとしている.問題はウルム氷期のキ ツネが大移動し世界に分かれていったと思われる時,すでに本州陸塊に進 出していたはずのキツネがその後も独自性を保てたかである.これが証明 できれば本州のキツネは,ヨーロッパや北アメリカのキツネとは異なる進 化的歴史を持っと考えられる.これを支持する一つの情報がある.3.5万 年から4万年前と年代推定される上部葛生層から発見されたキツネの化石
は,現在の本州にいるキツネより大きいと記載されている(河村,1985).
ここでいわれる本州の現生キツネとはどのような資料なのかは分からない.
またとδ位大きいのかも分からないが,この大きなキツネが本州のキツネ の祖先なのであれば,本結果の頭蓋骨の大きさに根拠を与え得る.更新世 の年代は徐々に温暖化してくるため,早い時期に進出してきた本州のキツ ネは大きく,後から進出した北海道のキツネは小さかったかもしれない.
その名残が頭蓋にはあるが外部形態はその後の気候に適応して変化してし まったとも考えられる.
ただし化石は産出数が少なく,ほとんどは不完全な状態で発見される物 であり,これに根拠を求めるのはかなり難しそうである.また化石証拠で はその時期に生存したかしなかったか(絶滅)が分かるだけで,個体群の交 流があったかなどは分からない.そのため数は少ないにしても津軽海峡を 通じて2つの系統が双方へ入り込める場合,遺伝的独自性は保てなかった
のではないかとも考えられる.
体重と緯度の関係を単純に比較すると,栃木県産にキツネもベルクマン 則によく合致している.しかしその評価にもまだ問題があるだろう.ベル
クマン則を否定するMcNab(197!)の考えはかなり浸透しており,それにそ った新しい説も見られる.Boyce(1979)やLindstedt&Boyce(1985)は,
分布域を拡大するに従い,最適であった環境から離れるため,死亡率が高 まり相対的に優位な大型個体が選択され分布の境界に向かって大型化する としている.本州のアカキツネは極東のアジアに分布する南方亜種である.
その分布は中越国境が最南端であるが,島喚部としては九州以南には確認 されていない・このような分布のつながりや島としての特異性から,日本 の哺乳類の特異性は予想されてきたものの,その調査は徳田(!969)の生物 地理学で見られる探検,博物学的なものから余り進んでいない.地理的変 異の調査は一部の食虫類,ネズミ類以外ほとんど姿を消してしまった.そ の中でハタネズミ(Kaneko,1988)など特殊な傾向を持つものがいて,分布 と集団の進化様式の関係を明らかにする材料となるかもしれない.本州や 北海道のアカキツネが別のルートで大陸から侵入してきたとすれば,それ
ぞれは分布の先端をブラキストン線で向かい合わせていることになるし,
サハリンからの単一ルートとしても本州以南の個体群は島喚部では先端と なるため非常に興味深い.
比較的よく調べられている西洋の個体群でも,その概要が明らかになっ て40年程であり,齢変異まで考慮に入れた詳細な解析はまだない.またそ の解明の動きは日本同様鈍く,これからの課題も多い.形態変異の中の地 理的要因を十分な試料数を用いて,多変量解析など最近の手法で再検討す る必要があり,その中で日本の個体群は鍵になる位置を占めるかもしれな い.しかし全く残念なことに日本でキツネを調べることの意義を失わせる 事実がある.それが移入問題である.この詳細は2.で論じる.
生態組成において栃木個体群は交通事故が多いなど都市型の特徴を持っ ていた.本州は7割が山地で,3割の平地に人口が集中する.栃木県はこ の平均像に近く,関東平野の北部から丘陵地に人口の集中が見られる.キ ツネは元来平地の草原を好む動物と考えられており,利用する場所が人問 と重なる.このことが交通事故死亡と関係しているだろう.フィールド調 査を行った足尾は交通量も少なく,交通事故は少ない.調査地の多くが鳥 獣保護区で,人為的な死亡要因は保護区外での,年間5頭前後のワナ猟が
目立つ位であった・この状況下で年間1頭を死亡させる本調査は,キツネ にとって脅威だったかも知れない.少ない試料からではあるが,足尾個体 群では5才以上の高齢個体も多く確認でき,5才以上が6%とする博物館 試料からの推定値とは異なった.足尾のようにほとんど狩猟の影響がない 地域でのこの印象は,Phi11ips(1970)の仮説を裏付けている.栃木県内
にもこのような地域はまだあるだろうし,狩猟対象として毛皮の価値が特 に低くなった本州のキツネに関して,このような場所は少なくないだろう.
ただし統書十上の狩猟数は増加しており,狩猟者が少なくなったこともあっ て狩猟実績は一部の地域に集中している(Fi9.20A).日本でもやはり人間 が狩猟や交通事故によって個体群組成に大きな影響を及ぼしていることを
示唆する.
当初の設定目標であった通年の複数個体の追跡は雄に関して達成できた.
試料数は十分ではないがこれにより行動圏の年周期変動を追跡でき,繁殖,
非繁殖個体の違いも見ることができた.一方雌は通年追跡できたものは1 個体でしかも育児を中止する異常行動があり,残念ながら解明できたとは
言えない.
調査個体の長寿から高密度が予想されたが,推定値は低密度であった.
亜成獣雌(F1)が数少ない良好なハビタットに行動圏を配置し,出産から育 児に致った.しかしF4に見られるような失敗も見られた.各事例から結論 を導き出すことは困難であり,かっ調査期間中密度変化がなかったとは言 い切れない.これは前年の育児条件で大きく変わるであろうから,毎年変 わっていると考えるべきであろう.全体で見れば今まで研究されてきた調 査地の中でも低い密度であるとの判断は妥当と思われ,密度依存する生活 史特性の低密度下でのデータ追加ができ,理論を支える,もしくは疑問を 呈する研究となった.
足尾個体群の生態パラメータは密度依存し,低密度の反映で行動圏サイ ズは大きかった.本州で唯一の比較材料はEguchi et a1.(1977)が報告し た阿蘇個体群であるが,これより行動圏面積は20倍以上大きかった.しか
しこの差は地域差というよりも調査方法の違いによるデータの質の差が大 きく影響しているだろう.Eguchi et辿.(1977)では1日1点のデータか