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「居心地悪さ」体験の変容過程と視点転換

本研究では,面接中の初心者セラピストの体験を居心地悪さという観点から切り取るこ とを試みた。臨床心理学を専攻する大学院生,及び大学院を経て心理臨床職に従事して間 もない臨床家から,ケース担当中の「居心地悪さ」体験にまつわるエピソードを収集し,

その「居心地悪さ」体験とその変容過程の記述,及びその中に変容の契機としての視点転 換の探索を質問紙調査と面接調査の両面から行った。

第 2 章では,大学院生を対象に質問紙調査を実施し,初心者セラピストが体験する居心 地悪さとその体験が変化する契機となった事柄の抽出を試みた。その結果,居心地悪さに 関しては,セラピストに起因するもの,クライエントに起因するもの,状況に起因するも ののという 3 つの大きなカテゴリーが抽出され,初心者自身に起因する居心地悪さが多く 見られた。これは,知識・経験の乏しい初心者における特徴として捉えられた。一方,居 心地悪さが変化する契機としては,セラピスト側の変化,クライエントの変化,状況の変 化,関係性の構築,スーパーヴィジョンという 5 つの大きなカテゴリーが得られた。第 2 章では居心地悪さと変化の契機がそれぞれ独立に扱われているため,双方を面接のプロセ スに布置する作業が課題として残った。また,視点転換が行われていることが示唆された ものの,初心者の視点転換について詳しく明らかにすることができなかったため,再度検 討し直すこととなった。

第 3 章では,居心地悪さのカテゴリー及び居心地悪い場面の特徴について,形容詞対へ の評定をもとに検討を行った。質問紙調査によって得られた居心地悪い面接場面のクラス ター分析からは,セラピストとしての機能不全感,関わってくれないことへの焦り,役割 イメージの混乱,共同作業を壊す反応の 4 つの場面が得られた。セラピストとしての機能 不全感は,4 つの場面の中で最も居心地悪いとは感じられない場面であることがうかがえ,

これは,初心者自身,知識・経験不足を認識しており,ある程度そのことを受け入れてい るために,さほど居心地悪くないのだと考えられた。一方,共同作業を壊す反応が最も居 心地悪い場面であることが示され,これは面接の存続が初心者にとってセラピストとして の評価につながることや,クライエントの表出する感情に巻き込まれていることが考えら れた。また,居心地悪い面接場面には,初心者が抱く体験に根差していない空想的な治療 像と実際の面接場面との不一致が関与していることが示唆された。

第 4章では,面接調査から得られた「居心地悪さ」体験のエピソードを,第2章で得ら れたカテゴリーを用いて,その変容過程を検討し,そして,その中に見られる視点転換の 様相について探った。

「居心地悪さ」体験の変容過程については,セラピストに起因する居心地悪さのみのエ ピソード,クライエントに起因する居心地悪さを含むエピソード,継続中のエピソードの3

つに分類し,検討を行った。その結果,セラピストに起因する居心地悪さには見立てを修 正し,関わり方を変更することでセラピストとしての機能不全感が軽減していくこと,そ して,クライエントに起因する居心地悪さには見立ての修正がなされて,クライエントへ の理解が深まることを通して,クライエントに対して抱いていた否定的案条が軽減してい くことが見出された。これらの居心地悪さは,初心者が抱く体験に根差さない空想的治療 像と現実の面接場面との不一致によって空想的治療像が脅かされるために生じると考えら れた。居心地悪さの軽減には,空想的治療像が体験に根差さないものであることに気づき,

新たな視点を獲得し,空想的治療像を現実へ近づけていくことで不一致が一致へと向かう ことが必要であることが示された。

視点転換については,第 2 章では行われていることを明確に示すことができなかったも のの,第 4 章では時間枠やクライエントの表面的な部分への注目からクライエントの内面 へと視点が転換され,次にクライエントの内面に視点を向けつつもそこで試行錯誤してい る初心者の変遷が取り出された。そして,視点転換の過程には,外的に与えられた理論や 理解に依拠する“外発的な視点転換”と居心地悪さを感じつつも視点をクライエントの内 面へと向け続けることで,セラピストとクライエントの関係性の中で新たな意味を見出す

“内発的な視点転換”の 2 つがあり,いずれも,空想的治療像を修正する契機として必要 であることが示された。

本研究の意義と限界

本研究では心理臨床という新たな領域へと足を踏み入れた初心者セラピストの初期段階 に焦点をあて,「居心地悪さ」体験の内容とその変容過程,及び視点転換の様相をミクロに 検討してきた。質問紙調査と面接調査のいずれにも対象となった者は 2 名しかいないにも かかわらず,質問紙から得られたエピソードと面接調査から得られたエピソードには重な るものも多かった。これは,初心者セラピストの「居心地悪さ」体験には類似性があるこ とを示唆する。そしてその居心地悪さは,心理臨床の領域に踏み出したばかりの初心者が 抱く,体験に根差さない空想的治療像と現実の面接場面との不一致によって生じているこ とが示唆された。初心者は空想的治療像の変更の必要性に気づき,空想を現実の面接へと 近づけ,不一致を一致へと向かわせる作業を行うことが課題となる。このことはこれまで にも経験論的に語られてきたことと重なる点があると思われるが,本研究においてより実 証的,より詳細に明らかになったと言えるだろう。

また,初心者の空想的治療像を現実へと近づける契機としての視点転換について,外的 に与えられた理論や理解に依拠する“外発的な視点転換”のみならず,クライエントの内 面へと視点を向け続け,セラピストとクライエントの関係性の中で新たな意味を見出す“内 発的な視点転換”という 2 つの視点転換についても,初心者セラピストに有力な示唆を与 えることが期待される。

次に,本研究の限界について以下に3点挙げる。

まず,本研究において得られた知見は少数の,範囲の狭い対象者から得られたものであ り,ただちに一般化するのは危険であることが挙げられる。さらに対象者を拡大げた検討 が必要であろう。

二点目としては,居心地悪さを生じさせていた空想的治療像の内容をより明らかにする 必要性である。本研究においては,“協同作業としての面接”像やクライエントに対する“協 同的”に面接に取り組む役割期待,などが空想的治療像としてあることが示唆されたもの の,より具体的に初心者の抱く空想的治療像を明確化するには至らなかった。今後は,初 心者の抱きやすい空想的治療像やその類型化などがなされ,明確化されることが期待され る。

三点目は,面接調査で得られたエピソードに関して,そのエピソードにおけるクライエ ントや事例の理解の仕方の妥当性に関する検討を行っていない点である。それは本研究で は初心者セラピストの体験を核として検討を進めていたことと,筆者自身の理解力や判断 力の不十分さの 2 点に由来する。調査者が対象者と同等の立場や同じような境遇にある場 合,対象者が開示しがたいことが予想される本研究で扱っている内容が語りやすい,引き 出しやすい,対象者の体験に近づきやすいという利点がある。そのような利点がある一方 で,対象者の体験が十分に客観化されない問題点もある。故に,得られたデータの客観性 をより高める方法論が必要となろう。

終わりに

今回の検討において,初心者の居心地悪さが軽減していく過程は,クライエントを理解 するための姿勢を身につけていく過程として捉えることができる。東山(2004a)は,「心 理療法はつまるところセラピストとクライエントの共感を基盤にしている」と述べ,セラ ピストが徹底的にクライエントの話を聴き,理解することに徹する必要性を指摘している。

クライエントを理解するとは,クライエントに対する“分からなさ”を抱えつつ,繰り返 しクライエントの内面に視点を向け続ける過程であると言える。初心者は「居心地悪さ」

体験の変容過程の中で,クライエントの内面に注意を向け続け,感じ取るという心理臨床 における理解の態度を身につけていくのではないだろうか。確かに,「居心地悪さ」体験や

“分からなさ”を抱え続けることは,初心者にとって困難を伴うものと思われる。故に,

居心地悪さを感じなければよい,という結論に至るのは尚早であろう。福井(1990)が,

不快な感情は有機体にとって知覚されている対人関係や置かれている環境が望ましくない 状態であり,進行中の行動が適切でないことを知らせる信号だと述べるように,セラピス トの持つ見立てや関わり方を変更の必要性を示すシグナルであると考えられる。それを契 機にセラピストがこれまでの面接過程を省察し,新たな意味付けをし,異なる視点を獲得 する過程にこそ意義があるのではないだろうか。

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