第1節 会話教育におけるロールプレイ導入の改善について
先の第 2 章において、日本語の会話教育には、日本語によるコミュニケーションを重ね た結果、相手との肯定的な人間関係を築いていけるようになりたいという学習者の期待や 希望が大いに託されているものとして考え、担当者がそのことを教室活動の中で学習者と 共に実現していこうとするためには、人間関係の構築や強化という点を十分に考慮した上 でのコミュニケーションに主眼が置かれた学習活動を展開していく必要があると述べた。
そして本研究では、その「コミュニケーション」の働きを「ひととひととの間に共同性 という感覚を打ち立てること」(津村・山口編 1992[2004]:81)と捉え、そこをゴールと して導き出されるような日本語の会話教育を、「コミュニケーション場面に参加する意欲、
コミュニケーションに共感する喜びを重視し、日本語でコミュニケーションすることを楽 しむことを大事にし、楽しむことで上達するということを念頭に置く」(柳澤 2004:15)
ものと設定した。
こうした捉え方による「コミュニケーション能力」そのものについては、他者との「外 言」の取り交わしをいかに活発に行うことができるかというような能力のみならず、他者 からの「外言」を自己の内側に取り込んで咀嚼したり他者に伝えるための自己の「内言」
を十分に練り上げたりすることのできるような表現主体の「内側」での作業能力をも含む ものとして考え、そのためには学習者が日本語による社会において自己実現を図るための
「自己表現」の能力を高めることが大きく寄与するのではないかとした。
さらに、学習者がこのような「コミュニケーション能力」を日本語の会話教育を通して 高めていくためには、教室活動の中に「学習者と担当者が対等の立場で、ダイナミックに 言語活動に参加する場が確保されている」(細川 2002b:4)状態が必要となるとし、担当 者が学習者の「自己表現」のきっかけを引き出すことに努め、また学習者による「自己表 現」の試行錯誤が保証されている「場」というものを会話教育の中で設けることが急務で あると指摘した。
そこで本研究では、特に中級や上級レベルでの会話教育における「自己表現」のための 学びの「場」というものを具現化すべく、会話教育の教室活動としてこれまで非常に多く 取り入れられてきたロールプレイを取り上げ、これを詳細に考察することにした。
先に見てきたように、従来の会話教育においてロールプレイは、提示されたモデル会話 などを学習者がその場で“正しく”発話できているかどうかを確認するためのいわば「発 話再生確認のための手段」として用いられていることが多く、この方法によるロールプレ イの利用方法が、実際には現実場面でのコミュニケーションにあまり有効とならないこと に担当者が気付きながらも、その実施方法などについてはこれまで取り立てて改善策が講 じられるようなこともなかった。
そこで本研究では、ひとくくりにされがちなロールプレイが、実はその実施方法や内容 などによって多様な種類があることや、それぞれの方法に「自己表現」のための学習課題 が存在することなどについて指摘した。その課題の中でも、特に担当者が「その日の学習 事項」や「日本語の運用に関する情報」の側に学習者を引き寄せるような形で実演を促す ような場合には、ロールプレイによる学習活動が「高度なドリル練習」(才田 2002[2005]:
123)以上のものとはなり得ないことがあり、その結果、学習者が既習の表現形式を現実の 場面で自由に運用できるようになることも望めなくなるのではないかと思われた。
本研究ではこれらのことを踏まえた上で、日本語教育における従来のロールプレイの利 用方法を省みながら新たな活用方法を見出すために、第3章において日本語教育以外の分 野でのロールプレイについて概観した。その分野とは、日本語教育と関連の深い異文化間 コミュニケーションの分野や小中学校などの学校教育の分野、そしてロールプレイが活用 されてきた歴史が長い臨床心理学の分野の三つであった。
異文化間コミュニケーションの分野では、いわゆるコミュニケーション・トレーニング と言われるものにロールプレイが多く用いられており、そこでは体験から内省を経て再び 体験へとつないでいく循環的な学びの流れを持つ「体験学習」の要素をふんだんに生かし た形で活用されることが多いことがわかった。また、学校教育の分野においては、ロール プレイが児童や生徒たちが社会生活を円滑に送るための社会的な表現スキルを身につける ための手段として用いられているだけではなく、彼ら彼女らがロールプレイの実演を通し て自己や他者の言動に関する気付きを深めていくことを目的とした対象プログラムの中で 多用されていることがわかった。そして、臨床心理学の分野では、ロールプレイが多くの 精神療法において用いられていると共に、人間関係における諸問題などの「対人葛藤」(大 渕 2003:19)に対して実演者が課題解決のための手がかりを自ら得るためのきっかけ作り として活用されていることからも明らかなように、ロールプレイの本質的な利点が「内面 の構造化」(小野他 2002:50)という働きに認められた上で自己認知の促進という点に重
きが置かれていることが分かった。
このように、ロールプレイの本質的な特長を活かした上で、これを会話教育の学習活動 のひとつとして取り入れていくためには、心理学などの分野においてすでに確立されてい るような体系的な方法論を参照することが有効になると思われたため、本研究では、「アサ ーティブネス」(ディクソン 2006)というコミュニケーションの捉え方や、「アサーティブ なコミュニケーション」を成すためのそのトレーニングの具体的な学習活動などが参照で きるのではないかとして、第4章において「アサーティブネス」というコミュニケーショ ン理論を援用することの可能性について考察した。
「アサーティブネス」とは、ディクソン(2006:3)によれば、「相手の権利を侵害する ことなく、自分はどうしたいのか、何が必要なのか、そしてどう感じているのかを、相手 に対して、誠実に、率直に、対等に、自身を持って伝えることのできるコミュニケーショ ンの考え方と方法論」を指し、こうした表現方法を身につけるためのものとして、小グル ープでのロールプレイの実演とそのフィードバックを中心とした「アサーティブトレーニ ング」というものが存在することになる。そしてこの「アサーティブネス」の捉え方にお いては、表現主体が「外側」での表現方法について考える前に感情などの自らの「内側」
で起こっていることを的確に捉えるということが重要視されていることがわかった。
本研究では、この点を日本語の会話教育にも活用することによって、学習者が自分の主 張や意見を抱いた際にも、一般的によく言われているような「日本語のルールと見なされ ているもの」に摺り寄せてそれを表現しようとするのではなく、日本語においても「わた し」のことばによって「わたしらしく」表現することができるようになるのではないかと 考えた。
この「アサーティブトレーニング」には、ロールプレイとそのフィードバックを中心と したワークショップ型の学習活動の方法論が体系的に整備されており、こうしたことから も参加者の学びを促進する「ファシリテーター」(中野 2001[2004])としての担当者の位 置づけも踏まえた上で、ロールプレイを取り入れた日本語の会話教育の学習活動に参考と なるような部分がここから見出せるのではないかと思われた。
そして第5章では、この「アサーティブネス」の理論や「アサーティブトレーニング」
の方法論を一部踏まえた筆者による待遇表現教育を中心とした実践例を取り上げ、「半構造 化ロールプレイ」(山本 2005a,b)によるロールプレイの発話文字化資料を参照しながら、
その援用の可能性が高いことを示した。そこでは、現実場面での会話とロールプレイでの
会話との相違点に沿って考察していきながら、「アサーティブネス」を援用することで次の ような利点があるのではないかと結論付けた。
【「アサーティブネス」を活用したロールプレイの実施における利点】
(1)半構造化型のロールプレイを実施することにより、同一の状況設定のロールプレイに おいても、実演者の考えや想定したものの相違によってそこでは多様な談話展開が 見られることがあるが、それは「依頼」や「誘い」、その「受諾」や「断り」などの ことがらを、学習者がその学習の場で自分なりに捉えられるようになることを示唆す ると思われる。
(2)実演者にとって馴染み深い設定が用意され、談話の展開方法についても実演者の考え るところをそのまま反映できるような半構造化型のロールプレイを実施することで、
実演者の「内面の構造化」(小野他 2002:50)はより促進されやすくなり、このこと によって、学習者が既習の表現形式や語彙を実感と共に自己の「内側」に取り込みや すくなるという効果が期待できることになる。
(3)ロールプレイによる学習活動そのものだけではなく、そのフィードバック方法などの 周辺活動を工夫することで、姿勢や表情、立ち位置などの非言語的な行動などに関す る「ことば」の側面以外の会話に関する総合的な情報についても、学習者がより意識 化できるようになる。
(4)ロールカードの状況設定がたとえ擬似的な場面となっていても、学習者が積極的にロ ールプレイでの実演に自己をより投影できるような場面を設定することにより、あた たかいことば掛けの効果や他者に対する配慮を言語化することの重要性など、会話を 通じた他者との人間関係の構築に関する気付きが学習者に多くもたらされることがあ る。
このように「アサーティブネス」や「アサーティブトレーニング」においては、表現方 法のスキル面での学習が一部含まれながらも、それよりもさらに重きが置かれているのは、