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SB6663

等 の上器群

SB17870

 

 

SB17874

 

 

第V章

 

 

棄 された もので、

FG40地

区か ら出土 した個体が多い。主体 を占めるのは土師器の食器で、杯A・

杯Bと その蓋、杯C・A・ 椀Cか らなる。杯

AIに

I群

と工群 とがあ り、

 I群

の杯

AIは

径約19cm、 器高約4 5cm。 個体数が少 ない ものの (5イ団体)、 調整手法 は例外 な くbO手法である。

これに対 し、 Ⅱ群の杯

AIは

口径約18 5cmとわずかに小 さ く、調整手法 はcO手 法 またはc2手 法 である。皿

AIは

I群 (bO手法)に限 られる。皿AⅡ (口150〜16 5cm、器高25〜3 0cm)は Ⅱ群(cO

手法

)の

みだが、 これ と等法量 の杯CⅡ はI群 (bO手

)で

ある。椀

AIで

I群

。工群の双方 があ り、判明す る範囲ではcO・ c3手 法がある。ただ し、c3手 法 のヘ ラ ミガキは間隔が

6〜

8 mmと広い。

以上 をまとめると、SB7150柱抜取穴出土の土師器食器は次の とお りとなる。杯

AIの

一部 ・ 皿

AIお

よび杯CⅡ は

I群

土器で、bO手法 によるの に対 し、 これ以外 の杯Aと皿AⅡ とは Ⅱ群 土器で、全面ヘ ラケズ リのc手法 を通則 とす る。椀

AIに

は両群 あ り、全体 をみる とcO手 法が C3手 法 にまさり、ヘ ラミガキは粗 く不徹底である。

SB6663・ 6666・ 7152柱抜取穴出上の上器

 F平

城報告 』 では平城宮土器Ⅶ古段 階 として一 括 された土器群である。それぞれの建物で土器が 出土す る柱穴 は限 られてお り、SB6663では お もに

AG31地

区の柱穴東北隅の小穴か ら、SB6666では

AL31地

区の柱痕跡か ら、SB7152では

GN40地

区の柱抜取穴か ら出土 した ものが多い。ただ し、SB6663の小穴 は抜取穴でな く、柱掘 方 を壊す ピッ トであるか ら、 この点で建物 の解体 時期 を示すか は問題が残 る。土師器食器 は 杯

Aが 3個

体、杯Bと その蓋が各

6個

体、皿

Aが 8個

体、椀

Aが 4個

体、高杯が

2個

体 である。

これ らは赤褐色の Ⅱ群土器が大多数 を占め、淡褐色のI群土器 は きわめて少 ない。杯

Aお

よび 椀

Aは

cO手 法で整形 している。ヘ ラケズ リはほぼ全面 にお よび、回縁端部直下の ヨコナデを削

り残す

ec手

法の例 は皆無である。

以上か ら、土器群 はSB7150が古 く、SB6663等が新 しい。 よつて Ⅱ期建物 の解体 は少 な くと も

2度

にわたることが知 られる。 この解釈 は、F平城報告 ど のそれ とまった く同 じであるが、

SB6663の土器群が建物 の解体 時期 を示すか はわか らない。そ こで次 は、本書で報告 した Ⅱ期 建物群出土の土器群が、上掲の上器群のいずれに近いか を考 えよう。

SB17870柱

抜取穴出上の上器

 

この建物 の土器群 は複数の柱抜取穴か ら出土 した もので、柱 抜取穴 には多 くの瓦片 ・炭 を混 じていた。土器は土師器 を主体 とし、IG49・

L52地

区の柱抜取 穴か ら出土 した ものが多い。土器様相 は、結論か らいえば正殿SB7150のそれに一致す る。土 師器食器 は皿

AI・

杯CⅡが

I群

土器 に属 し、aOま たはbO手法 によるのに対 し、杯

AIお

よび 皿AⅡはⅡ群土器でcO o c2手法である。杯CⅡ (I群 )と 皿AⅡ (H群 )と は等法量の関係 にある。

AIは

Ⅱ群が多 く、cO手 法が優勢だが、一部 にヘ ラミガキをもつc3手 法の例がある。ただ し、

そのヘ ラ ミガキは間隔が広 く不徹底 である。以上の特徴 は、上 にみたSB7150の土師器食器 と 共通す る。 したが って、SB17870の 土器群 とSB7150の それ らとは、廃棄の タイ ミングを同 じく す ると考 えるのが妥当であろう。

SB17874柱

抜取穴出上の上器

 

この建物の土器群はI」64地区の柱抜取穴 に限つて出土 した もの で、 この点でSB6666等での出土状況 に一致す る。土師器の杯AⅡが1個体、皿AⅡが

4個

体か

らなる。個体数 は少 ないがすべて 正群土器で、cO手 法 による。 Ⅱ群土器の優勢 とcO手 法の多用、

外傾度の増加 はSB6663等の土器群 に通 じる傾向で、少 な くともSB7150・ SB17870と は内容が ,22

異 な る。

SB18140柱

抜 取 穴 出上 の 上 器

 

この建 物 の上器群 はHS55地区 の柱 抜 取 穴 の み か ら出土 した も の で 、土 師器杯

Al個

体 、 皿

A3個

体 で あ る。1箇所 の柱 抜 取 穴 に限 り出土 した こ と、土 師器 杯A・

Aの

いずれもがc手法によることは、SB17874の 柱抜取穴における土器の様相 と類似す

る。また、杯A・ 皿

Aは

口縁部の外傾度が高 く、平城宮土器Ⅶに属するといえる。

ここまでをまとめると、 Ⅱ期建物柱抜取穴出土の土器群は

SB7150'SB17870(平

城宮土器V)

→SB6666・ SB7151・ SB7152・ SB17874・

SB18140(平

城宮土器Ⅶ)と 並ぶ。

Ⅱ期建物の正殿SB7150の 土器は F平城報告 』で平城宮土器

Vと

した もので、今回の報告 で西脇殿SB17870の 土器群が これに加わったことになる。土師器食器 (杯A・

A)に

みるヘラ ミガキの簡素化傾向は平城官土器

Vの

なかでの新相 と考えうるが、一方で

I群

土器 (杯AI・

皿AI・ 杯CΠ

)が

一定量 を占めている。

SB7150と SB17870と の間における土器様相の類似は、おそらく土器廃棄の同時性 を示すであ ろう。つまり、Ⅱ期建物群のうち正殿 と西脇殿 との解体は同時 とみ られ、時機 を同 じくして柱 抜取穴に土器が廃棄 されたことになろう。 したがつて、これら

2棟

の建物の柱抜取穴から出土

した土器は、いわば同一の土器群 とみてよい。

これ に姑 し、 同 じⅡ期 建 物 で もSB6666・ SB7151・ SB7152(『 平城報告 』)、 SB17874・

SB18140で は、

4〜 5個

体 とごく少数の土師器食器 (杯および皿

)が

、特定の柱抜取穴のみから 出土する場合が多い。 これ らの土師器 はⅡ群土器の優勢 とcO手法の多用、外傾度の増加 など から平城官土器Ⅶに位置づけられよう。

東脇殿SB6663の 土器 (大多数がAG31地 区の小穴から出土

)は

、確かにSB6666等 の土器群 (平城 宮土器Ⅶ)と 同 じ様相 を呈す るが、 これは柱抜取穴か らの出土ではな く、この建物の解体時期 を示す とは限らない。 よつて、この建物がSB7150。 SB17870と 同時に解体 された可能性は否定 で きない。む しろ、正殿SB7150お よび東脇殿SB6663・ 西脇殿SB17870の

3棟

は、解体の時機 を同 じくすると考えるのが 自然か もしれない。

なお、Ⅱ期建物群のうちSB6666・ SB7152お よびSB17874・ SB18140の 上器 (平城宮土器Ⅶ

)に

は、完形 またはそれに近い土師器食器数イ固体が、特定の柱抜取穴か ら出土するとい う共通性が ある。土器が出土する柱の配置には規則性 を認めがたい ものの、このような出土状況はやや特 異である。つまり建物

1棟

につ き、

 1箇

所の柱抜取穴が何 らかの理由で選定 され、そこに土師 器食器 を埋めたことが考えられる。 これに対 し、SB7150お よび

SB17870(平

城宮土器

V)で

は、

複数基の柱抜取穴か ら土師器食器 。煮炊具などが出土 した ものであ り、SB6666な どの土器 と は出土状況が大 きく異なっている。こちらは柱抜取穴への廃実行為 と解釈で きそ うである。

 

平 城 宮 土器

Vの

土 器 群

上の検討か ら

SB7150'SB17870の

土器群 を同 じ様相 とみなす場合、それは平城宮土器編年の なかでいかなる位置を占めるのであろうか。SB7150の土器群は平城宮土器

Vと

して既報告だ が、ここで

SK2113(平

城宮土器

V)の

土師器食器 (F平城報告Ⅶ』)と 比較 してみよう。

SK2113の

上器群

 SK2113は

内裏北外郭の東半で検出 した東西3×南北

2mの

土坑で、計427 個体の土器が出土 している。木簡など土坑埋没の上限を定めるような遺物 を欠 くが、土器群は

SB18140

 

 

SK2113

の 上 器 群

ドキュメント内 A  第一次大極殿院地区の遺構変遷 (ページ 93-96)

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