• 検索結果がありません。

(1)村井二二1979 『アメリカ教育使節団報告書』(p.62)

(2)同上書(コ.6g)

(3)同上書(p.70−1)

(4)長浜三編1994 『史料国家と教育』(p.597)

(5)同上書(p.604−5)

(6)明星大学戦後教育史研究センター編1993 『戦後教育改革通史』(p.159)

(7)高橋寛人1998 「学校指導者免許制度の誕生と挫折」 『季刊教育法』l15(p.6−15)および、千々布敏弥 1998 「教育長、校長制度の誕生と変遷」 『季刊教育法』115(p.16−24)

(8)高橋寛人1998 「指導主事制度の誕生と展開」 『季刊教育法』l15(p25−32)

(9) 『糸窓覧』 (P.101)

(10)同上書(p.63−65)

(11)同上書(p。69)

(12)山崎政人1986 『自民党と教育政策』(p.178)

(13)堀尾輝久は、 「条文に即して合理的に考えるのではなく権力を持ったものが中身の解釈を勝手につ くる」のが臨教審と教育基本法の問題だと喝破している。(堀尾輝久1997『現代社会と教育』(p.176))

(14)山崎前掲書(p.172)

(15)Mannheim,K.1920森博訳1997 『保守主義的思考』(p.lg−27)

(16)Habemlas,J.1981 「近代未完のプmジェクト」(p.39)三島憲一訳編2000 『近代未完のプロジェ クト』所収

(17)同上書(p.40−2)

(18)堀尾前掲書(p.194)

(19)「週間労働ニュース」1984/10/8(http://db.jil.go.jp/jnkO l/dtldsp?detail=S lg841008013)

(20)「週間労働ニュース」lg85/3/11(http://db.jil.go.jp/jnkO l/dtldsp?detail=S lg850311017)

(21)鎌倉孝夫1985 「日本の経済と教育」(p.22−3)『季刊教育法』56(p.22−34)

(22)以上の答申と要求については、文部省ホームページ(http:〃www.monbu.go.jp/singychukyo/)、横浜国 立大学現代教育研究所編1973 「増補中教審と教育改革」(p.lgl−283)、および、鎌倉前掲書(p.26−8)を 参照した。

(23)アクセスポイントについてはGiddens,A.1990松尾精文他訳1993『近代とはいかなる時代か?』参照。

(24)教育改革国民会議ホームページ(http:〃www.kantei.go.jp/jp/kyouikU/index.html)、および、河上亮一 2000 『教育改革国民会議で何が論じられたか』参照。

終章 近代学校のゆくえ

1心理学の栄光と誤算一心的システムへの侵入

 エレン・ケイ(Key,E.)によって「児童の世紀」と宣言された20世紀もまもなく終わ ろうとしている。彼女が来るべき世紀に期待したのは科学による教育ではなく、新教 育運動に連結するような、児童じしんによる教育効果であった。 「児童の世紀」は教 育改革運動のバイブルとして愛読され、国際的に広まった。その意味では、20世紀初 頭は新教育運動の世紀として印象づけられるものであった。

 新教育運動はそれまでの教育システムが科学中心であったことへの反省から、イン フォーマルな教育を学校に取り込むことで、 「表現」 「作業」 「生活」という、児童 の自己活動をその中心に置こうとした。生徒の自己活動を中心に置くということは、

科学によって外部から型にはめて造形するような教育ではなく、子どもが植物のよう に自分から育つのを外部にいる教師が援助するという考えにたつもので、教育思想と

してはルソー(Rousseau,J−J.Jやゲーテ(Goethe,J.W.)、ペスタロッチ(Pestalozzi,J.H.)1こさ

かのぼることができる。また、現在の教育改革にも重要な影響を与えている(1)。

 ところが、この自己活動を「事実」としてあつかいはじめることによって、新教育 運動はその地平を露呈する。新教育の地平とは、理論(科学)が実践によって確かめ

られると同時に実践が科学によって正当化されるという、相互規定の回路の循環から 生まれたものである。新教育運動がその実践上浮かび上がらせた自己活動を、科学は

「事実」として確定する。理論と実践の共犯関係の中で、子どもの自己活動は事実と して自明視され、複雑性の縮減が行われる。理論と実践の回路からこぼれたものは、

「ありそうもないこと」外部環境として、教育システムという地平の外へ追いやられ

る。

 たとえば、ケルシェンシュタイナー(Kerschensteiner,G.)の作業学校運動は新教育運 動の成果のひとつであるが、彼が有用な公民を育てるために、自己活動を目的合理的

に統御しようとしたことは、自己活動をコンテンジェンシーとしてではなく、自明な 事実として扱っていたことを示している。彼の教育上は「訓育的作業観」ともいうべ

きものであり、そうした職業教育モデルに強く反発したのがJ.デューイ(Dewey,J.)

であり、その自明性の解体をはかったのがW.ベンヤミン(Benjamin,W.)である。彼ら はこの自己活動の自明性を地平の外から観察できた教育者だといえる(2)。

 こうした自明性の橿に閉じこめられたのは、ケルシェンシュタイナーだけではない。

皮肉にもというべきか、エレン・ケイもまた、そのひとりであった。彼女が二十世紀 に希望を託した児童とは、優生学上「親を選んだ」子どもたちであった。彼女はいう、

「すでに遺伝の意味について認識が高まってきたので、世代を重ねているうちに集中 してしまったなんらかの「遺伝の重荷」を背負っている若者たちが、不幸な遺産を新

しい世代に引き継ぐよりは、親になる喜びを断念するのが自分たちの義務であると覚 りはじめるようになった」(3)と。善なる本性を尊重される子ども像も、善なる子ども たちによってつくられる新社会も、全ては優生学上選ばれた子どもたちのものなので ある。科学的教育法を否定するかに見えた彼女であるが、優生学という科学思想のイ デオロギー性からは無縁ではなかった。かほどに、20世紀は科学の世紀だったのであ

る。

 科学という専門家システムへの信頼は、近代の非連続的特徴とも考えられる。当然、

科学(学問システム)の教育システムへの浸透に関しては、反省の学としての教育学 が検証を加えてきた。その一つの現れが、新教育運動なのだが、それもまた科学の共 犯者として循環系を形成した。新教育運動も、いわゆる旧教育も、子どもの発達を重 要な概念と考えていた。しかし、子どもの発達を「事実」として自明視することじた い、教育システムの地平に囲い込まれることになりはしまいか。その意味では、最近 の議論である「心の教育」や「総合学習」の問題も、科学的教育学への批判と読み取

られがちだが、その中心となるのが近代科学としての心理学だというのでは、ケイと 同様の誤りを犯しかねない。むしろ、心理学が教育実践の中から導き出した「事実」

の自明性に異議を申し立て、その地平に収まらないコンティエンジェンシーを解放す る必要がある。

 心の教育というタームが喧伝された始まりは、平成9年に文部大臣がおこなった中央 教育審議会への諮問からである。これについては平成10年6月に「新しい時代を拓く心

を育てるために」という答申が出され、その直後に改訂をむかえた学習指導要領にも 影響を与えている。文部省はそれ以前から、スクールカウンセラーの導入を実験的に 行っており、この答申においても、一章を割いてカウンセリングの導入を答申してい

る。

iii) カウンセリングを充実しよう

(a)スクールカウンセラーに相談できる体制を充実しよう

(b)スクールカウンセラーの養成の充実を図ろう

(c)教員はカウンセリングマインドを身に付けよう

(d) 「心の居場所」としての保健室の役割を重視しよう(4)

 文部省主導でスクールカウンセラーの導入をはかった背景には、いわゆる学校の荒 廃の問題があるのはいうまでもない。これに先立つ臨教審の第二次答申でも、教育の 荒廃は子どもたちの心の荒廃であり、子どもの人格の崩壊につながる危険性を訴えて いる。いじめ問題への当面の対応として、生徒指導とカウンセリングの体制を充実強 化するよう求めている。中教審答申からスクールカウンセラー導入にいたる一連の動

きは、臨教審に始まるものとみなすこともできるだろう。

 先述のように、臨教審では、子どもは保護され、守られるべき存在だという子ども

観を持っていた。そのため、教育荒廃の責任は経済の量的拡大の中で社会のひずみを 見逃してきた大人たちにある(5)。それは、教育専門家としての教師の責任を問うてい

ると考えてよい。実際、専門家システムとしての教員は、存在論的安心を与えるよう な「信頼」をすでに失っているというのが、臨教審の教師観である。教育の専門家と して、むしろ民間教育機関である塾や予備校に期待がなされ、臨教審もまた民間活力 の導入として、民間教育機関の持つ教育力を積極的に援用しようとしていた。教育機 関としての学校は専門家の地位から下落しようとしていたのである。学校が信頼を取 り戻すためには、新しい専門家システムとしての心理学者の導入がはかられたのであ

る。

 専門家は資格によって差異対立化する。教員の場合は教員免許がそれであるが、大 学卒業資格と大学での単位認定によって取得でき、しかも更新の必要がないため、資 格を取ること自体はそれほど難しいものではない。大学の大衆化によって、その気に

なれば教育大学でなくとも、中学や高校の教員免許の取得は可能である。同様に更新 の必要がない免許に医師免許があるが、これは国家資格として難度の高い資格試験が あり、その資格の専門性は尊重されている。しかし、教員免許自体に尊重される要素 はない。 「せんせせんせと威張るなせんせ。先生、生徒のなれの果て」というはやし 言葉どおりなのである。

 専門家としてのスクールカウンセラーにも、当然資格が要求される。たとえば精神 科の医師免許がそれであるが、より心理学に特化したものとして臨床心理士、学校心 理士がある。両者とも修士課程で単位認定がなされている点で、教員免許よりも高度 な教育内容の修得が要求されている。しかも、資格には更新が必要であり、たとえば 学校心理士の:場合、5年以内に定められた研修や発表に参加してポイント(10点)を稼 がなければならないのである(6)。これは日本教育心理学会から逃れられないシステム でもあるが、同時に、専門性を維持するための自己研鐙がそれだけ要求されていると いうことになる。

 学校心理士の1999年申請手引きには、学校カウンセラーの文字はどこにも見られな いが、その役割として、心理教育アセスメント、カウンセリング及び学習・発達援助、

教師・保護者へのコンサルテーション、学校組織へのコンサルテーションがあげられ ており、学校カウンセラーを意識したものだとみなしてよいだろう。ただ、個人にか かわるカウンセリングは学校心理士の役割の一部にすぎず、多くは心理教育援助サー ビスとして学校にかかわる仕事である。その点ではより高度な心理学的専門性を持っ た「学校教師」の養成ととらえることもできる(7)。

 学校心理士の場合、援助サービスの対象とは、具体的には不登校問題やLD、学業 不振、非行、性逸脱などの問題行動である。いわば、生徒の個人的な問題である。い や、正確には個人的な問題に還元可能な問題なのである。杉尾宏は「臨床学的眼差し

関連したドキュメント