* 弘前大学大学院地域社会研究科 地域文化研究講座 教員 E-mail:[email protected]
アプローチが求められると考えたためである。結果として次の 5 つの具体的な調査課題が設定され た。
(1)歴史学・文化資源学を専門とする院生による文化財をめぐる災害対応
(2)知的障がい問題を専門とする院生による知的障がい児をめぐる災害対応
(3)不登校問題を専門とする院生による不登校児童・生徒をめぐる災害対応
(4)社会的企業を専門とする院生による地場の企業の災害対応への参画
(5)義務教育の教育プログラム開発を専門とする院生による災害教育の有効性の検証
「制度の隙間」をめぐる3つの論点
それぞれの調査の具体的な展開とその含意については個別の報告を参照していただきたい。以下、
共通して指摘しうる論点を示したい。
第 1 は、「制度の隙間」が問題となる背景をなすライフスタイルの個別化が予想を超えて進んでい る実態である。たとえば、上記(3)が注視する児童・生徒の不登校についても、それが問題になって 30年以上経つ。だが、不登校という言葉を聞き飽いているかも知れない私たちは、不登校の児童・
生徒が日常、どこで時間を過ごしているか想像できるだろうか。今回の調査で明らかになったよう に、不登校の子どもたちは家庭に引きこもっているばかりではない。教育行政が準備する学習支援施 設に通う子どももいる。民間の施設に通う子どももいる。さらに、そうした民間施設と言っても一般 の学習塾に通う子どもも少なくない。むしろ学習塾では少子化に対応すべく不登校の子どもたち(と その親)を新たな顧客として獲得しようと躍起になっている。このように不登校の子どもたちの居場 所は、家庭を軸にさまざまな場所に分散しはじめているのである。その分散は、子どもたちを取り巻 く家庭−教育行政−教育産業という 3 つの主体の個別的な働きかけによって作り出されている。むし ろ、家庭−行政−産業とまとめてしまうのもためらわれる複雑な善意と思惑の交錯により、不登校の 子どもたちの居場所の個別化が進んでいるのである。こうした事態を私たちはどこまで想像できてい るだろうか。その想像力に限界があることをうかがわせるように、一般の学習塾の災害対応は災害法 制の射程にまったく入っていない。学習塾そのものの多様化も今回の調査でその一端が明らかになっ ている。そうした個別性を踏まえた学習塾の防災体制の支援が法制度には望まれる。
第 2 に、だからと言って法制度の網を広げるだけ、言い換えれば「制度の隙間」を制度で埋めるだ けで問題が解決するわけではなく、むしろ逆効果を生むこともある。たとえば、ふたたび不登校の例 を引くと、阪神以降の災害法制の充実化により、災害時、子どもの安否確認を子どもが学籍をおく学 校の教員が一元的に行なう体制が整ってきている。実際、今回の八戸市でも、担当教員が不登校児 童・生徒の 1 人に至るまで、電話連絡が付かなければ自宅に足を運んで安否確認を済ませていた。そ の努力には敬意を表さねばならない。ただし被災者支援は安否確認で終わるものではない。被災から 脱し新たな生活の展望が開かれるには長期的な支援が求められる。その全てを学籍を預かる教員・学 校に負わせるのには限界がある。不登校という現象自体、平常時からすでに子どもを教育制度の枠内 にとどめようとすることの限界を示唆している。災害時にそうした限界を前提とせず、すべてを法制 度の枠内で対応しようとすると逆に、安否確認をすればよい、安否確認をするというマニュアルを準 備しているからよい、という短絡を生みかねない。現実に八戸市では、被災後、不登校の児童・生徒 は漸増しつつも、公的な学習支援施設に通う子どもたちは震災 1 年目には減少し、かつ 2 年目には累 増している。被災を契機に子どもたちは平常時以上に不安を抱え不登校になりやすかった。しかし、
学校では災害時特有の不登校への対応までは視野に入っておらず、不登校の子どもたちの多くは家庭 に引きこもらざるをえなくなっていた。それが、被災後 1 年を経て顕在化してきているのだ。被災後 1 年間、家庭に引き込まざるをえなかった子どもたちは、まさに「制度の隙間」に落ち込んでいたと 言える。しかもそれは、学校としては万全と考えた災害対応を図るという制度の充実化が生んだ結果 でもある。法の網の目を密にすることにはこうした意図せざる逆効果がともないうることに留意する 必要がある。
第 3 に、であるからこそ、「制度の隙間」を埋める非制度的で自生的な試みを積極的に評価すべき である。たとえば今回のフィールドワークでは、不登校の子どもたちが地域の避難所に避難している 間だけ学校に通うようになっていたという挿話を何度か耳にした。もちろん、学校に通えば問題が解 決するわけではない。学校に通うようになった過程が重要である。詳しく話を聞いてみると、避難所 の子どもたちは地域の人たちに何くれとなく声をかけられていたという。その声かけを通じ、今まで 接したこともない異質な他者と共に暮らし、しかもその他者から認められる世界が開かれたはずだ。
そうした他者と互いに承認しあう世界をその子が肯定的に感じたからこそ、学校にも足を向ける一歩 を踏み出させたと言えよう。このように、それぞれの地域には、たとえばつねに声をかけ合うことの ように、見知らぬ他者どうしでもうまくやっていくための、具体的な振る舞いに根ざした知恵があ る。そうした「ローカル・ナレッジ」(C・ギアーツ)にこそ目を向け、この一人ひとりが個別化する 現代のなかで、地域から「社会」が育みなおされる契機として積極的に評価すべきである。すでに八 戸市でも、そうした地域が社会を育む知恵の積極的な評価が生まれている。湊中学校では避難訓練に 自治会の参加を仰ぎ、下校する子どもたちを地域の人たちが地域で出迎える試みが始まっている。自 治会の役員さんだけでも同じ町内の子どもたちの顔を覚え、ふだんから「お帰り」といった声かけを してほしいという、中学校側からの発意にもとづく取り組みだ。
以上の
(1)「制度の隙間」を生むライフスタイルの個別化の深まり、
(2)「制度の隙間」を弥縫する法制度による対応の充実化とその限界、
(3)「制度の隙間」を補完する自生的なローカル・ナレッジの重要性、
の 3 つの論点は、ここで紹介した不登校だけでなくさまざまな問題群にも見出すことができる。今回 の調査で明らかにされた問題群の深掘り、また新たな問題群の発見が今後の調査の課題となろう。
「制度の隙間」を照らし出す知のあり方
最後に、第 2 次調査の設計段階におけるある出来事を記録しておきたい。それは、八戸市が平成23 年度に実施した「八戸市復興まちづくり(津波防災)アンケート調査」をめぐるものである。これは 八戸市が国土交通省の支援を受け、市内の津波被災者に対して行なった調査で、被災時の状況や避難 行動、地域コミュニティとの関係、さらに今後の居住意向を質問している。被災者の属性についても 年齢、性別、家族構成などだけでなく、職業や住宅の所有関係なども尋ねており、回収率の高さもあ わせて学術資料としても稀少性が高い。しかもこのデータは八戸市の復興計画策定の基礎資料にもさ れており、社会的な効果も大きなものだった。
我々は第 1 次調査の報告会の際に八戸市側からこの調査の存在を教えられ、取りまとめられたばか りの報告書に早速目を通した。ところが、上記のように社会的・学術的に重要な調査でありながら、
その分析に初歩的なミスが散見された。たとえば、今後の居住意向は被害の程度や住宅の種類などか らの「結果」すなわち「説明される数字」であるのに、報告書では「説明する数字」として扱われ、
今後の居住意向別に被害の程度や住宅の種類などが集計されていた。これでは本来目的としているは ずの「どういった人々が高台に移り住みたいと考えているのか」が把握できなくなる。分析としては 初歩的なミスだが、復興計画を誤った方向に導く危険さえもつ重大な欠陥と言わざるをえなかった。
そこで第 2 次調査では当初、この八戸市のアンケート調査の「再分析」を市側に打診した。「再分析」
とは、既存の調査データを新たな切り口で再集計するなどして、より有用な含意を引き出そうとする 試みである。今回のように既存の分析に重大な問題がある際には、再分析は大きな効果を挙げるとと もに、すぐに取り組まねばならないはずだ。ところが、八戸市では(1)今回の調査は八戸市単独のもの ではなく被災地全体での国の事業であるので再分析には国の了解が必要である、(2)市、また国とし てはデータにもとづく復興計画の策定が始まっている段階でデータそのものの見直しは不適当だと考 えるといった理由で、「再分析」のためにデータは提供できないとした。この結論に至るまで、平成 24年 4 月から 8 月まで 4 回ほど市側と折衝を重ねたものの、最終的には再分析を断念するに至った。
第2次八戸調査がまなざす「制度の隙間」