:「日本人の思考様式」理解がもたらす包摂と差異化
1 日本に対処・適応するために
1970年代半ばから 80年代初めの論文には,日本語と関係を持つものとして日本人の思 考様式を位置づけ,その学びを必要とする記述が見られた(第 4 章)。その後,80年代半 ば 以 降 の 第Ⅲ 期 に は,「 日 本 語 =日 本 人 の 思考 様 式 論」( 量 的 分 析の カ テ ゴ リーA) も , こ の図式に基づいて,日本語習得のために日本人の思考様式の教育・学習が必要だとする記 述 ( カ テ ゴリ ーB) も は ほ ぼ 皆 無に な る 。 それ と 入 れ 替わ っ て 出 現す る の が ,日 本 語 と結 び つ け ず ,日 本 人 の 思考 様 式 の 存在 を 前 提 とす る 記 述 (カ テ ゴ リ ーC) と , 日 本 語 と 結び つ け ずに ,日 本 人の 思考 様 式を 学習 ・ 教育 内容 と する 記述 ( カテ ゴリ ーD) であ る 。つま り,80年代半ば以降も,日本人の思考様式の学習・教育が必要という記述は存在し続ける。
ただのだが,その理由は日本語習得に必要だからという論法ではない。日本語とは無関係 に,日本人の思考様式の学習・教育が必要という主張がなされるようになるのである。
ではなぜ日本語教育の場で日本人の思考様式を教えなければならないのか。1980年代後 半から 90 年代半ばにかけて見られたのは,日本への適応・対処のために日本人の思考様 式の教育・学習を促すというものである。
イ ン カ ピロ ム (1988) は , 学 生の 様 々 な 要望 に 応 え るた め ,「日本 語 文 法 ,あ る い は 言 葉を教えるだけでなく言葉を一つの手段として日本事情,社会,習慣,価値観などを教え る必要が生じてきている」(p.111)と,タイ・タマサート大学での日本事情教育(以下「日 本事情」)の取り組みを紹介している。70年代半ばから80 年代初めの「思考様式言説」と 比較すると,日本人の思考様式の位置づけが変わってきていることが読み取れる。70 年代 半ばから 80 年代初めに存在したのは,日本語を習得するために日本人の思考様式を学ぶ べきだという記述であり,ここで最も重視されていたのは,日本語習得であった。しかし,
インカピロム(1988)では,日本語は「日本事情,社会,習慣,価値観」の教育の一手段 とされており,日本語と同等,またはそれ以上に,価値観などの教育に力点が置かれてい る。その教育のために,インカピロムは自選教材を作成している。
例えば「アメリカと私」(江藤淳)という話はアメリカ人の立場から見た日本人の国民
性,価値観,考え方についてふれており,それに対する筆者の反応が書かれている。
これは今までタイの学生たちが描いていた日本のイメージと大分違い,学生たちには かなりショックを与えた。しかしそれを一つの契機として学生たちは積極的に自分の 意見を述べ,お互いの意見交換をしあい,それらの問題点について自分ではどう対処 すべきか真剣に考えたのである。(インカピロム 1988: 114)
日本人とアメリカ人の社会・文化比較論を取り上げた理由は,学生達が「いろいろな角 度から社会・文化・思想などを見,自分の社会・文化あるいは習慣と比較することができ るという点ですぐれていると考えられ」,「自分自身の視野や知識も広くなり,日本人と交 際するときにも,自分の意見を述べ,相手の考え方や自分の価値観を再確認することもで きる」(p.113)からであり,引用で見たように,実際に,学生達は,教材を通して,日本 人の考え方などの問題点と自分の対処法を考えることができたと報告されている。
ここで目指されているのは,日本人の思考様式に対する対処法を見つけることであり,
80年代初めまでのように,日本人の思考様式を植えつけ日本人化を目指すということはし ていない。精神的同化を求めるものとは明かな変化が認められるのである。だが,日本人 化を求めてはいないにしても,日本人の考え方を学びその対処法を考えるという目標にも 問題がある。
教材に描かれた日本人の思考様式とは一つの知識にすぎず,それが全ての日本人にあて はまるわけではない。しかし,この実践では,教材に描かれた日本人の国民性,思考様式 というものを均質的・固定的にとらえた上で,それへの対処法を考えさせている。
インカピロムの記述によれば,対処法とは「日本人と交際するときにも,自分の意見を 述べ,相手の考え方や自分の価値観を再確認する」ということである(p.113)。「再確認す る」ということは,教材から学んだ日本人の考え方,そこで確認した自分の考え方を,実 際の交流の中でもう一度確認するということを意味する。
授業で学んだ日本人の思考様式が本当にそうであったと知り,自分の考え方との異同を 確認する。日本人との交流がこのパターンにぴったりと当てはまれば,確かにそれ自体は トラブルを引き起こさないだろうから,対処法と言えるかもしれない。だが,交流の相手 を日本人というカテゴリーに閉じこめ,その考え方が教材に書かれていたとおりであると 確認することは何を意味するのか。確認作業に留まり,教材に当てはまらないような,対 象の新たな側面を知ろうとする新たな交流には結びつかないのではないか。また,もし日
本人が教材に書かれていたこととは異なる考え方を持っていた場合,あらかじめ授業で考 えていた対処法では処置なしということになり,予想外であるために逆に混乱を引き起こ すのではないか。交流の相手を国民国家カテゴリーで規定することの問題については,本 章 3節および第 6章で詳述するが,日本人の考え方に対処するために,それを知識として 学び対処法を考えるという教育理念と方法は,トラブルを起こさないという意味でも対処 法にならず,また,対処以上の交流へと発展させるよりむしろそれを妨害するという点で 問題がある。
小 川 誠 (1995) で も , マ ラ ヤ 大学 で の 予 備教 育 課 程 の今 後 の 課 題と し て ,「コ ミ ュ ニ ケ ーションの問題,あるいは,日本社会への適応という問題」を克服するために,「全体のカ リキュラムを見直して,コミュニケーション能力を養成するための日本語の授業を増やす ことは,勿論必要だろうが,日本事情の授業も充実して,日本人の社会的,文化的行動様 式や思考形式などについても,知識を増やすことが必要だろう」(p.158)と述べられてい る。「コミュニケーションの問題」や「日本社会への適応という問題」の内容は,具体的に は説明されておらずはっきりしない。しかし,それを克服するために日本人の思考様式な どの知識を増やすという方法は,インカピロムの方法同様の問題を持っていると考えられ る。
インカピロムは,「日本事情」を重視すべき理由を,経済的側面と相互理解促進の側面と の二面から説明している。経済的側面とは,急激な円高によって日本の海外投資が促進さ れているので,日本語を話すタイ人や日本事情に詳しいタイ人が必要とされているという ことを指す。またそれだけでなく,個人間・国家間レベルでの友好関係・相互理解促進の ためには,問題や摩擦が起こったときに対処できる,日本事情の専門家が必要であると述 べられている(インカピロム 1988: 109-110)。
経済企画庁が 1989年に編集した『アジア太平洋地域繁栄の哲学』では,1985年秋のプ ラザ合意以後,急速な円高に伴い日本のアジア太平洋地域向け直接投資が急増し,国が「受 入国との経済・文化摩擦に対処するとともに環境保全問題への取り組みも重要である」(経 済企画庁総合計画局 1989: 6-7)と記されている。円高を背景に,アジア太平洋地域への 投資・生産拠点の移転が急増し,日本人と外国人とが直接接触する機会も増加したのがこ の時期である。日本や日本人にまつわる知識を教え,日本への対応を考えさせるような「日 本事情」の需要が増えた背景にはこうした経済的理由があったと考えられる。
また小川誠は,日本での大学生活を円滑に送れるようにするため,日本へ適応できるよ
う「日本事情」の充実が必要だとしていた(小川 1995: 157)。この論考で紹介されている マラヤ大学の予備教育課程は,マハティール首相のルック・イースト政策をきっかけに,
1984 年に設立された特別コースに端を発している(p.151)。1983 年には 21 世紀の留学 生政策懇談会が「留学生受け入れ 10 万人計画」を発表しており,このことも日本への留 学を後押しした。日本へ留学し大学に進学するための準備として,「日本事情」を充実し日 本への適応力を育てることが重視されたのである。
80 年代半ば以降の日本語教育には,日本語を教えることだけでなく,別の目標も課せら れるようになったと言える。80年代半ば以降には,企業の進出と留学生の受入という,経 済的・政策的な動きにより,外国人と日本人とが直接交流する機会が増加した。そうした 中で,日本語教育には,単に日本語を教えるだけにとどまらず,日本に対処・適応する能 力の育成が求められるようになったのである。日本に対処・適応する能力とは何かといえ ば,日本人の思考様式を含む,日本人や日本に関することを知識として理解し,あらかじ めそれにどう対処するかを考えておくことで,実際の接触場面でのトラブルを回避する能 力ということになる。
こうした教育目標とそれに基づく実践は,第Ⅱ期に見られたような,精神的に日本人と 同じようになるよう促すものではない。しかしそれが目指している地点は,日本人との実 際の接触場面でトラブルや摩擦を生じさせないということである。学習者が自分にとって 違和感を持つ現象に出会ったような場合に,それに異議申し立てするという可能性は全く 想定されていない。問題が起こらないよう日本・日本人にうまくなじませることが目指さ れており,その意味では,第Ⅱ期同様,日本へと包摂しようとする教育理念であると言え よう。ただ第Ⅱ期と違うのは,第Ⅲ期の 80年代末から 90年代半ばの論考は,日本への包 摂を自覚的に目標としている点である。第Ⅱ期は日本語習得を最終目標としており,その 習得のために,結果として無自覚に日本人の思考様式の習得を促すという内容であった。
だが,ここで取り上げたインカピロムや小川は,摩擦なく日本に適応・対応することを直 接の目標としている。論者自身が自覚的に,学習者の日本への包摂を促していると言える。
2 多様性・異質性を理解するために
2.1 多様性・異質性の理解という問題