6-1 はじめに
本章では、社会関係資本が経済成長にどのような影響を及ぼすのか分析する。検証対象 の社会関係資本は、人や社会に対する一般的な信頼感、社会的ネットワーク、社会規範の 3 つに大別できる。このうち、一般的な信頼感と社会的ネットワークは、第4章で幸福要 因として検証したものと同じである。そして、ここで検証したいのは、幸福度を向上させ るという第4章の社会関係資本が、経済成長を促進する要因でもあるということである。
一方、市民協働の規範については、幸福要因として検証していなかったが、経済成長要因 としては無視できない社会関係資本であるため、本章の分析に追加した。
また、本章は、第3章から第5章までの実証分析とは、次のような点で異なる。まず、
回帰モデルの被説明変数は、主観的幸福度ではなく、各国の経済発展度を示す一人当たり GDP である。そして、一人当たり GDP がマクロデータであるため、回帰モデルに使用する サンプルは、個人ではなく国である。さらに、それに適したデータとして、説明変数のデ ータセットを新たに作成する。
6-2節では、社会関係資本が経済成長に果たす役割について具体的に説明する。その 後、社会関係資本が経済成長に与える影響がどのように検証されてきたかを概観し、本章 の特徴を明らかにする。次に、6-3節では、経済成長に関する実証分析を行うための成 長回帰(Growth regression)モデルの導出方法とその構成を述べる。6-4節では、デー タセットの作成方法について説明する。そして、6-5節では、社会関係資本が経済成長 に与える影響について考察を行う。最後に、6-6節では、本章から得られた結論を簡潔 にまとめる。
6-2 社会関係資本が経済成長に与える影響の検証方法
近年、経済成長の研究分野では、物的資本や人的資本に加え、社会関係資本(Social capital ) も 経 済 成 長 の 要 因 の 一 つ と し て 注 目 さ れ る よ う に な っ た ( Dasgupta and Serageldin 2000)。社会関係資本は、2-4節で説明したように、様々な定義や分類方法 がある。そして、2-4節で述べたように、社会関係資本と経済成長の関係に着目し整理 するならば、Chou(2006)や Van Staveren and Knorringa(2007)が詳しい。
図6-1は、Chou(2006)や Van Staveren and Knorringa(2007)、及び、そこに紹介され ている先行研究による社会関係資本の具体例を整理したものである。また、図中の網掛は、
第4章にて幸福度の決定要因として検証を行った社会関係資本である(ただし厳密な対応 関係ではない)。これによると、社会との繋がりは、人的資本の形成を介して経済成長を促 進する。一方、社会活動参加の度合いとして測定された社会的ネットワークは、人や社会
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に対する一般的な信頼感や社会規範を形成し、それらが金融発展の基盤として経済成長を 促進する。また、幸福度の実証分析の対象外であったが、産学官連携や組織間学習という 意味での社会的ネットワークもまた、経済成長を促進する。
本章では、データの制約などを考慮し、図6-1で提示した社会関係資本のうち、社会的 ネットワーク(社会活動参加より測定されたもの)、人や社会に対する一般的な信頼感、市 民協働の規範を実証分析の対象とする(図中に※印が付いているもの)。
図6-1 社会関係資本の種類と経済成長に果たす役割a,b,c
a 網掛は、第4章で幸福要因として検証した社会関係資本である。
b ※印は、本章で経済成長要因として検証する社会関係資本である。
c 研究によって各種類の社会関係資本の呼び方が異なることがあるが、
ここでは、第4章の内容に合わせて表現を統一している。
出所)Chou(2006)、Van Staveren and Knorringa(2007)、並びに、そこに紹介されている Becker(1993: 21)、
Coleman(1990: 300)、Fountain(1998)、Glaeser et al.(2002)、Maskell(2000)、Putnam(1993)、
Woolcock(2002)などを参考に著者作成
次に、社会関係資本が経済成長に与える影響を検証した先行研究を概観する63)。先行研
63)特に記述がなければ、分析対象は世界全体である。ただし、具体的な国の数は研究によって異なる。
社会との繋がり
社会的ネットワーク (その1)
高度技術産業の研究開発 ネットワークなどの形成 一般的な信頼感
産学官連携
イノベーションの要因 人的資本の形成
金融発展の基盤 家族や社会との良好な人間関係
(家庭教育などを含む)
社会との関わり合いや協力関係
子供や若者の知識、技能、
価値観、習慣等などの発達 労働者の社会技能の成長 や能力の発揮
広範で積極的な社会活動参加
伝統産業の経営的なノウハウ などの形成
組織間学習
社会的ネットワーク (その2)
社会規範(互恵的な規範 や市民協働の規範など)
経済成長の促進
※
※
※
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究の比較にあたり、最も注目すべきことは、使用された社会関係資本の代理指標とデータ、
及びそれぞれの検証結果である。ただし、先行研究においては、利用したデータが同じで も、指標の呼び方が研究によってしばしば異なる。そこで、本研究は混乱を避けるべく、
指標のもとになったデータから判断し、それぞれの指標の呼び方を統一している64)。 まず、社会関係資本の影響について検証を行った先駆的な研究としては、Knack and Keefer(1997)や Temple and Johnson(1998)が挙げられる。Knack and Keefer(1997)は、人 や社会に対する一般的な信頼感65)、社会的ネットワーク66)、市民協働の規範に関する代理 指標を使用している。一般的な信頼感は、以前に説明したものと同様である。一方、社会 的ネットワークでは、所属している自発的な組織や団体の数が利用されている。また、市 民協働の規範(Norm of civic cooperation)とは、不正などを防ぐための社会規範を意味 し、それぞれの行為に対する否認の強さが考慮されている。そして、Knack and Keefer(1997) による結論としては、一般的な信頼感、市民協働の規範が経済成長を促進する一方で、社 会的ネットワークが経済成長と無関係、あるいは有害になる可能性があるという。つまり、
社会的ネットワークに関しては、Putnum(1993)の結論とは逆である。その理由について、
Knack and Keefer(1997)は、Olson(1982)が指摘した Rent-seeking の組織(広い公共の利 益ではなく集団の利益に関心を寄せる組織)を挙げている。
一方、Temple and Johnson(1998)は、知識・情報共有の程度を社会関係資本の代理指標 として用いている。これはもともと、Adelman and Morris(1967)の社会・政治・経済指標
(Social, Political, and Economic Indicators)を構成する、マスコミュニケーション の範囲(Extent of mass communication)という指標である67)。その測定には、一人当た りの日刊新聞の発行部数、一人当たりのラジオの所有数のデータが利用されている。Temple and Johnson(1998)の分析結果によれば、知識・情報共有は、信頼感や所属組織の数などの 代理指標と同様、市民社会(Civic communities)の強度を表し、経済成長にプラスの影響 があるという。
また、社会関係資本について詳細の検討を行った 近年の論文として、Ishise and Sawada(2009) や Beugelsdijk and Smulders(2009) な ど が 挙 げ ら れ る 。 Ishise and
64)指標の呼び方が原文と異なった場合には、脚注で追加の説明を行う。
65)一般的な信頼感(Generalized trust)は、社会的な信頼感(Social trust)や対人信頼感(Interpersonal trust)という別名がある。そして、原文の Knack and Keefer(1997)では、対人信頼感という表現が用 いられている。
66 )社 会 的 ネッ ト ワ ーク ( Social network ) は 、 原 文 の Knack and Keefer(1997) で は 、結 社 的 活 動
(Associational activity)という表現が用いられている。また、これについて Putnum(1993)の表現 を用いるのであれば、市民社会の水平的ネットワーク(Horizontal network)である。
67)原文の Temple and Johnson(1998)では、この指標を知識・情報共有の程度とはいわず、マスコミュニ ケーションの範囲と呼んでいる。
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Sawada(2009)は、Mankiw et al.(1992)の成長回帰(Growth regression)モデルに社会関 係資本を組み込み、社会関係資本のフローとストックの概念を明らかにした上で、検証を 行っている。そして、社会関係資本の貯蓄量・投資量(フロー)は、知識・情報共有の程 度を示す指標として、一人当たりの日刊新聞の発行部数、一人当たりの通常郵便物の発送 数を使用している。また、社会関係資本の水準(ストック)は、一般的な信頼感を代理指 標としている。このうち、新聞の発行部数、一般的な信頼感は、それぞれ Temple and Johnson(1998)、Knack and Keefer(1997)と同様な指標であり、経済成長を促進するという 検証結果も一致している。これに加え、通常郵便物の発送数という指標も、経済成長にプ ラスの影響があるという。
他方、Beugelsdijk and Smulders(2009)は、ヨーロッパ全体を対象として、統合型(Bonding)
と橋渡し型(Bridging)という 2 種類の社会的ネットワークについて検証している68)。ま た、代理指標のデータとして、統合型では、家族や友人の大切さに関する評価点数、橋渡 し型では、所属している自発的な組織や団体の数69)が使用されている。Beugelsdijk and Smulders(2009)の分析結果によると、統合型の社会関係資本(社会的ネットワーク)は、
経済成長にマイナスの影響を与える可能性があるのに対し、橋渡し型の社会関係資本(社 会的ネットワーク)は、経済成長を促進する。所属組織の数を代理指標として利用した分 析結果に関していえば、Beugelsdijk and Smulders(2009)の結論は Putnum(1993)と同じで、
Knack and Keefer(1997)と異なる。
なお、Beugelsdijk and Smulders(2009)は、その分析結果について次のような理由を挙 げている。すなわち、家族や友人との人間関係を築くことも、自発的な組織や団体の活動 に参加することも、社会関係資本の形成のためには時間を費やす必要がある。従って、社 会関係資本を形成することは、労働時間や学習時間を減らし、結果として経済成長を押し
68)これは、社会関係資本をその性質から分類する方法である(内閣府国民生活局 2003; OECD 2001)。結 合型の社会関係資本(Bonding social capital)とは、組織の内部における人と人との同質的な結びつ きで、内部で信頼や協力、結束を生むものである。例えば、家族内や民族グループ内のメンバー間の関 係を指す。これに対し、橋渡し型の社会関係資本(Bridging social capital)とは、異なる組織間に おける異質な人や組織を結び付けるネットワークであるとされている。例えば、民族グループを越えた 間の関係や、知人、友人の友人などとの繋がりである。因みに、この分類方法では、3 つ目の種類とし て、連結型の社会関係資本(Linking social capital)が加えられることがある。これは、権力、社会 的地位や富に対するアクセスが異なる社会階層の個人や団体を繋ぐ関係である。例えば、コミュニティ の範囲を越え、公的機関から資源や情報を活用する能力であるとされる。
69)所属している組織の数が橋渡し型の社会関係資本の代理指標となるのは、あくまで Beugelsdijk and Smulders(2009)による実証分析上の定義である。もしも、その組織が内部における人と人との同質的な 結び付きが中心で、異なる組織間における異質な人や組織を結び付けるネットワークがなければ、それ は統合型の社会関係資本として分類される(内閣府国民生活局 2003)。