5-1 はじめに
本章では、環境問題への懸念が、幸福度に対してどのような影響を及ぼすのか分析する。
2-4節で示したとおり、自然環境が幸福度に与える影響については、もともと国ごとを 対象とした分析事例が少ない。また、国レベルの分析を行うためには、環境問題への懸念 などのような主観的環境指標を利用する必要がある。
本章の特徴的な点は、1-2節で述べたように、同一のデータと同一のモデルを使用し、
世界各国を対象に回帰分析を行い、国の所得水準と価値観という観点から幸福度の傾向を 明らかにすることにある。また、実証分析では、環境問題をその規模と影響範囲によって、
地域環境問題と地球環境問題とに分けて考察する。その他に、各国で被験者の属性が全体 的な結果に影響を及ぼすかを検討する。
5-2節では、主観的環境指標の特徴やそれを利用した際の結果の解釈方法について説 明する。また、5-3節では、実証分析に使用する回帰モデルのスペシフィケーション及 びデータセットの作成方法を述べる。データセットの作成方法については、第3章と第4 章の回帰モデルと共通する部分は省略し、環境問題への懸念という指標だけ説明を行う。
次に、5-4節では、環境問題への懸念と幸福度の関係について、各国を対象とした回帰 分析と国際比較を行った結果を述べる。最後に、5-5節では、本章から得られた結論を まとめる。
5-2 環境指標の種類と分析結果の解釈方法
2-4節で前述したように、幸福度の実証研究において環境指標は、客観的環境指標と 主観的環境指標の 2 つに大別できる。そして、客観的環境指標は、客観的なデータの測定・
推定が必要なため、利用可能なデータは国(ないし地域)レベルでしか整備されておらず、
国ごとの実証分析ができない。これに対し、主観的環境指標は、個人レベルの意識調査デ ータであるため、国ごとの分析が可能である。
もっとも、主観的環境指標を使用する場合には、回帰モデルのパラメータの解釈にしば しば留意が必要である。この点について、環境問題への懸念が幸福度に与える影響を検証 した Ferrer-i-Carbonell and Gowdy(2007)を例に挙げる。環境問題への懸念が幸福度に与 える影響は、環境問題の種類によって解釈方法が異なる。オゾン層破壊の場合は、環境問 題への懸念が幸福度にマイナスの影響を与えるという解釈になる。一方、動植物の絶滅の 場合は、他の生物を想う感情が幸福度にプラスの影響を与えるという解釈になる。つまり、
環境問題への懸念は、直感的には幸福度にマイナスの影響を与えるものであるが、パラメ ータがプラスになることもあり得る。その場合、特別な解釈方法が必要である。
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本研究においては、地域環境問題への懸念と地球環境問題への懸念という 2 つの指標に ついて分析を行う。環境問題の種類としては Ferrer-i-Carbonell and Gowdy(2007)と違う が、主観的環境指標を使用するという点では同じである。従って、モデルのパラメータが プラスになった場合の解釈方法を考える必要がある。これについて、Ferrer-i-Carbonell and Gowdy(2007)は他の生物を想う感情を理由として挙げているが、本研究では環境問題の 分類が異なるので、同じ解釈方法が適用できない。
そこで、本研究が使用する、パラメータがプラスの場合の解釈方法とは、幸福度と環境 問題への懸念との間の「逆の因果関係(Reverse causation)」である56)。すなわち、幸福 な人は、基本的に生活に余裕を持つ者であるため、自然環境と触れ合う機会や環境問題に ついて考える余裕があり、環境問題を懸念すると解釈する。さらにいえば、プラスのパラ メータは、Brown and Kasser(2005)より指摘された、幸福度と環境に対する責任ある行動
(Environmentally responsible behavior)の正の相関関係を暗示している。つまり、幸 福な人ほど環境意識が高く、環境政策に対して積極的であるということである。
上記のパラメータの解釈方法について、簡潔にまとめれば次のようになる。パラメータ がマイナスの場合、環境問題への懸念が幸福度を低下させるという因果関係、パラメータ がプラスの場合、幸福な人が環境問題を懸念する(そして、環境政策に対して積極的)と いう因果関係である。
5-3 回帰モデルのスペシフィケーションとデータ
(1)モデルのスペシフィケーション
環境問題への懸念が幸福度に与える影響を検証するため、(5.1)式のように、幸福度を 被説明変数、環境問題(種類別)への懸念の程度並びに他の個人属性を説明変数とした線 形回帰モデル57)を使用する。
𝐻𝑖 = 𝛼 + 𝛽𝐸𝑖𝑘+ γX𝑖+ 𝜖𝑖 (5.1)
ただし、𝑖は個人を表す添え字、𝑘は環境問題の種類を表す添え字(𝑘 = 1,2)、𝐻𝑖は主観的 幸福度、𝐸𝑖𝑘は環境問題への懸念の程度、𝛽は𝐸𝑖𝑘のパラメータ、X𝑖は𝐸𝑖𝑘以外の説明変数ベク トル、γはX𝑖のパラメータベクトル、𝛼は定数項、𝜖𝑖は誤差項である58)。
分析対象とする環境問題は、地域環境問題と地球環境問題の 2 種類である。前者は、個
56)幸福度研究では、逆の因果関係が環境面以外についてもあり得る(Diener and Seligman 2004; Frey 2008: 11)。例えば、健康が幸福をもたらすケースに対し、幸福な人が健康になるという因果関係も考 え得る。しかし、因果関係を識別するのは難しいので、一般的に、回帰モデルの被説明変数としては主 観的幸福度が使用される。
57)線形回帰モデルを用いる理由については、p.45 の脚注 25 を参照されたい。
58)回帰モデルの正確な数式表現については、p.43 の脚注 22 を参照されたい。
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人とその地域社会が責任や対処方法を有する身近な問題、後者は、個人とその地域社会が 直接的な責任や対処方法を持てない問題といった特徴がある。(5.1)式は、多重共線性の 問題を回避するため、2 種類の環境問題意識をスペシフィケーションごとに分けている。
また、5-2節で説明したように、使用する環境指標が主観的指標である場合には、モ デルのパラメータ(𝛽)の解釈に留意を要する。つまり、パラメータ推定結果で有意に𝛽 < 0 の場合には、環境問題への懸念(説明変数)と幸福度(被説明変数)が回帰式どおりの因 果関係で、環境問題への懸念が幸福度を低下させるという解釈になる。一方、有意に𝛽 > 0 の場合には、回帰式とは逆の因果関係(Reverse causation)として、幸福な人が環境意識 が高く、環境問題をより懸念するという解釈になる。
(2)モデルのデータセット作成
本研究では、利用するデータを世界価値観調査(WVS)に統一している。従って、被説明 変数(𝐻𝑖)及び、環境問題への懸念の程度以外の説明変数(X𝑖)は、第3章と第4章と同 一のものが利用される。WVS データから新たに作成する指標は𝐸𝑖𝑘のみである。WVS におい て環境政策に関する意見が以前から調査されているが、環境問題への懸念の程度について は第 5 回の調査で初めて質問項目が設けられた。よって、本章の分析では、第 5 回の WVS でデータが利用可能な 45 ヶ国を対象とする。
まず、地域環境問題への懸念の程度は、「多くの地域社会が直面している環境問題につい てお聞きします。それぞれについて、ご自分の地域社会にとってどの程度深刻であると思 うかをお答えください」という質問項目から、4 つの選択肢のうちの「非常に深刻」を 3、
「やや深刻」を 2、「あまり深刻ではない」を 1、「全く深刻ではない」を 0 とした上で、「水 質汚染」、「大気汚染」、「下水、衛生問題」という全 3 つのカテゴリへの評価点数を一つの 合成指標59)として集計したものである。また同様に、地球環境問題への懸念の程度は、「世 界全体の環境問題についてお聞きします。次の問題のそれぞれについて、世界全体にとっ てどの程度深刻であると思うかをお答えください」という質問項目から、4 つの選択肢の うちの「非常に深刻」を 3、「やや深刻」を 2、「あまり深刻ではない」を 1、「全く深刻で はない」を 0 とした上で、「温暖化、温室効果」、「動物や植物の種類、生物の多様性が失わ れること」、「河川、湖、海洋の汚染」という全 3 つのカテゴリへの評価点数を一つの合成
59)これは、「水質汚染への懸念」、「大気汚染への懸念」、「下水、衛生問題への懸念」それぞれの個別指標 に対して同じ 1/3 のウェイトを与えていることを意味する。幸福度に関する先行研究では、個別指標の ウェイトを決定できるだけの情報がないなどという理由から、合成指標を作成する際には、基本的に同 じウェイトで個別指標を集計する。本章ではこれに従い、同じウェイトを使用した合成指標によるパラ メータ推定結果をベースに考察を行う。そして、付録A-2の(2)項においてウェイトを変更した場 合の感度分析を行う。これにより、個別指標に対するウェイトが変わっても、本章の結論にはほとんど 影響しないことが分かった。
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指標60)として集計したものである。なお、利用するデータから見て厳密には、地球環境問 題に越境環境問題も含まれている。
ところで、説明変数のデータではないが、被験者をいくつかのグループに区分するため のデータについて説明する。本章の分析では、被験者の属性によって環境問題への懸念と 幸福度の因果関係が違ってくる可能性を考慮し、一国の中でも被験者を分けて複数のケー スで回帰分析を行っている。具体的には、被験者を区分しない「全被験者」のケース、被 験者を環境意識で「環境保護優先の被験者」と「経済成長優先の被験者」に区分するケー ス、被験者を所得階級で「下位所得階級の被験者」と「上位所得階級の被験者」に区分す るケース、被験者を教育水準で「下位教育水準の被験者」と「上位教育水準の被験者」に 区分するケースである。
まず、「環境保護と経済成長の議論において、どちらがあなたの考えに近いですか」とい う質問項目において、「たとえ経済成長率が低下して失業がある程度増えても、環境保護が 優先されるべきだ」と回答した人を「環境保護優先の被験者」、「環境がある程度悪化して も、経済成長と雇用の創出が最優先されるべきだ」と回答した人を「経済成長優先の被験 者」とする。また、所得階級に関する質問項目で 10 段階の順序尺度のうち、1~5 と回答 した人を「下位所得階級の被験者」、6~10 と回答した人を「上位所得階級の被験者」とす る。さらに、教育水準に関する質問項目で 8 段階の順序尺度のうち、1~4 と回答した人を
「下位教育水準の被験者」、5~8 と回答した人を「上位教育水準の被験者」とする。
なお、所得階級と教育水準で被験者をグループ化する際、回答スコアの中央の値で区切 る必要性としては、こうしたことにより、回答スコアに偏りが大きい国であっても、各被 験者のグループで十分なサンプル数が確保できることである。
5-4 環境問題意識と幸福度の因果関係に関する国際比較
(1)個人属性による環境問題意識の違い
図5-1は、環境問題への懸念と幸福度の因果関係に関する回帰分析の結果を、分析を行 った全ての国と、全ての環境問題の種類(地域環境問題、地球環境問題)で、被験者グル ープ別に集計したものである。地域環境問題については、全被験者を対象とした分析結果 から、16%の国では幸福な人が環境問題を懸念し、14%の国では環境問題への懸念が幸福度 を低下させるという因果関係が確認された(t 検定の有意水準は 10%とした)。
一方、地球環境問題については、地域環境問題と違い、22%の国で幸福な人が環境問題 を懸念するという因果関係にあるが、環境問題への懸念が幸福度を低下させるという国は
60)地域環境問題に関する合成指標(脚注 59)と同様、個別指標に対するウェイトを変更した場合の感度 分析を付録A-2の(2)項で行う。これにより、個別指標に対するウェイトが変わっても、本章の結 論にはほとんど影響しないことが分かった。