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常会での話し合い(布川慎悟2018827日撮影)

1節 家族と親族

1.家族

[ヤーとキネー]

ヤーとは家を指す言葉として使われる。ヤーヌチュは家にいる人を意味し、親子や嫁な どの身内にのみ使われるという。また、世帯主のことをヤーヌシという。ヤーに不幸なこ とがあると家に野菜や魚、肉、果物、お酒を飾り、現在はボンサン、昔はユタにお祓いを 頼んだ。「ヤーが疲れる」とは、人がいない家のことをあらわす言葉で、空き家のことは ムナヤシキという。

一方、キネーという言葉は、沖永良部島では一般的に家内や家族という意味とされるが、

内城ではキネー(キネ)は独立せずに本家などの世話になっている人や、嫁をもらわずに 一緒に家にいる状態の人という意味も聞かれた。なおこれは上の世代の言葉で、現在はあ まり使われないという。

[屋号]

昔からの屋号が今でも通じるが、由来のわからないものが多い。また、すべての家にあ るわけではなく、本家にはすべて屋号があるが分家には屋号がないという話もある。屋号 は良い意味のものもあるが、悪い意味のものもあるため、使う場合には注意が必要である。

以下には、内城にある屋号とその由来を紹介する。

[屋号と由来]

今回の調査で確認できた屋号は、カマヤ、ミーヤ、バシャガミヤ、デマタ(竹又)、フー シマヤ(ヒャーダゴー)、ガッコウシキ、ハジガマヤー、カタヤマ、ゴロウヤ、デイクノヤ、

イジスク(出城)、ウィバルノヤ、コレタカヤ、ガバヤ、シマンゴ、ウィヨシヤ、イット ウヤ、イジンジョノヤ、ニャートゥ、ミスク、フシャマノヤ、イットウジロウ、キミトシ ヤ、ヒャーシノヤ、ヒャーノヤ、アガリソウである。このうち、由来が確認できたものは 次のとおりである。

・ハシガマヤー 木がたくさんある家。ハシガマが「木がたくさん」という意味をさす。

・バシャガミヤ バナナがたくさんある家。バシャが「バナナ」という意味をさす。

・ヒャーダゴー 平田川

・イットウヤ 何でも一等だったことから。

・ガバヤ 何でもある家。ガバが「何でもある」という意味をさす。

・イットウジロウ 何でも一等になることから。

・キミトシヤ 祖父の名前から

・アガリソウ 東宗

・デマタ 竹又と書く。竹が多くある家。

・カタヤマ ハタヤマともいい、内城から和泊に下りるところの坂にある家。坂の急な ところである。

・ガッコウシキ かつて学校があった場所に建てた家。

・イジスク 出城と書く。世之主神社から見た正面の位置にある。防人、先陣のような 意味をさす。

[名字]

橋口家の名字の由来は、もともとウチスクにあった家の近くに石橋があったため、橋の 口(手前)という意味から橋口になった。祖父の時代に名づけられたという。

[家紋]

現在、家紋を明確に意識している人とそうでない人がいる。K家の家紋はカマジュウジ であるという話も聞かれるが、現在一般的に家紋は使わないという。一方、R. Mさん(昭 和8年生・男性)のおじいさんの時代にはあったというが、R. Mさん自身は見たことが ないという。

[家の由緒]

宗、武宮、要、本城は世之主の系譜をひく一族とされる。また、世之主が自害した後、

その子どもたちは徳之島に逃げた。その後沖永良部島に戻ってきたが、その際についてき た目付の子孫が、豊山・キノエ家の先祖であったといわれている。

[家族の呼称]

祖先はウヤホと称し、年配の人もウヤホという。ただし年配の人の場合は、本人に対し て直接いうことはせず、話題の中で取り上げる際に使用する。曾祖母はフーアジ、祖父は ジャージャ、祖母はアジと呼ぶ。なお『和泊町誌 民俗編』など文献資料には曾祖父を指 すフージャージャという言葉があるが[和泊町誌編集委員会: 1983、569]、今回の内城に おける調査では確認できなかった。

父はアチャ、母はアマとかオカと呼ぶ。伯父はフジャ、伯母はバーバといい、叔父はファー チャ、ウーヂャグァもしくはウヂャグァで叔母はマーマである。

兄は一般にミーと呼ばれる。さらに長兄をフーミ、次男をミーグァ、弟をウトゥと呼ぶ。

一方、姉は一般にアヤと呼ばれる。さらに長姉をフーアヤ、次姉をアヤグァ、妹をウーナ イあるいはグナイカと呼ぶ。基本的に、フーは大きい、ウーは小さいという意味がある。

男性はインガー、女性はウナグと称する。また男の子はイェニグワノクワ、女の子はメ

イラビという。最初に生まれた子どもはハチガマ、双子はタンタグワァである。なおタン タが「2つ」という意味をさすが、双子自体をあまり聞くことがなかったという。また、

夫はムトゥトゥ、嫁はトゥジと呼ぶ。

[ヤーナー、ガッコナー、アテナー、ウチナー]

ヤーナーは大正頃にはあったといわれており、昭和になってから使われなくなったとい う人もいるが、現在もヤーナーの話は聞かれる。また、ヤーナーとガッコーナーは同じで あるという人もいる。

・ヤーナー(家名)

家族内での呼び名のことをヤーナーという。ワラビナー(幼名)よりはヤーナーという ことが多く、長男であれば一郎というように生まれた順番でつけられることが多かったと いう。ヤーナーで呼ばれることは現在でもある。

・ガッコーナー(学校名)

ガッコーナーは本籍の名前である。ただし、学校では人数がある程度多いため、さまざ まな名前のうち浸透していたものを使っていた。国頭などでもガッコーナーがあり、学校 でのあだ名のようなものがあった。

・アテナー

アテナーはその字内で呼ぶ名前であるが、内城にはない。

・ウチナー

ウチナーはあだ名である。全員が持っている名前ではなく、ウチナーがある人とない人 がいる。

・K家の場合

Y. Kさん(大正12年生・女性)の子どもは娘5人息子1人であるが、親の名前を取ら ないから男の子が出来ないと言われた。その後4人目のHさんは父の名前から一文字取り、

5人目のUさんは母の名前から一文字取った。

ウヤホの名前を一字もらうのは60代後半から70代までの世代である。実際にT. Oさ ん(昭和24年生・女性)は自分の祖母の名前からもらっている。昔は春・夏・秋・冬や タケ・ウメ・マツなどの名前が多かったという。一方T. Oさんの子どもの世代は、画数 や姓名判断などで名づけられた人が多い。

・R. Mさんの場合

R. Mさんのおじいさんの屋号はフーシマであり、ヤーナーやシマでの呼び名はニチで ある。由来は、このおじいさんが、牛が食べないものばかりだった家の周囲の木をすべて 切り倒し、牛が食べるガジュマルやハナガイという草木に植え替えたため、周囲の人に「真 剣すぎておかしくなった」という意味の「ニチ」というヤーナーをつけられた。R. Mさ ん自身にはヤーナーとガッコーナーの両方があり、ガッコーナーは戸籍名と同じであった。

また、R. Mさんにはモチャというウチナーもある。

・N. Nさん(昭和7年生・男性)の例

N. Nさんは字内でノブと呼ばれ、Nのノブというだけで町内に通じるという。

[家族関係・構成]

調査時における内城の家族構成は、表2の通りである。まず1世帯当たりの人数である が、94世帯中、1人が最も多く37世帯、次に2人が33世帯、3人が11世帯、4人と5人 というところが6世帯で、7人が1世帯となっており、2人以下は合わせて70世帯、75パー セントを占めている。一方、同居する世代についてみてみると、1世代のみが65世帯、

69パーセント、2世代が28世帯、30パーセントで、99パーセントが2世代までとなって いる。なお、複世代同居の例について、息子夫婦と別の家に住んでいるが、住所や字費の 関係で同じにしている人もいるという話も聞かれた。以上のように、現在の内城における 家族の特徴として、極めて小規模な家族のあり方を志向していることが指摘できる。

一方、このような家族の小規模性は、従来の研究でも伝統的な奄美の特徴として指摘さ れてきたが、内城の場合、昭和の初めから昭和中頃までは、結婚しても外に出ないため3

2 : 内城の家族構成

人数 1 2 3 4 5 6 7 合計

世代

I 37 28 65 69%

II 5 11 6 5 1 28 30%

III 1 1 1%

合計 37 33 11 6 6 1

94 100%

40% 35% 12% 6% 6% 1%

不明 2 転勤 3 その他 2

世代が一緒に住んでいたが、現在は外に出て行く人が多いため、子どもとの2世代で住む ことが多いと説明され、必ずしも伝統的な家族のあり方ではないようである。

居住形態についてであるが、ある話者は、嫁いだとき、義両親はトーグラに住み、おじ いさんはカミダナに一番近いトゥクヌマの前に寝ていたという。

[夫婦について]

トゥジとは嫁・妻を指し、トゥジハメルとは直訳で「お嫁さんを頭にのせる」、「お嫁さ んをもらう」という意味がある。頭に乗せるという表現をするのは、それほど妻を大切に するからであるという。お金の管理など家のことはトゥジが担い、トゥジがいなくなると 家が暗くなるという。「世の中に神はいない。トゥジヌカミ(妻が神だ)。」といわれる。

また、夫婦を指す言葉はトゥジオト(妻と夫)というように、妻が強く、優先される存在 であり、夫は妻を大切にしていた。

・トゥジの役割

働いている夫は基本的に家にいないため、ヤシェバテの管理や交際はトゥジに任せられ ていた。R. Mさんは農業や建設会社での仕事などは一生懸命にしたが、家のことはすべ てトゥジマカシ(妻任せ)であったという。トゥジの仕事は、刈り取り班への支払いのほ か、日々の家計はもちろん、姑の年金、農協委託、土地の購入金額の決定など、金銭に関 わる全てを管理した。また、オモテのふすまの張替えやサッシを入れるなど、大きな出費 の決断もトゥジが行っていた。例えばサッシは平成4(1992)年頃にはめる作業を行い、

かかった費用は60万円以上であった。

またある話者の家では、夫が外で稼いでいたため畑の管理などは妻である話者が行って いた。和泊から内城に嫁入りすると畑仕事が大変だと話す。働きながら洋裁、和裁をすべ て通信教育で行ったという。一方で別の話者によれば、本家の嫁としての素養を教える教 室があり、ここに通ったという話も聞かれた。

このように多くの役割のためか、家を裕福にするのも貧乏にするのもトゥジ次第であり、

トゥジは大切にしなければならないとされた。

・トゥジの立場

トゥジは大切であるとされながらも、一方で家によっては姑が非常に厳しく、「嫁はヤ トゥイ以下だ」といわれたり、姑のいうことは絶対だといわれたという話も聞かれた。

また、本家のトゥジは妾の子どもも育てなければならず、自分の子どもよりも妾の子ど もの方が成功している場合もあった。本家に妾も住んでいる場合には、妾の分のご飯も用 意しなければならなかった。このためか、長男の嫁は大変だとされる。子どもを学校に行 かせることに必死だったという話も聞かれた。

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