世之主神社(政岡伸洋2016年10月9日撮影)
第1節 ユタ 1. ユタについて
ユタのことをモノシリとも呼ぶ。沖永良部島ではユタと呼ぶことが多いが、鹿児島では モノシリと呼ぶ場合がある。なお、ユタあるいはボンサン(後述)を呼ぶことは「ユタ(ボ ンサン)をあげる」と表現される。
ユタは何かが起こる予感がする、妊娠の有無をみる、次に死ぬ人の干支を当てる等の特 別な力を身につけ、各地域を回って仕事をした。かつて沖永良部島には手々知名や屋子母 等にユタが多く存在していたが、2000年代頃にほとんどいなくなってしまった。具体例 を挙げると、沖永良部島内では手々知名、喜美留、屋子母のほか、沖縄や徳之島からユタ が派遣されることもあり、中には当時神戸にもいたため、そこから頼んだという話も聞か れた。神戸のユタは評判が良かったとのことであった。なお、沖永良部島の国頭には現在 もユタがいる。
嘘をいうユタをナミタユタといい、親戚の中でユタ役をしている人などは正式なユタで はない。
ユタの信仰は、集落によって信じるか信じないかが分かれる。内城では信じていない人 が多く、ユタの言うことは当たるが信じないという人や、ユタは誰にでも起こりうるよう なことを言っているだけではないかという人もいる。ユタは信じない人の前では話をせず、
それぞれの祭祀において信じない人は参加せずトーグラにいる。ユタを信じない人のこと を「ユタバカ」という。ただし、ユタを信じなくても幽霊や妖怪にあうことはある。現在 は、ユタを依頼することはあまりなくなっている。これは医療や技術が発達し、需要がな くなったためではないかと考えられている。
ユタの墓には特別なことはせず、ほかの人たちと同じものである。
2. ユタを呼ぶ
沖永良部島では現在ノロはいないため、基本的にはユタを頼む。盆にユタを呼ぶことは 特にない。お祓いの代金は3,000円から5,000円、1万円へと時代ごとに値上がりしてい るそうである。ユタに何かをお願いすることをハナミルいう。ハナは、N. Nさん(昭和7 年生・男性)によればユタのところにお金を持ってお願いをしに行くことである。一方、E. H さん(昭和15年生・女性)はユタが線香で占いをするときのその火を指すとしている。
[口寄せ]
アラナンカから四十九日までにユタを頼んで口寄せを行ってもらうが、その期間のいつ 呼ぶかというのは、家によって異なる。また、ユタが作る供え物は、アラナンカと四十九 日は同じものであるが、三七日のみ異なるという。思いを残したまま亡くなったのではな
いかと考えられる人は、ユタが遺言などを 伝えた。これについての詳細は、「第5章 第5節葬送儀礼」を参照されたい。
ユタを呼ぶ際は塩、米、線香を用意し、
名前は分からないが決まった大きな葉の上 に現金の入った「清」「お礼」と書いたの し袋を置き、それを覆い隠すように生米を 盛る。
なお現在は、葬式の時にはユタではなく ボンサンを呼ぶことが多い。また、ユタを あげることは必ずしなければならないわけ ではなく、家によっては口寄せを行わない 場合もある。
[手斧立]
新築を立てるときに行う「手斧立」はユタが中心となってお祓いをし、大工が丸太を切 る際に手斧で足を切らないようにと祈った。
[四十九の祝い]
昔は四十九の祝いの時にもユタを呼んだ。
[医者]
医者がいない時代は、ユタがその役目を果たしていた。病気になった際、知名などから
写真57 : 口寄せの供え物─アラナンカ・四十九日①
(資料提供: M. Sさん)
写真59 : 口寄せの供え物─三七日(資料提供: M. S さん)
写真58 : 口寄せの供え物─アラナンカ・四十九日②
(資料提供: M. Sさん)
ユタを呼んだ。ユタの治療は特別な儀式やお祓いではなく問診のみであった。また、ユタ を呼ぶのは神にもすがる思いのときであるという。ユタを信じていない人でも、熱が出た り病気が治らないときなど、体調不良の場合はユタに見てもらった。病気や悪いことがあっ た際など、ユタを呼んださまざまな例がある。
[不慮の死を遂げた人への祭祀]
不慮の死を遂げた人の霊を慰める神降ろしは、ユタを信じている家庭で行い、毎月ショー ジを行うが、信じていない家庭はお祓い1回ですませる。お祓い以外の時は、ユタの家に 出向いて説明を受けたりした。
[ユタを呼んだ事例]
・N. Nさん(昭和7年生・男性)の場合
道路整備が行われ始めた昭和50(1975)年頃、N. Nさんはのどに違和感があったため 食道癌を疑い、大阪の病院に精密検査をしに行ったが特に異常がなかった。島に帰ってき てユタを呼んだところ、何かを伝えたくてさわっている人がいるといわれた。その後、N. N さんの家の畑からは遺骨が入った40センチメートルほどの甕が見つかった。世の主時代 の兵士の霊が三十三忌祭を行ってもらえず、成仏できずにいたため、存在を気づかせるた めにN. Nさんに教えていたのだという。また、ユタはこのほかにも霊の存在を感じると いい、最初は覚えがなかったが、昭和14(1939)年生のN. Nさんの妹が早逝し、年忌祭 を行っていなかったことが分かった。N. Nさんの妹は、自分の年忌祭は行わないのかと いうメッセージを発していたという。このあと、三十三年忌祭として兵士の霊と妹の霊を 畑の隅で33円と3つのお菓子を供えお祓いしたという。兵士の甕はさわってはいけない ものとして現在も畑に置かれている。お祓いをした後は、のどの違和感はなくなったとい う。このユタを3日間泊め、玄関やカマドなど家全体をお祓いしてもらったところ、30 万円かかった。N. Nさんはユタ信仰が盛んな畦布地区の知り合いのユタに聞いたところ、
費用はそのくらいかかるものだといわれたそうである。
・E. Hさん(昭和15年生・女性)の場合
H家では平成10(1998)年代までユタを呼んでいたという。
E. Hさんの家の話ではないが、知り合いの息子が親に結婚を反対されたことにより自 殺未遂をしてしまい、寝たきりとなった。その人の親とE. Hさんとで交通宿泊費などを 含む50万円ずつ出し合い、神戸からユタを頼んだ。しかし助からなかった。
またあるユタは、依頼者の顔を見ただけで家に囲いがないのを当て、悪いものが入って くると言った。その時、ちょうど依頼者の姉の目が良くなかったという。
さらに、E. Hさんの娘が熱を出したときにユタを入れたところ、祖父が埋葬後に多く
の祖先に会い、土産がほしいということを伝えていたという。ただし、このような例はす べてにあてはまるわけではなく、風土病、白血病の人は、ユタのお祓いが効かず亡くなっ てしまったこともあった。
E. Hさん自身は更年期障害を治してもらったという。また、H家ではウチスクの砂地 の柔らかい竹を家の前に植えていた。その後畑を広げることになり、竹を切ってもいいか ということをユタに聞いたところ、その竹を祖母だと思ってみてほしいといわれたという。
たしかに、祖母は竹が好きな人であった。
また、墓があった場所に家を建てると悪いことがあったりする。その場合、お祓いをし たり場所を移動したりした。
3. ユタの占い
占い方、祓い方の方法はユタによってさまざまである。
例えば、ユタは占うときに干支を聞いて当てる。ユタが干支をいい、その干支の人が何か しらあるといわれた。あるいは線香を何本か立て、それぞれ燃える速さをユタが見て、そ の結果を判断し、死者の言葉を読みとったりした。顔を見ただけで当てる人もいたという。
悪いことがありお祓いをする際は、黒くなるまで焼いた大豆、塩、生米を用意し、家じゅ うにまき、呪文のようなものを唱えていた。
4. ユタの衣装
ユタの服装はユタ自身の普段着の上から白いウッパリを羽織る。ウッパリはきちんと帯 をしめて着るのではなく、ゆったりと羽織ることを指す言葉でもある。正装は糸芭蕉を使 用した真っ白なバシャフの着物であり、着替えると神が降りてくる。バシャフは現在ほと んど作られなくなったが、一部のユタの間ではバシャフを作り続けている。一方、バシャ フは麻で作ったものという話も聞かれた。
5. ユタになる過程
ユタになるには、神から選ばれ、初めに神憑り状態になり、その後に現職のユタから修 行を受ける。ユタの力は一つのユタ神から受けるものであるためユタに師弟関係はなく、
住み込みで修行するなどのことはしない。正式にユタになると神憑りの症状は安定する。
また、ユタになるのは男女を問わないが、基本的に女性が多いという。ユタになりたいと いう意思がなければなることはない。一方、代々ユタになるという話も聞かれる。また、
お化けや霊を怖がらない人にユタがのりうつるといわれた。農業など他の仕事もしている ユタもいる。神憑りの状態はE. Hさんの本家の嫁にも起こったことがあったという。
N. Nさんの父方の祖父はキビを作りながらユタをしており、島内で有名なユタだった。
ユタになった時期は不明であるが、明治元(1868)年に生まれ、昭和4(1929)年に亡くなっ