Ⅴ.研修報告
(1)フランスにおける柔道の歴史
◇柔道の歴史
1882年5月、講道館柔道が嘉納治五郎師範によって創設さ れた。1890年(明治23年)、嘉納治五郎師範(当時30歳)が 初の欧州訪問にてフランスを訪れる。フランス南部マルセ イユにて柔道のデモンストレーションを行う。この時、嘉 納師範は、2ヶ月パリに滞在し、フランスの教育に携わる 方々と面会された。その時のお言葉に「得る処少なくなかっ た」と残されている。
嘉納師範のお言葉に、「精力善用 自他共栄」という、柔 道を志す上での心得がある。精力善用を、「柔道とは心身の
力を最も有効に使用する道である」とし、自他共栄を「自分のためと、他人のため を両立するように努力すれば、やがて国際間の融和や平和も生じる」と社会的原理 に基づいて説かれた。
嘉納師範は、世界中を生涯で13度渡り歩かれる中で、5度目の訪問において「精 力善用」という言葉を確立されたといわれている。嘉納師範が、柔道の役割を国際 的観点から見出し、人間形成の場となることを確信されていたことが伺える。現在、
200 ヵ国を超える国が、国際柔道連盟に加盟している。
日本の 体育の父 と呼ばれ、日本初のIOC委員として東京にオリンピックを招 致するなど、日本のスポーツへの功績は多大なものである。
◇フランス柔道の始まり
ヨーロッパにおける柔術の到来は、講道館柔 術が創設される1882年以前である。明治維新後、
人々の移動が盛んになり、柔術が渡ったのでは ないかと当時の文献に残されている。
1905年、フランス柔道の歴史の始まりに、シャ ンゼリゼ柔術クラブ設立(L'école de jujutsu des Champs‑Élysées)があり、その後のフラ ンスにおける柔道人気に大きな影響を与えたと 言われている。
この当時、上流階級層といわれる伯爵、芸術家、産業文化人などが次々に柔術ク ラブに入門したことが柔術に対する国民のイメージを高騰させた。
◇フランス柔道の普及
1935年(昭和10年)、石川酒之助七段(当時四段)によって柔道の技術が本格的 にフランスに渡った。
これまで外国人には馴染みの無かった日本語の難しい技の名前を数字で示し、見 ている者でも分かりやすいように、止まっている相手に技を掛ける石川式柔道 イ
嘉納治五郎師範
柔術のデモンストレーション
平成 24 年度・長期派遣︵柔道︶
シカワ・メソッド を確立、柔道が フランス国民により身近なものとし て浸透した。また、石川は受講生の モチベーションを上げるため、カラー 帯システムを開発するなど、画期的 なアイデアによって、柔道の人気を フランス国民に根付かせた。
そんな石川は、柔道の傍らビジネス マンとしても名高く、そのアイデアが 柔道に活きたと言われている。
◇フランス柔道連盟設立
1947年(昭和22年)フランス柔道連盟が組織 化される。
現在、FFJDA (Federation Fransaise de judo et disciplines associees)とされ、柔道・柔術・
剣道・体操、護身術などを統括する組織となっ ている。
この時、フランス柔道連盟の立ち上げに尽力 した立役者の一人が、御年92歳を迎える粟津正 蔵(九段)である。「ヨーロッパを中心にフラ
ンス柔道の普及を根強く支えたのは、日本人柔道家の地道な巡業による振興活動だ」
と、粟津は常々言葉にしていた。その内容とは、各地方で人々を集め、小さな日本 人が大男と勝ち抜き勝負を行うショーであった。「勿論、日本人柔道家は一切負け てはならない。これが、どれほどプレッシャーだったか。」と当時を思い返す。柔 能く剛を制す、小さい相手が大きな相手を倒す、 強い男 がフランスの柔道人気 に火をつけた。
(2)フランスにおけるスポーツ
◇フランスのスポーツ事情
教育者であり近代オリンピックの創始者である、ピエール・ド・クーベルタンを 生んだフランスにおいてスポーツは、世界大戦以前からその制度の構築に力が注が れていた。
現在、フランス人口約6,660万人のなかで、7人に1人が週に1度、何らかの身 体活動を行っている統計がある。休日になると、身体を動かしているフランス人を あちらこちらでよく見かけるが、フランスはスポーツへのアクセスがよく、こうし た施設が地域に充実しているなど、スポーツが国民に根付いている背景がある。
日本と異なる点は、教育機関において学校体育が不十分なことがあげられる。パ リ市内では、日本のように運動場を持った学校は少なく、アパートの一角に学校(教 室)が入っている事も珍しくない。そのためこういった学校は、体育の授業が無い
カラー帯システムの導入 左:石川酒之助、
右:粟津正蔵
フランス全土で柔道振興が行われた
か、近隣のクラブ施設と提携していることが多い。
さらにフランスの公立幼稚園と小学校では、 週4日制 を採用しているため、
水曜日が休みとなる。フランスでは、一般的に水曜日は、 習い事の日 とされて おり、生活水準などの家庭環境にもよるが、水曜日に一日クラブに通い、スポーツ をする子供もいる。そのため、大人になってからもクラブに通い身体を動かす習慣 がついている。フランスでは、クラブに登録しスポーツを行う際、一般的に保険に 加入することが義務付けられている。約25%の国民がクラブなどへの登録ライセン スを所持するなど、この数字からもスポーツへの関心が大きいことが分かる。
2014年9月より、オランド政権によって 週5日制 と改正された。その影響で クラブに通う時間が無くなったと、子供たちのスポーツ離れが懸念されている。
柔道においても、柔道人口の多くを占める年齢に該当することから、フランス柔 道連盟も財源となる登録者の獲得に必死である。
◇フランスにおけるスポーツ基本法の形成
①1940年スポーツ組織に関する法律が施策
②1945年のスポーツ非営利社団、リーグ、連盟および団体に関する臨時立法、学校 および大学のスポーツ組織に関する特別なスポーツ団体法が制定
③1940年代−1950年代に、スポーツ活動の安全を確保目的とした指導者資格に関す る特別法制定(スキー、水泳、山岳ガイド、柔道)
④1958年ド・ゴール政権となり、1960年ローマオリンピックでの惨敗を契機にスポー ツ行政の強化が求められる
⑤1963年スポーツ教育者の職業資格全体に関する法律が制定
⑥1966年青少年・スポーツ省が設置 (スポーツ専門の公務員制度が確立)
⑦、①〜⑥を経て、1975年フランスにおける最初のスポーツ基本法が制定 (体育およびスポーツの発展に関する法律)
スポーツ基本法は、教育改革の影響も受けており、 体育 と スポーツ の 両方の基本を定めた。欧州において、 みんなのためのスポーツ憲章の制定 に 対応し、「あらゆる人が、あらゆる水準で、スポーツ活動に参加する」自由と平 等の原則を定めた。
⑧1984年、身体的およびスポーツ的活動の組織および促進に関する法律制定 (①⑤⑦を統合)
こうした流れを受け、フランスはトップ選手助成国家基金などの事業を行い、トッ プの選手を強化することで、2012年ロンドンオリンピックにおいて、金11個、銀11 個、銅12個を獲得。国別順位では7位となり、常に世界トップクラスに位置するス ポーツ先進国となった。
(3)フランス柔道の現在
◇フランス柔道連盟
FFJDA(フランス柔道連盟)は、傘下にある21の地方柔道連盟、100の県柔道協会、
5,600の登録クラブからなる。安全性に基づいた規定により4歳から柔道を始める
平成 24 年度・長期派遣︵柔道︶
事ができ、柔道のクラブ会員 については、全ての人々に登 録制度が設けられている。現 在、フランスの柔道人口は、
約60万人と言われ世界一の柔 道大国として知られている。
日本の柔道人口を示す全日 本柔道連盟への登録者数は、
約19万人である。日本の場合、
試合への出場資格、段の取得 に柔道連盟への登録が必要と なる。幼い子供や趣味で柔道
をする場合、また体育の授業などは、柔道人口にカウントされない事が多い。
一方のフランスでは、クラブに登録する際に義務付けられている保険への加入数 が柔道人口としてカウントされる。フランスと日本との柔道人口の大きな差に影響 を与えているのは、フランス柔道連盟に、柔道・柔術・剣道・体操・護身術などが 含まれることだ。現在、10万人は柔術、10万人は護身術と言われている。そのため、
実質的な柔道人口はそれほど変わらない。
また、図を見ても一目瞭然であるように、フランス柔道の競技人口のほとんどが 4歳〜 12歳の子供たちである。よって、なぜフランス柔道が 教育 なのかが分かる。
フランスの柔道家には、段位該当者が少なく92%は無段者なのである。
【フランス柔道人口】
登録クラブ:5,672クラブ 登録人口 :612,898人 男性:450,021(73,4%)
女性:162,877(26,6%)
無段者:565,089 (92.2%)
有段者: 47,809(7.8%)
◇柔道連盟の在り方
以下①〜④は、フランス柔 道連盟における登録システム である。
①登録料
フランス柔道連盟に支払う登録料は、年齢に関係無く一律34ユーロである。この 中には、対人を含む傷害保険が含まれている。また登録には、医療診断書の提出が 義務付けられている。
フランス柔道連盟の人口
フランス柔道連盟の齢別登録者