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短編小説集のテクスト分析

6-1 単行本におけるテクストの大まかな傾向(ジャンル・プロット・登場人物・

語りの形式)とメトニミーによる主体性の操縦

ここでは、FLP香港が出版した2冊の短編小説集のテクストを精文分析し、そこに みられるメトニミーと語りの競合について検討する。取り上げるのは、『香港、私の 名前は愛の妖精(Hongkong, Namaku Peri Cinta)』(2005)と、『私の家の支配者 (Penjajah di Rumahku)』(2010)である。この2冊に掲載されている計31本のテク スト(前者12本、後者11本)について筆者は、登場人物、プロット、テーマ、語彙 についてコーディングし、全体の傾向を把握した。ここで分かったのは、2005年で は12本の全テクストのうち7本が香港ではたらくIDWが主人公であったのに対し、

2010年の出版物では、11本のうち2本のみが明示的に香港のIDWを主人公としてい ることである。これは、2005年では殆どが香港IDWを題材にしているのに対し、

2010年においては、主人公はインドネシア人であっても、香港で家事労働をしてい る設定のものはむしろまれであり、インドネシア在住の学生や会社員など、筆者と同 年代の女性であることが殆どを占める点において違いが見られる。これは、第3章で 述べた、香港IDWによる出版物の近年の増加により、著者画側がより多様な内容の創 作を試みていることと関連づけられるだろう。

ストーリーの舞台については、2005年では100パーセントが香港かインドネシア であり、2010年でも1作が韓国にて働くインドネシア人を主人公にしているほかは、

すべて香港かインドネシアであった。作品のスタイルについては、2005年の作品に ついてはほとんどすべてが私小説風でスタイルに明らかな違いが見られないのに対し て、2010年に関しては、コメディ(『キューピッドがおどけるとき(アジェン・ユ サク)』、『トルコからのヴェール(ジュワナ)』、スリラー(『レザヴォア・パークで のBBQ(イダ・ライハン)』)、心理小説(『窃盗症(Ita W)』)、風刺小説(『私の家 の支配者(スシー・ウトモ)』)などのバラエティが見られた。これは、上で述べた通 り、2005年時点から2010年へと時を経るに従って、FLP香港メンバー内での文学表 現やスタイルにも幅が出てきていることを示すと考えられる。

 ただ、筆者の読後の感想としては、香港IDWとしての経験を全面に押し出した作品 において、メンバーたちの筆力が最も輝きを強めるという印象であった。2010年の出 版では、インドネシアに住むインドネシア人という設定で、日々の生活を題材にした 短編小説が8割以上をしめているのだが、これらのいわゆる一般的なテーマで書かれ た創作作品においては、著者たちの表現力は限られており、プロの作家の水準に達し ているとは筆者には考えにくかった。やはり、メンバーたちの感性がもっとも光るの は、香港IDWとしての視点を生かした作品においてであると筆者は感じた。もちろん、

香港IDWを主人公とはしない作品をことさら低評価することの裏には、筆者の先入観 が影響している可能性があるため、筆者としては可能な限り、公正な目で評価を行っ た。結果として、2冊のテクストを何度も読み返したあとで、筆者がテクスト分析に ふさわしいと感じた作品を列挙してみると、そのすべてが香港IDWを主人公にしてい た。これを踏まえ、以下では、この2冊の短編小説集から抜粋した9本のテクストに 現れる香港IDWについての語りを、「語りの競合」という視点から分析を行う。なぜな ら、テクストを読み込むうちに、「国際移住労働」「望ましい女性像」「雇用者(または

その家族)との関係」という共通のテーマが繰り返し現れていることに気付いたから である。当然、それぞれのテクストがこれらのテーマについて描き出す結論は多様で あったが、それでも、テクストを読み込んでいくうちに、いくつか共通のパターンが あることに筆者は気づいた。たとえば、この3つのテーマについて、それぞれのテク ストでは、メトニミーを使用した意味の転覆や再文脈化が行われていた。例をあげれ ば、「国際移住労働」というテーマについては、この種の労働についての否定的なイメ ージをテクスト中で転覆し、より肯定的なイメージにて再解釈する動きが見られた。

また、「望ましい女性像」については、相反する香港IDWのキャラクターを登場させた 上で、それぞれの長所と短所を値踏みするような語りが見られた。「国際移住家事労働 における労働関係」については、家事労働における、雇用主に対するIDWの従属的な 関係を、家族愛や宗教倫理、機転や近代的知識などの別の文脈で読み替え、相対化す るような、権力関係の交渉プロセスが見て取れた。したがって本章では、この主要な テーマ3点について、使用されるメトニミーのアイコンが転覆され、読み替えられ、

交渉されるという再分節化プロセスを検証する。

 これらの9本のテクストには、語りのスタイルや語彙にもいつくかの共通点がみら れた。語りのスタイルに関しては、香港IDWの1人称「私(akuないしsaya)が最も 多かったが、三人称による語りも見られた。語彙に関しては、まず、IDWないし家事 労働者を表すさまざまな語彙が使われていた。たとえば、babu(ジャワ語で家事労働 者・メイドの意味)、pekerja domestik(インドネシア語で家内労働者の意味)、BMI

(Buruh Migran Indonesia:インドネシア語でインドネシア人移住労働者)、TKW

(Tenaga Kerja Wanita:インドネシア語で女性(家事)労働者)、PRT(Pekerja Rumah Tangga:インドネシア語で家事労働者)、kungyan(広東語でメイド)、pembantu

(インドネシア語でお手伝い)、domestic helper(英語で家事ヘルパー)などである。

ストーリーの中では、主人公以外にもさまざまな香港IDWが登場したが、それらの

登場人物の名前は、「イェム(Yem)」「カティネム(Katinem)」など、ジャワ文化での 家事労働者を指す語彙、バブ(babu)に典型的なものであった。ほかには、「シンサン

(Shinsang:男性雇用者を指す)」、「タイタイ(Daidai:女性雇用者を指す)」、「チェ チェ(Cece:お姉さん<広東語でのIDWの呼称>)」、「クンヤン(kungyan:メイド)」、

「サイロウ(Sailou:幼い男の子への呼称)」などの人称詞に加え、「サウケ(sauke:

携帯電話)」、「ラウチュン(laucung:時計)」など、日常生活に不可欠な広東語語彙の インドネシア語表記もみられ、これらの語りが、香港IDWの日常生活をもとに構成さ れていることを示している。

また、イスラームに関連する語彙も散見された。たとえば、ジルバブ(jilbab:ム スリム女性の身に着ける肩までのヴェール)、クルドゥン(kerudung:ジルバブと同じ く、ムスリム女性の身に着ける肩までのヴェールだが、ジルバブとは違い、頭巾のよ うに予め装着しやすいように縫製が施されている)ガミス(gamis:長袖のロングスカ ート型のアラビア風ドレス)、ムケナ(mukena:ムスリム女性が礼拝時に身に着ける身 体を覆い隠すタイプの白い上着)などが出てきた。

英語語彙については、chat room(チャットルーム:インターネット・チャット用 語), Yahoo ID, online/offline, visible/invisibleなどの、インターネット・チ ャットやSNS使用のための用語や、「underpayment(公定賃金未満の賃金)」,

「(in)terminate(契約解除)」など、IDW雇用における契約手続きにおいて香港政府 が推奨する、標準契約書に出てくる労働契約のための用語も見られた。

テクストには、語り手が親しんできたジャワ語も散見された。たとえば、ブレッ

(Bulek:おば)、ボジョ(Bojo:パートナー)などである。

 このような、インドネシア語、ジャワ語、アラビア語、広東語、英語などの多言語 使用は、FLP香港の文学創作におけるひとつの特徴だといえるだろう。第3章で述べ たように、メンバーたちは、日常生活においても状況や相手に合わせて言語をスイッ

チし慣れていることが、執筆するテクストにも反映されているものと考えられる。

6-2 国際移住家事労働の意味

 本項では、テクスト中の「国際移住家事労働」というメトニミーによって、下記の

①~③のような図式による再文脈化について考察する。

① 社会的地位の低さ→宗教的正当性 

②  悲しい経験→幸せな経験

③ 能力の低さ→能力の高さ

【① 「社会的地位の低さ」から「宗教的正当性」への読み替え】

「MDW哀歌」(Syifa,2005)

この作品は、主人公であるIDWのウィッが、香港で家事労働者として働くことを選択

した経緯を想起する語りから構成される。香港で家事労働を行うことを決心する発端 は、ウィッが同じ村の幼馴染のイナヤに偶然出会い、イナヤから香港での移住家事労 働の経験について聞いたことに始まる。ウィッは、家事労働者というインドネシアで は軽視されがちな職業についていても、イナヤがきょうだいたちの学費を支払い、自 信に満ちた態度で自らの職業について語るのを目の当たりにして、自分もイナヤと同 じ職業につきたいと思うようになる。

「仕事って、私に言わせれば、大事なのはハラルかどうかってこと。…社会的地位や 職業が理由で私たちを見下す人たちなんて、放っておけばいい。神様の前では、私た ちは皆平等なはずでしょう?もし違いがあるとすれば、それは、個々人の宗教心の深 さであるはず。お手伝いとして働くことに対する恥を捨てなさい。だって、人生にお

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