• 検索結果がありません。

月刊ブレティンに描かれる概念の整理

第3章で述べたように、2004年にFLP香港の設立にあたって条件とされた月刊ブレ ティンの発行は、その後のFLP香港の基幹をなす活動となった。月刊ブレティンの体 裁としては、発刊当時から2009年まではA4版のカラーコピーをビニールテープで簡 易製本したものであったが、2010年からは、一回り小さいB5版となった。ページ数 は、おおよそ40ページほどに及ぶ。標準的な内容としては、支部長によるまえがき、

目次のあとに、短編小説と詩の創作が複数掲載される。これは会員からの投稿がほと んどであるが、発刊後しばらくは、会員以外の著者による投稿もみられた。続いて

「心情吐露(Curahan Hati)」という、著者の抱える問題や関心を述べるノン・フィク ション的文章が続き、さらに、AKやSuaraへのメンバーの文学創作やニュースの投稿 なども扱われる。のちに、加えて、インドネシアのFLP関連ニュースや、インターネ ットやブログなどを含む、インドネシア国内のメディアから、文学創作一般やイスラ ームについての記事の抜粋「書こう!欄」が挿入された。そして最終頁に、各メンバ ーの名簿と電話番号リストがあがっている。各カテゴリーのタイトルページには、コ ーランやイスラーム知識人の言葉の抜粋や、文学創作という文脈に合致していれば、

時に西洋人やその他のイスラム教徒の格言も掲載された。

 筆者は入手したブレティンをすべて読み通し、特に、支部長による巻頭言と短編小 説、心情吐露がとくに重要だと思うようになった。なぜなら、短編小説と心情吐露は フィクションとノン・フィクションの違いはあれども、どちらも筆者たちが自分の置 かれた社会状況や問題について語り、さまざまな視点から解決方法を検討するという 共通のテーマが見られたからである。そして巻頭言は、支部長によるそのときどきの 問題提起やFLP香港として目指すべき方向性が語られていたことから、その時のFLP 香港においての課題を見極める助けになった。一方、詩については、抽象的なものが 多く、意味や設定が明確につかめないものも多いため、今回の分析からは省き、まず、

まえがき、短編小説と心情吐露を中心に、FLP香港におけるダアワの内実とその言説 を考察する。まず、ここでは、第4章にて取り上げた、定例ミーティングでのメンバ ーたちの言説(ヴィクトリア公園はIDWの「家」、定例ミーティングにおけるメンバー 間の「結束」の重要性、雇用者との関係性の交渉、宗教的浄めとしてのイスラームの 意味など)がどのようにブレティンの内容に反映しているかを検討する。そして、FLP 香港の言説においてみられるいくつかの共通のキーワードを整理する。

その上で、2005年と2010年に、FLP香港として出版された2冊の出版物『香港、私 の名は愛の妖精(2005)』『私の家の支配者(2010)』を取り上げて、ブレティンにて見

出されたキーワードがどのように描写されているかについて議論する。特にここでは、

これらのキーワードをポーレッタのメトニミーの議論にあてはめ、「語りの競合」「語 りの転覆」「語りの交渉」のプロセスとして詳しく検討する。

5-1 「家」としてのヴィクトリア公園

定例ミーティングでのメンバーの語りにもみられたように、ヴィクトリア公園は IDWの「家」だという認識は、ブレティン中の作品にも見られた。たとえば、2005年 6月号のブレティンに掲載された短編小説『お姉さん』(ヌルジャナ作)での記述は、

ブレティンの他の号の掲載作品においてもたびたび出てきている。

日曜は香港のBMIの休日だ。休日には彼らの多くが、コーズウェイ・ベイにあるヴ ィクトリア公園に行く。ヴィクトリア公園はインドネシア出身のTKWたちのたまり場 として知られている。実際、ヴィクトリア公園はBMIの家だとよく言われている。ヴ ィクトリア公園以外にBMIがよく訪れる場所には、スターフARや、ほかのたくさんの 観光地がある。(2005年6月号)

ここでは、ヴィクトリア公園とともに、スターフェリー乗り場やほかの観光地が

「TKWのたまり場」だと述べられている。たしかに、ヴィクトリア公園が香港内で最 大のIDWのたまり場であると同時に、有名な観光地、インドネシア人向けサービス業 やインドネシア食品店などの集まるシュガー・ストリートなどもIDWのたまり場とし て存在しており、そこでの雑多な人々との出会いや人間観察が短編小説の題材となっ ているもの(『ヴィクトリーでの休日(H.ヌルジャリア 2004年 9月号)』『うなだれ たラヌム(リンタン・トリスナ)』『日曜日のスターフェリー(デノッ・KR)』『話の中 での話(スワスティカ・マハラティカ)』など)が見受けられた。つまり、このような

たまり場を「家」ととらえる背景には、IDWにとっての香港の『家』であるヴィクト リア公園を、他者が排除されている領域というよりは、そこから多様な他者と交わり を持つ「基点」としてとらえていると考えられる。また、多くのIDWがムスリムであ ることから、現地のモスクやその他の場所で行われる宗教系イベントも、IDWが休日 を過ごす場所となる。このような、第4章でも取り上げた「宗教的お浄め(siraman

rohani)」についても、ブレティンにて言及がされている。2005年2月のブレティン

の『SARS 2003(トゥティッ・ハンダヤニ)』をみてみよう。ここでは、SARSが流行し ていることを理由に、IDWが休日に宗教講話に出かけようとするのを阻止しようとす る雇用主が批判的に描かれている。

・・・SARSが猛威をふるっていて、外出許可、ましてや休日に出歩くだけのために 雇用主の許しを得るのは簡単なことではないことを考えると、まあまあたくさんの人 がその宗教講話に来ていた。雇用主には、(こういう)宗教的お浄めが何にもまして BMIには必要なのだということがわかるわけがないのだ。(2005年2月号)

このような描写からは、感染症予防のためとはいえ、本来、本人の自由であるべき家 事労働者の休日の行動を雇用者が制限しようとする姿がフィクションの体裁にて語ら れる。しかしながら、日々の忙しい仕事に耐えるためにも、主人公には、雇用者から のプレッシャーにも関わらず、休日には宗教的なお浄めに出かけるIDW側の論理が見 て取れる。

5-2 ブレティン編集による執筆スキル学習

第4章では、定例ミーティングにおいて、メンバーがブレティンに掲載された作品を 相互評価する様子に言及したが、ブレティンの巻頭言においても、編集長(通常は支

部長)が、ブレティンの編集方法に細かい指示を出しながら、グループ全体の方向づ けをおこなう様子が見て取れる。以下は、ブレティンの巻頭言における編集長の語り である。

これらの執筆上の注意はいずれも文学創作における基本的なマナーだといえるが、共 に学び合う同志としての水平な関係性からわかりやすい例とともに語りかけるスタイ ルは、これらの基本事項をメンバーに嫌みなく理解してもらうのに効果的であると考 えられる。

この号から、ブレティンの特に短編小説について、編集作業を行うこととします。こ こでいう編集とは、正しいインドネシア語の使用法(句読点、大文字の使用、接続詞 など)を含みます。その他、行き過ぎた言葉を減らしたり、同一段落で繰り返し出て くる同じような接続詞を変更したりという作業も含まれます。はじめは、特定のメン バーが編集を行いますが、将来的にはメンバー全員が編集チームとして原稿の編集作 業を担当することを願います。(2004月8月号)

・・・編集長は、メンバーに対して、整然とした書き方を学ぶようお願いします。紙 媒体で持ち込む原稿については、ホッチキスでとめてください。ぐちゃぐちゃの紙に 書かれた原稿は、編集長を眠くさせます。・・・もうひとつは、自分が送る原稿が、編 集長の目に魅力的に映るようにすることを学んでください。私たちも、もしかしたら 有名作家になれるかもしれません。原稿が良くかけていても、見た目が魅力に欠ける せいで、編集長や出版社にも原稿を採用してもらえず、臍を噛むことになります。ど うでしょうか。考えてみてください。(2005年4月号)

5-3 ペンによるダアワの意味

 「ペンによるダアワ」は、FLPのすべての支部を貫くスローガンであり、メンバー にとっては基本的な理念であるため、筆者の出席した定例ミーティングにおいてあえ てその意味について言及がされることはまれであった。しかし、初期の月刊ブレティ ンにおいては、より明示的にダアワの意義を強調し、喚起する記述が見られる。ここ では、発刊当初の2004年3月号の巻頭言にて、他人に対して善行を標榜するとともに まず自らがよきムスリムとなるように努めるという、ダアワの意味が確認されている。

つねに、FLP香港では創作するという目的を想起しましょう!それは、書くことを趣 味として行うと同時に、ペンによるダアワを行うという義務を遂行する―つまり、ア ラーの神に認められた善行につとめ、他人を誘うということでもあります。そのため には、・・・まず自分に対してダアワを行いましょう。(2004年3月号)

もちろん、このような「ペンによるダアワ」の意味は、インドネシア国内のFLP支 部でも共有されているが、メンバー全員がIDWであるFLP香港においては、ペンによ るダアワの目的も、メンバーの置かれた社会的背景に合わせた再解釈がなされている。

たとえば、創立から1年ほど経過した2005年12月のブレティンの巻頭言には、書く ことが場所を選ばず可能な行為であるからこそ、ダアワの非常に効率的な手段である という記述がある。

最も慈悲あまねく慈悲深い主の名において

すべての賞賛をアラーに。私たちにいつも信仰を忘れず、神の偉大さを賞賛するよ うに命ずる全宇宙の神よ。

書くことは、最も効果的で的を射たダアワの方法である。おそらく誰もが多くの用 事があり、宗教的講話や宗教的お浄め(siraman rohani)に出席することができない

関連したドキュメント