第 5 章 OCI に計上された金額のリサイクリングの要否
1. 財務諸表に計上される自己信用リスク変動の原因
第1の面である「財務諸表への計上」は、公正価値を導入ないし拡大し、金融負債に適用 することの意義を明らかにすることを主眼にしていた。そこで、第1章では、公正価値が導 入ないし拡大されている背景を明らかにし、第 2 章で、金融負債を公正価値で測定する根 拠および問題点を検討したうえで、第 3 章では、負債の公正価値測定に自己信用リスクの 影響を反映させる原因を考察した。
第1章においては、外的要因「経済環境の変化」と内的要因「会計目的の変化」という2 つ視点を通じて、公正価値測定が選択される要因およびその理論的進化の過程を考察する ことを基本とした。会計は実務であるから、企業を取り巻く経済環境が変化すると、それを 描写する手段である会計理論およびそれに基づく測定方式もその変化に伴って変わるはず である。現代の経済社会において、従来の「プロダクト型市場経済」は存続し続ける一方、
新しい「ファイナンス型市場経済」の規模は拡大し、世界経済にとって主要な、また成長す る部門を構成している。
このような経済的実態を開示するため、伝統的な取得主義会計は変化を余儀なくされて いる。すなわち、「プロダクト型市場経済」を前提として構築されてきた伝統な収益費用ア プローチの中に、あるいはそれに代わって、「ファイナンス型市場経済」に適する会計モデ ルを構築しなければならないのである。そこで、金融商品に対して最も目的適合的な測定値 であり、資産負債アプローチを理論基礎にする公正価値が、部分的に導入ないし拡大される のは必然の帰結である。その結果、歴史的原価と公正価値を適用領域に応じて使い分ける混 合モデルが形成された。
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現実からみれば、金融経済の規模はますます拡大しているが、それでもなお、実体経済が 国民生活の物質的基礎である。金融経済は、実体経済に依存せず、完全に独立して存在する ことはできない。実物経済であれ金融経済であれ、経済基盤の構成要素であり、両者は排他 的な対立関係にはないので、公正価値会計は取得原価主義会計と対立するものではない。取 得原価主義会計の本質を変質させることなく公正価値測定を取り入れた混合属性モデルは、
フロー・ベースの伝統的な会計利益モデルの欠点を補完するものとして位置づけることが できる。
経済環境の極端な変化は、会計測定理論に多大な影響を与えてきたが、他方でそれは会計 測定属性選択の効果を検証する手がかりともなる。1980年代のS&L危機は、伝統会計を 支えている取得原価主義会計の信頼性を失墜させ、これに代わる公正価値の導入および拡 大を促したが、2008 年の金融危機を境に、金融商品プロジェクトは、1997年のIASC 討 議資料、1999年のFASB予備見解および2000年のJWGドラフト基準において提唱され た全面公正価値会計(単一の測定モデル)から離脱し、混合属性モデルの維持へと転換した。
会計測定の発展は、会計の目的の変遷と密接に関係している。1929年の大恐慌の悲惨な 経験を教訓として 1930 年代の米国において制度化された会計システムは、Paton and
Littleton [1940] を経て、費用と収益を対応させる組織的なプロセスを通じた期間利益の計
算を重視するようになった。しかしその後、ASOBATの公表を契機に、会計制度において は情報提供機能が重視されるようになり、首尾一貫した会計基準を導き出す米国の概念フ レームワークにおいて、意思決定への有用性が基本目的として掲げられるに至った。FASB においてもIASBにおいても、一般にこうした財務報告の目的が先に示され、測定属性の選 択はそれに続いて導かれるという構造になっている。このような構造のもとで、「財務報告 の目的」➝「質的特徴」➝「認識と測定」という順で構成された概念フレームワークが、多 元的属性測定から公正価値測定へと収斂し、さらに資産負債観の徹底をより促進してきた。
ある時期まで、その行き着く先は全面公正価値会計と目されていた。こうした考え方に立て ば、現在の混合属性モデルは、旧モデルから新モデルにパラダイム転換を目指すプロセスの 途中の状態であり、いわば「純粋型資産負債観」へのパラダイム転換の過渡期に位置づけら れることになる。
このような背景のもとで、公正価値の概念は、いくつかの変更を経て、最終的にはSFAS
No.157とIFRS No.13において統一された。そこでの公正価値概念は、市場参加者の視点、
出口価格の測定目的、および負債の移転という3つの点で特徴づけられる。そのうち、負債 の移転を基礎とする負債の公正価値は、自己信用リスクの変動を反映することを求めてい る。
第 2 章は、金融負債の公正価値測定に関する論拠をさらに掘り下げて考察した。とりわ け負債への公正価値の適用を巡っては「負債のパラドックス」が生じる点が問題視されるの で、金融資産と金融負債で論点が異なってくる。また、リーマン・ショック後の米国金融機
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関が公正価値オプションを適用して多額の負債評価益を計上したことは、金融負債の公正 価値会計に対する多くの批判や懐疑を惹起した。それゆえ、公正価値に基づく測定基準を金 融負債に適用することの論拠を明確にしなければならないと考えて、「会計理論の転換」、
「論理的対称性」、および「会計上のミスマッチの解消」という3つの観点から、金融負債 に公正価値測定を適用する必要性を検討した。その結果、「負債のパラドックス」を完全に 解消することは不可能であることが明らかになった。
負債の概念を根源に遡って検討すれば、FASB と IASC においてなされている負債の定 義は、負債をマイナス資産とみなす点で資本主理論の特徴を有していることが分かる。この ことを踏まえたうえで、金融負債の公正価値測定の論拠を考察した結果、それには主に3点 があることが確認された。第1に、金融負債は、契約上の義務から生じると期待される将来 キャッシュ・フローの現在価値によって統一的に評価することができる。第 2 に、資産は
「将来の経済的便益」、負債は「将来の経済的便益の犠牲」という形で定義されているので、
負債と資産との「定義上の対称関係」を測定面に延長して、その評価基準にも「論理的対称 性」を求め、金融資産および金融負債にはともに公正価値を適用すべきである。この点は、
前述の資本主理論の特徴と整合的である。第3に、現行の会計制度は、金融資産および金融 負債のそれぞれを複数のモデルで測定する混合測定モデルを採用しているため、金融資産 と金融負債が同じポートフォリオで管理される際に、両者の間に「貸借対照表上の対応関係」
が存在する場合には、金融負負債を償却原価で測定すると、「会計上のミスマッチ」が生じ る可能性がある。この 3 つの観点から、金融資産に公正価値測定を適用するのなら金融資 産も同様に公正価値で測定すべきである、ということになる。これが第 1 の問題意識「な ぜ、金融負債を公正価値で測定するのか」に対する回答である。
第2章の後半は「負債のパラドックス」という直観に反する現象を取り上げ、その解消の 可能性を検討した。その結果、次の2つのことが明らかになった。第1に、自己信用リスク の悪化によって負債の評価益が計上される場合、その評価益が財務諸表で認識されている 資産価値の減少による評価損(減損損失)と相殺されるならば、「負債のパラドックス」と しての実質を伴っておらず、基本的には問題は生じない。しかしながら、かかる評価益が事 業用資産ののれん価値部分や自己創設のれんにおける減価と対応しているならば、これら の無形資産の価値変動が財務諸表で認識されない限り、その評価益を完全に相殺すること はできないので、「負債のパラドックス」の発生が避けられない。第2に、自己信用リスク の改善によって負債の評価損が計上される場合、その評価損を特定の資産と関連づけるこ とは事実上不可能であるので、「負債のパラドックス」は不可避なものとなる。
このように、金融負債の公正価値測定に当たっては、「負債のパラドックス」が避けられ ないことから、第2の問題意識である「なぜ、負債の公正価値測定に自己信用リスクの影響 を反映すべきなのか」という疑問が生まれる。
そこで第 3 章では、負債の公正価値測定に自己信用リスクの影響を反映することに焦点