(1)医学文献
ア 開腹後の臨床的癒着胎盤の診断
臨床的に癒着胎盤の診断をするにあたり、術中に注目すべき重要所見は、①術前の 診断情報等、②子宮前壁から膀胱周辺の血管怒張、③胎盤剥離兆候の有無、娩出の困 難性、④大量出血・止血困難状況である。
これらの所見が認められる場合、臨床的に癒着胎盤との診断を行い、あるいはその 可能性を疑って、癒着胎盤事例への対処方法を念頭に置きつつ治療に当たる必要があ る。
(ア) 術前の診断情報等
術前の診断情報等については前記29頁第3、1のとおりであるが、術前の経過に 加え、特に癒着胎盤発症のリスク因子(特に帝王切開既往であることや前置胎盤症 例であること)の有無が重要な情報となる。
<文献>
【本件事故(2004 年 12 月)より前の文献】
①前置胎盤の中で癒着胎盤となる予測リスクについて、既往帝王切開術1回で 35 歳未満の 場合、子宮切開創瘢痕部上に胎盤がない場合は 3.7%、子宮切開創瘢痕部上に胎盤があ る場合は 15.9%としている。(米論文・弁9、10、1997 年)
②「癒着胎盤の危険性は帝王切開術の既往のある妊婦に生じた前置胎盤でより高く、また、
むしろ、妊娠末期まで無症状に経過するような前置胎盤の例で癒着胎盤の可能性が高い という報告もある。」(弁5p127、1998 年)
③我が国では、帝王切開既往の前置胎盤例において、癒着胎盤となる可能性は 24%と報告 されている(甲 12「標準産婦人科学」p429、2001 年)。
④「既往帝王切開術、子宮内掻爬術、子宮筋腫核出術が挙げられ」る(甲9p260,2004 年?)
【本件事故(2004 年 12 月)以降の文献】
⑤「帝王切開、子宮内膜掻爬、妊娠中絶、子宮形成術などの手術の既往や子宮内膜炎、子 宮内膜欠損、前置胎盤の場合に多い。」(甲 11p303,2005 年)
「帝王切開既往が最も多く、20~30%が次回妊娠時、癒着胎盤となる可能性を持つ。」(甲 11p429,2005 年)
⑥「帝王切開術がある例における癒着胎盤合併率は 46%と有意に高率であった。」(弁 11p44,2006 年)
⑦「とくに前回帝王切開既往の子宮前壁(子宮創部)付着前置胎盤は、高頻度で癒着胎盤 となる。」「前置胎盤で癒着胎盤となる頻度は5%であるが、前回帝王切開の前置胎盤で は 24%となり…(中略)…と報告されている。帝王切開瘢痕部付近は脱落膜が乏しく、
その部に着床した場合、筋層内への絨毛侵入につながりやすいと考えられている。」(甲 12p429、2006 年)。
⑧前置胎盤の約5~10%に癒着胎盤が合併する。(文献 32、ガイドライン 2008)
⑨「無傷子宮での前置癒着胎盤頻度は1~5%であるのに比し、帝王切開既往回数が1回、
2回、3回、4回以上である前置胎盤癒着胎盤頻度はそれぞれ、14%、23%、35%、50%
と報告されている。現時点では帝王切開既往患者が前置胎盤を合併した場合、癒着胎盤 の存在を想定して管理・分娩にあたることが重要であろう。」(文献 32、ガイドライン 2008)
(イ) 子宮前壁から膀胱周辺の血管怒張
開腹時に子宮壁に血管怒張や、紫色への変色などがある場合、癒着胎盤の可能性 が高い。
なお、子宮壁の血管怒張については、前記32頁第3、1(1)イ(キ)、42頁(2)
ウ(エ)および44頁(3)も参照されたい。
<文献>
【本件事故(2004 年 12 月)より前の文献】
①子宮瘢痕創部周囲の血管が無数に怒張していたり、子宮筋が紫色に着色して胎盤が直下 にあるような場合、癒着胎盤の可能性が高い。(弁 143 引用資料p1643 竹田省ほか,1996 年)
②開腹時に子宮壁の紫色への変色あるいは胎盤が透けて見える場合には癒着胎盤の可能性 がきわめて高い。(甲 58p114,2000 年)
③「placenta increta(嵌入胎盤)やplacenta percreta(穿通胎盤)は絶対に胎盤剥離を 試みるべきではない。」とした上で、帝王切開既往前置胎盤の場合について「胎盤付着部 の下節筋層表面や筋層内に怒張した豊富な血管がみえたり、紫色に透視 できるなら placenta accretaもしくは嵌入胎盤である。同様の所見と膀胱周囲の豊富な血管の存在 は嵌入胎盤、穿通胎盤が疑われる。肉眼所見で胎盤剥離を試みるか決定できないときは、
児娩出後胎盤剥離が自然に起こらなかったり、胎盤母体面からと子宮下節漿膜面からと 両手で挟んでみて子宮筋層が数mm以下の薄さなら剥離面の出血が困難と考えたほうがよ い。
いずれにしろ出血が始まってからの子宮摘出は出血が多量になるため、胎盤剥離をしな いでそのまま子宮摘出したほうがよい。」としている。『周産期救急のコツと落とし穴』
竹田省「帝王切開時の大量出血の処置」(文献 13p185、2004 年)
④「開腹時に子宮壁が暗紫色ならびに蒼白色へと変色していて、静脈血管の怒張が顕著で あったり、子宮壁から胎盤が透過される場合は、癒着胎盤でも嵌入胎盤が強く疑われるた め、子宮全摘術の適応となる。」『産科臨床ベストプラクティス』竹内正人ほか(文献 61p285、2004 年)
⑤既往帝王切開、前置胎盤症例で、「子宮下部は胎盤付着部位が腫大膨隆し、暗紫色に胎盤 が透視できる場合がある。子宮下部・膀胱上腹膜には怒張した血管が多く見られる。」こ のような場合、「胎盤の剥離は決して試みず、子宮創部を仮縫合止血して子宮摘出術に移 る。」(高橋恒男ほか文献 40p979、2004 年)
【本件事故(2004 年 12 月)以降の文献】
⑥「開腹時に子宮前壁~膀胱周辺に拡張した血管がないか確認する。癒着胎盤においては怒 張血管が高率にみられる。」(文献 22p908、2008 年)
⑦分娩前あるいは帝王切開前に癒着胎盤の診断を確実に付けておくことは困難であり、リ スク因子や画像診断を用いても、全例を分娩前に診断することは難しく、最終的には開 腹所見や胎盤剥離時の臨床所見から診断しなくてはならない。開腹時の子宮前壁~膀胱 周辺部の漿膜に、怒張した血管がないかどうかは非常に重要所見である。われわれは、
帝王切開の既往がない前置癒着胎盤症例においても同所見を認めたことがあり、本所見 を認めた場合は十分に人員を揃えてから児娩出を開始するべきと考える。(文献 82、臨床
婦人科産科 63 巻1号 55 頁,2009 年)
(ウ) 胎盤剥離徴候の有無、胎盤娩出の困難性
自然分娩例において胎児娩出後30分経過しても胎盤が娩出されない場合や、胎 盤娩出困難な場合には、癒着胎盤例である可能性が高い。
<文献>
a 胎盤剥離徴候の有無
【本件事故(2004 年 12 月)より前の文献】
①「通常、児娩出後数分すると胎盤が剥離する。分娩第3期の平均時間は、初産で 15-30 分、経産で 10-20 分であるため、30 分以上経過しても胎盤が娩出されない場合は、胎 盤嵌頓や癒着胎盤を考慮し、適切な処置を講じる必要がある。通常、胎盤娩出の際は、
胎盤の剥離を確認後に臍帯を軽く牽引して娩出させる。」(弁6p221、1998 年)
② 胎児娩出後、「30 分待っても胎盤の子宮口への嵌頓を認めない状態で剥離徴候が認めら れない場合に癒着胎盤を疑う。」(甲9p260,2004 年?)
【本件事故(2004 年 12 月)以降の文献】
③「分娩第3期に胎盤が児娩出術後約 30 分経過しても娩出をみない胎盤遺残の場合には、
付着胎盤または癒着胎盤を疑う。」(文献1p105、2008 年)
b胎盤娩出の困難性
【本件事故(2004 年 12 月)より前の文献】
①胎盤用手剥離術について「本手術により、胎盤が娩出されるのは前述のごとく付着胎盤 であり、胎盤娩出が困難で、胎盤と子宮筋層との間に絹糸状の索状物をふれる場合には 癒着胎盤と診断し、ただちに用手剥離術を中止する。剥離が困難にもかかわらず、操作 を続行すると、胎盤の不完全な剥離による大量出血や子宮壁穿孔などの重篤な合併症を 引き起こすことになる。」「癒着胎盤の臨床的診断がつけば、ただちに子宮全摘術を行う ことが原則である。」(文献 42p1712、1996 年)
② 術中に初めて癒着胎盤と診断し、子宮全摘術を施行した症例報告:「術中、胎児娩出後 に子宮を観察したところ子宮体部全壁右側の子宮筋が菲薄しており、胎盤が透見してい る様に思われた。慎重に胎盤用手剥離しようとしたが剥離不可能であった。癒着胎盤の 術中診断のもと、…中略…本人、夫とも子宮全摘術を選択され同手術を施行した。」病理 診断では嵌入胎盤と診断された。(文献 34p292、2002 年)
③ 帝王切開既往の患者で、選択的帝王切開施行、胎盤は子宮前壁に付着しており、児娩 出後剥離困難で癒着胎盤と診断し、そのまま子宮摘出となった症例について報告あり。
(文献 36p341、2003 年)
④ 「胎児娩出後 30 分以上経過しても胎盤剥離徴候がみられず、子宮弛緩と一部剥離した 部分からの多量の出血がみられることにより本疾患を疑う。胎盤用手剥離の困難性から 診断されるが、確診は摘出子宮または胎盤の病理学的所見による。」(文献 64、2004 年)
【本件事故(2004 年 12 月)以降の文献】
⑤「ほとんどは分娩第3期における胎盤娩出困難で癒着胎盤を疑う。娩出された胎盤から 肉眼的に診断することはできず、病理所見で胎盤の母体面に子宮筋層が含まれている場 合癒着胎盤の診断となる。」(甲 11p303、2005 年)
⑥帝切術中・術後に癒着胎盤と診断した症例報告:全前置胎盤で予定帝切が行われた症例
「子宮下部から右側にかけて胎盤の癒着があり、剥離困難にて続けて単純子宮全摘術を 施行。術中出血は 3056ml。病理にて癒着胎盤。」(文献 20p281、2006 年)
⑦「児の娩出後 30 分経過しても胎盤剥離徴候を認めない場合、癒着胎盤を疑う。胎盤用手 剥離術を施行しても剥離困難な場合、臨床的癒着胎盤と診断する。したがって、臨床的 には(肉眼的に穿通胎盤であることが明らかである場合、画像所見が明瞭である場合を 除き)、胎盤の剥離操作を行わないと癒着胎盤の診断はできない。」(文献 58p229、海野 信也 2006 年)
⑧ 低置胎盤で術前癒着胎盤の疑いが強いと診断された症例で、児娩出の間、胎盤の一部 は自然剥離し約 3,000g の出血があった。さらに胎盤剥離操作に伴い約 3,000g の出血が あり、自己血と同種血の輸血を開始し、胎盤剥離困難と判断し、子宮摘出を行った。(文 献4p1426、2007 年)
⑨ 術前検査で癒着胎盤が疑われた1回経産婦。児娩出と同時に子宮収縮剤を投与し輪状 マッサージを続けたが、胎盤は一部剥離するのみでその他の部は強固に付着していたの で、胎盤用手剥離はそれ以上試みず、子宮全摘した。全出血量は 1,400ml。術後の組織 検査では嵌入胎盤。(文献 28p980、2008 年)
(エ) 大量出血、止血困難状況
癒着胎盤の場合、胎盤剥離等を行ったことによる大量出血の発生、および、止血 困難状況の発生の可能性が高い。
<文献>
a 胎盤剥離等を行ったことによる大量出血の発生 【本件事故(2004 年 12 月)より前の文献】
① 胎盤用手剥離術について「本手術により、胎盤が娩出されるのは前述のごとく付着胎 盤であり、胎盤娩出が困難で、胎盤と子宮筋層との間に絹糸状の索状物をふれる場合に は癒着胎盤と診断し、ただちに用手剥離術を中止する。剥離が困難にもかかわらず、操 作を続行すると、胎盤の不完全な剥離による大量出血や子宮壁穿孔などの重篤な合併症 を引き起こすことになる。」(文献 42p1712、1996 年)
②「無理に剥離しようとすると大量出血、外傷性子宮破裂、子宮内反症などを引き起こす ことがあるため、大量出血を認めた場合は直ちに中止し開腹術に切り替えるべきである」
(甲9p260,2004 年?→編者から主に経腟分娩の場合を前提としたものであるとの回答 あり、弁 137)
③「前置癒着嵌入胎盤を術前に確実に診断する(あるいは否定する)検査法は確立されて おらず、術中においても胎盤剥離を行ってみなければ、診断の確定はできない。しかし、